つぼみたちの輝き Story.5

「Face to Face」


早坂 ひかり(はやさか ひかり)
 12歳 桜ヶ丘中学校1年3組
体型 身長:136cm 体重:31kg 3サイズ:67-48-68


 おかっぱの黒髪が小さな身体の幼さを強調する、内気な女の子。
 生まれつき身体が弱く、毎日のように下痢に苦しんでいる。



「ひかりっ!!」
 早坂隆は、遠くに見える女子の姿、そしてその腕に抱かれた妹の姿を見てそう叫んだ。
 血相を変えて走ってきたバレー部の女子。その言葉によると、ひかりが練習中に突然しゃがみこみ、苦しそうにしているらしい。
(ひかり……まさか……?)
 隆は、投球練習を放り出して体育館に走った。
 打席に残された学、そして、審判役を務めていた百合が、呆けた表情でそれを見送った……。

(白宮さん……!?)
 ひかりを抱えている女子。同じクラスの白宮純子だった。バレー部の部長であり、クラスの……いや学年全体、学校全体のアイドルですらある。
 隆もその例にもれず、純子のことが気になっていた。だが、隆自身は野球しか能がない単純バカである。成績優秀、容姿端麗の純子とはとてもつりあわない。嫌われないだけで幸せだと思っていた。

 それが今日、何という偶然か席替えで隣同士になってしまった。
 何か話そうとして言葉に詰まって、勉強の話をしようとしたけど、やっぱり邪魔が入って……。
 ただ一つまともに話せたのが、バレー部に入った妹のひかりのことだった。

 純子に詳しくは話せなかったが、ひかりの身体のことは下手をすれば当人よりもよく知っている。
 極度に胃腸が弱く、ちょっとしたことで……いや、それすらなくてもすぐ、おなかをこわして下痢をしてしまう。
 内気な性格もあって、人前ではできるだけ便意を隠そうとする。我慢には慣れているものの、激しい下痢の前には無駄な悪あがきに等しい。もよおし始めたら、できるだけ早くトイレに行かなきゃいけないのに……。
 周りに知らない人の多い新しい環境。
 そんな中で、ひかりが便意を訴えられずに、腹痛のために動けなくなり、限界を迎えてしまう……。それが、考えうる最悪のシナリオだった。

 だが隆も、それが入部1日目にして起こるとは考えてもいなかった……。


「だめぇぇぇぇぇぇっ!!」
 ……目の前で、ひかりの体が震える。
「ひかりちゃんっ!!」
 純子の叫び声。
「ひかり!!」
 同時に、隆も叫ぶ。

 その二人の叫びを遮るように……紺色のブルマに包まれたひかりの小さなおしりから、その姿に似合わないすさまじい音が響き渡った。

 ブチュブチュブチュブブブブブブブブッ!!

(…………遅かった……)
 はっきりとわかる、下痢便をおもらしした音。
 少し離れている自分にも聞こえたくらいだ。その身体を腕の中に抱えている純子にはもっとよく聞こえたことだろう。
(……ごめん、ひかり……)
 きっと、彼女は驚きのあまり手を離すだろう。おしりから地面に打ち付けられるひかり。そのブルマから、もらした茶色の汚物があふれ出す。
 純子はきっと悲鳴を上げ、それを聞きつけてきたバレー部員、そして他の生徒みんなも、ひかりの汚れた姿を目にするだろう。そうしたら……。
 そうしたら、せっかく、普通の女の子として中学生活を歩みだそうとしていたひかりは……また、蔑みと憐れみの眼に囲まれる生活に戻ってしまう。

(俺が、ちゃんと言わなかったばっかりに……)
 ひかりの身体……おなかの弱さのことを伝えておけば、防げたかもしれない。
 でも、妹のこととはいえ、仮にも好きな女の子に対して下痢がどうのなどという話は切り出せなかった。

 ……その結果が、これだ。
(ほら、白宮さんの悲鳴が……)
「ひかりちゃん……ひかりちゃん、しっかりしてっ!!」
(……白宮さん!?)
 純子は、手を離していなかった。
 汚物が滴り始めているはずのひかりの身体を抱き寄せ、耳下に顔を寄せて声をかけつづけている――。
「う……うぅ……んぅぅっ……」
 苦しげなひかりの声。まだ……まだ、ひかりは耐えつづけている。
「ひかりっ!! 白宮さんっ!!」
 隆は、弾かれたように二人に駆け寄っていった。

「早坂くんっ! ひかりちゃんがっ……」
「わかってる。俺が連れてくからっ!!」
 そう言って、ひかりの身体の下に、純子の手に重ねるように自分の腕を差し込む。
 その際おしりに腕が触れ、湿った感覚がはっきりと伝わってきたが、隆は表情ひとつ変えることはなかった。
「早坂くん……」
「連れてきてくれてありがと。ここで待っててくれっ!」
 隆はそう叫んでひかりの身体を手繰り寄せ、体育館脇のトイレに向かって駆け出した。


「お……お兄ちゃん……」
「大丈夫か、ひかり!!」
 薄く目を開けたひかりに、隆は声をかける。
「……もう……だめ……またでちゃうっ……」
「あと少しだから。あと10秒でいい。がんばれっ!!」
 気休めだった。どう考えても、トイレの入口まで数十秒、そこから個室まではさらにかかる。だが……少しでもひかりの我慢の助けになるなら、それでよかった。
 だが……。
「う……うん……あぁぁぁっ!!」
 ブビビビビビ!! ブリュブリュブボボボボボッ!!
 5秒ともたず再び決壊するおしりの穴。ブルマの中に、さらに大量の液状便が放出される。
 もちろん水分の多いそれはショーツやブルマの生地では受け止めきれず、その茶色い液滴をブルマのおしりの真下に垂らし始めていた。
「くっ……」
「ご、ごめんなさい……お兄ちゃん……ごめんなさい……」
「いいから。あとちょっとだけ我慢してろっ!!」
「うっ……うぅぅっ……」
 もう限界を何度も超えた肛門を締め付けて、必死に耐えつづけるひかり。

  ブリュリュ……ブチュッ!!
  ブリブビビ!! ブボボボッ!!
 断続的に続く排泄音、そして小さな身体の震えを感じながら、隆はトイレの中に駆け込んでいった。


 個室の中に、ひかりの身体を下ろす。
「うぅ……くぅっ……」
  ブビビビビビビビビビビッ!!
 しゃがみこんだ瞬間……ブルマを下ろす前に、新たな下痢便があふれる。
 もうブルマの許容量はとっくに超えており、その脇から茶色いゲル状物体があふれ、ボタボタとかたまりを作ってこぼれ落ちていた。
「くっ……」
 心の中にじわりと浮かんでくる感覚を振り切り、隆は声をかける。
「一人で……大丈夫か?」
「……う、うん……」
「そっか……じゃ、閉めるぞ」
「うん……あ、あぁぁっ!!」
 ひかりの叫び声。同時に、ブルマに手がかかる。おそらく、新たな便意が押し寄せ、その元凶が飛び出すより早く、排泄体勢を整えようとしたのだろう。
 そのブルマの中から……おそらくは茶色く汚れきっているであろうおしりの肌が現れる前に、隆は個室の扉を外から閉めた。

「ぅぅぅぅっ!!」
  ブチュブチュブチュブチュッ!!
  ブビ! ブリュルルルルルルルルルッ!!
  ビブブブブボッ!! ブジュブジュブビビビビビビッ!!

 個室の中から響いてくる、苦しげなうめき声と壮絶な排泄音。
「く……」
(だめだ……勝手に……)
 その個室の中の光景が頭に浮かんでしまう。

 真っ白い便器の上で、おなかを苦しげに押さえてうずくまる妹の小さな姿。
 下ろされたブルマの下から現れる、茶色の汚液にひたされたショーツ。中には液体とゲル状の半固体が入り混じった、あまりにも汚い下痢便がたっぷりとたたえられている。
 そして、同じ色に覆われていたおしりの肌の中央から、新たな汚物が便器の中に注ぎ込まれる。ブルマの中ショーツの中にこれだけ大量に出してなお、すさまじい勢いで流れ落ちる茶色の滝……。

(……ひかりが、一番見られたくないと思ってる姿なのに……)
 それなのに、いや、それだからこそか……その映像が頭から離れない。
「……早坂くん?」
「え……」
 外から、純子の声。隆は慌てて我に返った。
「その……ひかりちゃんは……?」
「ああ……なんとか中に…………」
 そう、説明しながら外に出る。

 トイレからちょっと離れた場所。校庭からも体育館からも見通せない場所で、二人は話していた。
「大丈夫とは、言えないけど……とりあえず、あとは一人で大丈夫だって……」
「そう……」
 複雑そうな表情を見せる純子。
「あの、ひかりちゃんって……もしかして……」
 その後を言いにくそうに口ごもる。隆はそれを察して言葉を続けた。
「ああ。いつもこんな具合なんだ……毎日とは言わないけど……一年の半分くらいはこんなで……」
「そうだったの……ごめんなさい、気付かなくて……」
 目を伏せる。
「いや、ちゃんと言わなかった俺も悪いし……それに、言ったところでどうにかなるわけでもないしさ……」
「ううん、でも……私がもっとしっかりしてれば……」
 首を振って自分を責める純子。言葉以上に責任を感じているようだった。
「そんなことはないって。ひかりを連れてきてくれただけで、感謝してるよ」
「そんなの……結局、間に合わなかったし……」
「それでも、手を離さないでいてくれたろ? おかげで、騒ぎにならずに済んだし……ひかりも、喜んでると思う」
「あんな身体だけど、できるだけ普通の生活をさせてやりたいと思うんだ……ひかりも、そうしたいって言ってる」
「小学校の頃は、表立ったいじめとかはなかったんだけど、みんなから腫れ物に触れるような目で見られてさ……毎日、つらそうだったんだ」
「だから、クラスとか部活のみんなには、できるだけ隠しておきたくて……本当は、白宮さんにも言うつもりはなかったんだけど」
「…………」
 返事を待たずに、言葉を続けた。これだけは、一つの誤解もなく伝えなければならないから。
「……ごめんなさい……」
「いや、いいんだよ。ただ……できたら、他の人には言わないでほしい。それと、部活中とか、具合が悪かったらすぐトイレに行けるように計らってくれるとありがたいんだけど……」
「うん……そんなことでよければ」
「ごめん……こんな、気を遣ってもらって」
「ううん、ちゃんとがんばってるひかりちゃんは応援してあげたいから……」
「ありがとう。ひかりも、それ聞いたら喜ぶよ。相当、白宮さんにあこがれてるみたいだから」
「そ、そんな……私なんて、別に……」
 ちょっと赤くなる純子。
「そ、それより……何か、手伝えることあるかしら? 保健の先生を呼んで来るとか……」
「そうだな……さすがに、保健室で休ませてもらった方がいいだろうな。一応、俺から簡単に事情を話しておくから」
「う、うん……」
「じゃあ、白宮さん……できたら、ひかりの着替えを取ってきてくれないかな? さすがに、女子バレー部の部室に入るのはちょっとさ……バッグの取っ手に名前書いてあるから、わかると思う」
「そ、そうね……じゃあ、ちょっとここで待ってて」

 そう言って、純子が部室の方へ駆けていく。

「………………」
 一人、残された隆。
 トイレの中をうかがうと、まだ苦しげな声と音が聞こえる。個室の壁を越えて、トイレ中をものすごい悪臭が包んでいた。

 隆は再び外に出た。
 音や臭いが嫌だったわけではない。ひかりの排泄を汚いと思ったことは、少なくとも母親が死んでからは一度もなかった。
 外に出た理由は、ひかりの排泄行為に興奮を覚えてしまう自分を押さえるためだった。


 いつから、こんな気持ちを抱くようになっただろうか。
 少なくとも、自分が小学生の頃は、おなかを下しまくるひかりに対し、汚いという思いしかなかったはずだ。

 母の死とともに、何があってもひかりを支えてやろうという誓いを立てた。それ以来、ひかりのおもらしに対し、憐れみ……いや、それよりも包み込むような温かい気持ちを抱くようになった。

 決定的だったのは、ひかりが中学生になった、その入学式だったかもしれない。家の玄関の前で便意の限界を迎え、制服姿のまますべてを排泄してしまったひかり。同級生の女子たちと同じ服に身を包んだひかり……その時のひかりは、妹ではなく一人の女の子だった。

 女の子が自分の目の前で、汚らしい大便を排泄している。その光景が、頭から離れなくなった。苦しさと恥ずかしさが入り混じった表情、そして秘密の部分からほとばしる汚濁……。その姿は、男子数人で回し読みした成人向け雑誌などよりはるかに扇情的なものだった。

 だけど、そんな姿に興奮を覚えてしまうのが異常だということもわかっている。ましてや妹にである。いわゆるセックスを求める欲求はないにしろ、性的興奮の一種であることは確かだ。
 そんな姿を想像するだけでも申し訳ない……でも、その姿が頭から離れない。そんなジレンマに、隆は悩んでいた。


「………………あ」
 遠くから、純子が小走りに駆けて来る姿が見える。
(こんなこと考えてる男だと知られたら……思い切り嫌われるだろうな……)
 そう思っていた。なにしろ、純子は押しも押されぬ学校のアイドルである。こんな汚らしい話につき合わせてしまうのさえ申し訳ない。
 トイレの話だって、普通の生徒だったら純子の排泄シーンなど想像しないし、できもしないだろうと思う。もっとも隆自身は、トイレに入っていく彼女の姿を遠目に見て、いろんな妄想を思い浮かべてしまうのだが……。

「早坂くん……これでいい?」
「あ……ああ」
 慌てて頭の中の映像を振り払う。
「私が持っていったほうがいいかしら……?」
「い、いや……俺がやるよ。慣れてるしさ……」
「そう……じゃあ、私は部活に戻ってるわ。落ち着いた頃、保健室に様子を見に行くから」
「ああ、頼むよ。……本当にありがとう、今日は……」
「き、気にしないで……私は、当たり前のことしか……」
「いや……ひかりのこと、そこまで気遣ってくれるだけで嬉しいよ」
「ううん……何かあったら、遠慮しないで言ってくれていいから」
「ああ。……それじゃ、また」
「うん……」

 そう言って、純子が再びその場を去る。

「………………」
 トイレの前で、立ち止まる。
 …………。
(俺は妹に着替えを届けに行くだけ。それ以外の気持ちなんてない……)
 そう言い聞かせながら、トイレの中に入っていった。

 ……中の臭いは、だいぶ緩和されていた。便器の中の汚物は、すでに流された後なのだろう。隆は、安心したような残念なような気分になった。
「ひかり……? 着替え、持ってきたぞ」
「あ…………ちょ、ちょっと待って……」
 その声とともに、トイレットペーパーをガサガサと手繰る音が聞こえる。まだ、拭き終わってなかったのかもしれない。

「……い、いいよ……」
 ひかりがそうつぶやいて、個室の扉をそっと開ける。
「あ……」
 その隙間からのぞいた光景。
 便器に放り込まれた、ところどころ茶色に汚れたトイレットペーパーの山。
 その前で不安げに立つひかり。上半身を体育着に包み、そして、何もまとわぬ下半身を、片手で必死に隠して――。
「こ、これっ!!」
「あ……」
 差し出された手に着替えを押し付けるようにして、隆は後ろを向く。

「……もう、大丈夫か?」
「うん……まだちょっと、おなかは痛いけど……」
「……そしたら、保健室に行こう。部活のみんなには、気にしないようにって白宮さんが言ってくれてるから」
「あ……そ、そうなの?」
「ああ。後でお礼言っとけよ」
「うん……」

 しばしの会話の後、ひかりが個室から出てきた。手には湿ったブルマだけを持っている。
「ひかり、その……下着は……?」
「……汚れ……全然落ちなくて……」
 首を振りながらそうつぶやく。
「そっか……気にするなよ」
「うん……あ……」
「……どうした?」
「個室の、入れ物の中……私のみたいにぐちゃぐちゃじゃなかったけど……汚れたパンツが入ってて……」
「じゃあ……誰かおもらしした人が?」
「たぶん……」
「……そっか。まあ……誰にでも、我慢できない時くらいあるさ。だから、おまえも気にしないで……また明日からがんばればいいさ」
「……うん……ごめんなさい……」
「……じゃあ、保健室行こうか」
「うん……」
「歩けるか?」
「………………」
「ほら、おぶってやるから」
「……ごめんなさい……」
 そう言いつつ、かすかな微笑みを浮かべてひかりは隆の背中に抱きついた。


「……わかりました。……どうして、もっと早く言ってくれなかったのかしら」
「すみません……」
「ごめんなさい……」
 保健室。ひかりはベッドの上に。隆と、養護教諭の野澤先生とがその脇の椅子に腰掛けていた。
「具合が悪くなったら、できるだけ早く来なさいね。……本当に、担任の先生には言わなくていいの?」
「はい……できるなら……」
「……そう……まあ、しばらく様子を見ましょう。ただ、あまり続くようなら、ちょっと考えないといけないけど……」
「わかりました……」
「それじゃ先生、俺はいったん部活に戻ります。1時間もしたら迎えに来ますから、それまでお願いできますか?」
「わかったわ。ひかりさん、ゆっくり休んでなさい」
「はい……」
「じゃあ、ひかり……またな」
「うん……」


 野球部が練習を続けている校庭に、戻る。
「あ……先輩っ!! どこ行ってたんですか、今まで……?」
「たかちゃん……もしかして……?」
 心配げに駆け寄ってくる百合と美典。
「……ああ。……妹が、バレー部の部活中に倒れて……その様子を見にな」
「ええっ!? 倒れて……って……大丈夫なんですかっ!?」
「ああ……まあ、よくあることだし……今は、保健室で寝てるから」
「そ、そうなんですか……」
「ああ。さ、練習再開しよう。勝手に抜けて悪かった」
「そんなことないです……優しいんですね、先輩」
「……当たり前のことしてるだけだよ。……さあ、始めるぞ!!」

 ピッチャーズマウンドへ向かう。その後ろを、美典がついてくる。
「……たかちゃん……」
「どうした……?」
「ひかりちゃん……間に合ったの?」
 ……さすが、小学生の頃からひかりを見ているだけある。何があったか、完璧に察してしまっているようだ。
「………………」
 黙って首を振る。
「着替えて……戻りづらいだろうから、保健室にさ……」
「そう……」
 ………しばらく、言葉が途切れる。

「どうして、ひかりちゃんみたいないい子が、こんなに苦しまなきゃいけないのかな……」

「…………」
 沈黙。今まで何度もぶつけてきた、やり場のない問いだった。

「…………俺だって訊きたいよ、そんなこと……!!」
 やり場のない思いをぶつけるように、ホームベースに向かって振りかぶる。
「……りゃあっ!!」

  ビュンッ!!
 すさまじい剛速球が、ホームまでの十数メートルを駆け抜ける。
「わ、わああああっ!?」
 キャッチャーマスクをつけた学が、顔面近くにきたボールに慌ててグラブを出す。
(……しまった……)
  パシーン!!
「あっ……」
 グラブの縁で弾かれたボール。学と百合の目の前を通過し、バックネットに向かって転がっていく。
「す、すみません早坂先輩!」
 慌てて、学ぶがボールを取りに行く。
「いや……今のは俺の暴投だ。気にしないでいい……」

「今のが……先輩の全力投球……」
 百合は、目の前を切り裂いた白球の弾道を、まぶたの裏に焼きつかせていた。
 運動神経、導体視力には優れているはずの百合の目にも、一瞬にしか感じられなかった時間。その間に、ボールはベースの上を通過していた。
「……すごいな、先輩……」
 その言葉しか出てこなかった。

 ……フリー打撃の練習が続く。
 もっとも、隆の投球をバットに当てられるものは、そうはいなかった。
(……今年でちょうど、6年目か……)
 野球を始めてから、それだけになる。
 町内で休日にやっていた少年野球。
 始めたきっかけは、今では決して口には出せないものだった。


 休みの日くらい、ひかりのことを忘れていたかったから……。



 隆が小学校3年のとき。2つ下のひかりが、小学校に入学してからだった。
 毎日のように学校でおもらしをしていたひかり。そして、その度に後始末を手伝えと呼び出された。その頃は、本当に汚いという印象しかなかった。
 そして、顔を背けながらもひかりの世話を終え、自分の教室に帰ってくると、今度は「おもらしっ子の兄貴」とからかわれる。

 ひかりがおもらしをした日は、母親が迎えにきていた。
 大好きだった、優しい母さん。
 それが、ひかりのことばっかり気にするようになって……やがて、身体を壊して伏せりがちになってしまった。

 好きで、あいつの兄になったわけじゃないのに……。
 ひかりがいなければ、ずっと幸せだったのに……。
 そんな思いさえ、胸をよぎった。

 休みの日でも、心が休まることはなかった。何度も何度も、トイレに駆け込むひかり。弱った身体をおして、その面倒を見る母。
 そんな光景を見つづけるのは、苦痛以外の何ものでもなかった。

 だから……隆は家から逃げ出した。

 押し入るように少年野球チームに乱入し、普段の暗い気持ちを晴らすように全力で練習を続けた。いつしか、もともとのエース、4番を追い抜き、チームの中心になっていた。

 エースになって初めての試合。スタンドには、母がひかりを連れて見に来ていた。
 病身をおして来てくれた母に捧げる力投。序盤に1点こそ失ったが、隆は5回から9連続奪三振を成し遂げ、最終回の7回裏に自らの逆転ホームランで決着をつけた。

 ……右手を突き上げてダイヤモンドを一周する。
 この勇姿を一番見せてあげたい人の姿を探す。
 きっと満面の笑みで拍手を送ってくれているであろう、母親の姿を……。

 二塁を、三塁を回る。
 自陣のスタンドはもちろん、外野側、バックネット裏、相手側のスタンドにまで視線を巡らせた。

 ……求める母親の姿は、どこにもなかった。


 結局、自宅に帰るまで母に会うことはできなかった。
 帰って最初に聞いた言葉は、「ごめんなさい」。
 試合の後半ごろから、ひかりがおなかの具合を悪くして、ずっとトイレに付き添っていたのだという。あまりにもつらそうだったので、試合が終わる前にひかりを連れて家に帰ったと。
 母は何度も謝ってくれた。活躍を見られなくてごめんなさいと。
 でも……そんな言葉は聞きたくなかった。

 今度からは、ひかりを連れて来ないでほしい……。
 そう、言い放った。

 その時以来、母が試合を見に来ることはなかった。
 隆はそれでも、一人で投げつづけた。
 目の前の現実から……。苦しみ続けるひかりから、身体をすり減らしていく母親から、目をそらすように。

 やがて、隆は市の大会で優勝を勝ち取った。
 記念のメダルは、家で待つひかりに見せる前に、入院していた母に届けた。
 それから間もなく、地区一の強豪校、私立高峰中学のスポーツ特待生として、名将と知られる同校の監督にスカウトされた。
 家からは電車で20分離れた場所。野球部員にだけ認められた寮生活。
 そこに入れば、毎日一度もひかりと顔を合わせずに済む。
 ……二つ返事で、隆はその話を受け入れた。


 小6の冬、年が明けてから行われた、少年野球の6年生引退試合。

 病院で絶対安静のはずの母が、看護婦を伴って見に来ていた。
 当時のレギュラーほとんどを敵に回しての紅白戦。隆の活躍は、最終回に打ったレフト前へのヒットだけ。それも、二塁走者がホームタッチアウト。あの時見てもらえるはずだった、逆転サヨナラホームランとは比べ物にならない無様な姿だった。
 でも……くやし涙を浮かべた隆に母がかけた言葉は、あの時聞きたかった言葉そのものだった。
「よく、がんばったね……」
 かすれた声。その声で、母はもう一言だけ言葉を続けた。

「隆……ひかりを、生きさせてあげて……」

 生という言葉。それは……母自らの死が近いことを。そして、支える者なしでは、ひかりは生きていけないということを暗示していた。


 その言葉がなかったら、今この学校、このマウンドに立っていることはないだろう。
 高峰中からの誘いを蹴り、弱小中の弱小と知られていた桜ヶ丘に来ることなど……。

 ひかりに何かあったらすぐ駆けつけられるように、自分の家から、そしてひかりの通う桜ヶ丘小学校から一番近いこの学校を選んだのは、すべてあの時の言葉がきっかけだった。


 ……ひかりの存在が苦でなくなっても、野球をやめる気は起こらなかった。
 始めた動機がどうであれ、たくさんの時間を過ごし、多くの仲間を作った野球を捨てることは、純粋な隆にはできなかった。
 もう一度……天国から見守る母と、スタンドに来てくれるひかりに、あの時以上の勇姿を見せるために。逆境を楽しむように、9人のスタメンすら揃わない桜ヶ丘野球部を、大会で試合ができるまでに育て上げた。
 そのためには、勉強も遊びも目に入らなかった。ただ、調子がいい時のひかりの輝くような笑顔だけを心の支えに……。

「ラスト1球!!」
「はいっ!!」

 ……バシッ!!

 ど真ん中ストレート。
 球速を測ってこそいないが、140km近くまで行っていただろう。学からの返球がしばらく帰ってこない。中学生野球部員の平均は110km、桜ヶ丘では隆以外では100キロ台が最高だから、まさに中学生離れという言葉どおりである。

「おつかれさまでしたっ!」
「はい、たかちゃんお水……」
「サンキュ……」
 美典が差し出した水を飲み干し、百合が差し出したタオルで汗を拭う。
 もう夏本番。中学生最後の大会も間近だ。
(最初で最後のチャンス……か)
 去年、おととしはひかりが体調を崩して、初戦を見に来ることができなかった。そして桜ヶ丘野球部も、その初戦で敗れた。いくら隆が剛速球を連発しようとも、エラーと三振が二桁ではどうしようもなかった。
(今年こそ……)
 去年負けて以来、隆自らがキャプテンとして指揮をとり、チーム練習に力を注いできた。学のリードも、相手チームの打率を何分か下げるくらいの効き目はあるだろう。
(今年こそ、ひかりと母さんに勝利を捧げるんだ……)
 その思いは、隆の心の中でどんどん強くなっていた。
「先輩?」
「……ああ、どうした、澄沢?」
「あ……その、よろしければ久しぶりに、一緒に帰りませんか……?」
 中間試験で休みになるまでは、百合か美典のどちらかと一緒に帰っていた。部活がまだ始まってないひかりとは帰る時間が合わなかったし、誘われたら断る理由がなかったからだ。
 ただ……今日は。
「悪い……今日は妹を連れて帰るよ」
「あ……そ、そうですよね。ごめんなさい……」
「謝ることないって」
「い、いえ……それじゃ、失礼します」
「ああ。気をつけて」

「たかちゃん……私も、一緒に行こうか?」
「……いや、俺一人でいいよ」
「でも……」
「いいから」
 半ば強引に、美典を追い払う形になってしまった。

 美典も百合も、決して嫌いじゃない。それどころか、ここまで自分に付き合おうとしてくれるのは嬉しくさえある。
 女の子としても、白宮純子と比べることができるほどに魅力的だ。彼女ほどの完璧さはないが、美典のふくよかな包容力、百合のひたむきな献身を嫌がる男はいないだろう。
 隆にとっては、二人が気になるのはそれだけではない。
 特殊な性的魅力を感じさせる場面……我慢、排泄の場面をを目の当たりにしてしまっているからだ。
 最近では、このまえの水泳の授業の時の百合。突然プールサイドに上がり、おなかを押さえて苦しげにトイレに駆け込む姿は、どう見ても便意をこらえているそれだった。その後で気付かなかったふりをするのに、どれほど苦心したことだろう。
 美典に至っては幼なじみということもあって、小学校の頃も含めればそういう場面には事欠かない。春休みに隆の家に来た時にも、鍵を閉めないでトイレに入ってたものだから、大きい方をしている真っ最中の姿が目の前に……。
 そんな数々の姿が、頭から決して離れてはくれなかった。

 ただ……それでも今は、ひかりのことが一番大切だ。

 世界にたった一人の血を分けた妹であり、母親から託された大切な存在であり……。
 そして、心から守ってやりたいと思う大切な女の子なのだ。


 夏の長い日は、6時間目のチャイムが鳴ってから数時間を経ても、まだ西の山際にその姿を赤く輝かせていた。
 一人、保健室の前に立つ。
「ひかり……起きてるか?」
 ガラっと保健室の扉を開け、中に入る。
「え……きゃあっ!?」
「え……?」
 ひかりが上げた悲鳴に、おもわず横たわっていたはずのベッドに視線を送る。
 ……着替えの真っ最中。
 上半身をセーラー服に着替え、ブルマを脱ぎ去って、今まさにスカートを履こうとした……要は、下半身には白いショーツだけの状態……。
「み、みちゃだめっ!!」
「ご、ごめんっ……」
 ひかりが声をあげる前に、後ろを向く。

「……もう、いいよ……」
「……悪い、今度はちゃんとノックするから」
「……うん……わたしこそ、ごめんなさい……大声上げちゃって……」
「まあ、それが自然だろ。女の子なんだからな」
「……ううん……お兄ちゃんだったら、そんなに恥ずかしくないはずなのに……つい……ごめんなさい……」
(恥ずかしくない……か)
 確かに、もっと恥ずかしい場面を、何度も目にしてはいるから……。
「それより……あれから、具合はどうだ? もう大丈夫か?」
「あ……あれから2回、おトイレに……」
 恥ずかしげにそうつぶやく。その際トイレの中でどんな光景が繰り広げられたか、その表情だけでもわかるというものだ。
「そっか……今は?」
「たぶん……大丈夫だと思う」
「よし……じゃあ、帰るか。荷物は?」
「あ……白宮先輩が持ってきてくれたから……」
「そっか……お礼はちゃんと言ったか?」
「うん。……でも、まだ足りないかも……」
「おまえがちゃんと言ったと思ってるなら、大丈夫だよ」
 純子も、ひかりのことを礼儀正しい子だと言っていた。
「それより、また具合が悪くなったら白宮さんに言うんだぞ。事情はわかってくれてるから」
「うん……ありがとう、頼んでくれて……」
「感謝は俺じゃなくて白宮さんに、だろ」
「うん……」
 それにしても、ここまでしてくれるとは思わなかった。これからも、ひかりの強い味方になってくれることだろう。
 そして、ひかりのことを通して……ダシに使ってしまったようで申し訳ないが、純子との間にあった遠慮の壁が、少し薄くなったような気がする。

 そう考えると、今日のこの結末も、決して悪いものではなかったのかもしれない。


「それじゃ、帰るぞ」
「うん……」

 制服姿の二人が、夕暮れの校舎を後にする。
 隆は、視線を下げて、横を歩く妹の姿を見た。
 小さな身体だった。身体測定の結果によると、身長は30cm以上、体重は倍以上も差があるらしい。並ぶと頭一つ以上の身長差がある。見た目だけでも弱々しい姿だ。

 小学校の頃、あれほど見たくなかったこの姿が大切に思えるようになったのは、母が言い残した言葉のおかげだった。

 ――ひかりのことで、隆が嫌な思いをしているの、私はよくわかってる。
 ――家にいても学校にいても気が休まらないんだって、ずっとわかってた。
 ――それはあなたのせいじゃない。隆は悪くないんだから、自分を責めることはしないで。

 ――でも、それと同じように……。
 ――ひかりの身体が弱いのも、ひかりのせいじゃないの。
 ――おもらししたときでも、どんなに泣いてても「ごめんなさい」って謝るでしょう?
 ――迷惑をかけたくないって、あの子は誰よりも強く思ってるの。
 ――誰かが悪いんだとしたら、それは、丈夫な身体に産んであげられなかった私のせい。

 ――あの子は、今の身体じゃ、誰かの助けがないと生きていけない……。
 ――本当は、私がずっとひかりを助けてあげないといけないんだけど……。
 ――情けない母親で、ごめんなさいね……。

 ――隆もひかりも、私の大切な子供なの。
 ――いつも一生懸命にがんばって、私のことを思ってくれる隆は、もちろん大好きよ。
 ――でも……ひかりも、何もできないけど、すこしでも迷惑をかけないように、助けてもらったことに報いられるように、一生懸命がんばってるの。

 ――私がいなくなったら……ひかりが頼れるのはあなただけ。
 ――あなたがいなかったら、ひかりは生きていくこともできないと思うの。
 ――私の大切なひかりを任せられるのは、同じくらい大切なあなただけ。
 ――わがままだってわかってる。母さんの、最初で最後のわがままを、一度だけ聞いてほしいの。

 ――ひかりのことを……お願い。
 ――ひとりだけじゃ生きられない、それでもがんばっているひかりを、あなたが支えてあげて……。
 ――ひかりを、生きさせてあげて……。
 ――隆とひかりが幸せに生きることだけが、私の願いだから……



 ……その日、母さんは家に戻ってきて、夕食を作ってくれた。
 自分はもう、点滴以外で栄養を取ることができなくなっていたというのに……。

 朝から相当に下していたはずのひかりも、食卓に出された半人前程度の食事を、涙をこらえながら食べ続けた。
 途中、何度もおなかをさすりながら。苦しげなため息をもらしながら。母が、つらかったらいいのよと声をかける。それでも首を振って、母の料理を食べ続けるひかり。

 その姿から、もう目をそらさなかった。

 ひかりが、最後まで取っておいた、数少ない好物だった卵焼きを食べきる。
 ……それが限界だった。おなかの痛みに耐え切れず、トイレに駆け込んでいく。
 よくがんばったね、と……母が、昼間自分にかけたものと同じ言葉をつぶやいた。

 その瞬間…………こらえていた涙が、どっと溢れた。


 小学校の卒業式。
 卒業証書を受け取った後、保健室に行った。
 式の途中でトイレに駆け込み、ベッドで休んでいたひかりを引き取り、おぶって病院まで連れていった。
 母の病室。その枕もとに卒業証書と桜ヶ丘中への進学証明書を置き、自分の前にひかりを座らせた。
 ひかりに母の手を取らせ、その上から自分の手を重ねる。

 やつれきった母が笑顔で、自分とひかりの顔を交互に見て……そのまま目を閉じた。


 あの言葉……最初で最後のわがままが、遺言というものだったことを、その時に知った。

 以来、ひかりと二人きりの生活。
 父は、葬式にさえ帰ってこなかった。その数日後に、「仕事の都合がつかなかった」と言って戻ってきて、墓前に花だけ供えて帰っていった。
 今も外国で仕事に飛び回っているらしい。幸い、二人が生活するに足りる金だけは送ってくれる。それが一番いいのかもしれない。あんな態度では、ひかりの面倒を見ることなどできやしないだろうから。母が恨み言一つ言っていなかったことが信じられないほどだ。


「ひかり……先生たちに、事情を話してもいいんだぞ」
 隆は、まだおなかをさすりながら歩く妹の姿を見ながら、そう切り出した。

 小学校時代のひかりは、担任の先生の理解もあって、どの授業でも、おなかの具合が悪くなったら断らずにトイレに行っていいという許可を得ていた。
 また、クラスのみんなもその身体のことを知っていて、決してそのことでからかったりしないようにとの不文律があった。もっとも、何人かは水面下で心無い言葉を浴びせていたようなのだが……。
 良く言えば、理解ある扱いなのかもしれない。でも、そのためにひかりは誰かと特別に仲良くなることもできず、いわばみそっかすの状態のまま、小学校を卒業した。

「ううん……もうちょっとだけ……もうちょっとだけ、がんばってみる……」
 この答えが返ってくるのは、わかっていた。

 クラスでも、何人か仲のいい友達ができているらしい。そして部活でも。純子は気遣いこそすれ、みそっかす扱いはしないだろう。
 そんな毎日を送るひかり。おもらしの可能性と背中合わせでも、現にこうしてその悲劇を味わってさえ……ひかりは小学校時代とは似つかない、楽しげな表情を浮かべていた。
 あの頃は、いつも心を押し殺した無表情だった。それが、うっすらとでも、頬を赤らめたこんなまぶしい微笑みを……。

「そっか……がんばれよ」
「うん……がんばるね……」
 かすかな、それでも力強く聞こえる声。
 ……と同時に、別の音が同じ方向から聞こえてきた。

  ギュルルルルルルルル〜……
「あっ……」
「………………」
 顔をさらに赤くするひかりと、思わず押し黙る隆。
「あ、あの……い、今のはこれからもがんばるって意味で……その……そういうわけじゃ……っ」
 慌てて言い訳をするひかり。その顔には、さっきまでとは違う苦しみが混じっていた。
「……わかってるから。……家まで、もちそうか?」
「………………」
 即答できない。
「……仕方ないな。ほら」
 一歩ひかりの前に出て、背中に乗れと促す。

「え……だ、だめだよ……もし……もし間に合わなかったら……」
「それくらい我慢しろ。歩くより、こっちのが速いし、おまえも長く我慢できるだろ」
「……うん……ごめんなさい……」
 謝りながら、ひかりが隆の背中におぶさる。
 細身の身体はふくらみを感じさせはしないが、そのぬくもりだけは服越しに伝わってくる。
「……行くぞ、いいか?」
「うん……」
 できるだけひかりに負荷をかけないよう、早歩きで隆は家路を急いだ。


「お、お兄ちゃん……もうだめっ……」
  ギュルギュルギュルギュルッ……
 ひかりのおなかの音は、その我慢の限界を訴えていた。
「まってろ……鍵を開けるから……よし!」
 玄関のドアを開ける。それと同時に、脇でおなかとおしりを押さえていたひかりが家の中に駆け込む。

 パタパタパタ……ギィッ…バタン!! ガサガサ……
 ブビビビビビビビブジュブジュブジュッ!!

 あっという間の出来事だった。
 転ぶようにトイレに駆け込んだひかりが、必死に下着を下ろし、便器に下痢便を注ぎ込んだ。

 ブリブリブリビィィィィッ!! ジュブボボボボボッ!!
 ブビチビチビチビチビチッ!! ビビビビブビィィィィッ!!
 ジュルブリブジュジュジュッ!! ブリュルルルルビチチチッ!!
 ブビブビブビブビィィィィッ!! ブリュビチチチブビビビビビビッ!!

 ドア越しにさえはっきりと聞こえる、すさまじい排泄音。
 下着を下ろした……今は真っ白なおしりからほとばしる茶色い水流が、勝手に頭の中に思い浮かぶ。

「っ……」
 ひかりは大切な妹。
 彼女が幸せな毎日を送ることを願う気持ちには、ひとかけらの偽りもない。
 そのためなら、自分にできることはなんでもする。

 ただ……その妹に、ひかりの恥ずかしい姿に、あらぬ感情を抱いているのもまた、否定できない事実だった。
(俺は……このままでいいのか……?)
 問い掛ける。
 その相手は自分しかいない。
 先生、友人はもちろん、ひかり本人にすら相談することはできない。

 もし、天国の母に問い掛けることができたら……あの時の遺言と同じ言葉をかけてくれるだろうか……

 ――隆ととひかりが幸せに生きることだけが、私の願いだから……

 この気持ちを完全に消し去ることは、できないかもしれない。
 でも、ひかりに幸せな毎日を送らせることはきっとできる。

 目を背けることは簡単。以前そうしていたように。
 でも、それじゃだめだ。母との誓いを果たすためには……。

 ひかりと向きあって、その苦しみを癒してあげる兄でなくてはならない。
 たとえ別の感情を抱いても、ひかりの前では決してそれを見せないように……。

「…………はぁ……」
 ため息をつきながら、ひかりがトイレから出てくる。
「……大丈夫か?」
「あ……お兄ちゃん……」
 顔を上げるひかり。
「部屋で休んでろ。今、おかゆ作ってるから……持っていくよ」
「あ……ごめんなさい…………」
「……謝る必要はないだろ」
「あ…………ありがとう……お兄ちゃん……」

 血色の悪かった顔に、かすかな赤みと、穏やかな微笑みが戻った。

 そう……ひかりがこの笑顔を向けてくれる限り、何も迷うことはない。
 この笑顔こそ、どんな言葉よりも確かな、ひかりの幸せの証なのだから……。


あとがき

 第5話でーす。
 やりすぎました。ごめんなさい。母親の描写なんて泣きそうになりながら書いてました。
 そして、全然排泄シーンの見せ場がないです。これは本気でごめんなさい。なんとか最初と最後でごまかした感じです。

 今回は途中から、「排泄ネタでもまともな小説が書けるんだ」ということを示そうと頑張りました。
 絶対安静の母が、最後に作ってくれた手料理。おなかをこわしているひかりがそれを食べきって、我慢しきれずトイレに飛び込んだとして、誰がその姿を笑えるでしょうか。……そういうことです。
 あれがギャグに見えてしまったら本当に力量不足ですね。小説家失格です。謹んでこのHPをたたまなければなりません。

 とりあえず隆君に関することは一通り書ききったかなというところです。ひかりへの感情、野球への情熱、そして女の子の排泄に対する背徳的な興味。感情移入しやすいかどうかわかりませんが、温かく見守ってあげてくれると嬉しいです。

 ちなみに、今回まではだいぶ半一人称視点を心がけていたのですが、途中で本気で白宮さんとかに視点変更しようかなと思ってました。次回からはもっと視点が流動的になる可能性があります。まあ、おいしい場面を残さず描くためですのでご了承ください、ということで。

 さて、次回予告でございます。

 ひかりと本当の友情を育みつつある二人。
 天真爛漫、天衣無縫。学校一の超ちびっこ、クラスみんなのマスコット、遠野美奈穂。
 明朗快活、八方美人。ムード・トラブルどちらも作るNo.1ドタバタガール、香月幸華。
 彼女たちに襲いかかる、悲劇の腹痛。
 果たして、限界を越えた我慢の終着点は――!?

 つぼみたちの輝き Story.6「ホワイト・トライアングル」
 次回は今回の反動を兼ねて、3人の恥ずかしい排泄シーン満載。ぜひご覧下さい!
「いやぁーーーっ!!」
「見ないでっ!!」
「見ちゃダメーっ!!」


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