つぼみたちの輝き Story.15

「天使の休息」



 試験休み。
 一部の学校では試験実施後、採点のために授業を行わない学校があり、本来はそのような特別な休日を指す言葉である。
 ここ桜ヶ丘中学校では、公立校ということもありそのような措置は行われず、先生達は休憩時間、あるいは帰宅後に採点の仕事を行うことになっている。それゆえ、試験休みと言う特別な休みは存在しない。

 だが、この期末試験は木金土の3日間で行われ、翌日が日曜となる。試験の重圧から解放された生徒たちにとって、この休日は限りなく特別なものであった。わずか一日であっても普段以上の楽しさを感じる……それが試験の後にやってくる休日だった。
 だから、生徒たちはこの一日のことを特別な意味をこめて「試験休み」と言う。


 そしてこの日は、早坂ひかりにとって、それ以上に特別な日であった。

「出かける……?」
「う、うん……」

 前日の早坂家。
 夕食の席でひかりが、翌日の休日に出かけたいと言ってきた。
 ひかりの外出と言えば、近くの商店街に買い物に出る程度で、ごくまれに隆と一緒に町の中心街まで出る程度である。
 仲のいい友達と遊びに出かける、という小中学生なら当たり前のことを、今までひかりはしたことがなかった。控えめな性格のためもあるし、もちろん調子を崩しやすい身体の弱さのせいでもある。
 その初めての機会が、ひかりに訪れようとしていた。

「クラスの……あ、一人は違うクラスだけど……お友達と一緒に」
「へぇ……」
「だ、だめ……かな……」
「いや、そんなことないけど……身体が大丈夫だったらさ」

 初めてのことに少し驚いていた隆だが、仲の良い友達ができることを妨げる理由はどこにもない。ただ、その途中でおなかの調子を崩した時、友達に気を遣って無理に我慢することになったり、万が一おもらしなどをしてしまったら、その友達との関係まで崩れてしまうのではないか……それが唯一の不安であった。

「だ、だいじょうぶ……今日も、調子良かったし……」
「そっか……ならいいけど」

 調子が良かった、というのを本当と見るか嘘と見るかは難しいところだ。なにせ1日数回の下痢便排泄が日常となってしまっているひかりのことである。だが、おそらく今日の排泄の全てを隆に教えたら、調子がいいというのは嘘だと断定されることだろう。
 朝、朝食後にトイレに入り水分たっぷりの液状便を排泄。ここまではよく――少なくとも3日に1回はある話である。
 昼前、最後の試験時間中に我慢しきれなくなり、トイレに立ってぎりぎりの我慢の末大量の未消化下痢便を排泄。量、形状、におい、腹痛……どれをとっても、下痢しがちな彼女にしても十分にひどい内容だった。
 しかも、一度具合が悪くなったおなかは、この1回の排泄だけでひかりを苦しみから解放してはくれなかった。試験終了後まっすぐ家を目指したものの、その途中でまた便意に襲われ、家にたどり着いた瞬間にトイレに駆け込み、その中で数十分の時間を過ごさねばならなかった。
 試験が終わるなり野球の練習で帰りが遅くなった隆が家に着く頃にはだいぶ落ち着いていたが、それでも軽く夕食を取った後にやわらかめの便を少量排泄している。都合4回、健康的なそれよりはるかにゆるい大便を排泄しているのである。もちろん彼女自身が、その苦しみを一番よくわかっていた。

 とはいえ、隆は知らない。
 このことを包み隠さずに言ってしまえば、せっかく誘ってもらった機会をふいにしてしまうかもしれない。隆も良かれと思ってやっていることだが、いささか過保護な面があるのは事実である。
 もちろんそれ以上に、自分の下痢排泄を隆に告白するのが恥ずかしいと言う事情もあった。何十回とこの兄の前でおもらしをし、野外排泄をし、後始末を手伝ってもらったことも数知れないが……それでもまだ、思春期の女の子の羞恥心の泉は枯れることを知らない。
 最大の理解者である隆に隠し事をするのは申し訳なくはあったが、この選択は女の子としてはごく自然なものと言える。

「で……朝からか?」
「え……? う、うん……10時くらいにうちの近くの児童公園に集合だって……」
「そっか……悪い、俺明日9時から練習だから……」
「うん、わかってる……朝ご飯、ちゃんと用意しておくから」
「悪いな。一応昼過ぎには終わるから、昼飯のついでにそっちに行くかもしれないけど……ま、邪魔しても悪いしな」
 様子を見に行こうか、と思い立った隆ではあったが、同学年の友達との間に割って入ってもと思いとどまった。それでも一瞬、ひかりは悲しそうな顔をする。

「ま……楽しんでこいよ」
「うん……ありがと……」



 と、いうわけで翌朝10時。

 ひかりは一人、待ち合わせ場所にいた。
 南中を迎えずともまぶしい真夏の陽光の中、かすかな風に揺れる短い黒髪がつやつやと輝く。
 その漆黒に映えるのは半袖ブラウスの白い襟。細い肩紐で吊るされた膝丈のジャンパースカートは、水色と紺色のチェック柄という涼しげな色合い。胸元のピンク色のリボンが、ともすれば落ち着いた印象の中に、子供らしい可愛らしさをひとつ添えている。
 おめかし……と言うほどではないが、久しぶりに着る夏物の外出着だった。

「………………」
 その外出着に包まれたひかりであるが……どうも今ひとつ落ち着きがない。視線をあちこちに彷徨わせ、背すじも目立って丸まっている。
 もちろん初めての友達とのお出かけでそわそわしているのもあるが……この振る舞いの原因はもっと切迫した事情にあった。

  キュルルルルルルッ……。
(ど、どうしよう……おなかが……)
 ひかりは先刻から、便意をもよおしていたのだった。
 もちろん彼女のこと、数時間も我慢がきくような穏やかな排泄欲求ではない。
 激しい腹痛とともに駆け下る下痢便による、強烈な便意である。

(やっぱり……まだ調子悪いみたい……)
 昨日あれほど学校で、家で下痢便を出したにもかかわらず、ひかりのおなかの調子はまだ好転してはいなかった。悪化、ということでないだけましとも言えるが。

  ギュルルルルルルッ……
(おトイレに行かなきゃ……もれちゃうっ……)
 しかし、だからといって決して甘く見られる便意の強さではない。
 ひかりが向けた視線の先には、公園の公衆トイレがある。男女共同である上に決して綺麗とはいえないが、個室が二つある水洗のトイレだ。下痢に襲われて切迫に用を足す場所を欲しているひかりには、十分すぎるほどの環境である。
 便意をこらえているとはいえ、気を抜いたら出てしまうというほど強烈な段階には達していない。普通に歩くだけで、そのトイレまでは難なくたどり着けるはずであった。

 ただ、ひかりは公園の入口を動かなかった。

(……その間に幸華ちゃんや美奈穂ちゃんが来たらどうしよう……)
 待ち合わせの最中である。もちろん、時刻が10時をまわっているから美奈穂も幸華も遅刻ではあるのだが、だからといって自分がこの場を離れても何も思わないというほど、ひかりの神経は図太くなかった。むしろ初めての待ち合わせに、必要以上に気を遣っている部分があった。
 だから……ひかりは目の前にトイレがあるにもかかわらず、その外で我慢を続けなければいけない状況に陥っている。

 ギュルッ……ゴロロロロロロロッ……
(うぅ……お兄ちゃんが心配してた通りになっちゃった……)
 昨日の夕食の時に体調を心配されたのがそのまま的中している。
 トイレに行ける時、行けない時……いつ便意が襲いかかってくるかわからない。友達と遊ぶだけでも、ひかりのおなかの弱さを考えれば危険と隣りあわせなのである。

「んっ!!」
  プッ! プゥ〜〜〜〜ッ……
 可愛らしい音が彼女のおしりから響く。
 いつも濁った爆音を炸裂させているひかりにしては、珍しくその外見に似合った可愛げのあるおならの音だった。
 最悪の腹具合であれば今のおならだけで液状物が漏れ出してしまっているところだが、幸いひかりのおしりにはその嫌な感触は現れていない。においも悪臭ではあるが、腐ったような刺激臭ではない。昨日の試験中に比べれば、いくぶん回復しているようには思える。

(ま、まだなんとか大丈夫……でも、早く行かないと……)
 おならが出た、ということは我慢の限界を知るのに重要な情報となる。
 まずは、排便の先触れとしてのおなら。それは紛れもなく、腸の活動が排泄に向けて活発に動いていることを示すものである。
 それと逆に、腸内の圧力の解放としてのおなら。これによっておしりの穴にかかる腹圧が減少し、しばらくはおもらしの危機から遠ざかる。その一時のやすらぎの現れでもある。
 とはいえ、それはあくまで一時的なもの。今度腸内活動の波が起これば、次に押し寄せてくるのは中身のないガスではなく、熱く駆け下ってくる下痢便である。

  グギュルルルルルルッ!!
「うぁっ……」
 その波が早くもひかりの小さな身体に襲いかかる。

(も、もうだめっ……)
 目を閉じておなかを押さえる。
 さっきまで見えていた、トイレのある方角に一歩踏み出す。
 限界であった。
 彼女が幾度となくくぐり抜けてきたおもらしとの境界線、というほどではないが、トイレが目の前にあるこの状況でこれ以上我慢を続けるのは不可能だった。

 ためらいがちに踏み出した歩を、さらに進める。
(お、おトイレ……はやく……)
 ひかりの頭が排泄行為だけで一杯になったその時……。

「ひかりちゃーん!!」
「ひかりー!」
「え……」
 背を向けた公園の入り口方向から、声。
 振り返る余裕にはひかりにはないが、その声が誰のものかは簡単にわかる。
 待ち合わせの相手である、美奈穂と幸華の声だ。

「ごめ〜ん、遅くなっちゃった……」
「もう……せっかく迎えに行ってあげたのに……トイレから出てこないんだもん、この子ったら」
「だって〜……」
 軽口を叩きあいながら、あっという間にひかりの側まで歩いてくる二人。

 だが、振り向くこともできずに身体を震わせているひかりの尋常ならぬ姿を目にして、その言葉が止まった。
「ひかりちゃん……?」
「ひかり……?」
「あ、あの……」
 片足を引き、二人に向き合おうとする。だがその動きに反応し、ひかりのおなかがあらん限りの音を立てた。

  ギュルルルルルルルッ!!
「んぅっ!!」
 あまりにも痛々しいが、見慣れてしまった光景。
 前かがみになったひかりの身体。その細腕が、猛烈な音を立てて荒れ狂うおなかを抱え込んでいる。下痢の便意をこらえている、まさにその苦しみの中にある姿だった。
「ひかりちゃん、もしかして、おなか……」
「だ、大丈夫!?」
 二人の心配そうな声。
 その声にひかりは目を開けて、苦痛にゆがんだ表情をわずかに緩める。
「うん……」
  グギュルルルルルルルッ!!
「ぅ…!!」
「ひかりちゃん!」
「ひかり……」
 一歩踏み寄る二人に対し、よろめくように後ろに下がるひかり。
 もう……一刻の猶予もなかった。
「あ、わ、わたし…………お、おトイレ……うっ!!」
  グルルルルルゴロッ!!
「う、うん。わかったから。早く行ってらっしゃい!」
 その苦しげな姿に、たまらず強い口調になる幸華。
「ひ、ひかりちゃん、がんばってっ……」
 そしておろおろするだけの美奈穂。

 二人に見送られながら、ひかりはトイレに駆け込んだ。

  バタンッ!!
  ガチャッ!!
  ガササッ!!
  ビチビチビチビチビチビチビチビチッ!!

「うぁぁ……ぁっ……」
 3種類の異質な音が等間隔で響き、同じ間隔で始まった猛烈な排泄音が数秒に渡って、ひかりが飛び込んだ個室を満たした。

 所々木目が剥き出しになった扉を勢いよく閉じ、ガタガタと外れかけている鍵をなんとか閉め、ジャンパースカートの中で今にも破裂しそうなおしりの穴を覆っている下着を、ためらいなく引きおろした。
 その次の瞬間……おしりの穴はあっさりと破裂した。

「うぅ……んくっ!!」
  ビチビチビチビチビチビチッ!!
  ブリブビブビブビビブビッ!! ブビチィィィッ!!
 下痢便。
 液状ではないそれは、軟便といった方が正しいのかもしれないが……噴出の勢いは、昨日のすさまじい下痢にも劣らない勢いだった。
 形はほとんど崩れているものの、完全に消化されているとは言い切れない黒い小さな塊が核となり、ゲル質に覆われた弾丸を形成している。その弾丸がとどまることなく、便器の底へ向けて打ち出されるのだ。

  ベチャベチャベチャッ!!
 当然、それだけの水分を含んだ便であるから、便器の底で積み重なるにあたっては形を保ってくれない。次々と降り注ぐゲル状便が溶けたチョコレートのようにその裾野を広げていき、同時に飛び散った水分がその周りに茶色のまだら模様を作り、まだ変色していない便器の水にその色を染み出させていく。

「んぅ……」
  ブリッ……ブチュブチュッ!!
  ブビュルブッ……ビチッ!! ビチチチッ!!
 機関銃のような噴出は数秒で収まったものの、腹痛は収まる様子を見せない。その証拠として、おしりの穴からは断続的にゲル状の物体が飛び出していく。

  ベチャビチャビチャビチャッ!!
 吐き出された便は肛門の真下で山を……なさない。
 あまりに軟らかすぎるそれは、便器に落着したそばから崩れ飛び散ってしまい、鉛直方向ではなく水平方向にその形状を押し広げていくのである。
 便器の底にはいびつな円形を描いて、凸凹の激しい茶色の小島が出来上がっていた。

「んっ!! うぁっ……」
  ブブビチチチブリッ!! ジュブリュッ!!
  ブリュブビュビチッ!! ブリビブブチュルッ!!
  ブビビビブリビリュッ!! ブリュビチビチブリビィィッ!!

 強烈なにおいを発するその小島は、さらに降り注ぐ汚物によってその凹凸を変化させながら、一層の広がりを見せていった……。


  グジュ……ガサ……
「………………」
 備え付けの紙でおしりを拭く。
 限界までひどい下痢ではないとはいえ、これだけ激しい排泄の後であるから、おしりの穴も痛々しく腫れ上がっている。ひかりはその痛みに耐え、排泄の後始末を続けた。
 便器の中には、ゲル状便の山を覆わんばかりに消費された紙が捨てられている。これが自らの排泄物を隠すためでないことは、その紙にべっとりと付着した茶色の擦り跡が示している。汚れきったおしりの穴を綺麗にするには、ホルダーにつけられた分を全て使い切るほどたくさんの紙が必要だったのだ。

  ゴボジャァァァァァァッ……!!
 勢いよく流れていく汚物。
 下着を上げて立ち上がったひかり。ほんの数秒前まで、この両足の間に見るのもおぞましい汚物の山があったとは想像もできないだろう。
「うっ……」
 わずかに顔をしかめる。
 悪臭の源は流れ消えても、空気中に舞い上がったにおいは一瞬では消えてくれない。自分の出したものとはいえ、その悪臭はただでさえ沈んでいるひかりの心を刺激するのに十分なものだった。
(早く……戻らなきゃ……)
 それは一刻も早く自分が作り出したこの悪臭満ちる空間から逃げ出したいという思いもあったのかもしれない。しかし、それ以上にひかりには、これ以上二人を待たせて迷惑をかけることはできないという思いが強かった。もともと遅刻した二人が悪いのであるが、それを責めることで自分を正当化するような神経をひかりは持ち合わせていない。


「ごめんなさい……」
 手を洗ってトイレの外に出たひかりは、入り口で待っていた幸華と美奈穂の姿を見て、ほぼ反射的に謝っていた。
「そんな、謝らないで……元はといえば遅れたあたし達が悪いんだし……」
「でも…………ごめんなさい……」
 頭を垂れるひかり。
「ひかりちゃん、悪いのはみなたちの方だから、気にしないで、ね?」
「でも……」

「ほら、いつまでも落ち込んでないでっ!」
 煮え切らないひかりに、幸華は荒療治に踏み切った。
 ぐっと手を引っ張り、公園の入り口へと歩き出す。
「え、あ……」
 戸惑いながらも足を進めるひかり。
「あー、まってよー!」
 それについていこうと、小さな歩幅で駆け出す美奈穂。

(ごめんなさい……)
 それ以上の言葉を胸の中にしまって、ひかりは公園の門をくぐった。

 三人。
 ひかりにとっては初めての、友達とのお出かけ。
 第一歩目でつまずいたものの、温かく受け止めてくれた二人の親友と一緒に過ごす一日。
 その一日を前に、もうこれ以上落ち込む必要はないのだから――。


 商店街まではほんの数分の道のりである。
 真夏の休日。
 照りつける陽射しの中を、3人の少女が楽しげに歩いていく。

 ひかりの服装はすでに語った。
 美奈穂はというと、こちらはピンクを基調としたいかにも子供らしい上下。袖口だけピンクの半袖Tシャツは、外に出した裾に白いフリルがついている。その下には紫がかったピンクのキュロットスカート。可愛らしさと活発さを兼ね備えた印象を与えるその姿である。
 幸華はウォッシュドデニム生地のノースリーブワンピース。ひかりの服と違い、肩口に日焼けした肌色がしっかりとのぞいている。ワンピースの裾についても、膝下まで達しているひかりに対して幸華のものは膝上十数センチ。少し強い風が吹けばその内側に身に付けている下着が見えるほどにめくれ上がってしまうだろう。

「……きゃっ!?」
 …………。
 縦に黄色いストライプの入った白地のショーツ。

「……も〜、何よいきなり……」
 正面から吹き付けてきた風にスカート部分を押さえながら、幸華がつぶやく。
「さっちゃんのぱんつ、おねえちゃんぽいね」
「あんたのが子供すぎるんでしょ……って、大声で言わないのっ!!」

「……くすっ」
 丈の長さが幸いして難を逃れたひかりが、二人のやり取りに微笑みを浮かべる。
「こら、ひかりも笑わないっ!!」
 軽口。
 あまりにも平凡な、しかし幸せな時間が、ゆっくりと過ぎていく……。


「さて、まずはお洋服でも見よっか」
 ゆっくり時間が過ぎても、商店街までの道のりは短い。あっという間に着いた時間は、まだ昼ご飯には早い11時。
 当然のようにウィンドウショッピングが始まる。

「ねぇひかり、この服似合うんじゃない?」
「えっ……そ、そんなの派手すぎるよっ……」
「わー、みなも欲しいよー」
 服屋……と言っても、そこはひなびた商店街。ブティックといったしゃれたものではない。お母さん達が自分の普段着と子供の服を買いに来るような衣料店で、ひかりも何度となく訪れたことがある。
 それでも、友達ふたりと訪れる見慣れた場所は、ひかりには今までになく新鮮なものに思えた。

「えー、買わないの〜? ぴったりだよ?」
 幸華が勧めた純白のワンピース。肩の布地に綿が詰まってふわふわと膨らんでおり、ちょっとしたお姫様のドレス気分だ。
「う、うん……でも、お洋服は今間に合ってるから」
「夏物とか、まだ買ってないんじゃないの?」
「え、えと……去年の、まだ着られるから……」
 少しうつむき加減なひかり。事実とはいえ、身長も体重も1年前からほとんど成長した跡が見えない。体重に至っては、体調によって――たとえば、激しい下痢の後などは――小学校時代の数字を下回ることすら稀ではない。
「えー、でもみなは新しいの欲しいよー」
 ぷう、と頬を膨らます美奈穂。
 こちらも一年前どころか、それ以前から体型が変わっていないのではないかという無成長っぷりであるが、さほど気にしている様子はない。
「あんまり、無駄遣いもできないから……」
「値段もお手ごろだと思うんだけどなー……」
 当人のひかり以上に未練たっぷりの幸華。
「わ、わたしもう十分見たから……行こ?」
 そう言って、その服の誘惑を振り切るように店を後にしようとする。

「あ……」
 ふと、目をとめた。
 その視線の先は下着コーナー。
 珍しいものではなく、飾り気のないショーツにその目は向けられている。

(まだ……足りてるよね……)
 足りなくなる理由……。自分の責任とはいえ、おもらしで汚してしまったため……というのはあまりに情けない理由ではある。
 だからといって買わなければおもらしが減るわけではない。履くものがなくなって困るだけだ。
 なんとか最近はショーツを再起不能にするほどのおもらしをせずに済んでいるが、ちびちびと汚れをつけてしまうことは少なくない。昨日履いていたショーツも、家のトイレに駆け込んだ後下ろしたら隠しようのない十円玉大の染みが浮き上がっていた。
 この程度だと石鹸で洗えば目立たなくなるものの、外に履いていく用には使えない。考えたら、今日も洗濯しているのを除くと2枚しか残っていなかったのだった。

「……どしたの、ひかり?」
「え、あ、あっ!?」
「ひかりちゃん……?」
「な、なんでもない、なんでもないからっ……」

 そう言って、ひかりは慌てて駆け出していく。
(こ、今度来たときにしよう……)



「ねぇ、みなおなかへったよー……」
「そうね、そろそろお昼だし……ひかりは?」
「え……う、うん……そろそろ、ちょうどいい時間かな……」
 幸華を少し見上げるように答えるひかり。
 実のところ昨日からの下痢続きということもあって食欲もあまりなかったが、まさかその原因まで正直に告白するわけにはいかない。

「よし、じゃ行こうか。……って言っても、そんなにお店もないけどね」
「みな、ハンバーガー食べたい!」
「またそれ? まあ、お手軽ではあるけどね」
 桜ヶ丘商店街は市街中心部のようにファストフードが豊富にあるわけではない。唯一あるのが全国チェーンのハンバーガー屋である。
「……ひかりは? 食べたいものとかある?」
「う、ううん、別に……あんまり、外で食べたりしないから……」
 ひかりが少し顔をそらすように答える。
「ねー、ハンバーガー……」
「もう……仕方ないなぁ。ひかり、別にハンバーガーって嫌いじゃないよね?」
 幸華は少しだけ首をひねって、ひかりに向き合う。
「え……う、うん……」
 戸惑いながらも答えるひかり。

「よし……じゃ、行こっか」
 美奈穂に押し切られる形ではあったが、ひかりの了承も得たことだし、幸華は行き先を決断するに至った。
「うん」
「うんっ!」
 すぐにうなずくひかりと美奈穂。
 美奈穂が走り出し、幸華が追う。
 その二人に置いていかれないようにと、ひかりも歩き出す。

 ちょうど中天にある真夏の太陽が、3人をきらきらと照らしていた。



 ……同じ頃、同じ太陽の下。

「りゃっ!!」

  ビシッ!!

 バックスピンのかかった白球が唸りを上げてミットを叩く。

「……100球ですっ!」
 バッターボックスの外で眺めていた百合が、透き通った声を上げる。

「おつかれさまでしたっ」
 のけぞりそうな勢いの速球を受け止めた学が立ち上がる。

「どうだ?」
 マウンドから降りてきたのは、練習用ユニホームとはいえ輝くエースナンバーをつけた早坂隆。
「球威はいつも以上でした。ただ、ちょっと逆球が多かったですけど」
「それは勘弁してくれ。今日はこれだけだと思ったら全力で投げたくなってさ」

「えーっ!? センパイって普段手加減してあれなんすか?」
 ホームベース付近で話をしていた隆たちに割り込んできた小柄な男子。
 まだ小学生のような面構えを残す彼は、もちろん1年生。
 層の薄い桜ヶ丘中野球部は、実力さえあれば1年生からでもレギュラーを獲得できる。事実、隆などは1年生のときからエースで4番であった。そして今年も夏の大会を前に、1年生から3人のレギュラーを輩出している。

 その一人……1番センター、成瀬陽一郎。
 俊足強肩を買われて外野の柱、そして打線の切り込み隊長に抜擢されたのがこの少年である。5月に行われた練習試合では、打順は7番ながらも内野安打1本、振り逃げ1回で出塁し、2度とも盗塁を成功させていた。
 性格は名前に背負うとおり陽気、素直……悪く言えば単純。
 センターからの返球の鋭さに「ピッチャーやっても通用するんじゃないかな」と言った学の言葉を真に受け、練習の合間を縫って投球練習を始めたりするあたりにその一面が表れている。

「……って、手加減ってわけじゃないさ。コントロールかスピードかを選んでるだけだ」
「……僕はいつも、コントロール重視でお願いしますって言ってるんだけどね……」

 真面目が過ぎるあまり言葉数の少ない隆、学も、陽一郎と話すとその声の大きさに引きずられてしまう。
 とにかく大会前の追い込みの今、ことに練習熱心なのはこの3人だった。一歩離れたところから見守る百合も、日に焼けたこの3人の様子を見ると頼もしく思えてくる。

「たかちゃん、おつかれさま」
「おう」
 そこに美典も加わってくる。彼女からタオルを受け取って額の汗をぬぐいながら、用具の片づけを始める。

「たかちゃん、お昼どうするの?」
「ん、今日はひかりが出かけてるからな……」
「え、ほんとに!? ……お友達と?」
「ああ。1年生の友達らしいけど」
「そっか……あ、じゃあお昼、うちで食べる?」
「ええっ!?」
 悲鳴に近い声を上げた百合。いくら相手が隆の幼なじみとはいえ、目の前で親密にされるのを看過するわけにはいかない。
「ん……まあ、腹一杯になればいいんだけどな。適当に食いに行くつもりでいたけど」
「せっかくだから一緒にメシってのもいいっすね」
「まあ、いいけど……しかし外で食うことなんかないから、店がわかんないな」
「あ、それなら僕のうちの近くに『くるくる』って店があるんですけど……知ってます?」
「いや……あれ、藤倉の家って商店街だったっけ?」
「はい。薬局ですけど……」
「そうか……」

(もしかしたら、ひかりたちに会うかもしれないな……)
 もし会ったら邪魔をするようで悪いと思いながらも、一度様子を見てみたいという気持ちもある。
 ……結局、後者の気持ちが勝った。

「……よし、じゃそこに行くか」

「あっ、自分もお供しますっ!」
「私もご一緒していいですか?」
「じゃあ、わたしも」

 あっという間に全員から声があがる。
 かくして桜ヶ丘野球部ご一行様の足は、そろって桜ヶ丘商店街に向かうことになった。


「えと、あたしはてりやきバーガーセットで」
「えーとっ、チーズバーガーセットくださいっ」
「……ひかりは?」
「……え、あ、うん……えっと……美奈穂ちゃんと同じのに……」
「かしこまりました」
 注文を復唱する店員。程なくして、トレイの上にハンバーガーとポテト、ジュースが乗って運ばれてくる。

「いただきまーすっ」
「い、いただきます……」
 威勢良く包みを開いて頬張る美奈穂と、そろりそろりと中身を取り出すひかり。
「あむ……ん? ひかり、食べないの?」
「あ……」
 ひかりは両手でハンバーガーを遠慮がちに持ったままじっと眺めているだけ。

「もしかして……苦手だった?」
「そ、そうじゃなくて……その……ハンバーガーって、食べるの初めてだから……」
「え? そ、そうだったの?」
「うん……ごめんなさい……」
 なぜか謝るひかり。

「う、ううん、別に謝らなくても……それより早く食べてみなよ」
「うん………はふっ……」
 小さな口をひかえめに開けて、ハンバーガーの端っこをかじる。

「どう?」
「………………えと……変わった味……」
 正直な感想だった。
 ケチャップとマスタードが無遠慮に使われた味つけは、普段薄味に慣れているひかりには受け入れがたいものがある。
 とはいえ、食べられないわけではない。

「おいしい? ひかりちゃん?」
 屈託なく横から問い掛ける美奈穂。口の周りにべったりケチャップをつけながら、すでに半分以上を平らげている。
「う、うん……」
 心底嬉しそうな顔に、ひかりは愛想笑いを浮かべるしかできなかった。


 変わってこちらは同じ商店街にあるグリル「くるくる」。
 結局、注文は5人とも同じ物になった。
 学生向けのサービス定食にしよう、と言ったのが隆。
「じゃあ、自分もそれで行くっす」
「あ、わ、私も同じのでっ……」
 間髪いれず隆に追随したのが陽一郎と百合。
「じゃあ、僕もそれでいいです」
「わたしもー」
 といった具合である。

 運ばれてきたのは普通の野菜炒め定食、に見える。
「……なんか、甘い野菜だなこれ」
「ハチミツみたいな味ですね」
「なんだろう……。野草なのはわかるんだけど……」

「この店は、見た目と違う、でも美味しいをモットーに料理を作ってるんです」
 学がそう説明する。
「藤倉センパイ、よくここに来るんっすか?」
「……うん、まあ、幼なじみの家だからね」
 そうやって店の奥に目をやる。
 自分の家の次に見慣れた場所。厨房の横の扉は店舗の後ろの居住スペースにつながっている。

  ガチャ。
「あれ……?」
 タイミングを見計らったかのように、その扉が開いた。
 中から現れたのは、その学の幼なじみ、来島沙絵。

「に……? まなちゃんに、ゆーりーに……ええっ……?」
 俯き気味にドアを開けた彼女だが、目の前に座っている見知った顔に驚きの表情を隠せなかった。

「……せっかくだから、野球部のみんなで来てみたんだけど……」
「う、うん……ありがと……うぅ……」
「……?」
 苦しげに顔をしかめてうつむく沙絵を見て、学は一瞬戸惑った顔をし、すぐにその原因に思い当たった。

「もしかして、また……?」
「う、うん……また家の中の、故障しちゃって……あっ……」

  キュルルルルルルッ……。
 沙絵が慌てて押さえたおなかから、奇妙な音が漏れる。

「ご、ごめん……さえ、もうだめっ!」
 Privateと書かれたドアの横にはToiletの文字。沙絵はわき目も振らずその中に駆け込んだ。

 ガチャリと鍵を閉めて、すぐに履いていた部屋着のズボンを下ろす。

  プビッ!!
 排泄体制が整うのを待ちかねて、お尻から大きな音のおならが飛び出す。その音に含まれる水っぽさからして、彼女のおなかが下痢状態になっているのは疑う余地のないところであった。
 今週もまた、1週間分溜まってしまった便秘の解消のために下剤を飲み、巨塊を排泄した後もおさまらない下痢に苦しんでいた。それを流そうとした途端にトイレが詰まり、店側のトイレを使わざるを得なくなってしまったのである。

(で、できるだけ静かにしなきゃ……)
 店に客が、それも学校の友達がいる状態で、下痢の大音響を響かせるわけにはいかない。
 沙絵は慎重に慎重に、少しずつおしりの穴を締め付ける力を緩めた。

  プリ、ブピピピピピピッ!!
  ビュルッ!! ブジュルピュルルルルルッ!!

「うぅ……いたいよぉ……」
  ギュルギュルッ……ゴロロロロッ……
  プチュルッ!! ビュルルッ!!
  ブリュビチュッ!!
 異様な音を立てつづけるおなかをかばいながら、おしりからの噴出を制御する。

  ビチャッ……ビチャビチャッ……!!

 便器の中に断続的に降り注ぐ液状便。
 和式便器の中にわずかに残っていた透明な水は、降り注ぐ汚液によってあっという間に異臭の源となってしまった。
 換気扇が回ってはいるものの、次々と便器に流し出される新鮮な悪臭の前には、その排気能力も追いつかない。

(おねがい……外までにおいがもれませんように……)
 悲痛な願いを浮かべながら、和式便器にまたがった沙絵は排泄を続ける。

「…………!?」
  グギュルルルルルルッ!!
 突然襲ってきた猛烈な腹痛。下剤の過剰摂取は、ときおり限界を超えたおなかの痛みを生み出すことがある。

「……ん、んうっ!!」
 たまらず前かがみの姿勢をとって、おなかを両手で押さえる。
 だが、彼女がいつも下痢との戦いを行っている自宅奥のトイレと違い、この店舗用のトイレは和式だった。
 当然、身体を前に倒すためには、その重心移動を足腰に力を入れて支えなければならない。
 出し渋っている液状便を直腸内に大量に残した状態で下半身に力を入れる……それがどんな結末を招くか、想像するのはたやすかった。

  ブビビビビビビビビビビーーーッ!!
  ブリュブビブリブリブリブリッ!!
  ビチビチビチビィーーーーーーーーーッ!!

「あ、あわっ……」
 慌てておしりの穴を締める。
 ……だが、時すでに遅し。

  ブジュルビチブリュビィッ!!
  ジュブブブビジュブパビュルッ!!

 一度開いてしまったおしりの穴。その中から便が噴出している以上、完璧に閉じきることはできない。そのわずかな隙間から、液状化した便は次々と溢れ出していった。

  ブビュビュビュビュッ!!
  ブリリリリリブジュビチッ!!
  ビジュルビシャァァァーーーーーッ!!

「くぅ……っ……」
 もはや個室の外に注意を払うことすら困難なほどの腹痛。
 沙絵はただ、自分との戦いを続けるしかなかった。


(大丈夫かな……)
 食事と談笑に興じている面々は、この個室の中で繰り広げられている惨状を知らない。
 ただ一人、事情を知る学だけがその光景を想像し得る立場にいたが……彼にはただ心配をすることしかできない。

「藤倉先輩? どうかしたんすか?」
「え? あ、い、いや、何でもないよ」


 ……結局、彼らが食事を終えて席を立つまで、沙絵はトイレから出てこなかった。
 もっとも、彼らと壁一つ隔てたところで下痢便を垂れ流した気まずさから出てこなかったのではない。
 純粋に下痢が止まらなくて身動きが取れなかったのである。

「んっ……うぅぅっ……」
  ブビッ……ビチビチビチッ!!
  ジュブリュリュッ!! ビィィィッ!!

 結局、彼女がトイレから出ることができたのは、野球部の面々が去ってから30分以上経ってからだった。



「さて、これからどうするんすか、センパイ?」
「そうだな……帰って練習でもするか」
「早坂先輩、その、今日はこれ以上投げないようにって……。練習は1日100球までって決めたはずです」
「そうだよ、たかちゃんいつも練習しすぎなんだから。たまには休まないと」
「別に俺は頑丈なのだけが取り柄だから、大丈夫だって言ってるんだけどなぁ……」
「……あの、ほら、身体の方は何ともなくても、いつも練習漬けじゃ気分が晴れないですから。たまには羽を伸ばした方が……」
「そうだよ。たまには休まないと、ね」
「……まあ、そこまで言うなら今日は休んどくか……」
 ん、と伸びをする隆。

「あ、あのっ」
「……ん?」
「も、もしよかったら、その、せっかく商店街まで来てるんですし、その……」
「……?」
「…………」
 赤面する百合。
「百合ちゃん、たかちゃんと遊びに行きたいの?」
「――っ!? そそそ、そんなわけじゃ、あの、わ、私っ……」
 はっきりと見て取れる動揺。図星もいいところであった。
「ねえ、たかちゃん、せっかくだからみんなで遊びに――」

「悪い、今日はちょっと用事があって」
「え…………」
「あ…………」
 落胆の色を浮かべる女子2名。

「じゃ、じゃあここで解散ということにしましょうか」
「そっすね……また明日ってことで」
 学と陽一郎がそう声をかけ、一歩下がる。
 百合と美典も、それに倣うしかなかった。


「……それじゃ」
 そう言って歩き出した隆。
 用事がある、と言ったものの、特に行く当てがあるわけではない。
 商店街を歩いていればひかりに会えるかな、という程度の期待だった。

 とはいえ、狭い桜ヶ丘商店街である。
 学や百合たちの姿が見えなくなると同時に、その瞬間は訪れた。


  ウィィィィン……。

「あ」
「あっ……」

 目の前で開いた自動ドア。
 桜ヶ丘商店街唯一のファストフードであるハンバーガー屋の入口から出てきた3人。その中に、ひかりの姿があった。

「よ、よう」
「ひかり……知り合い?」
 ひかりが返事をするより早く、幸華がひかりに問い掛ける。
「あ、えと……わたしのお兄ちゃん……」

「え!?」
「そっちの二人が友達か?」
「う、うん。……香月幸華ちゃんと、遠野美奈穂ちゃん」
「そっか。あー、俺、早坂隆。一応、ひかりの兄だ」
「は、はじめまして! あたし香月幸華っていいます。こっちの美奈穂と一緒に、ひかりと仲良くさせてもらってます」
「えっと、とおのみなほですっ。ひかりちゃんとおなじクラスなんだよ」
「そっか。……ん、香月って言ったか?」
「はい、香月幸華ですけど……」
 聞き覚えのある苗字に反応する隆。

「いや、うちのクラスに香月…叶絵っていう女子がいて、そいつと雰囲気が似てたから」
「え、あ、そ、そうです。二人姉妹で。……あの、姉さんと仲いいんですか?」
「ん……仲がいいというか、悪友というか……まあ、よく話すほうではあるけど」
「そ、そーですか……むー…………」
「さっちゃん……? どうしたの?」
(姉さんったら……男には興味ないみたいな顔しといて、こんな人とお友達だったなんて……帰ったら問い詰めなきゃ……)

「……さっちゃん? どうしたのー?」
「あ、ご、ごめん。あ、えーと、隆さん……あの、野球部のエースの早坂隆さん……ですよね?」
「まあ、一応ピッチャーではあるけど……なんで知ってるんだ?」
「野球部のエースで4番って言ったら、学校中誰でも知ってますよ〜」
「そ、そうかなぁ……」
「……みな、きいたことないよ?」
「…………だ、そうだけど」
 どこか安心したような表情で隆がつぶやく。
「おっかしいなぁ……誰でも知ってる、って話だったのに……」
 ちなみに隆の話を幸華に伝えたのは放送部の先輩である弓塚江介で、誰でも知っているというのは彼の誇張によるところが大きいのである。

「さて……あんまり邪魔しても悪いし、俺そろそろ行くよ」
「え〜? せっかく会えたんだし、あたしもう少しお話したいな……ね、ひかりもそうでしょ?」
「え、う、うん、でも……お兄ちゃんもせっかくの休みなんだし……」
 上目遣いに見上げるひかり。
 遠慮をしてはいるが、少し寂しげな視線を隆に送っている。
「……いや、帰ったって寝てるだけだろうし、もう少し付き合ってもいいけど」
「え! ほんとですかっ!?」
 声のトーンが急に上がる幸華。
「あ、ありがとう、お兄ちゃん……」
 それを見て、ひかりもそっと目を細めた。



「……買っちゃった……いいの、お兄ちゃん?」
 腹ごなし、というわけではないが午前中に行った洋品店に隆を連れて行った幸華は、目をつけておいたひかりにぴったりの服を隆に見せた。
 せっかくだから、と試着したひかりの姿を一目見た隆は、ひかりが元の服に着替え終わるまでにもう代金を払ってしまっていた。

「別に、そこまで高いもんでもないしさ。これから出かける機会も増えるんだから、こういう服もあった方がいいだろ」
「あの、や、やっぱりお金はわたしが……」
「どうせ出元は同じなんだし、気にすんなって」
 ひかりの遠慮を遮る。
 ちなみに早坂家の家計の管理は、基本的にひかりが請け負っている。父から毎月届く仕送りからある程度の積み立てをした上で、二人に一定額の自由に使える小遣いを分け、残りを生活費として食材などの買出しに使っている。
 隆が持ち歩いているのはその小遣いだったが、使うあてもないわりにひかりは隆の小遣いの方を多くしたいと言っているので、いつかこういう形で還元してやろうと思っていたのだった。


「ふー……いいなぁひかり、優しいお兄さんがいて」
 その洋品店を後にした一行は、幸華が勧める洋菓子屋へとやってきていた。
「さっちゃんのおねーちゃんはやさしくないの?」
「うーん……仲はいいけど、優しいっていうのはちょっと違うかな」

「なあ……なんか俺だけ場違いな気がするんだけど」
 と、言ったのは隆。
 それもそのはず、周りの席に座るのは中高生の女の子ばかり。
 この洋菓子店「ブランシュ」は、桜ヶ丘中学校、高校の女子に人気の店なのだった。

「そんなことないですって。今はいないけど、普段は結構カップルの人とかもいるんですよ」
「か、カップル……?」
 軽薄だが抗いがたい魅力のある言葉。その言葉が魔術のように、隆の脳裏に像を描き出す。
 店の奥にある二人がけの席に座る自分。向かいの席にいるのはもちろん……。

「く…………」
 想像するだけでも恥ずかしく、隆は思わず顔をそむける。

(へぇ……話には聞いてたけど本当に純情なんだ……)
 幸華はその所作だけで隆の性格を見抜くことができた。
(確か聞くところによると、相手はあの白宮さんかぁ……)
 これまた江介からの情報である。噂好きの彼女にとって、恋愛関係の話は一番の特ダネ。そんな話になるとそれはもう目を輝かせることはばからない。江介もその素質を見込んで、桜ヶ丘情報部、諜報部とも言われる放送部を受け継がせようと、持てる限りの情報を彼女に教え込んでいる。

「ねー、さっちゃん……バケツかき氷って、おっきいの?」
「んー、あたしも見たことないんだけど、とにかく伝説になってるくらいだから。一度食べてみたかったんだ」
 この店に入って、幸華が頼んだのはバケツかき氷という聞くからに物騒な名前のシロモノである。とりあえずそれ一つ、とだけ頼んだので、他の面々は何も頼んでいない。

「お待たせしました。バケツかき氷です」

 ズン!!

「げ」
「……!?」
「な……」
「うわー……」

 4人が一様に示した驚きの反応。

 文字通り「バケツ」で「かき氷」だった。
 ガラス製の綺麗な容器ではあるが、その大きさはゆうに10リットルは入る幅広で深底のもの。
 その中に、色とりどりのシロップがかかったかき氷が幾層にも重なっている。

 かき氷というのは通常、15cm角の立方体の角氷を削って作る。その体積は約4リットルに及ぶが、削ったことによる形状の変化を差し引いても、この容器の中には角氷1個分まるごとか、それ以上の氷が含まれているだろう。
 当然容器も合わせれば4kgを越える重量で、テーブルに置いた時の音の大きさも納得である。

「これって、どう見ても一人で食うもんじゃないよなぁ……」
「そ、そうですね……みんなで食べて、なんとか……かなぁ」
「わ、わたしもお手伝いした方がいいかな……?」
「む、無理はしなくていいけど……にしても、この量はちょっと予想外だったなー……」
「ねーさっちゃん、もう食べていい?」
 他の3人がどちらかと言うと目をそむけようとしている中、一人目を輝かせているのが美奈穂である。

「しかたないなぁ……じゃあ、準備はいい? いただきまーすっ!!」
 いただきます。
 食べ物への感謝の言葉というよりは、戦闘開始の掛け声である。

「んぐ……」
「ん……」
「あむ……」
「あーむっ……」

 それぞれがスプーンで氷の山を削り取り、口に運ぶ。

  ぴきーん……。
「くー……」
「冷た〜……」
「おいし〜……」

 脳髄に直接伝わる冷たい刺激。
 透き通った心地よさと、強い刺激のかすかな痛みを感じながら、3人は次の一口を削り取ろうとした。

  カランッ……
「ん……?」

 金属音。
 隆がその音の方向に目をやる。
 左隣の足元。スプーンが転がっている。
 そのスプーンを落としたのは、ひかり。
 数秒前までそのスプーンを持っていた右手は、今はおなかに添えられている……。

「ひかりっ!?」
「う、うぅ……っ……」
 ひかりが浮かべていたのは、苦しみの表情。

  キュルルルルルギュルグルルルッ……

 その小さなおなかからは、かすかに凶悪なうごめきの音が聞こえていた。

「ひ、ひかり……大丈夫?」
「ひかりちゃん……?」
 隆はもちろんのこと、幸華と美奈穂もスプーンを持つ手を止めてひかりを気遣っている。

「うぅ……ん……っ!!」
  グギュルルルルルッ!!
 今日の朝も経験した、急激な腹痛と強烈な便意……下痢である。
 こうなることは、ひかりには予期できていた。かき氷といえば、おなかを冷やす食べ物の代名詞である。だから、最初の一口か二口で様子を見て……と思っていたのだが、その一口目で早くも急降下である。

  ギュルゴロロロログルルルッ!!
 それも、腹痛、便意の高まり方が並の早さではない。朝下した時には多少なりとも我慢する余裕があったが、今度はそれすらもできそうになかった。かき氷のわずか一口でここまでおなかを下してしまう、その胃腸の弱さを思うと、ひかりは情けなさで一杯だった。

 とはいえ、この下痢はかき氷だけによるものではない。さっき昼食に食べたハンバーガー、慣れない、しかも刺激の強いマスタードなどの調味料により、ひかりの弱々しい消化器官には過大な負担がかかっていたのである。かき氷の冷たい一口は、その消化器官の中身を押し流す最後の引き金になってしまったのだった。

「ひかり……大丈夫か?」
「…………ごめんなさい……おトイレ……もう…………」

 兄と親友の前とはいえ、やはり下痢の便意を訴えるというのはひかりにとって恥ずかしいことに変わりはない。もっとも、断続的に鳴るおなかの音が何よりも如実にその部分の不調を訴えているのだが……。

「き、気にしないで行ってきて。無理させてごめんね……」
「ひかりちゃん……」

「んっ……」
 心配げな声に見送られながら、ひかりは席を立った。
 今にもあふれそうな便意。おしりを押さえることができれば楽だが、この店の中ではそうもいかない。
 幸い、トイレはすぐわかる位置にあった。そこまで歩けば……。

  グルルルルルルゴロロロロロロッ!!
「う……っ……」
 並々ならぬ腹痛が、ただ歩くだけの行為すら満足にさせてくれない。
 トイレのドアまでの数メートルが、マラソンのゴールのように遠い。

(これくらい……がまんしなきゃ……)
 今まで経験した我慢の数々……授業中の教室で30分以上も下痢をこらえつづけたことや、小学校時代の帰り道、1km以上の長い道のりをおなかを押さえながら歩いたことを思えば、目の前のトイレに駆け込むまでくらいは簡単なこと……。

  グギュルルルルルルッ!!
「うぅっ……!!」
 だが、そうは思っても現実に差し迫っている便意に対抗するのは難しい。ともすればおしりの穴が勝手に開きそうになってしまう。

「く……っ……」
 持てるだけの精神力を振り絞って、ひかりは便意を押しとどめる戦いを繰り広げた。


 ……バタン。
 扉をくぐるとタイル敷きの空間。すぐ手前に洗面所、その奥に、上下の空いた木製の扉を隔てて、洋式の便器が口を開けてのぞいている。

(も、もう少し……)
  グリュルルルルルルッ!!

「――っ!?」
 あと一歩、と思った瞬間、それを排泄準備完了の合図と勘違いしたかのように、おなかの中のものが一気に外へ出ようと肛門に押し寄せてくる。

(だ、だめっ……)
  グッ……
 ひかりは両手をおしりに当て、外側からの圧力で下痢便の噴出を押さえ込む手段に出た。
 限界を迎えるたびに、今までに何度も頼ってきた最終手段。
 トイレの第一段階のドアで客席からの視線が遮られている以上、どんな情けない体勢をとるのもはばかる必要はなかった。

  グルルルルルルルグルッ!!
  ギュルルルルーーーーーーーッ!!
(だめ…………おさまらない……)
 便意が……である。もちろん腹痛も同じこと。
 普段なら押しては引く便意の波の頂点をやり過ごして、落ち着いてからゆっくりと便器まで歩くところだが、その波がなかなか引いてくれない。

 これほど強烈な下痢も珍しい……が、もともとおなかの調子に細心の注意を払っていても下してしまう身体である。わずかとはいえ、刺激の強いものを口にしたというはっきりした下痢の原因がある以上、普段よりその程度が激しくなるのは当然でもあった。

「くっ……」
 歩く。
 おしりに手を当てたまま。
 このままでは波の頂点をこらえきるまでに我慢の限界を迎えてしまう、との判断である。
 倒れそうになりながらも必死におしりを押さえ、顔を真っ赤にしたまま便器へ一歩ずつ近づく。

「んっ……」
 たどり着いた便器の前。
 内側のドアを閉める余裕すらない。
 慎重に身体の向きを反転させ、腰をおろすと同時に押さえる片手を離し、下着を下ろす準備をする。

 グルルルルルゴロロロロロギュルッ!!
「あっ……!?」
 その瞬間、便意がもう一段階の高まりを見せた。
 押さえる力は半減している。

  プジュ……

 液便が肛門の間近まで迫っていたため、ガスが混じる余裕もないかすかな音。
 だがそのかすかな音は皮肉にも、今出てしまったのがおならではなく下痢便だということを証明してしまっているのである。

「く、んっ…………」
 おもらし……。
 だが、悲しむ余裕はない。まだ少量で済んでいるうちに、下着を下ろさなければいけない。
 一瞬遅かったその行為を、ひかりはやっと果たし……そして、倒れこむように便器に腰をおろした。

「ふぅ…………っ!!!」
  ブビィィィィィィィィィィィッ!!
  ビチビチビチビチドポドポドポドポドポッ!!!

 すでに汚れてしまっているひかりのおしりの穴。
 その穴の奥から、完全に液状化した大便が便器に向かって注ぎ込まれていく。
 朝、かろうじて固まりかけのゲル状をなしていたその排泄物は、たったこれだけの刺激で再び液状便に逆戻りしてしまったのである。

「くっ……うぅっ、あぅっ……」
  ブジュビィィィィィィィィブリブリブリィッ!!
  ビチビチビチーーーーーーブリブチュルルルルッ!!
  ブビッブビブビッブリビチィィィィィィィィーーーーーッ!!

 すさまじい腹痛、すさまじい便意……そして、それに劣らぬすさまじい噴出。
 洋式便器に腰掛けたひかり。痛むおなかを押さえて、両膝をすり合わせた格好……外からは見えないその便器の中では、想像もつかないほど臭く、汚い排泄物が、ひかりの小さなおしりの穴を大きく広げて滝のように流れ落ちているのだった。

「うぅ、あっ……あっ…………」
 うめき声が出るのを押さえきれない。
 あまりの腹痛に、身体に力が入らなかった。腹圧をかけるなどはもちろん、脚にも力が入らない。万が一これが和式便器だったら、上体を支えることすらできずに倒れ込んでしまうことだろう。事実ひかりは、自宅の和式トイレでそのような事態を一度ならず経験している。
 その時ももちろん下痢便排泄の真っ最中であり、バランスを失ったからといって排泄が止まるわけではなく、床一面に普段より大量の汚物を撒き散らしてしまったことは言うまでもない。
 ……このトイレが洋式だったのは、まさに不幸中の幸いだった。

「あぐっ……!!」
  ビチビチビチビチブリィィィッ!!
  ブリリリリリビチャァァァッ!! ドポポポポッ!!
  ジュルブビブリュブリュビチーーーーーーッ!!

 とはいえ、そのわずかな幸い以外は間違いなく不幸なのである。
 変わらぬ勢い、変わらぬ腹痛。
 ただ一つ変化しているのは、着々と濃度を増していく強烈な悪臭だけ。

 ……苦しみに満ちた下痢便の排泄は、終わる兆しのかけらさえも見えなかった。


「ひかり……大丈夫かな……」
 幸華が手を休めて、ひかりが姿を消したトイレのドアを見つめながら言う。
 ドアが密閉されていることと、店内に流れる音楽のために、今まさにトイレの中で鳴り響いている壮絶な排泄音が幸華たちの元に届いていないのは、ひかりにとっては唯一の救いだった。

「あ、えっと……香月…………」
 隆が不安げに声をかける。
「あ、幸華でいいです」
「ああ……幸華ちゃん……ひかりの身体のことって……」
 そこで言葉が詰まる。知らなかったとしたら、自分の口から言ってしまうのもひかりにすまないと思う……。
「はい……知ってます」
 幸華は隆に向き直って、そう答えた。
「もっと、力になってあげたい、とは思うんですけど……今日の朝も、結局余計な気を使わせちゃったし……」
 待ち合わせのために、本来は必要なかったはずの我慢をさせてしまった……そのことを幸華は気にしていた。
「……いや、わかってくれる友達がいるってだけで、だいぶ楽になってると思うから……最近、学校も楽しそうだしな」
「そうなんですか?」
「ああ。それは間違いないさ」
「そうですか……よかった」
「よかったね、さっちゃん」
 ほっと息をつく幸華に、美奈穂が声をかける。
「……あれ?」
 振り向いて幸華。
「みな、あんたずーっと食べてたわけ……?」
 見るとかき氷の量が目に見えて減っている。その分は言うまでもなく、美奈穂の身体の中に消えていったのである。
「おいしーよ、さっちゃん」
「もう……人が話してる間にっ……」
 そう言って幸華も休めていた手を再び動かす。
 かき氷の山も、すでに半分近くまで減ってきていた。


「ふぅぅ……うっ!!」
  ビチビチビチブリッ!!
  ジュルビチッ!! ブビチビビビッ!!
 扉を隔てた向こう側、下痢便の排泄は止まらない。
 滝のように流れ落ちることこそなくなっていたが、断続的に飛び出す液状便は変わらぬ勢いを持って、水かさの増えた茶色の海に撃ち込まれていく。

「はぁ……はぁ…………うう……んっ!!」
  ビチビチビィィィィィッ!!
  ドポポポポポッ!……ブビチュルッ!!
  ブリ…………ブピッ!! ブリリリリッ!!
 下りきったおなかから生み出される、汚さも臭さも極まった下痢便。
 その究極の汚物を、これでもかというほど大量に便器の中に注ぎ込んでいる。
 それでも、ひかりが感じている腹痛は、便意は全く治まらない……。


(は、早く戻らないといけないのに……)
 気持ちは焦る。だが、悲しいかな身体はそれに応えてくれない。
 苦しみに耐えながらおなかにそっと力を入れて、残った便を出そうと試みる。
「う、く、んんんっ!!」
  ギュルゴロロロロロッ!!
 力を入れただけ腹痛となって跳ね返ってくる。その痛みに耐えるため、ひかりは目をぎゅっと閉じて排泄に集中する。
 あとは周りを気にする事なく、残便感との戦いだけを考えればいい…………はずであった。


「うん…………っ!!」
  ガチャ。
「くぅっ………………うぅぅ……」
「…………え……」
「ん…………んっ!!」
  ブビビビビビビビッ!!
「きゃあああっ!?」
 おなかに力を入れた甲斐あって、腸内に残っていた下痢便が一気に流れ出る。
 ……だが、その音が響いてすぐ、悲鳴が上がった。

「………………え…………っ!?」
 目を開けたひかり。
 トイレの入口のドアが開き、高校生くらいの女の子が立っている。
 入口のドアは洗面所につながっているだけで、鍵はついていない。だが本来その視線を遮ってくれるはずの内側のドアは、限界を迎えてしまっていたひかりには閉める余裕がなかった。
 洋式便器であることが幸いしておしりの下に渦巻く下痢便は見えていないが、そのにおいはトイレの中一杯に充満している。その上、さっきの大音響。おなかをこわしてびちゃびちゃの大便を排泄しているのが丸わかりであった。

「あ、ご、ごめんなさいっ……その……ごめんなさい、あの……し、閉めてくださいっ……」
 さっきまで力みのために真っ赤だった顔を今度は恥ずかしさで真っ赤にして、ひかりは慌てて言葉を紡ぎ出した。
「もう……ちゃ、ちゃんと閉めてよねっ………」
 くるりと背を向けてバタンと勢いよく扉を閉める。その片手は口元を覆っていた。

「……っ……」
(わたし……またこんな恥ずかしいことを……)
 胸が苦しくなる。
 ドアを閉め忘れて開けられてしまったことは初めてではない。学校の和式トイレで、同級生に便器に溜まった下痢便を見られてしまったのに比べればこのくらいは見られたうちに入らないかもしれないが……。それでもこの強烈なにおいを嗅がれてしまったのは、誰にも知られないおもらしよりはるかに恥ずかしい。

(おもらし……)
 比較して差を取ることができないことに、はっと気付く。
 膝元に下ろしたショーツのおしりの部分には、薄いながらもはっきりと茶色い汚れがにじんでいる。下着一面を茶色に染めるほどの量ではないが、真っ白な下着の繊維を浮かび上がらせて染み込んだ下痢便の跡は、ひかりの気持ちをさらに沈ませるのに十分だった。

「………………っ」
  プ……プジュッ……。
 水っぽいおなら。
 まだ、便意が完全になくなったとは言えない……。それでも、これ以上ここで頑張る気力は残っていなかった。

  カラカラカラ……。
  ガサッ……グジュグジュッ……。
 ひりひりと痛むおしりの穴を、巻き取った紙で慎重に拭いていく。
 二枚重ねになっている紙の拭き心地は、度重なる排泄に疲れたひかりの肛門には唯一の安らぎだった。


「うぅ……あたしもうギブアップ……」
 幸華が文字通りさじを投げる。
 一番最後に残ったイチゴ味の氷層をまるまる残して、幸華も限界に達していた。
「う〜……」
 ガチガチと歯を鳴らして、鳥肌を立てて震えている。
 通常のカップのかき氷で言えば7〜8杯分を胃の中に収めているのである。寒気がして当然であった。舌も着色料の色に色づいている。

「もう食べないの? 残り、みなが食べちゃっていい?」
「なんであんたはそう元気なのっ……うぅ……」
 威勢良く美奈穂に突っ込みをいれようとしながら、その元気がない。さすがに無理をしすぎたかな、と後悔しはじめていた。
「美奈穂ちゃんも、無理しなくていいからな」
 そう言う隆は、落ち着いたペースではあるものの顔色一つ変えていない。もっとも、体重にすれば半分にも満たない体格で、それに倍しようかというペースで食べ続けている美奈穂の方こそ驚異なのだが。
「隆さんも立派な食べっぷりで……」

「きゃああああっ!?」
「!?」
「な……?」
「え?」
 悲鳴の上がった方向……トイレの前。
 開け放たれたドアの向こうに見えるひかりの表情が、驚きから羞恥へと変わっていく。

「あっ…………」
「ひかり…………」
「………………くっ……」
 唇を噛み締める隆。
 予想できない事態ではなかった。だが、様子を見に行くわけにもいかなかった。
 仕方のないことだったとはいえ、再び閉じられた扉の向こう、ひかりの気持ちを思うとやりきれない。

「………………」
 結局、隆はそれ以上かき氷に手をつけないまま、ひかりが戻ってくるのを待った。

 ……なお、残りのかき氷はすべて、美奈穂が食べてしまっている。


「…………ごめんなさい……」
 うつむいた表情のまま、ひかりが席に戻ってくる。
「大丈夫か……? もしかして、ずっと前から我慢してたんじゃ……」
「ううん、そうじゃなくて……すぐ行ったんだけど……」
 結果はわずかに間に合わず、おもらし……さすがにそれは伝えられなかった。
 荷物を席に置いたままだったため、替えのショーツも持っていなかったひかりは、水で濡らしたトイレットペーパーでショーツの汚れをぬぐい、それをそのまま履いているのだった。一応におわないかだけ確認はしたつもりだが、水を流した後も残ってしまう臭気のバックグラウンドの中では、ちっぽけな汚れが放つにおいの微粒子はわずかなノイズに過ぎなかった。

「そっか……仕方ないな。じゃあ、あまり長居してもなんだし、行こうか」
 隆はそう言って立ち上がる。急いでいるわけではなかったが、これ以上ここにいると、ひかりが余計気にするだけだ。
「え、あ…………は、はい」
 幸華が戸惑いながらも立ち上がる。
「ひかりちゃん……大丈夫……?」
「うん……」
 美奈穂は元気に立ち上がってひかりを慰めている。

「ほら、あの子。さっきの……」
「……!!」
 かすかに聞こえたささやきに耳をそばだてる隆。
「もうすごいにおいだったんだから…………」
 ひかりが入っていた個室を開けた女の子だ。同じ席に座っている女子を見ても、自分たちより上の高校生に見える。
「そいえば、もうトイレ行かなくていいの?」
「やだやだ、あんなとこ、もう入れるわけないじゃん」
 もはやひそひそ話という音量ではなかった。

「……あいつら……」
 握った拳に力がこもる。
(ひかりがどんな気持ちでいるかも知らないで……)

「お兄ちゃん……」
「あ……」
 隆は、そのひかりの声で我に返った。
「いいの……その……わたしのせいだから……」
 トイレのドアを閉めずに排泄をしていた自分が悪い……。ひかりの言葉は事実かもしれないが、好きでそんなことをしていたわけではないはずなのに……。
「…………くっ」
 とはいえ、高校生の女子に詰め寄っても、ひかりの恥ずかしさを助長するだけにしかならない。身体が弱いひかりがさらに虐げられる理不尽を感じながらも、隆はそのまま店を出るしかなかった。


「ご、ごめんね、ひかり……その、あっ……口に合わないものばっかり、選んじゃったみたいで……」
 幸華も全く意識していないわけではなかった。ただ、できることなら、こういった普通の女の子が当たり前に享受している楽しみを、ひかりにも教えてあげたい……そんな気持ちからの行動であり、決していたずら心などではなかった。

「ううん……その、昨日ちょっと調子悪くて……まだ、治ってなかったみたいだから……ちゃんと言わなかったわたしが悪いの……」
 今日の昼から食べたものが激化の引き金になったのはひかり自身もわかっていたが、そのことにはあえて触れなかった。
「その……また迷惑かけちゃうといけないから、わたし、もう帰ろうと思う……」
 ひかりが一層下を向いて言う。思いつめた表情だ。
「な、何言ってんの!! 全然迷惑なんかじゃ……うぐっ!」
「さ、さっちゃん?」
「幸華ちゃん……?」
 突然おなかを押さえてうずくまった幸華。

  キュルルルルルルル〜〜〜〜ッ……。
 一瞬遅れて、その押さえたおなかから軽妙な音が流れる。
「あ、あはは……ごめん、やっぱり今のかき氷、食べすぎたみたい……」
 よりひどい症状を呈していたひかりの手前隠していたが、幸華もおなかを下していたのである。原因は明らかにかき氷の食べすぎだった。
「さ、幸華ちゃん……大丈夫っ!?」
「うん……このくらい平気……んあっ!?」
  ギュルルルルルルルルッ!!
 一気に駆け下る幸華のおなか。「ブランシュ」を出る前から感じていた便意は、今急激に高まりつつあった。

「ご、ごめん……あたし、トイレ行ってくる……えっと……」
 便意に抗えないことを悟った幸華は、トイレに駆け込む決心をした。だが、商店街のど真ん中ではあるが、使えそうなトイレがある場所を知らない。店に入ってトイレだけ借りるということは、乙女の立場から言えば避けたいところだった。できるなら公衆トイレか、少なくとも店員に知られずに使えるトイレに入りたい。
「本屋さんにもあるけど……あの、混んでることが多いから……駅のおトイレに行ったほうが……っ!?」
 ひかりがアドバイスする。おそらく自身の経験に基づいているであろう的確な指示。だが、言葉の最後に息を飲む音が聞こえていた。
「あ、ありがと、ひかり……ちょ、ちょっと行ってくるね」
「あ、あ、あのっ……」
 ひかりが慌てて上げた顔は、明らかに紅潮していた。
「ひかり……?」
「わ、わたしもその……また………………い、一緒に行っていい?」
 …………沈黙。
 ひかりが息を飲んだわけがやっとわかった。
 便意が再発したのである。洋菓子店での排泄からわずか数分での再発。いくら下痢とはいえ、再び便意に震えるその姿はあまりにも辛そうだった。

「う、うん……急ごうっ……」
「あ、あの、お兄ちゃん……美奈穂ちゃんと一緒に、ここで待ってて……?」
「いいけど……大丈夫か?」
 さっきの店内での様子を見るに、トイレまでついていってやった方がいいのではないかと思った隆である。
「う、うん……それに、その……わたしはいいけど、幸華ちゃんもいるし……」
「そ、そうか」
 隆ときょうだいであるひかりは兄にトイレについてきてもらっても問題ないが、幸華にとっては他人の異性である。できることなら排泄という行為自体を隠しておきたい相手でもあった。
「じゃあ、待ってるから。行ってきな」
「う、うん……行こう、ひかり」
「……ごめんなさい……行ってきます……」

 かくして、ひかりと幸華は、おなかをさすりながら駅のトイレを目指すのであった。


(大丈夫かな……)
 歩いていく二人を見送った隆だったが、不安は尽きない。幸華のことも心配ではあったが、それ以上にこの短い周期で便意がぶり返すひかりの体調は相当悪いと思われる。心配するなと言う方が無理だろう。
「おにーちゃん?」
「ん……あ、ああ、美奈穂ちゃんか。どうした?」
 聞き慣れない明るい呼び方に戸惑いながら、隆は声の主である美奈穂に視線を向けた。
「ひかりちゃんとさっちゃん、どうしておなかこわしちゃったのかな……?」
「ん……ひかりはもともと調子も悪かったみたいだけど……やっぱり冷たいかき氷を食べすぎたのがいけないんじゃないかな」
 やや優しい口調で話す隆。
「でも、みなももっとたくさんたべたよ?」
「うーん……美奈穂ちゃんはおなかが丈夫なんだよ」
「でも……ひかりちゃんたちがかわいそう……」
「…………」
 友達だけが苦しんでいることが耐えられないのだろう。だが、隆はその思いに対し、応えられる手段をもっていなかった。


「あ、く、くぅっ!!」
「……幸華ちゃんっ……?」
 商店街を抜けようかというところで突然足を止めた幸華。
「い、いいよ、ひかりは先に行って……うぁぁっ……」
 がくがくと震える脚。ついに立っていることすらかなわず、その場にしゃがみこんでしまった。
「さ、幸華ちゃん……だいじょう…………うぅっ……!」
 ひかりは振り向こうとして、自分の体の奥から起こった激痛に表情をゆがめる。大量に出しただけあって、便意はさっきおもらしをしてしまった時ほどではない……ただ、腹痛はその時に劣らぬほど強烈だった。

「大丈夫……大丈夫だから、先に行って……ぐぅっ!!」
  グギュルルルルルルルルルッ!!
  ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロッ!!
 幸華のおなかからものすごい音。完全にしゃがみこんだら立ち上がれなくなってしまうため、ギリギリのところで足腰を支えている。

  キュルゴロロロロロロロロロッ!!
  ギュルーーーーーーーーーッ!!
(は、早くおさまってよぉぉっ……!!)
 切実な願い。
 おなかの中のうねりが、肛門を開けろと本能をせきたててくる。
 それに真っ向から立ち向かうのは、女の子としての理性。
(こんな場所でおもらしなんかできないんだから……っ!!)
  ググッ……。
 開きそうになる肛門を意志の力で閉じる。
 それだけでは終わらない。閉じつづける……。
  ギュルルルルルルルッ……。
  ギュル………………キュゥゥゥゥ………ゴボボ……。

「はあぁ……」
 おしりにかかる圧力が急激に下がる。押し寄せてきた大便を、我慢の力で腸の奥へと押し戻したのだ。
「幸華ちゃん……もう平気……?」
 ひかりが手を差し伸べる。便意の波を押し戻すという、自分が日常的に繰り返している行為だけあって、その行為の成否は他人のことでもわかる。幸華のおなかから便意が高まるのとは異なる音を聞き、最悪の状態を脱したことを察したのである。
「もう……先に行ってていいって言ったのに……急ごうっ!」
「う、うんっ……」

 さっきまでの苦悶の表情が嘘のように、すっくと立ち上がった幸華。
 ひかりもその後を追って、ふらつく脚を前に進めた。


「アイス……?」
「うん。おいしいよ。おにーちゃんもたべて?」
 美奈穂が不似合いな酒屋さんに行って買ってきたのが、カップ入りのバニラアイスだった。2つある。
「え……?」
 その1個を手渡されて戸惑う隆。
(さっきあれだけかき氷食べたのに……なんでだろう)
 当然、その疑問は浮かぶ。

「おいしー……」
 本当に美味しそうに食べている美奈穂。無理をしている様子など見受けられない。
(……まあ、この子ならおなかこわす心配もなさそうだし、大丈夫か……)
 ついさっき、この小さな身体でバケツかき氷の半分近くを食べておきながら、顔色一つ変えなかったのだ。アイス1カップ程度で……と思うのは当然だろう。
「おにーちゃんもたべるのっ」
 そう言って手に持ったアイスを押し付けてくる。ひかりたちが無事戻ってくるまでは気が気でない隆だったが、仕方なく木製のスプーンで食べ始めた。

 ギュルルルルルルルッ!!
「……!?」
 突然美奈穂のおなかから響いた音。
 さっきひかりや幸華のおなかから聞こえていた音と、同じものだった。

「おにーちゃん……おなか痛い……」
「……え!?」
(なんで、こんな急に!?)
 隆は美奈穂の急変に驚いていた。あれほどの量のかき氷を食べてけろりとしていた子が、アイスの1杯くらいでおなかをこわしたりするはずがないと。
 もちろん隆は、牛乳・乳製品を口にしただけでおなかを急降下させてしまう美奈穂の体質を知っているはずもなかった。

「おにーちゃん……おといれ……」
 弱々しい声で服を引っ張る美奈穂。
『お兄ちゃん……おトイレ……』
 その小さな姿に、今も下痢で苦しんでいるであろう妹の幻影が重なる。
「くっ……」
 隆は無力感を覚えながらも、美奈穂をトイレに連れて行くことにした。隆はひかりのように、商店街のトイレ事情に詳しいわけではない。ひかりたちと同じように公衆トイレのある駅に向かうしかなかった。


 その頃……ひかりと幸華は、やっと駅のトイレにたどり着いていた。汲み取り式で男女共用。決して使い心地がいいとは言えないが、そのためか二人がたどり着いた時、2つある個室は両方とも空いていた。さらに幸いなことに、小便器を使う男性の姿も見えない。完全にがら空きのトイレだった。

「空いてるっ……」
「うんっ……」
 おなかの中は地獄の苦しみだが、わずかに笑みを浮かべる二人。ここまで続けてきた我慢がやっと報われるのだ。以前似たような状況で個室の数が足りず悲劇的な結末になってしまっただけに、その喜びはひとしおだった。

「…………」
「………………」
 あとは個室に駆け込むだけ。……でも、その一歩が踏み出しにくい。
 二人とも同じ行為をするとはいえ、親友の前……隣の個室で下痢便をものすごい勢いで吐き出すのである。今回はまだ、我慢に余裕があるだけ一層、その遠慮が強く出てしまう。

  ギュルルルルルルッ!!
「うっ……」
「ひ、ひかり……」
 苦しげに前かがみになる姿に、幸華は同情を禁じえない。
「……ごめんなさい、わたし、先に入る……幸華ちゃんも、気にしないで……」
「ご、ごめん……」
 謝りあう二人。
(また……ひかりに気を遣わせちゃった……)
 幸華は、奥側の個室に入っていったひかりを見送る。
 苦しくて恥ずかしいのはひかりの方なのに……自分が気遣ってあげないといけないのに……。そもそも、自分がひかりの体調をもっと気遣ってやれればこんなことには……。

 ギュルゴロゴロゴロゴロッ!!
「ひぁっ!!」
 再び便意。
 さっき腸の奥へ押し戻した便が、再び肛門に押し寄せてきたのだ。
 すでに扉を閉めたひかりに続いて、幸華も個室の人となった。



「うぅっ……」
  ギュルギュルギュルギュルッ……。
 店を出た時から断続的に鳴っているおなかの痛みは、意識が飛びそうなほどに高まっていた。
 今度は和式の便器にまたがる。
 下ろしたショーツに残るおもらしの染み、そしてそれを拭き取った湿り気。……だがそれを見て落ち込んでいる余裕は、ひかりにはなかった。

「うん……っ!!」
  ビチブジュビシャァァァァァァァァッ!!

 先ほどの排泄による充血がまだおさまらないおしりの穴が再び盛り上がり、その奥から液状化した下痢便が吐き出される。

  ドボドボドボドボッ!!
 その落ちていく先は汲み取りの便漕。もともとかなりの量の汚物が溜め込まれており、においも相当なものになっていた。しかしひかりが注ぎ込んだ下痢便の酸味を含んだ刺激臭は、その個室……いや、トイレ全体の中のにおいを一気に塗り替えてしまったのである。

「ふぅ……あああっ……んぅっ……」
  ギュルギュルグギュルルルルッ!!
  ビチビチビチビチビジュブジュルルルルッ!!
  ビビッ!! ブリビチッ!! ブボブリュビッ!!
  ドボビチャビチャッ!! ドポッ!! ピチャッ!!
 ……出しても出してもおなかの痛みは楽にならない。
 しかも、肛門近くにあった便が一気に出てしまった後は、腸の奥にある便を出すために息まなければならず、そうすると腹痛が増幅されるという悪循環に陥ってしまうのである。しかし、それを乗り越えなければ腹痛の原因である下痢便を出し切ることはできない。いずれにせよ痛みを伴うジレンマを抱えながら、ひかりは断続的な排泄を続けた……。


「うぅぅぅぅ……」
  グギュルルルルルルルッ……。
 幸華は痛むおなかを抱えながら個室のドアを閉めた。
 快食快便の幸華にとって、下痢はこの前ひかりや美奈穂と一緒に公園のトイレに駆け込んだ時以来の経験である。慣れていない分、肉体的、精神的な苦しみは筆舌に尽くしがたい。
  ビチブジュビシャァァァァァァァァッ!!
(ひかり……)
 仕切りの向こうから響く汚らしい音。
 このすさまじい音を立てているのは間違いなく、はかなげな可愛らしさを漂わせる少女、早坂ひかりなのである。
 しゃがみ込んだ幸華の視界に、便漕の中の様子が一瞬飛び込んできた。

  ドボドボドボドボッ!!
「あ……」
 便漕の奥、汚物の色が混じりあって真っ黒になった肥溜めの上に、今ひかりが吐き出したばかりの鮮やかな茶色の下痢便が注ぎ込まれている。それも、1メートル近くにもわたって途切れない水流のように。
 ひかりが腹痛のため前かがみになって排便をしているため、肛門はやや斜め後ろに向かって下痢便を飛ばしている。その水鉄砲は便器の穴の後ろふちをかすめ、隣の個室の下の便漕にまで届いてしまっているのだ。

(ご、ごめん、ひかり……)
 音を聞かれるのでさえ恥ずかしい下痢便、ましてやそれが汚物溜まりに注ぎ込まれる様子を見られたとしたら、その恥ずかしさはどれほどのものだろう。
  グギュルルルルルッ!!
「ひぃっ!!」
 ……などと、余計なことを考えている時間はもうなかった。裾の短いデニムワンピースに両手を差し込み、お気に入りのショーツをずり下ろす。

  グルルルルルルッ!!
「んくっ!!」
 早く出せ! という命令のような腹鳴りを受けて、幸華は反射的におなかに力を入れる。
 おしりにやや固い感触……。

  ミチ……ミチチチチチチチチムリュリュリュビチィィィッ!!

 肛門の内側で栓の役割を果たしていた、形を保っていた便が一気に押し出される。
 一つながりの便は色の変化とともにその質感を軟らかくしていく。こげ茶色の固形から軟便へ、そして茶色のゲル状へ……。

「――っ!!」
  ビチッ!! ブリブリュッ!! ビチビチッ!!
  ブビビビッ!! ブチュルッ!! ブジュルルルッ!!
  ボチャッ!! ビチャビチャビチャッ!!
 水分を十分に含んだ、それでも完全に水様にはならない、ゲル状の便。
 大腸内で水分を吸収される途中だったものが、冷たいものの食べすぎという刺激に対する腸の過剰反応で押し出されてくる。

「あぁぁぁっ………………あぁっ」
  プシャッ!! ピシャァァァァァァァァッ!!
  ジョボボボボボボボッ!!
 ドロドロの便が流れ出ている穴の前方、わずかな産毛に覆われつつある陰唇から、薄い黄色の水流が飛び出してくる。
 前後両方からの排出。下痢による便意があまりにも強くて隠れていたが、冷たい水分を大量に摂取したことは同時に膀胱を刺激し、尿意を発生させるきっかけにもなっていたのだった。
 レモン色のおしっこが、やや前方へ向かって放出されていく。後方に向けて吐き出されているひかりの下痢便と交差する水流となって、汚物溜まりに新たな刺激臭を加えることになった。

「くぅっ!! んぐぅ……っ!!」
  ブビッ!! ビチッ!! ブリュリュリュッ!!
  ブリュブリュブリュブビビビビビビビッ!! ブジュッ!!
  ビチブリリリブジュルルルルブビッ!! ビリュブブブブブッ!!
  ビチャビチャビチャボトトトトトッ!!
 排泄は続く。
 一気呵成に噴射する下痢便、というわけではないが……一定のペースを保って、液体と固体の中間のような茶色の汚物が次々と生み出されては便漕の底に消えていく。
 そのペースも決して弱々しいわけではない。朝のうちに排便は済ませてあったものの、腸の奥にあった分の排泄物までが半液体状のまま吐き出されているのである。水洗の便器だったら底が見えなくなるほどの量がすでに排出されており、なお勢いが弱まらないのだ。

「うぅっ…………あ、や、やだっ……」
  ピシャァァァァァァァァァァッ!!
  ブリッ!! ビチチチチチッ!!
  ブビビビビビブリッ!! ビチュルルルルッ!!
  ブビブビブビブブブブブッ!! ブリビチビチビチッ!!
  ジュルブビッ!! ブリブリブリブッ!! ビチチチチチブビッ!!
  ドボ……ドボドボドボドボッ!!
 放尿の音がかき消されるほどの激しい破裂音を立てて、幸華のお尻からはゲル状の便が空気をかき鳴らして飛び出していった……。



 一方、隆と美奈穂。
「……おにーちゃん、もうだめ、でちゃう……」
 商店街の出口まで来たところで、美奈穂が急に足を止めた。
「頑張れ。駅のトイレまでもう少しだから」
 隆はそう励ますが、すでに傍目から見ても限界が近いのはわかっていた。
(駅のトイレまで1分……いや、ひかりと幸華ちゃん……あの様子だと、まだ終わってないかもしれない……)
 美奈穂の限界を推し量っているうちに、大変なことに気が付いた。修学旅行から帰ってきたときに駅の隣のトイレを見たが、個室は二つだったはず。だとしたら、今はひかりと幸華が使っていて、空いていない……。

(どうしたら……ん?)
 すぐ脇にあるのは本屋。
(確かさっき、ひかりが……)
 本屋の中にも自由に使えるトイレがあると言っていた。個室が一つしかないとも言っていたから、そこに向かって使用中だったら完全にアウトになるが……美奈穂を駅まで歩かせて、さらにひかりか幸華の用が終わるまで待たせることに比べたら間に合う確率は高い。

「……よし、こっちだ!」
 隆は美奈穂の手を取って、その本屋に飛び込んだ。

(トイレは…………………………あった!!)
 店の中ごろ、2階へ上がる階段の横に、小さくはあるがWCの文字。
「美奈穂ちゃん、大丈夫?」
 振り返って小声でたずねる。
「……いたいよぉ……でちゃうよぉ…………」
 美奈穂はといえば、もう恥も外聞もなくおなかとおしりを押さえていた。
「も、もう少しだから頑張って!」
「うぅ…………」
 美奈穂は脚をふらつかせながらも、必死にあと数メートル先の目的地を目指した。

 ガチャッ。
「………………よし」
 一足先にトイレの中を偵察に出た隆。入った向かいに洗面所、その横に男子用小便器、その奥に一段高くなって和式の個室がある。個室のドアは開いており、中に人はいない。
「うぅ…………おにーちゃん……」
 おなかをギュルギュルと鳴らしながら必死に歩いてくる美奈穂。

「んっ…………でちゃう、でちゃうっ!!」
 トイレのタイルの上にそっと足を下ろす。
 小さな歩幅で、一歩一歩個室へ向かって歩いていく。
 最後の障壁、美奈穂の膝までほどもある段差を、両手でおしりの穴を押さえながら乗り越える。

「だめっ、もれちゃうっ………」
 前かがみになったまま、便器にまたがる前からキュロットスカートをパンツごと下ろす。
 当然、扉を閉めている余裕などない。
 したがって、衣服に覆われていた下半身……今まさに開きかけ、奥に茶色の塊がのぞいているおしりの穴や、まったく汚れのない一本の縦すじがすべて、隆の目の前で露わにされたのである。

「がっ……み、美奈穂ちゃん、閉めてっ!!」
 そう言いながらも、反射的に扉を閉める隆。外開きの扉だからよかったものの、これが内開きだったら扉を閉めないままの排泄姿をさらすことになっていただろう。
 扉を閉める隆が最後に見た個室の中の光景……。
 それは、美奈穂のおしりの穴から飛び出してくる、液便でコーティングされた固形便だった。


「…………んぅーっ!!」
  ブブブリュルルルルルッ!!
 表面に液状便がまとわりついたバナナ状のうんちが、美奈穂の肛門を一杯に広げて飛び出してくる。
 どちらかというと便秘ぎみな美奈穂にしては珍しく、前日の朝に排便を済ませた後だったため、さほど硬くなっていない便が排出されたのである。しかし、身体が受け付けない乳糖分の影響で駆け下った液状便に押されては肛門で押し返され、すっかりその液状便の中に浮かぶ塊となってしまっていた。

「はぁっ……ん、んーっ……」
 そして、その固形物を出した後は腸の奥にあった液状便が……。

 ここで、一つ重大な事実がある。
 あと一歩で便器をまたげるところまで行った美奈穂だが、最後の一歩を踏み出す前に服を脱ぎ始めてしまったのである。同時に排泄準備が始まり、美奈穂は肛門から便を吐き出しながらその場にしゃがみ込んだ。
 その便が吐き出された先は、便器の中ではなく後方のタイルだった。
 そして、これから吐き出される液状便の叩きつけられる先も…………。

  ビチビチビチビチビチビチビチビチィィィィィィッ!!
 液状便は便器という的を大きく外し、後方のタイルの上に叩きつけられた。
 そして、さっきの固形便の上にも降り注いだ液状便は、乱反射のようにあたり一面360度に飛び散っていく。
 ……その飛沫の一部は、隆がかろうじて閉めたばかりの扉の下の隙間をくぐりぬけた。

「…………ん…………えっ!?」
 幸い、隆は扉を閉めたあと、一歩後ろに下がっていた。無事排泄が始まったのがわかったらトイレの外で待っていようと思ったからである。
 そこへ、一段低い床に飛び散ってきた黄土色の雫。
 それが美奈穂の出した液状便だと気付くのに、さほど時間は必要なかった。

「み、美奈穂ちゃん! 前に出てっ!!」
 排泄の音に負けない声の大きさで叫ぶ。
「ん……んぅ………………あっ!!」
 甲高い驚きの声を上げる美奈穂。閉じていた目を開けてやっと、自分がしゃがんでいる位置に気付いたのだった。
  ビジュジュジュジュジュブピピッ!!
  ブリュビィィィィィッ!! ブジュブリュブビビビビッ!!
「うぅっ……」
 なおも容赦なく液状便は噴き出し続ける。
 美奈穂はそれを止めることも叶わず、排泄しながら両足を交互にすり足で動かし、便器をまたごうと前に進んだ。もちろんおなかの激痛を抱え、おしりの穴を貫かれるような排泄の痛みと快感を抱えながらの前進である。わずか数十センチの距離を移動するのに、1分近い時間がかかった。

「んぅ…………あぅ…………」
  ビチビチビチビチブリッ!!
  ブリリリリリブジュジュジュジュジュビッ!!
  ビチチチチチブビブビブビブブブブブッ!!
  ジュルブビビビブビブビビチャビチャビチャッ!!
  ジャバビチャビジャジャジャジャーーーーーーーッ!!

 途中から便の叩きつけられる先がタイルから便器の中の水に変わる。
 もちろん、数秒と経たずにその水は汚物の黄土色一色に染め上げられた。


「………………」
 隆は、その音が変わったのを見計らって、トイレの外に出た。
 美奈穂の移動は、時すでに遅しという印象だった。タイルの上に大量に叩きつけられた液状便は、タイルの凹凸を伝って段の下までいくつもの茶色の水流を残していたのである。

  ブビビビビビッ!! ビチビシャァァァァァッ!!
  ブチュブチュブチュビビビビビッ!! ブリビチィィィィッ!!
 ひかりのそれと比べてもひどさに変わりがない、壮絶な音を立てた下痢便の排泄。
 もちろん、個室の中だけでなくトイレ中にもそのにおいを充満させていた。
(……少し、違うんだな……)
 においについては、ひかりの下痢便より刺激臭が薄い。未消化物の割合の違いだろうか。水っぽさは変わりないようだが、色も均一な黄土色。茶色の液体の中に黒ずんだ未消化物が浮かぶひかりの便とは見た目の印象も異なっている。下痢便の雫だけで本体を見ていないので何ともいえないが……。
(って、何を考えてるんだ俺はっ……)
 思考を途中で打ち切って、隆は慌てて外に出た。このままだと仕切りの隙間から下痢便排泄中の美奈穂を見ようとしてしまうかもしれない。そしてこのトイレの構造上、少し身をかがめれば簡単にできてしまうのだった。
 だが、妹の排泄に興味を持つだけでも後ろめたいのに、その友達の排泄姿をのぞくなどといったら立派な犯罪である。隆は一瞬でもそんな考えに至ったことを悔い、自分を戒めるようにトイレの外に出てドアを閉めた。


 その閉じられたドアの向こう、個室の中では、美奈穂が一生懸命におなかの中の苦しみと戦っていた。

「うぅん……いたいよぉ…………んっ!!」
  ブビッ!! ビチャビチャビチャッ!!
  ジュブブブブッ!! ブリィィィィィィッ!!
  ブベチャッ!! ブビブビブビビィィィィィッ!!

 黄土色の池となった便器の上に、同じ色の液状便が次々と降り注いでいく。
 小さく可愛らしい美奈穂のおしりから吐き出された黄土色の液体。
 腐ったようなにおいこそしないものの、そのにおいははっきりとした悪臭。それがトイレの個室中、いや外の洗面所までを満たしていた。隆が表のドアを閉めないでいたら、店の中にまでそのにおいが広がってしまっていたことだろう。

「くぅ……………んっ!!」
  ブチュジョボッ………ブゥゥゥゥゥゥッ!!
  ブピッ!! ビチビチッ!! ブビブビブビブッ!!
  ブチュブプププッ!! プリュッ!! ブピピピピピッ!!

 腸内にあった液状便を大方出し尽くした美奈穂。おしりから出てくるものは、液体と気体が半々の状態になっていた。
 もちろん、両方ともにおいは強烈。すでに飽和している便臭の密度が、排泄の音が響くたびにその限界を越えて充満していくのがわかる。

(は、はやく……ぜんぶ出しちゃいたいよぉ……)
 汚物の本体の量が減ったとはいえ、おなかの痛みが楽になるわけではない。むしろ排出するのにおなかに力を入れなければならない分、その苦しみは増してさえいるのだった。

「うぅぅ………ふぅっ!! ん、んーーーっ!!」
  ブリュビビビビッ!! ブリリリリッ!!
  ブブッ!! ブッブブブッ!! ブジュジュジュッ!!
  ビチビチャァァァァッ!! ブリュッ!! ブジュビィッ!!
  ビチビチビチブリッ!! ブバッ!! ビブブブブブッ!!
  ブピピピピピブリィィィィィッ!! ブリビチチチチチチチィーーーッ!!

 真っ白なおしりに黄土色のしずくを跳ね返らせながら、美奈穂はおなら混じりのうんちを延々と出しつづけた……。


「……お、早坂じゃないか」
「……えっ!? ゆ、弓塚?」

 思わずびくっと肩をすくめる隆。
 トイレの横でぼーっと(かすかに聞こえてくる排泄音を聞きながら)待っていた隆だったが、突然響いた親友の声に現実に引き戻された。
 後ろめたいことは何もしていないはずだが、美奈穂に対してあらぬ想像を抱きかけてしまっただけに、それを気取られはしまいかと疑心暗鬼になっているのだった。

「……どうした、そんな慌てて。まさか……」
 あごに手を当てて考え込むポーズの江介。
「な…………」
「エロ漫画を買いに2階に上がろうか否か悩んでいたわけか。そうかそうか」
「違わいっ!!」
 ニヤついた顔でからかってくる江介に対し、意気込んで否定する隆。
 ……いつもの光景に戻ったことに、隆は内心ほっとしていた。

「そうか……いや、漫画は読まない活字は読めないの早坂が本屋に来ることなんて滅多にないからな。どうしたのかな、と」
「……そんなに珍しいか……? おまえこそどうしたんだよ」
 からかうような物言いにぶっきらぼうに返す。
「おれはほら、カタログを買いにさ」
「カタログ……?」
「興味があるなら連れてってやるけど……ま、早坂には関係ない世界かもな」
「……そういうことか」
 江介の趣味の世界というのは、隆も断片的にしか聞いたことがない。が、自分が関わってはいけない世界だということは雰囲気でわかっていた。
「一度こっちにくれば楽しいと思うんだけどなぁ……」
「遠慮しておく。じゃあ……」
 退散しようとした隆だが、背中を向けたところで気付く。
 トイレの中ではまだ、美奈穂が苦しみながら排泄を続けているはずだ。いつ出てくるかわからない以上、ここを離れるわけにはいかない。

「……トイレ借りてから帰るよ。じゃな」
 そう言い残して、隆は再び臭気渦巻くトイレのドアを開け、何食わぬ顔で中に滑り込んだ。


 中に入ると、一段と強くなった汚物臭。
 ただ、排泄音はもうしなくなっていた。代わりにガサガサと、紙でおしりを拭く音が聞こえる。
(……もう、終わったんだ……)
 ほっとしたような、残念なような気持ちを感じながら、隆は美奈穂が出てくるのを待った。

 ………。
 が。
 紙の音が途切れ、水洗の音が流れた後も、美奈穂が出てくる様子はない。

(どうしたんだ……?)
 コン、コン。
 ドアをノックしてみる。
「美奈穂ちゃん?」
 さらに、中に声をかけた。自分だとわかれば、答えてくれるだろう。

 ……だが、その答えは思わぬ形で返ってきた。
「おにーちゃん……どうしよう……」

  ガチャッ……

「え……っ……?」
 いきなり目の前で開かれたドア。

 下痢便の海――。

 扉の向こうには、タイル一面に撒き散らされた汚物の海が広がっていた。
 便器の中は水で綺麗に流されているが、その後方から床にかけてぐちゃぐちゃに広がった黄土色の液状便。その中心には、かろうじて形が残ったまま排泄された小さめの固形便が鎮座している。

「かみ、なくなっちゃったの…………」
 上目遣いに、すがるように言葉を吐き出す美奈穂。
 見ると、前方のペーパーホルダーには芯だけが空しく残っていた。
 これほどの下痢では、おしりを拭くのも一度や二度では済まなかったはず。それで紙を使いきってしまったのであろう。

「……どうしよう…………」
 すがるような目で見つめてくる美奈穂。
 便器をまたいで立ち上がっている、その一段高い場所からでも、目線の高さは隆よりもまだ低い。

「……ちょ、ちょっと待ってて……」
 隆は洗面所の脇にある掃除用具入れを開ける。
 この中に予備の紙があれば……。

「よし」
 見つけた白い巻紙を手にとって、隆は美奈穂にそれを差し出した。

「……片付け、できる?」
 子供をあやすような……実際子供なのだからその通りなのだが、そんな口調で隆は美奈穂に語りかけた。
 …………だが、すぐには返事が返ってこない。

「………………わかんない…………」
 途方に暮れている、という形容が正しいだろう。
 あまりに広範囲に撒き散らされてしまった液状便を前に、美奈穂はどうしたらいいかわからなくなっていた。

(まあ、無理もないか…………)
 自分の出したものとはいえ、こんな無残な状態になってしまうと、汚れずに片付けることすら困難だ。子供心には、排泄物を放置する羞恥心よりも、それに触れることに対する生理的嫌悪が強いのだろう。
 ひかりも小学校低学年の頃は、おもらしの後始末を一人では満足にできず、いつも母の手を借りていた。

(……………………)
 今目の前に広がっている光景より悲惨だった、ひかりのおもらしの痕跡。汚れた肌、汚れた衣服、汚れた床を、母は嫌な顔一つせず綺麗にしていった。
 その光景が隆の胸に去来する。

「……美奈穂ちゃん、ここは俺が片付けとくから」
 決意の一言。
 ひかりのものならいざ知らず、その友達とはいえ他人である美奈穂の排泄の後始末をすることに、抵抗がないわけではない。
 ただそのわずかな抵抗以上に、この程度のことを嫌がってはひかりにも母にも申し訳が立たないという気持ちの方が強かった。

「え…………でも……」
「いいから、美奈穂ちゃんはひかりと幸華ちゃんのとこに行ってくるんだ」
「え…………?」
「ほら、さっきの店の前で待ってるって言ったのに、勝手に離れちゃったろ? もしかしたらまだ駅のトイレの中かもしれないけど……とにかく、早く行ったほうがいい」
「う…………うん…………」
 戸惑いながらも、美奈穂はそろそろと個室を離れ、トイレから出て行く。何度も心配そうに後ろを振り返っていた。


「…………」
 後始末は5分ほどで済んだ。
 まずはごく微量だけが飛び散っていた間仕切りの扉を拭く。これは紙一切れであっさりと終わった。
 本番であるタイルの上の汚物だが、これは周りから削り取るようにして拭い取っていくしかなかった。多めに紙を取り、手の中で何重かに重ねて液状便をワイパーのように拭き、湿って紙が破れないうちに便器に放り込む。これを何度も繰り返した。
 途中で一度その紙と汚物の混合物を流し、紙の一巻きを使いきろうかという頃にやっとタイルに広がった下痢便を拭きおわった。
 最後に、中央に残ったわずかな固形便を便器に入れる。つかんだ瞬間、ぐにゃりと変形する感触が、紙ごしに伝わってきた。

(ここに飛び込んだときはもう、半分出かかってたんだろうな……)
 この床の様子から、個室内での排泄の様子はありありと想像できた。固形物が飛び出すと同時に液状便が噴出しはじめ、必死に便器の上まで進もうとした美奈穂の戦いの結果が、タイルの上に残されていたのだった。

  ジャァァァァァァァッ…………。
 最後の汚れ物を流す。
 汚い――という思いはほとんどなかった。ただ逆に、触れられたら恥ずかしいであろうものに触れてしまう禁忌を犯す申し訳なさがあった。

(いや……これでよかったはずだ……)
 途方に暮れる美奈穂に無理やり掃除をさせるよりは、この方が能率的にも感情的にもよかったに違いない。隆は自分にそう言い聞かせながら、長い滞在となった本屋のトイレを出、そのまま店内から駆け出した。


 その頃、美奈穂はひかりたちと合流していた。
 場所は……駅のトイレの前。
 ただ、トイレから出てくるひかりと幸華を美奈穂が見つけたのではなく、二人を探して中に入った美奈穂が、元の洋菓子店の前まで行ったけど誰もおらず戻ってきた二人に発見されたのだった。

「もう……ダメじゃない勝手に離れちゃ……」
「美奈穂ちゃん……あの、お兄ちゃんは一緒じゃないの?」
 幸華とひかりが美奈穂に声をかける。事情を知らない二人、特に幸華の声には叱責の色が見える。
「えっとね……あの……みなもおなかこわしちゃって……」
「え……?」

  …………。

「……でね、おにーちゃんが後片付けしてくれて、みなは先に行ってなさいって」
「……そうだったの……」
 ひかりが視線を下げる。
 もともと自分のわがままで遊びに来た上に、肝心の自分がおなかをこわして友達をほったらかしにした揚げ句、そのトイレの世話まで押し付けてしまった……。
 自分がおなかをこわさなければこんなことには……と、隆に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。
(わたし……やっぱり…………)

「でも、なんでアイスなんか食べたわけ? かき氷食べたばっかりだし……食べたらおなかこわすって、わかってたんでしょ?」
「うん……あのね…………」
 そう言って、美奈穂は少し口ごもる。

「みなだけいっぱい食べたのにおなかこわさなくて……さっちゃんもひかりちゃんもすっごくつらそうで……だからね、すごくごめんなさいっておもって…………」
「じゃあ……まさかわざと…………?」
「うん……みなもおなかいたくなったら、ゆるしてもらえるかなっておもって……」
「……バカ。そんなことしたって、何にもならないでしょ……」
「だって……だって……」
 声を詰まらせる美奈穂。何かの拍子で泣き出しそうなほどに、その表情はゆがんでいる。
 自分もおなかをこわせば、二人の気持ちが楽になると……愚かな行為だったかもしれないが、幼心に二人のことを一心に思ったゆえの行為なのだ。

「美奈穂ちゃん……あの、気持ちは嬉しいけど……でもやっぱり、美奈穂ちゃんが苦しい思いをすると、みんな心配だし……」
 ひかりも思いつめた表情で言う。
「それに…………もともと、わたしがおなかこわしちゃうのがいけないんだから……」
「ちょ、ちょっとひかり……」
 諦めが混じった口調にただならぬものを感じた幸華が口を挟む。
 だが、ひかりは一気に言葉を続けた。

「今日、誘ってくれたのはすごくうれしかったけど……やっぱりわたし、来なかったほうがよかったみたい……」
「………………」
「また、迷惑かけちゃうといけないから…………」
 そう言って、一歩下がろうとする。

 ……その手を、踏み出した幸華がつかんだ。
「……迷惑なんかじゃないよっ!」

「え…………」
「あたしは一度も、迷惑だなんて思ったことないし……それに今日だって、ひかりが服とか楽しそうに見てるの見て、あたしだってすっごく楽しかったんだからっ!!」
 叫ぶように言い放つ。
「あ、あの……」
「それにね、みなだってやり方はバカだったけど、ひかりのこと大切に思ってるからこんなことしたんじゃない! また一緒に遊びたいから!!」
「…………」
 もはや、言葉を挟むことすらできない。それほどの剣幕だった。

「おなかこわしたのだって、あたしが変なもの食べさせたんだから、あたしにも責任あるし……それに、もしそうじゃなくても、おなかが弱いのだって、全然迷惑に思ってないから」
「………………」
「トイレだって気にしないで行ってくれていいし……ううん、行かなきゃダメ。我慢してると逆に心配になるんだからっ……」
「…………」
「だから…………ね、迷惑だなんて思わないで……あたし、もっとひかりと一緒に遊びたいよ…………ね?」

 見つめる。
 目に涙………頬に伝う。

 圧倒されるほどの感情の爆発。
 でも、その向こうに見えたのは、自分への確かな好意…………。

「みなも……ひかりちゃんのこと大好きだよ……だから……」

 幸華も思っていたであろう一言を美奈穂が口にする。

 これほど大切に思われたのは、肉親以外では初めてだった。

 自分にはこんなに大切にされるだけの価値があるのだろうか……。
 ひかりにはまだ、その自信はとても持てなかった。その自信がない謙虚さもまた価値の一つではあるのだが、当然ひかりはそのことに気付いていない。

 とにかく、ここまで好きになってくれた思いに応える方法は、一つしかなかった。

「………………」
 口を開く。
「………………ありがとう…………」
 精一杯の言葉。
「…………また…………誘ってくれる?」
 精一杯の思い。

「うんっ!!」
「うん!!」
 その思いは……やっと通じた。


 美奈穂もひかりの手を取る。
 しばらくそのまま、手を取り合っていた。
 みんな泣きそうな顔のまま、でも嬉しそうな顔のまま……。

 幸華と美奈穂の肩の向こうに、見つめる隆の目線があった。
 目が合って……隆は一度笑顔でうなずいて、そのまま背中を向けた。
(…………仲良くしろよ)
(…………うん)
 背中越しに願った隆の思いは、ひかりにしっかりと届いている。

 ひかりの身体のことを知って以来、常にそのことを心配し、またそのことを気にかけないよう気を遣っていた幸華と美奈穂。
 ともすれば一方通行だった思いが、今日やっとひかりの側からも通じた。

(お兄ちゃんやお母さんと同じように……わたしのことを…………)
 ひかりは肉親である二人以外からの愛情を知らない。

 だからこそ、こう思うことはひかりにとって最大限の好意の印だった。


 この日……ひかりに、初めて本当の友達ができた。



あとがき

 長らくお待たせしてすみません。15話やっと上がりました。当初はちょい役での登場が続いていた幸華と美奈穂に「見せ場」を与えようというコンセプトだったのですが、せっかく休日の街の様子を描くのだからまだ出てなかった設定を消化してしまえ、と頑張りすぎました。最長記録をわずか1話で更新ということに。
 今回の見せ場は……結局ひかりが一番ですかね。待ち合わせ中にもよおしてどうしよう、とかかき氷を口にした瞬間に腹下し、というのはぜひ描いてみたかったところですので、その辺は満足です。他のキャラについてはこれぞ、というところまで書けなかったのが心残りですが。

 では次回予告。

 夏季大会も直前、野球部は練習の総仕上げである合宿に入る。
 日が沈むまで練習に励む隆たち、そしてマネージャーの二人は、腕によりをかけて料理を作る。
 誰もが一生懸命……だが残酷にも、彼らが夜を過ごす合宿所は、悲劇の舞台に変わった。

 食中毒――。
 傷んでいたのは水か食材か、それすら考える間もなく、百合と美典を便意が襲う。
 合宿所のトイレは共同。男子達に混じって並ぶだけの図太さも、またそれだけの時間を我慢する余裕も、二人にはなかった。
 果たして二人は、下りきったおなかの中身をどこで吐き出すことになるのか……。
 一つだけ確かなのは、それが安息に満ちたトイレの中ではない、ということだけである。

 つぼみたちの輝き Story.16「真夏の朝の夢」。
 足元に広がるこの現実が夢であったなら、どれほど幸せだっただろうか――。


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