つぼみたちの輝き Story.1
「はじまりの決意」
早坂 ひかり(はやさか ひかり)
12歳 桜ヶ丘中学校1年3組
体型 身長:136cm 体重:31kg 3サイズ:67-48-68
短く切り揃えた髪に線の細い体つきと、人形のように可愛らしい女の子。
性格はまじめで、かなり内気。その性格には、彼女の体質も影響しているのだった……。
ジャァァァァァ……パタン。
水洗の音がやまないトイレから、小さな女の子が顔を出す。小学生と言っても通用する身長。今年中学1年生になったばかりの、早坂ひかりだ。
「……最近、調子よさそうだな」
台所で洗い物をしていた兄、早坂隆が、ひかりに声をかける。両親のいないこの家では、隆とひかりの兄妹で家事を分担していた。調理こそひかりが担当するが、彼女には体調のこともあって負担はかけられない。片付けなどの雑事は、兄の隆が担当するのが常だった。
「え……?」
ドアを閉めたばかりのひかりが、隆に向き直る。
「ほら、おなかの具合さ」
「あ……う、うん。……3日くらい前からね、その……普通のが、出るようになったの」
ちょっと言いにくそうに答える。
小さい頃から身体の弱いひかり。すぐ胃腸の調子を崩し、おなかをこわしてしまうという悩みを抱えていた。ことあるごとに激しい腹痛に襲われ、水気混じりの液状便を下している。だが……ここ数日は不思議と、そのようなことがなかった。
「そっか……じゃ、とりあえず心配ないな」
「う、うん……」
「それじゃ、俺はもう朝練に行くから」
ひかりの体調の良さを知って安堵する隆。今日は心配事もなく、野球部の朝連に出かけることができそうだった。
「うん……いってらっしゃい、おにいちゃん」
隆の出発を見送った後、ひかりは左手をそっとおなかに当てる。
………。
「うん……」
大丈夫だ。嫌な張りや、不気味な震えもない。
こうしておなかの具合がいいと、朝の時間が余って仕方がない。3年前から、朝練に行く兄に合わせて早起きしているので、その習慣が身に付いてしまっている。もっとも、その兄は「ひかりがトイレに起きる音で目が覚める」と言っているのだが……。
それを聞くたびに情けなく思うが、事実なのだからしょうがない。普段……胃腸が弱いひかりにとっては、こんな快調な日のほうが珍しく、普段は朝起きると同時にトイレに駆け込み、学校に行く前にに2度も3度も下痢便を排泄しているのである。そうすると、朝の支度時間などはあっという間に過ぎていく。
だが、ここ2、3日は非常に調子が良かった。腹痛に悩まされることもなく、固いとは言わないものの便はある程度の形を保っている。授業中にも便意の心配をしなくてよかったし、放課後にゆっくりと部活見学をする余裕すらあった。先週などは、痛むおなかと激しい便意に追われながら大急ぎで帰宅していたのに。
「部活……できるかな……」
桜ヶ丘中学校では、新入生の部活加入が義務付けられている。もっとも、活動時間は部によって千差万別だから、ほとんど帰宅部と化しているものもある。ただ、ひかりが考えていたものは、学校の中でも有数のまじめな部活だ。正直、身体の弱い自分ではついていけないと思う。
「でも……」
見学に行った時に迎えてくれた、美しく優しい先輩の顔。
「心配しないで。一生懸命な気持ちがあれば、きっと上手くなれるから」
線が細く身長も低い。運動などできそうもない自分に、先輩は温かい言葉をかけてくれた。当り障りのない言葉にも思えるが、あの時の先輩の目はひかりをしっかりと見据えていた。本心から出た言葉なのだと、ひかりは信じていた。
「……うん」
今日も行ってみよう。そう思って、ひかりは授業にない体育着の用意をする。まだ少し大きく感じる制服に身を包み……そして、いつもの習慣でトイレに飛び込んでしまう。いつもの調子だと、家を出る前に行っておかないと学校までたどり着けないことすらあるのだ。……もちろん、今日はそんな心配はなかった。
プシィィィィィッ……。
「んっ……」
ほんの少しだけおしっこをした後、その跡を拭いて下着を上げる。中学に上がるのを機に新しく買った、少しだけ薄い布地のショーツである。小学校時代に身に付けていた厚い綿のものは、クローゼットの奥にしまってある。
そうそう体型が変わったわけではないが、ひかりの心の中では、おもらしと決別するという重大な意味があった。もっとも、そのうちの一枚は入学式の日に早くも汚してしまったのだが……。
「今日は……今日は大丈夫っ」
おなかの調子もいい。授業も苦手な体育はなく、好きな数学と理科、それに今日は初めての調理実習だ。普段から家事をこなしているひかりだが、仲良くなったクラスメートと一緒に作って食べる食事はどれだけ楽しいだろう。
小さな胸を期待と決意でふくらませて、ひかりは玄関から朝日の中へと飛び出して行った。
手で持つには少し重い黒の学生カバンを携え、ひかりはまだ通いなれない通学路をゆっくりと歩いていく。小学校よりは近くなったものの、急いでも十数分の距離はある。しかし今日は早起きに加え、家をちゃんと早く出ている。急ぐ必要は全くなかった。
校門をくぐったところで、見知った顔を目にする。顔、というよりその姿と言った方が正しいだろう。同級生の平均よりずいぶん身長の低いひかり。そのひかりより、さらに一回り小さい女の子が、少し前を歩いていた。
「えっと…………美奈穂ちゃん」
「え……あ、ひかりちゃん! おはよう!」
肩よりも少し長い髪を、両耳のすぐ下でしばって垂らした可愛らしい髪型。明るく無邪気で誰とでも打ち解ける、いい意味での子供らしさを小さな身体中からあふれさせている。入学してわずか1ヶ月で、名前で呼び合う間柄になった女の子。いまやひかりの親友と言っても過言ではない、遠野美奈穂である。
「あ……おはよ、ひかりちゃん」
その美奈穂の横にいた娘も、ひかりに声をかける。美奈穂の幼友達……今でも幼いという指摘は置いておくが……その美奈穂の小学校からの友達である、香月幸華だった。クラスが違っても休み時間などは二人で一緒に遊んでおり、ひかりもその顔と名前をしっかり覚えていた。
中学1年の女子としては平均的だが、ひかりや美奈穂よりはずいぶん高い身長。ところどころ跳ねた、大雑把なロングヘアが印象的な娘だ。
もっとも、印象的なのは容姿や髪型ではなく性格のほうだろう。明るく元気なのは美奈穂と同じだが、ざわめきの中でも通る大きな声、尽きることない豊富な話題、そしてよく聞きよく聞かせる話術と、3拍子揃った人当たりのよさ。
当然友達も多く、クラス内はもちろん他のクラスにも多数の友人がいる。気付くといつの間にかひかりのクラスにいて、ひかり自身話したことのないクラスメートと仲良さそうにしゃべっている光景もまれではなかった。自分の体質からの遠慮もあるが、どちらかというと内気なひかりにとっては、うらやましくなるような明るさだった。
「あ……おはようございます、香月さん……」
そんな負い目があるのか、少し距離をおいた言葉遣いになってしまう。
「もー。あたしのことは幸華でいいって言ってるのに」
「あ……ご、ごめんなさい……幸華さん」
「だから、『さん』もつけなくていいって」
……そんなひかりに対しても、自ら距離を縮めてくれる。どうしても自分から踏み出す勇気のないひかりには、そんな幸華の性格がありがたかった。
「はい……幸華ちゃん」
自分の精一杯の笑顔で、幸華にお礼をする。ひかり自身はどう思っているかわからないが、その笑顔の可愛らしさは素晴らしいものがある。小さく細い体つきも、はかなげな魅力を演出する長所となってくれるのである。
「ねえねえ、ひかりちゃんは、もう部活決めた?」
美奈穂の無邪気な声。部活は5月の終わりまでに決めなければいけない。すでに半袖が目立つ制服が示すように、季節はもう夏になりかけている。6月になったら大会に向けての練習が始まるのだから、やる気のある1年生はすでに練習に参加している。まだ決めてないのは、ひかりのように迷っていた者か、帰宅部志願の者くらいである。
「みなは、演劇部に決めたの」
美奈穂が無邪気な声でそう言う。つい3日前、昼休みに新入生向けに劇の発表をやっていて、その放課後にひかりも一緒に見に行ったのだった。舞台の上に立つと人が変わったように格好よくなる先輩方の姿もあったが、なにより美奈穂がきらびやかな衣装に目を輝かせていたのをよく覚えている。
「うん。そうだと思ってた。……きっと、似合うと思うよ」
美奈穂の外見が外見だけに、役柄は限られてくるとは思うが……中学校の演劇では難しいような役も違和感なくこなせるという意味では、貴重な人材なのだと思う。
「そうだね。あ、あたしは家庭部だよ」
「え……? 幸華ちゃんが?」
「うん。……なんか、意外そうね。あたしってそんなにガサツに見える?」
「う、ううん……そうじゃないけど……」
失礼に当たってはいけないと、ひかりは必死に言葉を選ぶ。
「みなもそう思うよ。さっちゃん、きっとおしゃべり部とかの方が似合ってるもん」
こちらは遠慮なく。さすが数年来の親友と言ったところか。
「みなったらひどいなぁ。……ま、おしゃべり部ってのも外れじゃないかな。放送委員会に入るから、そっちに入り浸るかもしれないしね」
「そ、そうなの……す、すごいね……そんなにたくさん……」
「まだ、できるかどうかわからないけど。でも、家庭部もサボるつもりなんかないわよ。こう見えても、結構本格的な料理だってできるんだから。みな、この前のあれ、美味しかったでしょ?」
「うん。みな、ししかばぶー大好きだよ」
「え……ししかばぶー?」
「もう……あ、トルコの料理なんだけどね。作り方は……」
地理の授業で一度聞いたことしかない国の料理の説明。美奈穂から時々入るツッコミ……というより今一つかみ合ってない茶々を聞きながら、ひかりはいつの間にか微笑んでいた。
「ねえ、そういえばひかりちゃん、部活は? もう決めた?」
幸華の話に飽きたのか、美奈穂が話を元に戻す。
「え……うん。その……まだ、届は出してないんだけど」
「え! どこどこ?」
幸華も一瞬で食いついてくる。内気なひかりが、部活に積極的な態度を示しているとあって、幸華の興味も倍増である。
「家庭部も似合いそうだよね……あ、吹奏楽部でフルートとか。天文部で、星を見たりするのも面白いかも……」
勝手に話を作っていく幸華。
「あ、あの、そうじゃなくて……」
「違うの? じゃあ、シブく将棋部とか? うん、女流棋士って結構、格好いいかも……」
「ち、違うの……ごめんなさい。た、たぶんすごく似合わないから、聞いたら笑うと思うけど……」
「え? それじゃ……」
「えっと……その……」
うつむき加減で、ひかりがずっと考えていた名前を口にする。
「バレー部……」
「え? ばれーって……踊るやつ?」
「う、ううん……運動部の……」
「じゃあ……レシーブ、トス、アタックのバレー部……?」
「う、うん……」
美奈穂と幸華が目を見合わせる。
「ほ、ほら、変でしょ……わたし、背も低いし……運動神経もないし……」
「それは確かに……。でも、何か、理由があるんでしょ? やりたい理由」
「うん……。先輩が、大丈夫だって言ってくれたから。試合で勝てなくても、一人一人が成長することの方が大事だって。だから……頑張ってみたいって、思うの」
ひかりは、口ごもりながらもそう言った。先輩からの受け売り……それをいつか、自分自身の言葉にできるように願いながら。
「そっか……わかる気がするよ」
「ひかりちゃん、すごい……」
幸華はその決意を感じて、美奈穂はごく素直に、感動のうなずきを示した。
キーンコーン……。
「えっ?」
予鈴の音にひかりが、つづいて美奈穂と幸華が気付いて顔を上げる。
「もう5分前!? ……急がなきゃ!」
そう言って、小走りで駆け出す幸華。
「ま、まって、幸華ちゃん!」
「さっちゃん、ひど〜い!」
小さな歩幅で追いかけるひかりと美奈穂。
慌てて教室に駆け込むのでも、その気持ちは数日前とは大違い。登校時間ぎりぎりまで家のトイレでおなかの中のものと格闘しつづけ、腹痛に耐えながら駆け込むのとに比べたら、今の期待にあふれた気持ちはどれほど素晴らしいものだろうか。
楽しい一日は、あっという間だった。
わずか10秒が無限大に感じられるときもあれば、長い半日が一瞬に思えてしまうこともある。
放課後、掃除が終わって……ひかりは、見学に行ったバレー部以外の部活に、断りを入れにいくことにした。
制服のまま、グラウンドに出る。まずは、兄のいる野球部。
「あ、ひかりちゃん」
打撃練習中の隆に代わって、体育着姿の女子が声をかけてくる。名前は、淡倉美典。野球部マネージャー……というより、ひかりにとっては兄の幼なじみと言った方がわかりやすい。幼稚園の頃から一緒で、ひかりとも家族同様の関係だ。
「美典お姉さん……じゃなかった、淡倉先輩。……こんにちは」
「まったく……すっかり他人行儀になっちゃって……お姉ちゃんは悲しいぞ」
「ご、ごめんなさい……あ、あの、実は……」
「あ……部活決めたの?」
「え……あ、は、はい……」
核心をついた言葉に、ひかりはちょっと驚く。
「ひかりちゃんが『実は』って言うのは、あんまり良くない話の時だからね。……で、どこに決めたの?」
「あ……はい。バレー部に……」
「え……そう…………」
「ごめんなさい……せっかく、誘ってくださったのに……」
「ちょっと意外だけど、いいと思うよ。運動すれば、身体も丈夫になるかもしれないしね」
「は、はい……ごめんなさい……」
「もう……謝らなくっていいって。あ、せっかくだから、たかちゃん呼んで来ようか?」
「い、いえ……いいです……。帰ってから、話しますから……」
「そう……」
「あ、淡倉せんぱーい! ボールの追加お願いしまーす!」
その声に目をやる二人。美典より小柄な女の子が、打撃投手の横で手を振っていた。その投球ラインの先、打席には隆の姿。
「お……」
「あ……」
その視線がひかりに合わさり、小さく手を挙げて気付いたことを示す。ひかりも、小さく手を振って応えた。
「じゃあ、私仕事があるから……ね、たかちゃんと話さなくていいの?」
「あ、はい、かまいません……練習の邪魔しちゃいけないですから。お姉さんから話しておいていただけますか?」
「そう……うん、わかった。それじゃ、またね」
「はい。失礼します……」
所変わって体育館の舞台。
「…………バレー部に入ろうと思いまして……。ごめんなさい」
「あ、気にしないで。断りに来てくれるだけでも、それだけ考えてもらっていたんだって思えて嬉しいから」
演劇部の部長が返事をする。
「……実は、遠野さんから聞いて知ってたんだけど。すごく仲良しなのかな?」
「え……あ、はい……」
「そ。じゃあ……バレー部でも頑張って。体育館の中ですぐ隣だし……あ、声がうるさいかもしれないけど、気にしないでくれると嬉しいな」
「はい……それじゃ、失礼します」
「ばいばい、ひかりちゃん」
「……うん、またね」
ひかりの姿を見つけた美奈穂が声をかけてくる。台本を持って楽しそうな姿を見て笑顔をこぼしながら、ひかりは舞台の下へと降りていった。
そして、ネットの張られた体育館のコート。
「あ。えーと……早坂さん?」
練習をしていた部長が、ひかりの姿を見つけて近づいてくる。やはりその小さな姿は記憶に残るらしい。
ひかりの目の前に、部長――白宮純子の姿。整った顔つきと体つきは、まさに美少女と呼ぶにふさわしい。ひかりでなくても、こんな女性になりたいと思わせる気品と包容力を感じさせる、そんな3年生である。
「はい。あの、今日は……」
「見学? それとも、本入部かしら?」
「あ、はい……えっと、入部届を持ってきました」
「あ……本当に? ありがとう……歓迎するわ」
「よ、よろしくお願いします……」
おずおずと入部届けを差し出す。純子はそれを受け取って、目を通す。
「あ……えっと、もしかして早坂さんって、早坂……隆…くんの妹さん?」
「え……あ、はい。そうです。お兄ちゃんのこと、ご存知なんですか?」
「あ、うん、ちょっと……ごめんなさい、ちょっとだけ気になってて……」
「い、いえ……」
ひかり自身は何も変なことを言った覚えはないのだが、純子が慌てたような態度になる。その姿に疑問を感じつつも、どこか言葉を挟めない雰囲気。ひかりはつい、口ごもってしまった。
「あ……そういえば、今日の練習はどうするの? まだ1年生の全体練習とかは始まってないから、明日からでも来週からでも問題ないんだけど」
「あ、それなら……」
準備はしてきた。荷物の中に体育着もあるし、体調も……。
そう言おうとした、まさにその瞬間だった。
ギュルッ……。
「あっ……」
何度経験しても、慣れることのない腹部の違和感。
ギュルギュルギュルッ……。
(そ……そんな……)
数日来感じることのなかった悪寒。一瞬で顔色が青ざめていく。
(こんな時に……これからなのに……)
万全の体調で先輩たちに挨拶して、初めての練習を一生懸命に……。そう思い描いていたひかりの幸せが……文字通り音を立てて崩れていく。
グルルル……ゴロロロ……。
「うっ……くぅっ……」
あっという間に、頭の中が痛覚で満たされていく。身体の内部から膨れ上がる、締め付けられるような圧倒的な腹痛。
「は、早坂さん……?」
「あ……」
見ると、純子が心配そうな顔で彼女の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫? 何か……苦しそうだけど……」
「あ……は、はい……えっと……」
グルルルルルルル……ゴロゴロゴロ……
(だめ……音、聞こえちゃう……)
このままでは、練習一日目にしてこの情けない体質が部員みんなの知るところとなってしまう。いずれそうなることは避けられないにしても、その日を一日でも後にしたいと思うのは自然な感情と言えよう。
「ご、ごめんなさい……今日は、遅くなってしまいましたし……あ、明日から参加しますからっ」
「そ、そう……わかったわ。それじゃ、明日からよろしくね、早坂さん」
「は、はい……し、失礼しますっ……」
辞する言葉もそこそこに、ひかりは体育館から駆け出した。
ギュルルルルルルッ!!
「うくっ……」
純子らバレー部員から見えなくなるなり、おなかを押さえて前かがみになる。まだ冷や汗の出るような便意こそ感じていないものの、その痛みは全く予断を許さないものであった。
(ど、どうしよう……家まで……)
できることなら、便意が切迫する前に家まで帰りたかった。学校ですれば、トイレにいる人に音とか臭いで不快な気持ちを与えてしまうし、時にはからかわれたり、いやがらせを受けたりすることがある。
小学校の頃は、先生が理解してみんなに説明してくれていたため、表立ってはそれほど問題なかった。もちろん、陰では心ない連中にいじめられることもあったが……。ただ、中学に上がってからは誰にも言っていない。先生も男の人だから話しにくいし、親友となった美奈穂や幸華にさえもまだ、自分の身体のことは伝えていない。
そんなこともあって、ひかりは可能な限り学校では大きい方を我慢するようにしていた。とはいえ、ひかりに可能な限り、なのであって、数日に一度は耐え切れずに学校でしてしまうのではあるが……。特に今日は、数日続いた好調の後ということもあって、できることならそんな恥ずかしさは味わいたくなかった。
(うん……がんばって帰ろう……)
おなかの具合と相談しながら、そう決断を下す。まだほとんど便意を感じていない状態なら、そうそう切羽詰る心配はない。小学校よりは近いし、きっと大丈夫……。そう信じて、彼女は昇降口へ急いだ。
そうして学校を後にしてから……15分が過ぎた。普通に歩けば、とっくに家についているはずの時間だった。
だが……ひかりはその道のりの半分も進んでいなかった。
「くっ……うぅっ……」
ブロック塀に手をつきながら、おなかを押さえて必死に歩きつづける。
……腹痛の高まりが予想外だった。
もちろん、おなかが痛くて早く歩けないのは計算に折り込み済み。それでも、20分はもつはずだと思って学校を出たのだ。それが……。
「うぅっ!!」
小さなうめきとともに、その場にうずくまる。
倒れそうなくらい前に体を倒して、痛むおなかを押さえ込む。そのまま数秒……。
「……はぁ、はぁ……」
あまりの痛みに、歩くのはおろか立ち上がることさえできない。そうして進んでは止まり進んでは止まりしているうちに、ついに便意が容易ならざる状態にまで高まってしまった。
(ど、どうしよう……)
目をつぶったまま……しゃがみこんでおなかをさすりながら、ひかりは必死にこの苦境を脱する手段を考えていた。
(家まで……ううん、絶対がまんできない……でも、近くにトイレなんて……)
住宅街の真ん中とあって、トイレを借りられそうな店も施設もない。公衆トイレを使おうにも、最寄りの公園までは5分以上はかかる。しかし……それより早く便意を解放しようとしたら、道端で野外排泄に及ぶしかない。
ギュル……ゴロゴロゴロッ!!
「あ……ぁぁぁぁ……」
腹痛とともに、激しい便意が彼女を襲う。腹部の猛烈な痛みは、我慢するための精神力をも失わせている……。
「だ、だめっ……」
プスッ……。
一瞬の隙を突いて、腸内に溜まっていたガスが弾け出る。
「や、やっ……」
プス……プスススッ!! プピッ!!
乾いた破裂音の連続。意に反して出てくるものを押さえようと、ひかりはスカートの上からおしりの穴を押さえた。
「はぁ……はぁ……」
麻痺しかけている肛門の感覚。もはや、漏らしたのかそうでないかもわからなくなっている。いつもの腹具合なら、今のおならと一緒に水便が飛び出しているだろう。ただ、今この瞬間こそまた下痢に苦しんでいるとはいえ、ここ数日はまともな便が出ていたのだ。おならだけで済んでいる可能性もあった。もっとも、腸内の空気を出してしまえば、その分おなかの奥から液状のものが押し寄せてくるだけなのだが……。
「あ、あの……だ、大丈夫ですか?」
「え……っ……?」
突然の声に、ひかりはつぶっていた目を開ける。
目の前には、自分と同じ制服を着た女子。眼鏡をかけた表情には、不安の色が浮かんでいる。
「具合、悪いんじゃ……きゅ、救急車呼びましょうか?」
「い、いえ……うっ!!」
ギュルゴロゴロゴロッ!!
激しく駆け下るひかりのおなか。その内容物は、震える出口に向かって一斉に押し寄せてくる。
「も、もう…だめっ!!」
その一言を残して、ひかりは弾かれるように立ち上がり、その場を逃げ出す。……もっとも、おなかを押さえたみじめな格好で……ではあるが。
「あ……」
残された女子は、小さく口をあけたまま呆然と立っていた。
彼女が事情を理解するのは、あたりの空気に残っていた臭いの微粒子を吸い込んでからだった。
「はぁ……はぁ……っ!!」
せめて、誰にも見られない場所へ。その思いだけで、ひかりは言うことを聞かない両足を動かす。途中で何度も肛門が盛り上がる感覚を覚え、その度におしりを押さえて必死に耐えた。
「うぅっ……」
そして、たどり着いた場所。
ブロック塀に囲まれた、小さな駐車場。その一番奥に、ひかりはよろよろと入っていった。道路との間には、大きな3トントラックがあり、視界を遮ってくれている。
(誰も……誰もいない……)
そのことだけを確認して、ひかりはスカートの中に手を差し込む。
(ここで……しちゃうんだ……)
今から自分がしようとしていること……それは、野外での……本来許されざる場所での排泄……野糞に他ならない。あれだけおなかの調子も良かったのに、結局……。中学生にもなって、他人の土地を汚して……。
そんな罪悪感が、ショーツを下ろすのを一瞬ためらわせた。
……だが、理性の束縛を受けない身体は、排泄の決意を彼女の思考より早く、実践に移そうとしていた。
ブプピュルッ!!
「……!!」
おしりの穴を駆け抜ける熱い感覚。手をかけただけで下ろしていないショーツの中で、何かが弾ける音がした。
ビュルルルッ!!
「い、いやっ!!」
続けて、はっきりと何かが流れ出る感覚。もう、余計なことを考える余裕はなかった。内側のスリップごとスカートをたくし上げ、大急ぎでショーツをずり下ろす。
そして……前かがみになって膝まで下ろした時、ひかりの我慢は完全に決壊した。
「あぁぁぁっ!!」
ブビッ!ブリリリリリリッ!! ブリュビチビチブブッ!!
水気たっぷりの液状便が盛大に弾け、中腰で立つ彼女のおしりの後方……ブロック塀に撒き散らされる。それから一瞬の間も空けず、液便が混ざって崩れかけた固形便が次々と飛び出してくる。後から後から押し寄せる排泄物の勢いに押されて、固形物が壁に叩きつけられていく。
そして、それがずり落ちてくるより早く、やや角度を落として吐き出されるゆるゆるの軟便が、塀の真下にべちゃべちゃと飛散していく。
「くぅぅぅぅっ……」
ビチビチビチッ!! ブチュブビュルルルッ!!
ビジュルビィィッ!! ジュルブビビビビビッ!!
地面にしゃがみこんだひかりの肛門から、ぐちゃぐちゃの下痢便がほとばしる。完全に液状にならないのは、おなかの調子が良かった名残だろうか。茶色い汚液の中に、柔らかい固形便のかけら、あるいはゲル状の物体が浮かんでいる。
「うぅっ…………つぅっ……」
ビジュルルルッ!! ビチビチビチビチッ!!
ブリビチャブジュルッ!! ジュババババッ!!
下痢便を出し続けながらも、彼女を苛む腹痛はおさまらない。どれだけ出しても、後から後から新たな排泄物が飛び出してくる。著しく前かがみになった彼女の後方には、吐き出した軟便と固形便のかけらが山を作っていた。壁にも、液状便のしずくと叩きつけられた固形便の一部が張り付いている。
「うくっ……あぁぁぁぁぁっ……」
ブビビビビビッ!! ブジュビシュゥゥゥゥッ!!
ブリュビチビチビチビチッ!! ブジュルルルルルルッ!!
ブリュブビュルルルルルルルルッ!! ビィィィィィィィッ!!
おなかの中で何かが動く感覚。それを感じるより早く、おしりから液体が噴射されていた。限界を越えて我慢した末の排泄に、身体はもう言う事を聞いてくれなくなっていた。肌のそこかしこから、じっとりと冷や汗が浮かび、白が基調のセーラー服を身体に張り付かせている。
「んんっ……うぅぅぅぅっ……」
ブリュブリュブリュビジュジュジュジュッ!!
ビチビチビチビィィィィィィッ!!
一心不乱に排泄を続ける。もう、便は完全に液状になっていた。それが、後方の排泄物の山に叩きつけられ……あたりに飛び散り、また流れて広がっていく。広がる液状便がついに、浮かせた彼女の靴元にまで及ぼうとしていたが、それにも気付かない。大量の汚い下痢便はもちろんおぞましい悪臭を生み出していたが、それすらも彼女の意識には入って来ない。ひかりの神経はただ、自身の腹部とおしりの穴だけに集中していた。
「うあ………はぁぁぁぁっ……」
ビジュルルルルルルッ!! ブジュビジュブブッ!!
ジュビブバババババブリュッ!! ブチュルルルルルル!!
ビチチチチチッ!! ビジュブジュビュゥゥゥッ!!
ブブブブブバッ!! ジュルブチチチビチビチビチッ!!
ビシャシャシャブビビビブビッ!! ビチビチビチビチビチィィィィッ!!
……彼女の排泄が止まったのは、下痢便の海をつま先まで広げきった後だった。
「うぅ…………」
すべてが終わった、後。
ひかりは、しゃがみこんだまま動けないでいた。
もちろん、いまだ鈍く続く腹痛に苦しんでいるのもある。だがそれ以上に、自分が作り上げてしまった惨状に絶望していた。
壁に地面に、これでもかと飛び散った液状便。その中心には、かろうじて形を保った大量の汚物の山。辺りを覆う悪臭は、旧校舎の汲み取り便所、その汚物漕の中もかくやというほどの凄まじいものだった。
何しろ、3日間おなかの調子が良かったということは、その分だけ排泄物が大量に溜まっていたことになる。それが堰を切ったように、一斉に吐き出されたのだ。汚物が普段の数倍の量になるのは避けられないことだった。
そして何より彼女を落胆させたのは、膝元まで下ろしたショーツに染み込んだ茶色い液体だった。あれだけ必死に我慢したにもかかわらず、一瞬の迷いのせいで漏らしてしまった……。ひかりは、その汚れを見つめながら涙を浮かべていた。
(もう、おもらししないって……そう誓ったのに……)
……今まで何度繰り返した誓いだろうか。
母を病で亡くし、兄と二人きりになった時に。
小学校を卒業し、新たな環境に踏み出そうとした時に。
いつも、人に迷惑をかけてばかり。心がちぎれそうになるほどに悩んで、そして小さな決意だけを頼りに、自分を変えようとして……。でも、ひかりの身体はいつも、そんなささやかな願いさえも叶えてくれなくて……。
そして、今度も……入学式の日、式の最中におもらしをして、さらには家の前で下着をはかないまますべてを……しかも、兄の目の前で排泄してしまって……。それから、「絶対」が幾つつくかわからないくらい強く心に誓ったのに。
(……それから、1か月もたたないうちに、こんな……)
こんなみっともない姿をさらしている……。ひかりは自分が情けなくて仕方がなかった。もはや声を出す気力もないが、流れ出る涙が彼女の気持ちを痛いほど伝えてくれていた。
「……ごめんなさい……」
誰にともなく謝るひかり。後ろを振り返ると、下痢便の海の横に捨てられた、同じ色に染まったティッシュ。その量はゆうにポケットティッシュ2袋分はあるだろう。もちろん、ひかりがおもらしと排泄に汚れたおしりを拭いたその紙である。
この惨状をそのままに立ち去ることに抵抗はあったが、ひかりにはもうどうしようもなかった。実際問題、バケツ一杯の水を持ってきても、この汚れを完全に消し去ることはできそうにない。そんな始末をしているところを人に見られたら、恥ずかしいどころの話ではない。
12歳の女の子にできることは、このまま立ち去って、風雨がこの汚物を流してくれるのを祈ることだけだった。
「ひかり、もう帰ってるかな……」
隆は野球部の練習を終えて帰途についていた。中学生の下校時間としては大概に遅い時間だが、体育館の電気はまだ点いていたから、もしかしたらまだ帰っていないのかもしれない。
「6月になったら、夕飯の準備とかも考えなくちゃな……」
6月になると、バレー部でひかりの下校も遅くなるだろうし、自分自身も大会に向けての練習で日の沈む前に帰ることはできなくなるだろう。今は自分が学校帰りに買い物をして、ひかりが調理するという分担だが、それもいつまで続けられるか。
幸い、海外勤めの父から生活費は不足しないだけもらっている。外食などに頼るのも止むを得ないだろう。
「ま……楽しくやってるならいいか。調子良さそうだったしな」
たとえ自分の大会がどれだけ大切でも、家事でひかりをわずらわすようなことは、絶対にしたくなかった。
いつも自分を押し殺すようなひかりの姿は、見ているだけで痛々しい。おなかの調子のいい時くらいは、やりたいことをやらせてあげたいと思う。
だから、バレー部に入ると幼なじみの美典から聞いた時は内心、とても嬉しかった。今だって、すぐそばの交差点で美典と別れるまで、ひかりのことを話しながら帰ってきたのだ。
ひかりの新しい一歩を祝福してあげようと……。
だが……ひかりはまだ、その一歩を踏み出すことができずにいた。
それどころか、祝福という言葉に似つかわしくない、みじめな姿をさらしていた。
おもらし。そして、大量の野糞。
ひかりがそのような悲劇に見舞われていたと知ったのは、彼が家に帰りついた後。
トイレのドア越しに聞こえる苦しげな声と、断続的に響く排泄音を耳にしたその時だった……。
「………………」
無言で目を伏せる隆。その頭の中では、ひかりが出てきたらどんな言葉をかけようかと思いが駆けめぐっていた。
決して責める言葉ではない。つらい思いをしたひかりのこころを癒せるような、優しい言葉を。
「くぅ……あぁぁっ………」
つらそうな声。ひかりがトイレから出てくるには、まだ時間がかかりそうだった。
――この子は、俺が守らなきゃいけない。
……何年も前の決意。
今まで、守れたかどうかはわからない。自分の存在が、ひかりの助けになっていたのか……。
それでも。ひかりが悲しい思いをした時には、必ずそばにいて、優しい声をかけてあげたい……。
――俺だけは、いつだってひかりの味方だ。
何度思ったかわからない決意を、隆はこの日また新たにした。
そしてひかりも、何度くじけたかわからない決意をまた――。
To be continued...
あとがき
桜ヶ丘中学校シリーズ、「つぼみたちの輝き」。堂々のとはいきませんが連載開始となります。
時系列的には、修学旅行の2年前になります。ひかりたちが1年生。2、3年のキャラも含めて、総勢10名以上でお送りする予定です。当たり前の現代、当たり前の中学校を舞台に繰り広げられる羞恥の世界。お楽しみいただければ幸いです。
今回は第1回ということで、やはり主役のひかりをメインにさせていただきました。「おなかをこわしやすい」などという可哀想な設定を作ってしまった分、周りのキャラを通じて愛情を注ぎたいと思っています。
今回はキャラ紹介も兼ねていたので、「本編」開始前が長くなってしまいました。まあ、幸せな描写と苦しい我慢の描写の対比ということでお許しください。こんな当たり前の生活が、めったに得ることができない「幸せ」に感じられてしまう……。そんなひかりに感情移入していただければ幸いです。
小説の中で出したキャラ・舞台などの設定は、後で一覧にまとめようと思ってます。想像を膨らます助けになれば幸いですし、いろいろと物語を考えてくださればこれほど嬉しいことはありません。
今後の展開としては、もう少しキャラ紹介が続きそうです。キャラの相互関係はある程度練りこんだつもりですが、大きく分けて1年生3人組、生徒会-委員会グループ、2年生グループ、3年生グループという構成になっています。
次回は、今回出せなかった唯一の1年生……修学旅行では少ない出番にもかかわらず人気だった委員長、弓塚潤奈さんを主役にしようと思います。ご期待くださいませ。
それでは。長いシリーズになるかと思いますが、ぜひお付き合いください。