つぼみたちの輝き Story.18
「Battle: Outfield」
澄沢百合
13歳 桜ヶ丘中学校2年1組
身長:145cm 体重:35kg 3サイズ:75-49-73
淡倉 美典
14歳 桜ヶ丘中学校3年4組
身長:152cm 体重:47kg 3サイズ:83-53-85
香月叶絵
14歳 桜ヶ丘中学校3年2組
体型:身長:156cm 体重:45kg 3サイズ:79-51-82
「…………うぅぅぅっ……!!」
制服姿の少女が、乗り慣れないバスのつり革をつかんで立っていた。
時間は通勤通学時間の真っ最中。通勤の足としては使いにくい田舎のバス路線ではあるが、それでも朝のピーク時とあって席からあふれるほどの客が乗り込んでいた。
彼女の顔は何かをこらえるように真っ赤である。……とはいえ、不届き者に胸やおしり――彼女のそれはふくらみややわらかさといった感触からは程遠いものであるが――を触られているわけではない。彼女の苦しみは外的要因によるものではなく内的要因によるものだった。
キュルキュルキュルッ………
(だめ……だめ、おなかがもう……)
下痢。
医学的な定義は単に糞便中の水分の増加を意味するだけだが、それは必然的に腸の活動不順による激しい腹痛と、摩擦を失って直腸に押し寄せる水便による激しい便意と、体内の水分を残さず排泄しようとするための排泄回数の激増をもたらす。
それは一歩間違えば、女の子としては致命的な失態である大便のおもらしという事態をいつでも引き起こしかねない、という危険極まりない状態であった。そのようなおなかの状態で満員のバスに乗り込んでいるというのは、自殺行為に近い。事実、彼女はこうして猛烈な便意をもよおし、みじめな格好で必死に我慢して……いや、我慢しきれなくなってしまっていた。
ジュルブチュビチュッ!!
「んっ…………」
おしりに広がった熱い感覚。それは紛れもなく、下りきったおなかの中身が肛門の締め付けをはねのけて下着の中にあふれ出した感覚だった。その非常事態に彼女が驚かなかったのは、すでに同じ感覚で下着の中が満たされていたからだった……。
(だめ……止まらないっ…………)
ビュル……ブピュルッ……ピブッ……
力が入らなくなりつつあるとはいえ、おしりの穴を彼女は健気にもまだ閉じようとしている。そこから一度あたりにもれ出してくる量は決して多くない。しかしすでに彼女は、10分近くもの間緩慢なおもらしを続けているのだった。
だが、彼女の表情からただならぬ状態を察することはできても、彼女のおもらしを看破できる人間はバスの中にはいなかった。本来これだけの量をおもらししてしまえば、下着で吸収しきれなくなった液状便が床にこぼれ、さらに強烈なにおいを発してその存在を声高に主張するはずである。しかし現実には、大量のおもらしをなお続けている百合の足下はおろか、そのふとももにさえ液便の跡は残っていなかった。
――秘密は、下着の中にある。
(……瑞奈ちゃん……ごめん…………)
野球部の合宿で食中毒を起こし、自ら最も激しい下痢に苦しみ、憧れの先輩に野外排泄の痕跡を見られるという人生最大の恥辱を味わった澄沢百合は、ただ翌日の試合でマネージャーとしての責務を果たすことで、とても許されるとは思えない失敗の罪滅ぼしをしようとした。
しかし、そんな悲壮感を小さな胸に秘めて試合の行われる市営野球場に向かおうとする百合を、下痢の苦しみは解放してくれなかった。本数の多くないバスを待っているうちにもよおしてしまった彼女は、その道のりの中途、20分ほどのバスの旅のちょうど半分ほどのところで、内側に液状便の渦巻く排泄口を開放してしまったのである。
だが、昨日一昨日と自分でも信じられないようなひどい下痢を経験した百合は、当然このような事態に対する備えを怠っていなかった。次なる失態はもう許されないのだから。
その備え……それは、生理用のナプキンを下着の中でおしりの穴に当て、もれ出してくる液状便を全て吸収してしまおうというものであった。
これは彼女の親友である紀野里瑞奈の経験に基づいていた。
瑞奈は月経の期間中とその前後、著しくおなかの調子が悪化してしまうという体質を抱えていた。月経痛や出血もひどく、とても下痢便の我慢に集中できる状態ではない。それゆえ、生理出血を吸収するためにショーツの中に重ねたナプキンは、交換する時には大量の経血と、少なからぬ量の液状便で汚れている、というのが日常茶飯事だった。
百合は、その役目を逆転させ、ナプキンを積極的におむつ代わりとして活用しようとしたのである。おむつそのものをつけるのが最善だったかもしれないが、彼女の女の子としてのプライドがそれを許さなかった。もっとも、役割を逆転させるとは言っても、百合本人はまだお赤飯を炊いてもらっていない身なので、使う機会のない生理用品を持っていなかったし、買った経験もなかった。それゆえ瑞奈が使っているナプキンを数枚譲ってもらったのである。新たな生命に直結する神聖なものとも言える生理用品を、汚さ極まる下痢便の処理に使うことにはもちろん倫理的抵抗はあったが、なにしろ下痢が止まらない非常事態である。出血の多い瑞奈が使っているものであるから、その吸収力に心配はない。もちろん規格品である以上限界はあるのだが――。
プチュルルルルッ!!
「くっ……んっ…………」
おもらしは続く。
だが、完全に液状化した大便は、百合のおしりの穴から出た瞬間にナプキンに染み込み、その醜い姿とおぞましいにおいを吸収体繊維の中に封じ込められていた。
あまりの下痢のひどさが、今この時は百合を救ってくれていたのである。
『次は、総合運動場前、総合運動場前――』
バスのアナウンスが流れる。
「ん……っ…………」
ピュルッ!! プチュプチュプチュ………
震える手で降車ボタンを押した百合だったが、バスが止まるまでの一分足らずの時間にも、彼女はすでに液状便を一杯に吸収したナプキンの上にさらにおもらしを続けてしまっていた。
「はぁ、はぁ……はぁっ…………」
足をもつれさせながらバスから降りた百合。さまよう視線が求めるのは、彼女のおしりを覆うナプキンにたっぷりと吐き出され、まだなお十分な量を腸内に残している液状便を誰にもはばからず解放できる場所……トイレだった。
だが、不運にもトイレの在り処は遠い。公園としての役目を兼ねている市営運動場の敷地には複数の公衆トイレがあるが、このバス停に一番近い入口のそばにはトイレがないのだった。最も近いのは野球場の中のトイレであるが、まだ客席は空いておらず、ベンチ裏などのものを使うには選手達と合流して受付を済ませねばならない。たっぷりと液状便をもらしたまま隆の前に出るなど、彼女にはとてもできることではなかった。
ピュッ!! ビュルルッ!! ブジュッ!!
「あぁ……ぁっ…………」
そう思案している間にも容赦なく液状便はもれ出してしまう。
今まではかろうじておしりの穴が完全に開くのを抑えてきたが、もうその我慢すらも長くはもちそうになかった。直腸に押し寄せる汚物を全て吐き出してしまったら、「多い日も安心」とうたわれるナプキンとてひとたまりもないだろう。
どこでもいい、せめて誰にも見られずに……。
「トイレ」という絶対条件を無意識のうちに努力目標に置き換えた彼女の視線に飛び込んできたのは、真夏の朝日に照らされたまぶしいばかりの緑。ランニングコースの脇に植えられた生垣は、コースの区切りの役目を果たすと同時に、その向こう側を隠す絶好の遮蔽物となってくれるのである。背の低い百合が生垣の向こうにしゃがみ込めば、その姿は付近を通る人からは完全に見えなくなる。
ギュルギュルギュルルルルルッ!!
少しもおさまらないおなかの痛みと激しい蠕動音が、彼女を一刻も早い排泄へと駆り立てる。そして今、彼女の視線はしっかりと、誰にも見られずに排泄ができる空間をとらえていた。
(で、でも……)
野糞。
その言葉が持つ恥ずかしさと罪悪感が、彼女の足をその場に張りつかせていた。とはいえ、本来彼女はその行為を恥ずかしいと思える立場にない。
野糞、おもらし、おむつ、おまる……年頃の女の子なら絶対に行わないような排泄形態を彼女はここ2日間ですべて経験し、なおかつそれらの全てを他人の目の前で行ってしまったのだから。
ジュビビビビッ!! ブビュルルルルルルッ!!!
「あぅ……っ!!」
何十回目かわからない小刻みなおもらし。しかし、もらした水気がナプキンの向こうの湿り気へと変化するまでの時間は着実に長くなっていた。ナプキンの吸収量が限界に近くなっているのだ。
非常事態からの緊急避難――。
その理由付け、あるいは正確に言えば自分への言い訳が、彼女の身体を震える彫像から短距離走の選手へと変貌させた。
もっとも、その駆ける姿は美しいストライド走法ではなく、片手でおしりの穴を必死に押さえた情けない前かがみの姿であった。下痢を我慢しきれず茂みに駆け込む、というみじめな目的にふさわしい格好ではあったかもしれないが……。
「うぅぅっ……」
中腰になって手をスカートの中に差し込む。紺色の制服のスカートの中から膝まで下ろされた真っ白なショーツ、その外側は生地そのままの色を保っていた。しかしその内側に挟んだナプキンがどんな色に染まっているかは、その物体の感触をずっと感じつづけた百合には見るまでもなくわかっていたため、確認する必要もなかった。もっとも、それ以上に彼女には確認するだけの余裕がなく、そのままスカートをおなかの前に寄せ、おしりをむきだしにしてしゃがみ込んでいた。
かき分けて入った茂みを横に、その外側の人影をうかがいながら、絶望的な戦いを続けてきたおしりの穴を開放する……。
「んっ、んぅ…………ふぅっ!!」
ジュルビィィィィィィィィィィーーーーーーッ!!
ブジュブブブブビチャビチャビチャッ!!
ビジュブジュビュルビブビチャァァァァァァーーーーッ!!
堰を切ったような排泄。
この言葉が事実ではなく純粋な比喩として使われる機会もそうそうあるものではない。
我慢に我慢を重ねての排泄、という場合なら事実今まで決壊を防いできた堰を切ったことになり、すでに相当量の液状便をおもらしという形で逐次放出している場合、通常ならそれほどの勢いになることはない。
それがこの百合の排泄においては、おもらしという防壁の部分崩壊の後でなお、激しさの程度を表すための比喩としてこの表現を必要とするのである。
「くっ…………んん…………」
ブジュビュルッ!! ビジュジュジュッ!!
ブピビリュリュリュリュッ!! ブジュビビビビッ!!
ビジュブブブブブブッ!! ブビッ! ビッビチビチビチビチッ!!
彼女のおしりの下に黄土色の液便溜まりが作り上げられる。下痢便の奔流の他に、おしりの穴で弾ける飛沫がその黄土色の水面に降り注ぎ、いくつもの波紋を生み出していた。日当たりの悪い地面は水はけが悪い上にもともと水分を大量に含み、百合が出した液状の汚物をわずかにも吸収してくれない。しかも、2日間続いた下痢で腸の中がからっぽになっていても不思議ではないのに、百合の排泄物ははっきりそれとわかる色とにおいを保ちつづけているのである。
ボトッ!!
「……っ!?」
固形物が地面に落ちる音が突然響いた。もちろん、排泄物の音ではない。百合のおしりから排泄されるものに、形状という文字はわずかたりとも存在していないからだ。
その音の原因となったのは、たっぷりとその液状の排泄物を吸収したナプキンだった。ショーツに粘着テープで張り付いていたそれは、吸収した水分の重さによって膝元から地面へと自然に落下したのである。
「おもらしの面」から地面に落下したナプキンは、落下の勢いでくるりと向きを変え、その面を上にして地面に横たわった。内側の繊維に染み込んだ黄土色は吸収したものの量の多さを示し、表面に土や砂がほとんどつかないのは、排泄物がわずかな粘性も含んでいないと言うことの表れである。地面に転がったナプキンは、今なお最悪を極めている百合のおなかの具合を雄弁に表現していたのである。
(は、早く、はやくしないと…………)
狂おしい便意が猛烈な排便の開始によってわずかに弱まると、野糞をしているという恥ずかしさが精神を満たすようになる。さらに追い討ちをかけるのが地面から立ち上る刺激臭と転がったナプキン。一刻も早く排泄を終わらせ、この場を離れないと……。
百合はその思いを意思の力に変え、痛むおなかに力を込めた。
「く、っ…………ん、んぅっ!!」
ビジュジュジュジュジュブリッ!!
ブチュベチャビジュジュジュブジュブッブジュジュジュッ!!
ピブブブブッ!! ビビブリリリッ!! ビジャブピピピピピピッ!!
ジュルブリビュビビビビビッ!! ビジュッ!! ブビュルルルルルルルルルッ!!
「うぅ……………」
百合がようやく排泄を終えたときには、足下に広がる液便溜まりの半径が倍に膨れ上がっていた。すなわち面積にすれば4倍である。
野糞を終えた後の少女の気持ち……それがどれだけ惨めなものであるかは語ろうにも語りきれない。ただ、2日前の野糞の時と違うのは、今日の百合はこのような事態に対する備えを十分すぎるほどにしてきていることであった。鞄の中からティッシュ、ウェットティッシュ、替えのナプキン、ショーツを取り出し、迅速に後始末を終える。
おもらしの前と変わらない制服の下にショーツとナプキンを身に付け直した百合は、下痢便の海と色付いたナプキンに新聞紙をかぶせて隠すことができた。下半身をむき出しでバケツを運んだ苦しさと恥ずかしさに比べればどれほど楽だろうか。……もちろん、あくまで比較論ではあるが。
(大丈夫、試合中なら、淡倉先輩もいるし……おトイレにだってすぐ行けるし……)
自分だけが知っている、自らの恥ずかしい排泄の跡を振り返りながら、百合は思う。
余計なことは考えない。ただ、今日の試合で普段以上の働きをすることだけを。
やがて百合は踵を返した。
振り向いた先には、百合の……そして隆たちの戦いの舞台である球場がある。
『プレーボール!!』
球審の声が響いた。
キャッチャーマスクの向こうの目を見据えて、そのサインに首を縦に振る。
大きく振りかぶった直立姿勢から、蹴り上げるように右足を上げる。同時に左足を軸にして、白球を持った左手を後ろに伸ばす。
一瞬の静止。
右足を前方へ大きく振り下ろす。左足にかけていた全体重が右足にかかり、身体全体が前向きの運動量を得る。
ぐっと右足を踏みしめ、上体の前のめりを止める。しなやかな身体が蓄えていた運動量は、その数十分の一の質量を持つ左手の回転に注ぎ込まれる。
前向きの並進運動。回転による遠心力。振りぬく腕の先、ボールを握る指先から、その力の全てが解放される――。
ドォンッ!!
打者が見失うほどの速球が、ど真ん中に構えたミットに収まる。
その音が響いてから一秒の時を空けて、審判の宣告が響いた。
『ストライーク!!』
「……よし!!」
マウンド上、桜ヶ丘中の背番号1が気合の声を上げる。
早坂隆。
妹への思い。母への思い。
いくつもの思いを背負った少年の最後の戦いが……今、幕を開けた。
「3奪三振、走者はエラーで1塁のみ……か」
「ま、無難な立ち上がり言うとこやな」
両校生徒の保護者程度しか観客のいない客席、そのネット裏に3人の男子中学生の姿があった。白のYシャツに灰色のズボン。冬場には同じ灰色の学ランをまとうが、男子がその色の制服を持つ中学校はけやき野市付近には一つしかなかった。
私立高峰中学校。
桜ヶ丘中と同じく終業式が行われている時間に、その出席を免除されてこの試合を見学に来ているのは、同校野球部のエース、4番、そして正捕手であった。
「穂村先輩、渡井先輩、なぜ自分たちがわざわざ桜ヶ丘などを偵察しなければならないのですか? せっかく終業式を免除されたのですがら、その分を練習に当てた方が……」
背筋を伸ばして、やや不機嫌そうな声で言い放ったのは、正捕手の不破慎一。まだ2年生で打順も6番だが、反射神経と肩の強さは超一流で、昨年秋の新人戦では盗塁阻止率100%を誇った逸材である。リード面もまだまだ勉強中ではあるが、頭脳派のエースに引っ張られる形でめきめきと成長しつつある。
「うん……不破君の気持ちはわかるけど……桜ヶ丘はね、今年ぼくたちの一番の強敵になると思うんだ」
口調に相応しい優しげな声の主は、背番号1を昨年から背負うエースの穂村雄一。右下手投げの技巧派として、バックの堅守を存分に活かして凡打の山を築く、全国でも屈指の好投手である。打っても3番打者として、単打狙い、長打狙い、進塁打など状況に応じた見事なバッティングをやってのける。
「ま、決勝まで出てきたかて、オレの一発でノックアウトやけどな」
関西弁で息巻く長身の生徒は、こちらは1年の時から高峰の4番を張る渡井昇。本塁打も狙えるフルスイングを第一の信条とするが、俊足を活かしたミートバッティングも一級品である。確実にして華麗なセンターの守備による貢献もあり、紛れもなく名門・高峰中野球部の大黒柱である。
「特に……」
雄一と昇の声が重なる。
その視線の先にいるのは、彼らのかつてのチームメイト。
桜ヶ丘野球部の攻守すべての要、4番ピッチャーの早坂隆であった。
「隆君を抑えないと、桜ヶ丘には勝てないと思う」
「オレらが勝つには、意地でもあいつを打ち崩さなあかん」
二人が投手、野手としての立場で、ライバルの実力を評価する。
「しかし、いくらあの人が優秀な選手でも、桜ヶ丘は例年1回戦負けのチームです。今日の北中に勝っても、準決勝……おそらく二中の敵ではないかと思いますが……」
桜ヶ丘中は1回戦からの参加、初戦でけやき野市立北中学校と戦っている。この一戦に勝てば、準々決勝の相手は1回戦シードの陽光台中学校、これは昨年桜ヶ丘中が創部初勝利を挙げた学校で、互角以上の勝負が出来ると思われる。
しかし……その先はまだ勝敗が出ていないが、おそらく準決勝で当たるのは第二中学校。生徒数こそ北中より少なく桜ヶ丘と同程度ではあるが、野球部の強さには定評がある。ここ数年の間、市大会の決勝戦は高峰対二中で行われているのだ。
「アホ、連中は絶対決勝まで来る」
「隆君が入ってから、去年も一昨年も……うちと途中で当たらなければ決勝まで来ていたはずだよ」
決勝まで来る、という言い方には言外に自分たちは絶対に決勝まで勝ち進んでいるという意味があるが、この3人のうち一人たりともそれに異を唱える者はいなかった。
「……しかし……」
不破が目をグラウンドに向ける。
その視線の先では、雄一と昇の確信を否定するかのような光景が展開されていた。
『セーフ!!』
「えぇっ!?」
桜ヶ丘のベンチから上がった悲鳴を打ち消すように、一塁塁審の手が横に開かれていた。その間に、北中の三塁走者がホームを駆け抜けている。
先取点は北中――。
隆の自責点ではない。先頭打者三振のあと、三塁ゴロをトンネル、ライトフライを落球と初歩的なエラーが続き一死一・三塁。そこで8番打者を内野ゴロ、これを遊撃から二塁、そして一塁に送る併殺を試みたが送球がそれ、一塁手の足がベースから離れて併殺崩れ。ノーヒットにして1点が入ったものである。
守備のミスからの失点。
(あぁっ……私のせいだ……)
なす術もなくベンチからその光景を見守っていた百合は、自責の念にとらわれていた。連携プレーと守備の練習を集中的にやるはずだった合宿2日目。その日を、彼女が作った料理によって発生した食中毒で台無しにしてしまったのである。
あの日、きちんと練習ができていれば――。
しかし、彼女には後悔にうちひしがれる余裕などなかった。彼女の目の前には、より重要な問題が待ち構えているのだから。
先ほどの一連の攻防、それを百合は、手元のスコアブックにまだ書き写し終えていなかった。多少複雑なプレーにはなったが、しかし併殺崩れで1点、というのはよくあるパターンでもある。桜ヶ丘の女子マネージャー二人は、美典が選手のコンディション調整、百合がスコアブックの記録などのデータ整理と役割分担がはっきりしているから、その専門作業である記録などに、本来なら手間取るはずはなかった。
その百合の手が震えて動かない。
(ど、どうしよう……また…………)
キュルッ、ゴロロロッ……グギュルルルルルルッ…………
彼女はまたも便意をもよおしてしまったのである。朝、バスの中でおもらしをして、ランニングコースの脇で野糞をしてしまってから、1時間も経っていない。百合が起こしてしまった食中毒事件は、他ならぬ彼女自身の身体に、猛烈な下痢という傷跡を深々と残しているのだった。
グルルルゴロロロロロッ!!
「あぁ……ぁぁっ…………」
一秒ごとに増しつづける圧力。まだ朝の下痢おもらしをした熱っぽさが消えないおしりの穴に、容赦なく大量の汚物が押し寄せてくる。もはやスコアをつけるのはおろか、この場でじっと我慢することすらできそうになかった。
「すっ、すみません、美典先輩!!」
「……どうしたの、百合ちゃん」
百合は裏返りそうになる声を必死にコントロールして、少し離れて飲み物の準備をしていた美典に声をかけた。いや、助けを求めた、と言った方が正しいだろうが。
「あ、あの……私、その、お、おトイレに行きたくて……その間、スコアつけといてもらえませんかっ……?」
百合が顔を赤くして小声でささやく。
通常の試合なら、攻守交替の間などに急いでトイレに行けば、女の子と言えど次の回が始まるまでに小用くらいは済ませられるものである。それをイニングの途中でトイレに行き、スコアの記録まで任せるということは、大便が我慢できなくなっていると言うのに等しい。ここ数日間の度重なる羞恥の後に、同じ女子である美典に言うだけで真っ赤になってしまうのだから、代わってもらう相手が男子だったら口に出すことすらできなかっただろう。
「……うん、いいけど…………」
「あ、ありがとうございます……すみません、失礼しますっ!!」
言うが早いか、百合はスコアブックと鉛筆を座席に置いてベンチ裏へと駆け出していた。
(だめっ……出ちゃだめっ…………)
繰り返し押し寄せる便意の波を、百合は必死に耐えつづけた。
全力疾走で足を前に出そうものなら、たちまちおしりの穴が緩み、水っぽさを限界まで高めた大便がもれ出してしまうことだろう。おなかをさすりながら、おしりを押さえつけながら、小走りでトイレを目指すしかなかった。目指すトイレは一塁側にあるとはいえ、通路の一番奥である。その距離が、今は果てしなく遠かった。
「く……うぅ…………」
グルルルルルゴロロロロロギュルギュルギュルッ!!
時おり足を止めて両手でおしりを押さえる。
外から圧力を加える、というのは便意の我慢には最も効果的な方法である。百合もかつて、この手段で何度もおもらしの危機を免れ――もちろん幾度かは健闘むなしく軟便を下着にあふれさせ――ていた。
そして今の百合は、その幾度かの機会に新たな一幕を加えようとしている。
その理由は、皮肉にもおもらし対策として着用したナプキンにあった。大量の水分を吸収するため、ナプキンの材質は柔らかい繊維質を分厚く重ねることで構成されている。それは必然的に、外から加わる力を受け止めるクッションの役割を果たしてしまう。
すなわち、おもらしを防ぐ最後の手段であるおしりを押さえる指先の力を、おもらしをしても大丈夫なようにと身に付けているナプキンが削いでしまうのである。それゆえ、両手でおしりを押さえてもまだ、百合の力では便意を押さえきれないのだった。
「はぁ、はぁ…………」
(もうだめ……もう我慢できないっ…………)
百合はトイレの入口のドアを目の前にしてしゃがみ込んでいた。ついに便意が限界に達してしまったのである。
もし目の前のドアが開きっぱなし、もしくは押すだけで開くのであれば、おしりを両手で押さえたまま個室の中までたどり着けたかもしれない。しかし、目の前のドアは回転式のノブによってきっちりと閉じられていた。プライバシーの観点からは評価できるこのドアも、今の百合にとっては迷惑この上ない障害物でしかなかった。
(…………やるしかない……)
ギュルルルルルゴロッ!!
おなかの痛みをこらえながら立ち上がる。
このままうずくまっていては、ただおもらしの瞬間を待つだけである。たとえおもらしという結果になろうともおしりから手を離し、このドアを開けて個室へ……。
ピュルルルッ!!
「ぁ………………」
百合の頭の中は一瞬、真っ白になった。
必死だった思考の流れを、おしりの穴が開いてしまった嫌な感覚で中断されてしまったのだから、頭が真っ白になるのは仕方がないことだった。物理的に起こっている事象はもちろん、仕方がないの一言で済まされるものではなかったが……。
プビュルッ!! ジュブビュッ!! ブジュビビッ!!
(やだ……出ちゃってるっ…………!!)
手を離すまでもなく、百合のおしりは便意の圧力に敗北していた。やはり、指先の力がナプキンに吸収されてしまい、開きかけの肛門に対して十分な圧力を加えることができなかったのである。
だが敗北しながらも絶望はしない。百合は湿った音をスカートの中で奏でながら、ドアノブを回してトイレの床の上へと踏み入れた。タイル張りではなく地面もコンクリートである。
市営野球場のトイレは、観客席のものも含めて男女共用である。観客席のものには女性が使用することも考えて汚物入れなどが設置されているのだが、ベンチ裏のトイレは、選手がみな男子であることから汚物入れなどの備えもなく、その様子は男子トイレそのものである。それでも、百合にはここで用を足すしか手段が残されていなかった。
プジュルルルルビュブッ!! ビブリュッ!!
ガチャ……
ブピピピピピピピッ!!
個室のドアを閉める一瞬さえも、おもらしの感覚は百合を解放してくれない。
便器をまたぐ……。
ピュルルルッ!!
スカートをたくし上げる……。
ブビッ!! ビジュジュッ!!
腰を下ろす……。
ブッ!! ジュブリュビィッ!!
「っう…………」
一つ一つの動作に対応するがごとく、おしりの穴から水便が噴き出し、ナプキンを少しずつ汚物の色に染め上げていく。
ズズ……
ピチャッ…………
「んっ……」
ショーツを脱ぎ下ろす瞬間、ほんのわずかな水音が聞こえた。半透明の茶色い雫が便器の水面に落ちる。
プチュトポトポッ………
「うぅっ……!!」
ブジュッ!!
ビィィィイィィイィィッ!!
ブジュジュジュジュジュッ!! ドポポポポポッ!!
ピブリュッ!! ジュブブリビビビビビビッ!!
勝手におしりの穴から液状便がもれ出す嫌な感覚を打ち消そうとおなかに力を入れた百合。
その願いは叶えられた――何も考えられなくなるほど壮絶な勢いの排泄という形で。
「ぁぁあぁぁっ………」
ブジュビブジュジュジュジュッ!!
ジュルビチビュルルルルルルルッ!!
ビチビチビチッ!! ブビュルッ!! ビジュブビビビビビッ!!
わずかに汚れた百合の肛門が空気に触れてから10秒も経たないうちに、便器の中はその穴から吐き出された汚物で黄土色に染め上げられていた。
食中毒菌に冒された腸が生み出した下痢便は、普段の数倍の水分を含み、普段の数倍直腸と肛門を刺激し、普段の数倍の勢いで便器へと叩きつけられていた。その噴射の絞り口となるおしりの穴は、赤熱した鉄の棒を突っ込まれたような壮絶な痛みと熱さを数秒間にわたって味わい続けることになるのだった。
「んうぅぅぅっ………んっ!!」
(いたい……くるしい……たすけてっ…………)
可愛らしい声で苦痛のうめきを上げ、心の中で助けを求める。
しかし、誰も助けてなどくれないのはわかっていた。なぜなら今百合が下痢で苦しんでいるのは、その原因からすべて彼女自身のせいなのだから。百合が味わっている苦しみは、彼女に与えられるべき当然の報いなのだ。
「くぅ……ぁぁぁっ!!」
グギュルルルルルルッ!!
ブビビビビッ!! ビチビチビチビチッ!!
ジュビブリュジュブブブブッ!! ジュバビュルルルルッ!!
ビシャブジュルルルルルッ!! ブピビチャビチャビチャァァァァッ!!!
とはいえ、自分のおもらしの証である黄土色に汚れたナプキンを膝元に下ろし、排泄したばかりの下痢便を便器の中に蓄え、そこから立ち上る激臭に耐え、引きちぎられそうなおなかの痛みに耐え、焼き切れそうな肛門の苦しみに耐えながら、悪臭と激痛の元を排泄し続けなければいけない、というのは、まだ13歳の女の子にとって、あまりにも過酷な試練であった……。
ブチュ……ピュルッ……ビュッ……
「……っはぁ……はぁ………っ」
なんとか、その試練を乗り越えた百合。未だ乾かない涙の跡が両頬に伝い、その苦しさを物語っている。
いや、何よりも彼女の苦しみを物語っているのは、便器の中になみなみとたたえられた、底が見えなくなるほど大量の液状便である。便器を一面汚物の色に染める、というのは決して少なからぬ量だが、百合の足下の汚物の海は、この便器を3回はその色に埋め尽くしてもおつりがくるものだろう。
いや、彼女はすでにおつりを受け取っていた。便器の中に溜まった液状便に、さらに汚物を叩きつけた衝撃で跳ねあがった下痢の滴を、スニーカーや靴下に少なからず浴びてしまっていたのである。もしこのまま人前に出ようものなら、その下痢排泄の光景がありありと想像できてしまう、それほどの排泄の痕跡だった。
だが……これでも彼女にとっては、ずいぶんとまともな排泄なのである。
なぜなら……食中毒による下痢を発症してから、百合は今初めてトイレで排泄することができたのだから。
合宿所脇の側溝での野外排泄に始まり、病院に向かう途中でもおもらしを繰り返した。病院に着いてからはトイレに行く途中でしゃがみ込んで出せる限りのものをおもらししてしまい、病室に伏せてからの排泄はすべておむつかおまるを用いてのものだった。今日も朝起きると同時におまるに座り込んだのである。そして来る途中でのおもらしと野糞。
13歳にもなって、中学生にもなって、こんな幼稚園児でもしないような粗相の繰り返しをしてしまうなど、羞恥心にあふれる百合の心には耐えられなかった。
だが、その羞恥心は彼女にとって決してマイナスではなかった。おむつにおもらしをするたび、おまるにまたがるたび、彼女の脳裏を覆い尽くす羞恥心が排泄の苦しみを意識の外に追いやっていてくれたのだから。これまでの排泄も今と同じかそれ以上の量を出していたのに、痛みや苦しみという点においては今の方が強いのも、それが原因だった。微量のおもらしがあるとはいえ、なまじトイレで「正当な」排泄をしている分、意識の大半を羞恥ではなく苦痛が満たしてしまうのである。
「んく…………はぁっ……」
だが、いつまでも苦痛にうめいているわけにはいかない。こうしている間にも試合は続いており、百合はマネージャーの仕事を一時放棄してトイレに駆け込んでいるのである。早く戻らなければ、仕事をすることで唯一の償いとする彼女の存在意義さえも失ってしまう。
まずおしりを拭き、汚れてしまった靴を拭く。靴下に飛び散った茶色い点はわずかだったが、そのまま履いておくわけにもいかず、脱いでスカートのポケットにしまった。そこにあらかじめ入っていた替えのナプキンを身に付けたまではいいが、問題は「使用済み」のナプキンの扱いである。
ほとんど男子しか使わないとされているこのベンチ裏トイレには、女性が生理用品を入れるのを主目的とする汚物入れがないのである。百合はそれを本来の目的で使ったことはないが、当然あると思っていたその容器がなかったことは間違いなく誤算だった。
「…………ごめんなさい…………」
結局、一番端にある掃除用具入れの床に置き捨てることにしてしまった。ゴミは持ち帰る――が筋ではあるが、自分の出した最悪の状態の排泄物が付着した物体を持ち歩く、ポケットに入れる、などということはとてもできなかった。百合は不本意ながらも、自分の失敗で生み出してしまった下痢便つきナプキンという有害廃棄物を、公共の場にポイ捨てすることを強いられてしまったのである。
(どうか、誰にも見つかりませんように……)
百合は、血色の悪い顔を赤く染めて、すさまじい排泄を行ったばかりの空間を小走りで後にした。
『2回裏、桜ヶ丘中学校の攻撃は……4番、ピッチャー、早坂君』
その声に、打席に向かっていた隆は一瞬足を止める。
(たかちゃん……がんばって)
結局、2回表の北中の攻撃はその次の打者で途切れていた。フルカウントまで粘ったものの、隆の速球の前にバットが空を切ったのである。
桜ヶ丘中学校の攻撃。
攻守交替の間にスコアをなんとかつけ終えた美典は、隆の打席を静かに見守っていた。
もちろん、スコアブックは一球ごとにつけ続けなければならない。
初球、外角に大きく外れるカーブ。ボール1。
2球目、外角高め一杯にストレート。1ストライク1ボール。
3球目、低めに外れるボールを空振り。2ストライク1ボール。
4球目……。
キィン!!
「あっ!!」
美典がスコアボードから目を離してボールの行方を追う。
高々と……上がりすぎていた。
4球目、高めの直球を打ってほぼ定位置のセンターフライ。1アウト。
……4番・早坂の初打席は凡退に終わった。ランナーが3塁にいれば犠牲フライになった当たりではあったが。
「……ドンマイ、たかちゃん」
「……ああ」
ベンチに戻ってきた隆は、そう言いつつも未練があるかのようにグラウンドを振り返る。
「どうしたの? 何か気になることでもあった?」
美典が問う。万が一、4番を張るエースが身体のどこかに違和感を覚えていたとしたら大問題である。幼なじみとしてのごく自然な問いかけであると同時に、マネージャーとしての責務でもあったのだ。
「いや、なんか誰かに呼ばれたような気がしたからさ」
「……もしかして、ひかりちゃんが来てるとか?」
「……いや、客席にはいなかったし……だいたい、ひかりの声じゃマウンドまで届かないだろ」
「そう……あんまり気にしない方がいいと思うよ」
「そうだな」
そう言って隆はフライを打ち上げたバットを置いた。
「……あれ、そういえば澄沢は?」
「えっ、百合ちゃん……あ……」
答えようとした美典の脳裏を、恥ずかしげにトイレに駆けていった百合の姿がよぎった。
「……どうした?」
「あ、な、なんでもないよ。すぐ戻ると思うし……」
ガチャ!
「すみません美典先輩、遅くなりましたっ…………えっ!?」
ベンチ裏のドアを開けて飛び込んできた百合は、ドアから一番近い位置でスコアをつけているであろう美典に声をかけようとした。彼女が驚きの声をあげたのは、美典がその場所にいなかったからではなく、美典と一緒に隆がその場所にいたからであった。
「あ、は、早坂先輩……!!」
それだけ言うと、百合の顔は驚きと羞恥を表現することしかできなくなってしまっていた。
だが皮肉にも、その赤く染まった顔こそが、百合がどこに行って何をしていたかを言葉以上に明確に説明しているのだった。
(澄沢……まだ調子が良くないのか……)
おそらく便意を我慢できなくなり、トイレに駆け込んだのだろう。食中毒の症状が一番ひどかったというのも知っているし、何より隆は前日に病室に見舞いに行って、ベッドの脇に置かれたおまるを目の当たりにしているのだから。この上なくおなかが弱いひかりでさえ稀にしか使わないおまるが手放せない状態であったとしたら、そのおなかの下り具合たるや想像を絶するものであるに違いない。
それを思うと百合がかわいそうでならない。だが、それと同時に、同情とは別の感情が身体に渦巻くのも確かなのだった。
「あ、あの、すみません、勝手に持ち場を離れてしまって……」
しどろもどろになりながら謝ろうとする百合。だが、さすがにトイレに行っていたこと……下痢便を大量に排泄していたことは告白できなかった。
「ああ……気にするなって。無理しないようにな」
隆は強まりつつあるもう一つの気持ちを必死に押さえながら、百合に声をかける。
「あ……」
そんな隆にできた最大限の気遣いは、持ち場を離れて何をしていたかを問わないということだった。が、それは同時に、百合が実際に何をしていたか気づいていた、ということを教えてしまうことになる。
「……すみません、すみませんっ……」
百合はひたすら謝りながら、美典からスコアブックを受け取り、仕事に集中することで自分を取り戻そうとした。まだおなかはシクシクと痛んでいたが、おなかを押さえたりするような弱々しい姿は見せられなかった。
「……隆君のピッチングが、変わった……」
ネット裏から見守る穂村雄一が、はっきりと聞こえる声でつぶやく。
「全力投球か。正解やな」
「たしかに、あのザルのような守備を見ては、三振を取りに行くしかないと自分も思いますが……それにしても、まだ3回でこれは飛ばしすぎでは……」
「ううん。この程度で疲れるような隆君なら、去年はもっと楽に勝ててたよ」
雄一の発言。それは言うまでもなく、昨年高峰中が桜ヶ丘中に苦戦を強いられたことを意味している。1年生の時に打ち込まれた悔しさをバネに球威に磨きをかけた隆の全力投球は、高峰打線といえども簡単に打ち返せるものではなかった。スコアが3-0で高峰の勝利に終わったのは、投球数が増えて隆の球威が衰えたわけではなく、エラーで出塁したランナーを送りバントと盗塁と犠牲フライで還したからにすぎない。
そして今年は、雄一の変幻自在のピッチングの前に0点に抑えられた悔しさを打撃力に変えてくるはず……。雄一と昇にはその確信があった。
「ま、バックがエラーするのもええハンデやろ。お手並み拝見といこか」
そうして再び視線をグラウンドに戻す。
……ちょうど、このイニング3つ目となる三振が宣告されたところであった。
桜ヶ丘中の攻撃が終わるのは早い。
ヒットが出ないわけではない。打倒高峰のために苦しい練習を積んできただけのことはあり、真芯でとらえた打球は綺麗に外野へ打ち返されていく。
ただ、それ以上に凡打が多い。それもボテボテの内野ゴロや、外野までも飛ばないフライなどが多く、やっとランナーが出たと思ったら併殺打。自らチャンスの目を摘み取ってしまっている。得点が入る雰囲気はわずかにも感じられなかった。
好調の者と不調の者の差が激しいのが問題である。3日前に起こった食中毒事件で体調を崩した者も少なくない。体力そのものは回復しても、野球のプレーをする勘や試合に向けて張り詰めていく集中力というのは、一旦途切れてしまうと回復するのは難しい。
特に先頭打者の成瀬陽一郎の不調がはなはだしかった。打っては2三振、守っては2失策。それも平凡なフライを落球というどうしようもないものだった。これでは4番早坂の前にチャンスが生まれようはずもない。1点のビハインドを跳ね返せる気配もないまま、淡々とスコアボードにゼロが刻まれていった。4回裏、桜ヶ丘の攻撃が終わった時には、ベンチの誰もが「もう5回か……」と焦りを覚えていた。
(え……まだ5回表?)
ただ一人、その食中毒の原因を作ってしまった張本人だけが、この早い試合展開を異なった時間座標で受け止めていた。
自分が起こした事件の責任を忘れて、いくらでも逆転のチャンスはあると楽観視していたわけではもちろんない。それどころか、凡退が重なるたびに、自分がもっと料理に気を遣っていれば、と自責の念にかられていたほどである。
なのに試合が進むのを遅く感じた理由……。それは現実に、彼女の感じる時間座標が変動していたためである。とはいえ、頭の中で1秒、2秒と律儀に時間を数えていたわけではない。
誤った時の流れを脳に伝えたのは、彼女の「腹時計」だった。
キュルキュルキュルキュルーーーッ!!
(ど、どうして……まだ2イニングしか進んでないのにっ!!)
空腹感を覚えた時、前回の食事からの時間を考えて現在の時刻を推定するのが本来の意味での腹時計である。空腹による胃腸の収縮が音を響かせることが時を告げる鐘を連想させ、この言葉が成立したに違いない。
一定の間隔をおいて発生する腹部からの音という生理現象を時間の基準にする、と帰納するなら、便意を感じた時に前回の排便からの時間を考えて時刻を推定する、ということも立派に腹時計と呼びうるであろう。
もっともこの時、百合の「腹時計」は、短針が長針の速さで、長針が秒針の速さで急速回転していた。本来なら1日1回であるはずの排便のリズムは、それに60倍する速さで律動していたのである。その腹時計の「アラーム」が鳴ったのは、トイレで激しい液状便の排泄を行ってから、ちょうど24分の後。そしてこのアラームは、体内に非常事態が発生したことを示す、文字通りの警報なのであった。
グルルルルルルルッ!! ゴロゴロゴロッ!!
「うぁぁ……っ……」
腸の奥からおしりへと押し寄せてくる熱い感覚。おなかの中で発生した非常事態は、激しい腹痛という形で最後通告を発し、おしりをこじ開けようとする便意という形で宣戦布告をしてきたのである。
質、量、勢いの全てにおいて圧倒的な敵に無防備な身体の内側から攻撃され、我慢の絶対防衛線は今にも破られそうだった。しかし、無条件降伏をするわけにはいかない。おなかの中のものをすべておもらししてしまったら、いくらナプキンという防壁を用意してあるといってもその被害は尋常ならぬものになるだろう。百合は必死の防戦をしつつ、個室の中の便器という最終兵器の在り処まで辿り着かねばならなかった。
「あ、あの美典先輩、私……」
「ゆ、百合ちゃんごめんね、わたしおトイレ行ってくる!!」
「え、あ、あの……」
「ごめんね、おなか痛くなっちゃってもう我慢できないの……」
そう言う顔は本当に青ざめている。いや、美典は我慢できないなどと嘘をついて自分だけ楽をするような性格ではない。事実おなかを下して我慢できなくなってしまっているのだろう。同じ苦しみに現在進行形であえいでいる百合にはいやというほどわかることだった。
「は、はい……わかりました。先に行ってください……っ!!」
百合は今にも駆け出したい生理的欲求を抑え、美典をドアの向こうへと見送った。
下痢による便意はピークに達しようとしていたが、先にトイレに行かせてくれとは言い出せなかった。
一つには、ついさっき便意でトイレに駆け込んだ際、美典に代わりを頼んだ借りがあるため。
一つには、そもそも美典がおなかの調子を崩しているのも、自分が調理した食事による食中毒が原因であるため。
一つには、仮に我慢できなくなっておもらしに至ったとしても、百合はナプキンを身に付けていて被害を軽減できるため。
百合がこの時考えたのは主に1番目の理由で、3番目は本当に補足程度の重要度でしかなかった。そもそも、あまり考えたい事柄ではない。しかし、美典が戻ってくるまで10分弱の我慢ともなると、その実現性はきわめて高くなってしまうのだった。
ギュルギュルギュルッ!!
「んぁ…………っ……!!」
トイレに行けなくなったことを身体が察知したのか、猛烈な便意が体内で膨れ上がる。衝撃で開きそうになるおしりの穴を、百合は必死に押さえた。
(だめっ……もうすぐ先輩が戻ってくるのにっ……今おもらししちゃったら……)
5回表二死。あと1アウトをとれば、守備に散っている桜ヶ丘の野手たちが戻ってくる。そのベンチに、おもらしのにおいを撒き散らすわけにはいかない。
ギュルルルルルッ!! ゴロッ!! グギュルッ!!
もうだめ……。その文字が何度頭の中で点滅しただろうか。そのたびに百合はおしりに力を入れて耐えた。今にもトイレに駆け出したかったが、それをしたら無理をしてこの場にいる意味そのものがなくなってしまう。百合は左手でおしりを押さえながら、震える右手で乱れた文字をスコアブックに綴っていた。
(だめ……こ、この回が終わったらおトイレに行かないと……絶対もれちゃう……)
百合の悲愴な願いを聞き届けてくれたのか、ホームベースの真上ではバットとボールの軌道が10cmずれて交錯していた。
「……え、えぇっ…………そんなっ!?」
驚きのためか便意をこらえるためか、数秒間硬直していた百合は、顔をしかめながらスコアブックに記録をつけた。
三振振り逃げ。
(藤倉くん……どうしてこんな時に限ってパスボールするのっ……)
二死二塁が二死一、三塁になったのは確かに痛いが、それ以上に百合にとっては一度終わったと思った我慢の時間がまだ続くことになるのである。
……いや、続くことになるはずだったが、続かなかったという方が正しい。
ギュルルルルルルルルルッ!!
(だめ……もう……だめ…………でちゃう……)
おなかの中のものが洪水のように駆け下ってくる。
ナプキン越しスカート越しに押さえる指先がしびれてくる。
……百合の神経が集中している一点において、力の均衡がついに破れようとしていた。
ブビュルッ!!
ブリュルルルッ!!
「……っ…………!!」
我慢による小刻みな振動とは異なる震えが、百合の体と心を駆け巡る。
一瞬遅れてやってきたのは、おしりの穴を覆う不快な温もり。
数秒のうちにはナプキンに吸われて消えるにしても、おもらしをしたという敗北感は決して消えることはないのだ。
……。
…………。
「え…………っ?」
数秒が経った。
おしりにまとわりつく異物感は、今なおその温もりと湿り気を消してはいなかった。
(ど、どうして……?)
ナプキンをちゃんとつけているはずなのに……。
ギュルゴロゴロゴロッ!!
(やだ……またでちゃうっ……!!)
一度開いてしまった肛門を再び閉じることは困難である。しかし、なすがままに垂れ流すわけにもいかない。百合は感覚のなくなりかけた手にさらに力を入れた。
ぐにゅ……。
「え…………」
その指先に、はっきりと伝わる感覚。柔らかいものを押しつぶした感覚。
その対象はふわふわしたナプキンではなく、もっと水気が多く、粘り気が多いもの……。
(そ……そんなっ……!?)
その答えは「軟便」であった。
もっとも、はっきりとした形を持っているわけではない。粥状、泥状という表現がぴったりで、普段から便質がゆるめの百合にとっての軟便ということである。普通の女の子なら下痢便とひとくくりにされてしまうほどにゆるい便だった。
便が水状ではなくなってきた、ということは激しい下痢の状態から回復しつつあるということで、本来なら喜ばしいことである。しかし今の百合にとってはそれが逆に仇になっていた。100%液体ではない排泄物は、最後の砦であるナプキンによって吸収されないのである。
ブボッ!! ブニュルルルッ!!
ブチュブチュブチュッ!! ブビュジュッ!!
「あぁっ…………」
真っ赤な顔を両手で覆う百合。
おしりの汚れが広がっていくのがはっきりとわかった。その便質が、広がる抵抗にならないほどにゆるく、ナプキンに吸い取られないほどの水気しか含まない、どろどろのものであることまで伝わってきた。
そしてそれ以上に彼女の顔を羞恥の色に染めた原因は、おしりから立ち上ってくるにおいだった。昨日からの食事は消化の負担にならないおかゆやスープだったはずだが、それすらもが消化不良のまま排泄されたのである。当然消化液のにおい、腸内細菌のにおいなどが便の表面となる液面から容赦なく立ち上り、宿主であった百合の嗅覚を激しく攻撃していた。
(もう……もうだめ……おトイレ行かなきゃっ……!!)
百合は立ち上がった。
ブチュチュチュッ……
その瞬間にまた泥状便があふれ出すが、気にしている余裕はない。これ以上、敬愛する先輩と共有する空間を汚物のにおいで汚染するわけにはいかなかったのである。
(私……こんな、こんなことして……最低だっ………)
スコアブックをその場に残して、最低限の償いであるはずの義務を放棄して、百合は下痢便を漏らしながらトイレに向かう。最後まで抵抗を続けた末の、無残な敗北だった。
……北中の攻撃がその後すぐ無得点で終わったことだけが、唯一の救いだったかもしれない。
ブピッ!!
ブビビビビビビビビビッ!!
ビリュブリブリブリブビィィィィィィィッ!!
「うんっ…………………はぁ、はぁぁぁぁっ………」
ふっくらとした美典のおしりから、便器の中へと下痢便がほとばしった。
固形になり損なった軟らかい塊が粘液をまとい、茶色の液体と一緒に吐き出される。そして同時に生成された腸内ガスが、肛門を振動させてものすごい音を立てる。
百合よりは軽症ではあったが、美典もまだ食中毒の後遺症に苦しんでいた。百合のようにトイレから離れられないほどではないが、数時間平気だったかと思うと突然急激な便意をもよおし、10分も経たないうちに限界に達してしまうのである。
しかもその便意が、すぐにはトイレに行けないという状況の時に限って襲ってくる。合宿所で目覚めた瞬間もそうだったし、病院で検査をしている最中にももよおしてしまった。もっともこれは、検便の手間が省けることにもなったが……。その後も何度かトイレに駆け込み、症状が落ち着いて家に帰ろうとした時、家と病院の中間地点でも便意に襲われ、家にたどり着いた時にはショーツが茶色に染まってしまっていた。夜も風呂で髪を洗っている最中に腹痛に襲われ、髪の毛に泡を残したまま裸でトイレに駆け込む羽目になった。夜中にもすさまじい便意で目覚め、歩くのもままならずゴミ箱につけてあったビニール袋の上にしゃがみ込んで下痢便を注ぎ込んでしまったのである。彼女もまた、望まぬ形での排泄を幾度となく繰り返させられていたのだった。
ブビビビビビッブリブビブバッ!!
ビジャーーーーーブリリリリリビチッ!!
ジュルブリブビビビビビビブジュブボボボボッ!!
「んくっ……いたた…………うぅぅぅっ!!」
食中毒という非日常の中にあって初めて、トイレで排便ができるという日常のありがたみが実感できる。しかし、その望んだ形での排泄においてさえ、激しい腹痛と肛門の腫れという苦しみからは離れられないのである。
ブピッ!!
ブ……ブビビビッ!!
……ギュルギュルギュルギュルッ!!
「うぅんん…………んっ……うぅぅぅ……」
おなかの痛みにあえぎながら、その痛みの発生源に力を込め、さらに増幅される痛みと共に汚物を押し出そうとする。
便が液状というまで軟らかくなっていたのは最初の一日だけだったが、それから丸一日以上経った今でも、彼女の普段の便よりははるかに形状を失ったものが、肛門からあふれ続けている。
ブピィィィーーーーッ!!
ブッブブブブブブッ!! ブビブビッ!! ピブブッ!!
「うぅぅ……」
やがて、美典のおしりから出るものに気体が多く混じるようになってくる。それと引き換えに、激しい腹痛を生み出す原因である便そのものは、時おり飛び出すという程度の頻度になっていた。美典は完全な液状便が止まらずにトイレから離れられない、というわけではなかったが、この渋り腹によってそれと同じかそれ以上の苦しみを味わっていたのである。
ブウブビビビビッ!!
ブポブポブポブリュッ!! ビビビビビッ!!
ギュルゴロゴロゴロッ!!
グキュキュルルルルルルッ!!
「んんん……うぅぅぅ…………くぅぅ……」
猛烈な腹痛と便意に翻弄されるがままに便器に肛門を向けて息んでいるのだが、その体調と体勢に反して便器の中には新たな茶色はほとんど加わることがなかった。ただただ漏れ出す腸内ガスが、個室の中の空気だけをそのすさまじい臭いに染め上げていく。
ブブブブブッ!! ブッブリリッ!! ビチュッブーーーーーーーーッ!!
キュルキュルゴロゴログギュルルルーーーッ!!
「ふぅんっ…………あぅっ! くっ、うぅぅーーーーっ…………」
あまりにも得るところ、もとい出るところの少ない排泄の努力。
もうこれ以上出すのをあきらめようかと何度も思う。しかし体の中から生まれる激痛と圧迫感は、服を着たらすぐにおもらしという事態にも至りかねないほど強烈なものなのである。なんとしても腸内の汚物を一掃してしまわなければ、ここから出ることすらかなわない。
ギュルッ……ゴロロロロロロッ!!
「んーーーーーうっ!! ふぅぅぅぅっ!!」
必死に息む美典。トイレの中に一人とあって、うめき声に近い息遣いで腹筋を酷使しつづける。
ブゥゥゥゥーーーーーブポビチブピーーーーーーーーーブッブッブブブブブッ!!
しかし盛り上がったおしりの穴から飛び出してくるのは、相変わらず少量の茶色い滴を伴うだけの空砲に過ぎなかった。
ブゥゥゥゥーーーーーブポビチブピーーーーーーーーーブッブッブブブブブッ!!
出るものが固体でも液体でもない気体だけに、それが肛門を通過する時の圧力の変化はあまりにも急激で、その際に発せられる音は個室の中だけでなく、トイレ全体に響き渡っていた。
(美典先輩……)
トイレに駆け込むと同時にその音を耳にした百合は閉じられた個室の中に広がる光景を思い、自らが引き起こした食中毒に巻き込んでしまった申し訳なさを感じた。しかしそんな感傷を、今なお腸内で渦巻く便意が、下着の中に広がる粘性を含んだゲル状、ペースト状の便の感触が飲み込んでいく。
美典の盛大な放屁音がトイレの中で反響を残している間に、百合はその隣の個室に滑り込んでいた。
ぐちゃっ……
「うぅっ…………」
おもらしに汚れたナプキンをおしりからはぎ取る時の音。べっとりと付着した半固体半液体の便が、その存在を百合の視聴覚にありありと主張していた。
ギュルルルルルルルルルルルルルルッ!!
「うぁぁぁぁ……っ!!」
おなかが締め付けられるような感覚が走り、おしりの穴の手前、直腸に大量の軟便が充填されるのがわかってしまう。もう一秒ももたない――そう判断した百合は、崩れ落ちるように便器をまたいでしゃがみ込んだ。
ブチョブボボボボボブチャブチャビチャビチャブリリリリリリリッビチャビチャビチャビリュリュリュリュリュブジュブリュブブブブビチブビブビブビブビブビブリブリブリブビュルルルルルルルルッ!!
「あぁぁぁぁっ……」
もはや排泄ではなく体の一部が流れ出しているような感覚だった。
百合の意思を無視してその肛門をこじ開けたペースト状の軟便は、猛烈な勢いを保ったまま10秒以上の長きにわたり、百合のおしりの穴から地面に向けて黄土色の柱を立て掛け続けたのである。
地面、である。
便器、ではなかった。
最後の一歩を踏み出す余裕を強烈な腹痛と便意によって奪われた百合は、なす術もなく今立っていた足の位置そのままにしゃがみ込み、当然その位置を確認することもできずに大量の糞便を出し始めてしまったのである。
その位置は、きちんと便器の中に排泄を行うためにはあと一歩、いやあと半歩足りなかった。どろどろの軟便は、便器の中の水たまりからはるかに離れた位置、便器の縁の盛り上がりとコンクリートの地面との境界を射線に収め、容赦ない勢いで降り注いだのである。
「んぅ…………ふぅぅぅぅっ!!」
ブリュルルルルルルッ!! ブジュブリリリリッ!!
ビチャビチャビチャビチャビチャッ!! ブビビビビビビビッ!!
ドポビジュブリュッ!! ベチャベチャベチャベチャベチャッ!!
一瞬排泄が途切れた後も、すぐさま第二波が百合の肛門から吐き出されてくる。
完全な液状、という腹具合を脱したとはいえ、今なお水分を異常量含むペースト状、ゲル状の便を百合は排泄している。地面に打ち付けられたそれは、茶色の水飛沫となって四散し、便器の縁を中心に便器の中、コンクリートの地面という段差のついたキャンバスに、激しい排泄の勢いをそのままに再現する前衛絵画を、わずか10秒の間に作り上げていたのである。
題名は「黄金の奔流」であろうか、「永遠の忍耐と一瞬の解放」であろうか。だがどんな題名も、この絵画をまたいでいる小柄な少女がこれだけの大作を作り上げたという衝撃の事実を表現するには至らないだろう。
なお驚きに堪えないことに、この作品は今なお未完成であった。作者たる少女は、今も変わらぬ勢いで、肛門というエアブラシから、体内で作り上げられた――いや、作る途中で放棄された――黄土色の絵の具をその作品に向けて吹き付けているのだから。
「ふっ、うぅぅぅぅ…………っあ!!」
ブリュビチャビチャビチャビチャッ!!
ブジュジュジュジュブリビチュブブブッ!!
「え…………あ、あっ、いやぁぁっ!?」
一心不乱の創作活動にいくばくかの余裕ができて、自らの作品の出来栄えを目の当たりにした作者は、思わず悲鳴を上げた。
……無理もないことだった。
汚さ極まる下痢便を、便器の外に半分以上こぼしてしまっているのだから。
(わ、私……うそ……こんなことって…………)
グギュルルルルルルルルルルルーーーーーッ!!
「ひっ!?」
(だ……だめっ、またこんなに……でちゃうっ!!)
新たな噴射の予兆を腸の出口付近に感じた百合は、反射的に一歩踏み出していた。コンクリートの地面――の上に広がった下痢便――に向けられていた射出口が便器の中に向けられた次の瞬間……。
ブビビビビビビビビビーーーーーーーッ!!
ビチャビチャビチャブリリリリリリッ!! ドポドポドポッ!!
ジュルビチャビチビチビチブリブブブブビジュブリュルルルルルルルッ!!!
すさまじい勢いで下痢便が便器の中に注ぎ込まれた。
出し始め、もらし始めより、その形状は明らかに液体に近づいていた。腸の奥の方から流れてきたそれは、いくぶん回復したという程度の腹具合では水分の吸収が行き届かないのである。
「はぁ、はぁ…………」
荒い息づかい。とどまるところのない排泄に、百合は消耗しきっていた。
ブピッ!! ブブブブッ!!
「え…………あ……!!」
(み、美典先輩がいるんだった……!!)
隣の個室から聞こえてきた空気の破裂音。それは美典がまだ隣の個室にいる証拠である。にもかかわらず、百合は便器の外を大量の軟便で「誤爆」し、さらに便器の中にも下痢便をものすごい音とにおいを生み出しながらほとばしらせてしまったのである。
苦痛に赤くなっていた顔が羞恥の色を加え、さらに紅潮の度合いを増していた。
この時、両方の個室の便器の中をのぞくことができたら、衝撃的な事実が発覚したことだろう。百合がまたぐ便器の中の茶色の方が、隣の個室のそれよりはるかに量が多いのである。百合は朝から何度もトイレで大量の下痢便を出し、すでにこれが5回目の排便である。さらに、便器の外にものすごい光景を作り上げてしまった後での、いわばおまけのような排泄であるにもかかわらず、その量は今日初めての排便である美典の足下の汚物溜まりよりずっと多いのだった。それほどまでに、おなかをこわした時の百合の排泄量というのはとてつもないのである。
(あ、だめ、まだ……まだ出るっ……!!)
「んくぅぅっ………………っああっ!!」
ブリブリブリブリブリッ!! ビチャァァァッ!!
ビシャビシャッ!! ドボボボボッ!! ブピィイィィッ!!
ジュバババババッ!! ブチュルルルッ!! ブビブビブビブビビビッ!!
二つ目の排泄物の海が、新たな黄土色に覆い尽くされる。
強烈なにおいと音で、隣の個室のみならずトイレ中にそのすさまじさを主張している排泄行為。今排泄が始まったばかりかと思われるその勢いは、便器の内外を黄土色に染め上げてなお、衰える気配を見せなかった。
(は、早く終わって……おねがいっ…………)
出るな、と念じることはできない。これほどの汚物を体の中に溜めておいては、すぐにすさまじい便意に襲われ、おもらしという最悪の事態に陥ってしまうことだろう。出せば少しは楽になるはずであった。
しかし、隣の個室にいる美典にその排泄の様子をつぶさに伝えてしまう恥ずかしさは消えてくれない。けれども出さないわけにはいかない。百合にとっては、その恥辱の時間が一刻も早く終わるように、ということだけが、許される唯一の願いだった。
「うぅん…………」
ブピッ……。
……。
カラカラカラ…………
隣の個室から響いてくる音にかき消されがちな、水気混じりの放屁音。
それを発した後、数秒の逡巡を挟んで、美典はトイレットペーパーに手を伸ばした。
(今はもう……出ないみたい)
おなかの中の不安感と数分にわたって格闘した末に得たものは、不確かなあきらめの感覚だった。数時間、数十分のうちに便意が再発することを覚悟しつつ、美典は排便を打ち切らざるを得なかったのである。
(百合ちゃん……)
隣の個室で行われている行為は、その主には申し訳ないことだがほとんどが想像できてしまっていた。すさまじい排泄、それに伴う腹痛……。視覚を伴わないため、今の百合にとって最も恥ずかしい便器外への排便を知ることがなかったのは、彼女へのなぐさめになるだろうか。
(早く、出てあげた方がいいよね……)
百合にとって一番のなぐさめは、美典がここから早く出て、遠慮することなく、恥ずかしさを感じることなく、便意の解消に専念できる状況を作ってあげることだった。
美典自身も苦しんでいる食中毒の原因を作ったのは百合であるから、責める気持ちがないと言えば嘘になるかもしれない。だがそれ以上に、美典が百合にすべて任せた結果のことでもあり、百合自身が一生懸命にやった結果であり、その辛い報いも彼女自身が一番強烈な形で受けているのだから、責める気持ちより同情心の方がはるかに強いのだった。
ジャァァァァァァァーーーーー……。
隣の便器の中とは倍以上の内容量差がついてしまった茶色の悪臭発生源と、その色に染まった紙くずを水で流し去る。隣の個室の分もあって悪臭は弱まることはないが、清浄な水から立ち上る純水の水蒸気が、個室の中の空気のよどみをわずかに和らげてくれた。
「…………」
(がんばって、百合ちゃん……)
無言で……百合への言葉を心の中にしまって、美典はドアを閉めた。
「うぅぅぅっ…………!!」
ビュルビチビチビチブリッ!!
ブビビビビビブババババッ!! ドポドポドポドポッ!!
ビチチチチチチチッ!! ジュブビチャブリリリリリリリリッ!!
ジュビッ!! ブリブブブブブブッ!! ビジャブジュブビュルルルッ!!
ドボボボボビチャビチャブビブビブビビィィィィィィーーーーーーーーーーーッ!!
百合は、美典がドアを閉める音を聞いた瞬間、これで隣の個室を気にせず排泄できると思うまでもなく、大量の下痢便を吐き出し始めていた。おそらくドアの音が聞こえなくても、結果は同じだっただろう。
ひとたび始まった排泄は止まる気配もなく、黄土色の海の中に新たな下痢便が滝のような勢いで叩きつけられ、跳ね上げた滴で便器の側面はおろか外側をも汚しながら、その水かさを増していったのだった。
「ふぅぅ…………っ、くっ……」
プピッ……プジュジュジュッ…………。
滝のような下痢便の排泄が止まる。
わずかに盛り上がった肛門には、黄土色の縁取りが輝くシャボン玉が作られていた。液状化した便と腸内で作られたガスによって作られた汚物の一形態であると同時に、苦痛に満ちた排泄の終わりを彩る一瞬の芸術である。
プチュッ…………。
「んっ…………」
それが弾ける。
百合は腸内を圧迫していた汚物の大部分が体外に出されたことを目に見えて感じていた。痛みを残しながらも楽になったおなかの感覚が第一にそれを教えてくれるが、実際に視覚を通じて飛び込んでくる両足の下の光景を見れば、嫌が応にも体の中の汚物が外に出たことがわかるのである。
「う…………うぅ……うぅぅっ……」
涙で視界がかすむ。が、もともと百合が見ていたのは一面の黄土色なのだから、輪郭がぼやけたところでその光景に変化はなかった。
食中毒に冒されてから初めて、少量のおもらしこそあったもののきちんとトイレで排泄できたのもつかの間、その数十分後には、大量のおもらしの上に便器の外を盛大に汚してしまうという大失敗に至ってしまったのである。百合は自分の情けなさに涙を流した。
が、流した涙でおしりと床が綺麗になるわけではない。百合は傷心に沈む小さな胸に鞭打って、自分だけが知る粗相の後始末を行わねばならなかった。
ジャァァァァァァァァァァ……。
軟便のおもらしに汚れたおしりを第一に拭いて、それを捨てた便器の中をいったん流す。
「うぅ…………」
便器の中が真っ白になったことで、余計に床の上に広がった黄土色の汚れが目立つようになっていた。
直径およそ50センチもの黄土色の水たまり。飛び散った滴も含めれば、その総面積は教室の机ほどにもなるだろう。
強烈なにおいを放つそれは、所々に消化の済んでいない黒や白の軟らかいかたまりを浮かべ、今なお続く彼女の下り腹の様子を余すところなく伝えていた。
「うぅっ…………ぐすっ……」
何重にもたたんだペーパーで、地面に飛び散った下痢便を押し動かし、便器の中に流し込む。あっという間に黄土色に染まる紙、ぬぐった後から現れる、においごと水分を吸収したコンクリート。汚物そのものを片付けた後も、百合は自らの行為の痕跡に悩まされることになった。
「………………」
ゴボジャァァァァァーーーーーーーッ………
もはや嗚咽を漏らす気力もないのか、百合は憔悴しきった顔で、便器の中に押し込んだ「場外乱闘」の結末を流し去る。
確かに楽になったはずの腹調子とは逆に、彼女の気力は失われ尽くしていた。
(はやく戻らなきゃ……先輩に……早坂先輩にっ…………)
早坂先輩――。
その名前を思い浮かべるだけで、うつろになった心に瑞々しさがよみがえってくる。
だが、その名前を思い浮かべる資格が、今の自分にはあるのだろうか……。
答えが出ないまま、百合は汚濁と恥辱を撒き散らした閉鎖空間を後にした。
彼女が表面だけ平静を装った、今にも崩れそうな足取りで向かう、その太陽の下では――。
『ストライク、バッターアウト!!』
嬉々としてベンチに戻る北中ナインに数秒遅れて、隆は三塁塁上から自軍ベンチへと歩き出した。
それをネット裏から見つめる6つの瞳。
「惜しかったね」
「惜しい? 振り遅れもええとこやろ」
「ううん、隆君の打球……」
「……せやな」
「しかし、4番以外がこの体たらくでは……自分が思うに、この試合に勝つことすらおぼつかないのでは?」
「………黙って見とれ」
「………………はい」
惜しい、と評された4番・早坂の2打席目は一死無走者からセンターオーバーの二塁打。フェンスの最上部を直撃する長打だった。あと一歩でホームランとなる打球。北中の投手の球が低めいっぱいにコントロールされていなければ、ボールはグラウンドに戻ってこなかっただろう。
しかし後続が断たれた。内野ゴロで三塁には進んだものの、6番の1年生、古西があえなく三振に倒れてチェンジ。得点を奪うことはできなかった。
「すみません、早坂先輩……」
「気にするな。守備に集中するんだ」
「はい……」
「大丈夫。次の打席で何とかしてやるさ」
守備位置に向かう遊撃手に、自信たっぷりに請け合う。普段ならこのような大きな物言いはしない隆だが、この時はなぜか確信に近い気持ちがあった。
(どう考えても、集中できてるわけじゃないのにな……)
一番気になっていたのは、マウンドから戻るとベンチからいなくなっていた美典と百合のことだった。行き先は伝えていなかったが、おそらく便意をもよおしてトイレに駆け込んだのだと、隆には想像できていた。できた、というよりは想像してしまった、と言う方が正しい。そのトイレの中でどのような光景が繰り広げられているかまで。
そして、打順を呼ばれたときの声。第1打席でも気になったのは、この声だ。どこかで聞いたような気がする、しかし球場のスピーカー越しという音質もあり、誰のものかはわからなかった。
それでも、来たボールに反射的にバットが出ての長打である。この手応えは、間違いなく第3打席への自信となる。
「あ……」
ベンチに戻した視線の先に、美典と百合の姿があった。
「あっ………ぅぅ……」
美典は隆と視線を合わせることができたが、百合にはできなかった。顔を真っ赤にしてうつむく、それだけが彼女にできる全てだった。
前のイニングから、ベンチを勝手に離れていたことの説明もお詫びもしていない。だが、これだけの行為で、隆にはその理由までが全て伝わっていた。もちろん、以心伝心の仲、と喜ぶわけにはいかない。あらゆる状況証拠が、百合がベンチを離れてトイレに駆け込みおなかの中の下痢便を便器に叩きつけていたことを物語っているのだから。
(……とにかく、もう一点もやらない。すべてはそれからだ……!)
ベンチの向こうに流されそうになる意識をマウンド上に引きとめ、隆は打者に正対する。
捕手・藤倉のサインにうなずき、6回表の北中の攻撃……いや、早坂隆の奪三振劇が幕を開けた。
「……早い……」
不破慎一の発言は、見れば誰にでもわかる、球速が速いという意味ではない。
6回表、北中の攻撃はわずか3分。
11球3三振。7度振られたバットは全て空を切った。
「いっぺんも、首振っとらんな」
「うん……だから、投球のテンポがものすごくいい」
「昔からあんなんやったか?」
「ううん……少なくとも去年は、首を振って直球を投げることが多かったけど……その時は別のキャッチャーだったから」
「せやな……おい慎一、じぶんの目ぇで見て、あのキャッチャーのリードはどないや?」
グラウンドに視線を残したまま、昇が問う。雄一も視線を動かさず、聴覚だけを集中させた。
「はい……無駄球がありません。おそらく、リードだけならば自分よりも上でしょう。捕球技術に難があると思いますが」
「そう……だね。運動能力はともかく、彼のリードは隆君の能力を十分に引き出してる。あとは、他のみんながそれについていけるか、そうでなくても……」
「……三振ならバックの守備は関係ない、ですか」
雄一はかすかにうなずいた。昇も肯定こそしなかったものの、否定はしていない。
「……いけない、早くしないと……」
ちょうど膝丈のスカートの裾をひるがえして、一心に駆ける。
真南に近づこうとしている太陽の下、自らが走る風圧でなびく黒髪が陽光に照り輝いていた。
白宮純子は焦っていた。
辞書に遅刻の二文字を持たない彼女がこれほどに急いで走っている光景は、滅多に拝めるものではない。……おもらしをしそうになり、あるいはおもらしをしながらトイレに駆け込む時を除いて。
だが、この時彼女が目指していたのは不浄を処理する閉鎖空間ではなかった。青春の躍動が繰り広げられる光に満たされた聖地、彼女が思いを寄せる少年の、最高の輝きが発揮される舞台――桜ヶ丘市営野球場である。
7月18日。公立私立を問わず、市内の小中学校では軒並み終業式が行われている。野球部員ならぬ純子には当然のように出席義務があるはずだが、彼女は終業式終了後、ホームルームに出ずにこの球場に向かったのである。
終業式が始まった時から、彼女の心はその式場たる体育館にはなかった。同じクラスの列に今はいない一人の男子……早坂隆のもとにあったのだから。
心ここにあらず、気が気でない、上の空……彼女の頭の中は、そういった言葉で満たされていた。それらの言葉は、終業式に続いて行われる表彰式で、県内スピーチコンテストの優秀賞として名前を呼ばれた時にも彼女の心を満たしていた。結果、表彰されるべき彼女が怒鳴り声に近い大声で壇上に呼び出されるという珍しい光景が生まれたのである。
わずかな失意とともに表彰の段を降りた彼女に、その光景を目ざとくとらえた弓塚江介が語りかけた――次の瞬間、純子の顔は驚きと喜びのマーブル模様に包まれた。
「生徒会書記長として、野球部の活躍を取材しに行く、ってのはどうかな、白宮サン?」
「え……えっ!? で、でも……」
「……早坂の様子が気になるんだろ?」
「え…………あ……」
彼女の顔にさした赤みが、言葉よりも雄弁に返事をする。
本当なら今すぐでも球場に彼の様子を見に行きたい。しかし終業式が終わった後もホームルームがあり、それに出席する義務がある――そう思っていたところに、それを回避できる魅力的な理由……口実が持ちかけられたのである。
「センセには説明しとくからさ。こういった活動は認欠でいいはずだぜ。なんなら、会長からの指示ってことにしとけば……」
認欠というのは欠席を正当なものと認めるということで、これによって欠席した日は出席日数には数えられない。そのため、皆勤の判定、内申書の評価などに響くことはない。大会に出場している隆らも、もちろんこの扱いになっている。
「……ううん、私の判断ということでかまわないわ」
「……オッケー。そしたら早くしないと、試合終わっちまうぞ」
「うん……すぐ行きます。ありがとう、弓塚くん」
純子は言葉どおり、駆け出しながらその言葉を口に出した。
「………どういたしまして、っ」
言葉の最後でわずかに肩をすくめる。
純子が最後に見せた微笑みがあまりに綺麗だったから。ただ、それ以上に彼は思う。
その微笑みを、もっと素直にあいつに見せてやりゃいいのに――。
純子は駆け出そうとした足を一瞬止めた。自分以外にも、隆の元に行きたがっている人がいる。「純白同盟」という絆で結ばれたばかりの早坂ひかり。
だが、結局ひかりを連れて行くことはできなかった。教室では保健室にいるという言葉を聞かされ、保健室に行っても会えなかった。終業式が終わると同時にトイレに駆け込み、教室に戻ってすぐ保健室に向かい、そこでもまた便意をもよおしてトイレで排泄中なのだった。……とても、連れて行けるような状態ではない。純子は申し訳ないと思いつつも一人学校から飛び出し、市内行きのバスに飛び乗った。
純子は、その微笑みを向けるべき相手のもとに急いでいた。
目指す球場の壁面は、視界の大半を満たすまでに広がっている――。
7回表が終わる。
裏の桜ヶ丘の攻撃は3番・木下、4番・早坂、5番・芝田とつながる上位打線だ。プロ野球の試合ならラッキー7などと浮かれていられるところだが、負けても明日試合があるプロと違って、学生野球は負けたらそれで終わり。何としてもこの回で逆転するしかないのだ。それは悲壮感に満ちた攻撃の始まりだった。
『7回の裏……さ、桜ヶ丘中学校の攻撃は、三番、ファースト、木下君……』
「木下……なんとか塁に出てくれ。頼む」
「……わかってる」
クリーンアップを任される3年生3人の一人、隆に比べるとやや小柄な木下が真剣にうなずく。
3-2の三バカと呼ばれる陽気な表情はそこにはない。1、2番が塁に出られない中、3番でありながらチャンスを作れなかった責任感がその一言にこもっていた。
(おねがい、なんとか逆転してくださいっ……)
ベンチから見守る百合も、悲痛な祈りをグラウンドに向ける。もっとも、まだ続く腹痛をおなかをさすりながらこらえる姿がその痛々しい印象を倍増させていることは確かである。
カキン!!
「……よし!!」
「抜けたっ!!」
桜ヶ丘ベンチに並ぶ顔が一斉にほころぶ。
三遊間、さほど鋭いと言えない勢いではあったが、木下の打球はそのど真ん中をレフトへ抜けていった。
無死一塁で早坂。ささやかではあるが、この試合初めてと言っていいほどのチャンスである。
(……ここだ。ここで決めるんだ)
隆は自分にそう言い聞かせながら打席に向かった。最低でも長打で一塁走者を還す。ホームランで一発逆転なら文句なし。そのために要求されるのは、全力を込めてのフルスイングとジャストミート。
『よ、四番ピッチャー……は…………』
「……??」
ウグイス嬢の声が止まる。別に難読苗字というわけではなし、言葉に詰まる理由はないはずなのだが……。
『よ、四番ピッチャー、早坂隆君!!』
なぜか早口でスピーカー越しの声が響いた。
「あ…………」
その声で名前を呼ばれた桜ヶ丘の四番は、目をかっと見開いていた。
「はやさかたかしくん……」
フルネームで呼ばれたその名前。
「たかしくん……」
君付けされた名前。
隆のことをそう呼ぶ身近な女の子は一人しかいない。
特徴のある声質でその呼び方が発音されたとき、隆の頭の中で一人の同級生の姿が像を結んだ。
「隆君……」
「香月かっ!!」
香月叶絵。隆の同級生にして女子の中では一番の友達。演劇部の部長を務める声の能力からこのような仕事に選ばれたのであろう。その割に今の声はどこか危なっかしいものがあったが……。
(いや、あいつなりに気合を入れてくれたんだろう)
とにかく、隆のことを名前で呼んでくれたことで、叶絵が見ていることに気づくことができたのだ。叶絵のためにも、無様な姿は見せられない。
「よし……」
打席に入る。
マウンドには好投を続けている北中の背番号1。サイドハンド気味の低いリリースポイントから直球とよく曲がるカーブを投げ分けてくる、好投手と言っていいだろう。特にカーブには自信を持っているらしく、決め球の大半がボールゾーンに逃げるカーブだった。それを待てばいい……と、藤倉学が言っていた。
1球目の投球動作。頭の高さに近い位置から右手が振りぬかれる。
(来たっ!!)
遅いカーブ。待ってましたとばかりに振りぬいた隆のバットと、その軌道が交差した。
……ねじれの位置で。
ブォンッ……!!
「ありゃ」
振りぬいたバットだけが遠心力で回転し、打席内に膝をついて辛うじて倒れるのを免れる。
盛大な空振りだった。だが、タイミングは合っている。コースが大きく高めに外れていなければ、確実にバックスクリーンまで持っていっていた、それほどの迫力のあるスイングである。
「早坂せんぱーい!! がんばってくださ…………んっ!!」
自軍ベンチから透き通った声が不意に上がり、不意に途切れた。声の主はもちろん隆の活躍、そして勝利を一心に願う澄沢百合。そして、声が途切れた理由はもちろん、いまだ食中毒の後遺症に苦しむ腸が発する強烈な腹痛のためである。
もちろんその光景は隆の目にするところとなった。
視線を上げると同時にその隆と目が合い、血色の悪い顔を一瞬にして真っ赤に染める。
(そっか、まだ……)
隆にはその百合の体調と心理状態までが手に取るようにわかってしまう。今もトイレに行きたいのを我慢しているのだろうか……。
ビシッ!!
『ストライーク!!』
「む……」
よそ見をしているうちにピッチャーの第2球が本塁上を通過していた。
(やってくれるじゃないか……)
返球をもらってすぐに投球動作を起こす。
ツーナッシング。ピッチャー圧倒的優位のカウントである。
「せいっ!!」
サイドスローから放たれる直球。外角低め一杯へ……。
「甘いっ!!」
吸い込まれるように隆のバットが円軌道を描く。
140キロの直球を投げる隆が、それより二周りほども遅い球に手が出ないはずがない。
キィィィィン!!
「あ……」
「行けぇっ!!」
隆の叫びに後押しされたかのように、ボールは空高く舞い上がった。
が、上がった方向がレフトポールに寄り過ぎていた。外角一杯の球を叩いてスピンのかかったボールは少しずつその方向を変え、レフトポールの数メートル脇の芝生で弾んだ。
『ファール!!』
「く……ちょっと、踏み込みが浅かったか……」
舌打ちをする隆。だが、その表情に後悔はない。ピッチャーを見据えたその視線の鋭さが、「次は決める」と物語っていた。
「く……」
北中の投手は冷や汗の感覚を覚えながら、手につかないボールを必死に投げた。
2-1。
2-2。
2-3。
ホームベース上には投げられなかった。
ピッチャー有利のツーナッシングのカウントは、わずか一球のファールのために、あっという間にフルカウントに変わっていた。もちろん、追い込まれているのは一人だけである。
「早坂先輩っ!!」
「たかちゃんっ!!」
「早坂くんっ!!」
ピッチャーを追い込んだ隆に対し、一塁側から女の子たちの声が響いた。
おなかを押さえながらも声を出す澄沢百合。
スコアブックを片手に試合を見つめる淡倉美典。
そして。
スタンドの最前列。
全力疾走でこの場に駆けつけた彼女は、白い制服にも汗の染みを浮かべ、美しく流れる黒髪を振り乱していた。それでも、一生懸命の汗を弾けさせる姿は、彼女の魅力をわずかたりとも失わせることはない。
「早坂くんっ!! がんばってっ!!」
百合と同じように、透き通った綺麗な声。それでいて芯の通った響き。彼女の可憐さと強さを同時に表現するその声が、いつもと同じ呼び方で隆の名を呼んだ。もちろん、それに気づかない隆ではなかった。その声こそが、今一番聞きたい二つの声のうちの一つだったのだから。
(白宮さん……)
スタンドの純子と目を合わせる。それだけで十分だった。
膨れ上がった気持ちの整理を、あえてつけない。精神的高揚の全てを、一球への集中力へと転化させる。
「くっ……」
勝負か敬遠か。北中のエースは悩んだに違いない。
……彼が選んだのは、一番自信のある球での勝負。
だが彼の後悔は、その決断をしたときにすでに始まっていたのかもしれない。
ヒュッ……
曲がりの鋭いカーブが低め一杯にコントロールされてくる。決して甘い球ではなかった。
それでも。
隆の実力と集中力の前には無力だった。
「……うりゃああああっ!!」
パキィィィン!!
「あ……」
「……」
「っ……」
この結果を誰よりも望んでいたはずの桜ヶ丘の女子たちも、その光景の前に声が出なかった。
隆が振り抜いたバットの芯は、ストライクゾーンぎりぎりに入ったボールの芯を捉えた。
あとは振り抜くだけ。
隆の体が蓄えたエネルギーが、遠心力の形を通してボールに注ぎ込まれる。
空高く。
太陽が輝く南の空へと、はるか高く。
白球が舞い上がる。
青空に描かれる放物線。その軸は本塁と外野の中点より、さらに遠くにあった。
ピッチャーの頭上、内野手の頭上、外野手の頭上。北中ナインは、自分の視界から消えていく打球を目で追うこともできなかった。
外野席のフェンスを越え、そして外野席の芝生をも越える。
早坂隆の一振りから飛び立った白き虹は、市営野球場の場外へと消えた。
逆転ツーラン場外ホームラン――。
一塁側ベンチとスタンドで歓喜の声が爆発したのは、それから数秒の後だった。
(やったぞ、みんな…………ひかり……)
たった一人、この場にいない大切な女の子の名前を思い浮かべて、隆はベースを一周した。満足げな笑みを浮かべながら本塁を踏む。走者に出ていた木下が、祝福の第一声を浴びせる栄誉を授かった。
ベンチは大騒ぎで隆を迎える。
「早坂先輩!!」
「たかちゃん!!」
もう述語も形容詞もいらなかった。早坂隆という固有名詞が、この逆転劇を、そしてこの試合の勝利を象徴していた。
「これで逆転だ。……この試合、このまま勝つぞ!!」
「はい!!」
「おう!!」
隆の言葉に、チームメイトが力強い返事を返す。
勝利への決意で、チームが一つにまとまった瞬間だった。
「これが……早坂隆君だよ」
「…………」
「見たやろ。四番ピッチャーってのはこういうマネができるんや」
「…………はい」
「だから、ぼくたちが桜ヶ丘中に勝つには、隆君を絶対に抑えなきゃいけないんだ」
「せやから、不破っちにもこの試合見せなあかんかったんや。決勝であいつを抑えんのは、雄一と不破っちの仕事やからな」
「…………了解しました」
マウンドに上がってくる隆の姿を見ながら、不破慎一はうなずいた。
その表情から、楽観の色はすでに失われていた。
その後の2イニング、桜ヶ丘中の守備は今までの不調が嘘のようにまとまりを見せていた。2失策のセンター・成瀬がポテンヒットになりそうな詰まった当たりをダイビングキャッチ。打っては全くいいところがなかった1年生の二遊間も、走者が出ないゆえに併殺の機会こそなかったものの、堅実な守備を見せた。
試合そのものが高い緊張感を持続した上での練習になり、桜ヶ丘の守備は本来の力を取り戻したのである。
桜ヶ丘中のベンチにおいて、たった一つだけまとまりを見せなかったものを挙げるとすれば……それは、マネージャーのおなかの調子であった。
「うぅぅぅっ…………」
ブビビビビビビッ!!
ブピビビビッ!! ビチビチビチビチッ!!
便器にまたがった百合のおしりの穴が開き、ゲル状のかたまりを浮かべた液状便が白い……いや、ところどころに彼女自身の下痢便の残滓を残す便器の中に注ぎ込まれる。
今日の午前中だけで5度目となる大便排泄。食中毒に苦しみだした2日前から数えればすでに35回目となる下痢便の放出である。その35回目にして初めて、百合はおもらしをせずにトイレに間に合うことができた。おむつやおまるに頼ることなく、トイレで下着を下ろして便器の中に排泄を済ませることが、やっとできるようになったのである。
「んっ、くぅぅっ……」
ビチャビチャビチャビチャッ!!
ドボボボボッ!! ブビブビブリリリリリッ!!
ブビュビュビュビュッ!! ビチャブブブブブブビリュリュッ!!
だが、彼女のおなかの調子が良くなったわけではない。前の排泄から1時間も経たないうちにトイレに駆け込み、あっという間に便器の中を汚物の黄土色で埋め尽くしている。彼女の「腹時計」はいまだにその回転の勢いを弱めてはいなかった。
ギュルルルルルルル……ギュルルゥゥゥッ!!
「ふぁっ!! いたっ……あ…うぅっ…………んーっ!!」
ジュビビビビビビッ!! ビチビチビチッ!!
ベチャブリブリブリブピッ!! ブピビシャベチャベチャッ!!
ブチュブチュブチュッ!! ドポポポポポッ!! ビチチチチッ!!
ビジュビジュブリュブリュッ!! ブピッ! ビッ!! ブビビビビビビビッ!!
おなかが奇妙な音を立てた次の瞬間、耐え難い痛み彼女の腹部を襲い、反射的に開いた肛門からどろどろの下痢便が流れ出る。百合の小さな身体を舞台に、腹痛、便意、排泄の三拍子が、限りなく早いテンポで演奏されていた。個室の中、便器の中の惨状を正確に表現する音が、彼女の腹部、声帯、そしておしりの穴から奏でられていく。
(は、早くしないと……試合が終わっちゃうっ!!)
黄土色の総合芸術を生み出している彼女は、しかしその活動を終わらせることだけを願っていた。
試合が終わる、と言っても、負けるという意味ではない。勝利の場所に立ち会えないこと、それだけを彼女は恐れていた。
(とにかく……早くぜんぶ出しちゃわないとっ……)
流れ出るに任せている下痢便を搾り出すべく、おなかに力をかけようとする。来るべき激痛に備えて、両手でおなかをさすり始める……。
ギュルグルルルルルルルッ!! ゴロロロロロロロロロッ!!
「あぁぁぁぁっ!! や、あぁぁぁっ…………!!」
まだ、おなかに力を入れていない。それなのに、個室内に響き渡るだけの音を立てておなかの中身が急降下を始めたのだった。猛烈な痛みを抑えきる力はもう、百合にはない。
「んーーーーーーー…………っ!!!」
ブチャベチャドバビチャビチブリブリブリィィィィッ!!
ブビ! ビチビチビチビチビチビチッ!! ブビビビビビビビッ!!
ブリュブブブッ!! ブッブッブブブブウッ!! ビチャビチャビチャァァァッ!!
すさまじい勢いでの噴出。彼女が望んでいたことではあったが、決して意識して行ったことではなかった。
「うぅぅぅ……っ、く…………んっ、うぁぁぁ…………」
ビジャジャジャジャッ!! ドボドボドボッ!!
ジャアアアアアブリリリリリッ!! ビチッビチビチビチィッ!!
ブピブピブピブブブッ!! ブビビビビビビビビビッ!! ビチャビチャッ!!
ドボボボボブリブリブリッ!! ブビビビビジャブリィィィィブブブブブブブピッ!!
「はぁっ……はぁ、はぁ…………っ……」
肛門からの茶色い流れが収まった時、百合がまたがる便器の中にすでに吐き出された下痢便は、その影も形も見えなくなっていた。その全てが、後から吐き出された液状便によって上塗りされたからである。
ガサ、グジュ、ガササ……
汚れたおしりをぬぐう。おもらしをしたわけではないから、綺麗にするのはおしりの穴だけでいいはずだった。しかし、拭いても拭いても染み出してくる黄土色の汚れを拭いきるまでには、残っていたトイレットペーパーの半分近くを必要とした。そして便器の中の二重三重の下痢便の海は、それだけの紙を黄土色に染め上げてなお、変わらぬ威容を誇っていたのである。
ジャアアアアアアアアアッ!!
「うぅっ…………」
自分が出したものだということを否定したいかのように、容赦ない勢いで水を流す。便器の中は一度下痢便の渦となって徐々に清浄な透明色に戻っていったが、便器の壁に着いた滴や、なにより個室の中に染み付いたにおいは全く消えてくれなかった。
が、今はそれらを落ち着いて処理している時間も手段もない。
(早く……早くっ……!!)
百合は流れる水が止まらないうちに個室を駆け出した。
消耗した身体に鞭打って走る。その心は少し軽くなっていた。
全力疾走で向かう先がトイレではないこと……それが彼女にとっては嬉しいこととなっていたのである。
あと1球。
9回表二死走者なし、ツーストライクノーボール。
「…………よし」
マウンドを最後まで守り抜いた隆は、学のサインにしかとうなずいた。
相手は左打ちの四番打者。決して楽な相手ではないはずだが、桜ヶ丘のエース、早坂隆とは格が違う。
(この一球で、決める!!)
ピッチャープレートの左端に軸足を置き、大きく振りかぶる。
全てのエネルギーを込めた白球を、一杯に伸ばした左腕にのせて投げ放つ。
「なにっ……」
左打ちの打者にはおそらく、背中からボールが向かってくるように見えただろう。
だが、そのボールが通過する軌道は、本塁上外角一杯。その角度は、並みの変化球をはるかに上回っていた。
左投手最大の武器、対角線投法による直球――クロスファイアー。
時速140kmの剛速球にその角度が加わる…………目で追うことも困難な白き閃光が、学が構えるミットに突き刺さった。
『ストライク、バッターアウト!!……ゲームセット!!』
「あっ…………」
(間に合った……で、いいよね)
百合がベンチに戻ってきたのは、審判がその手を上げた瞬間だった。
それを見届けた瞬間、バックネット裏の二つの人影が踵を返した。数瞬遅れてもう一人が続く。
「最後が一番気合の入った球……か」
「ま、振っただけ大したもんや、あの4番はな」
「…………あれが、早坂隆だ……ということですか」
「うん……」
「オレらの……ライバルや」
その言葉を、不破慎一はもう否定しなかった。
「整列!」
応援してくれた保護者らの前に並ぶ。
隆の両親はいない、ひかりも今日はいない。でも、隆一人を応援してくれた人がそこにいる。
「ありがとうございました!!」
(白宮さん、ありがとう……)
心の中でお礼を言い直し、隆はベンチへと戻った。
「美典も……今日は助かったよ」
「ううん。すごかったよたかちゃん」
当たり前のような雰囲気で会話をする隆と美典。百合はそれを少し離れたところから見ていた。
「澄沢……」
「あ……っ……」
近寄ってくる隆。そして百合は、固まったまま動けなかった。
(私……謝らなきゃ……)
食中毒を起こしてしまった償いのために来たのに、結局トイレに駆け込んでばかりで迷惑をかけてしまった……。百合は自分があまりにも情けなかった。
「あの、早坂先輩、私……その……」
「よく、がんばったな」
「え……」
「澄沢が調子悪くてもがんばってるのに、元気な俺たちが負けるわけにはいかないって、みんな思ってたんだ」
「あ…………」
「次の試合も、頼むぞ」
そう言う隆の顔は、曇りひとつない笑顔だった。
「は……はいっ!!」
隆が差し出した手に、百合は小さな手を合わせる。
ハイタッチ。
「……おめでとうございます、せんぱ…………あっ!?」
「ん……? ど、どうした?」
突然言葉を詰まらせた百合に、隆は驚く。もしやまたおなかの調子が悪くなったのかと、心配と期待を足して2で割ったような気持ちが渦巻いた。
「な、な、なんでもないです。ナイスピッチング、ナイスバッティングですっ!!」
「あ、ああ。……次もがんばるよ」
隆との話が終わった後、百合はその場から駆け出していた。
おなかが下り始めたわけではない。が、向かう方向は今までと同じだった。
(どうしよう……私、私……)
(手、洗ってなかった――――!!)
百合はもう普段の表情ともいえる赤面を浮かべて、洗面所に駆け込んだのであった。
「お……やっぱりここにいたか、香月」
「あ……っ!? た、隆君?」
放送室へ顔を出した隆。
その中では、ちょうど叶絵が帰り支度をしているところだった。
叶絵は手に持っていたものを慌てて鞄の中へ押し込んで、隆の方へと振り向いた。
「来てるんなら、言ってくれてもよかったのに」
「ま、まあね。ほら、声だけであたしってわかるかどうか試してみたくて」
にやりと余裕を秘めた笑いを見せる叶絵。
「苗字で呼ばれてたから、途中までわかんなかったよ。最後の打席だけ名前まで呼ばれたから、そこで気づいたけどさ」
「え……?」
「……そっか、あれはヒントだったのか」
「え……あ、うん、そうそう、それまで気づいた様子がなかったからね」
「しょうがないだろ、放送の音が悪いんだよ」
いつもの教室でのようなやり取り。叶絵は桜ヶ丘中学校演劇部員として来ているため制服だが、隆は試合に出たユニフォーム姿のまま。ピッチャーゴロに飛びついて擦った右袖の土の汚れもそのままだ。
言葉が止まった瞬間、二人はその服装の違いを意識した。
「あ、そうだ……お礼を言わないとな」
「え……?」
「最後の打席、みんなが力をくれたような気がしたんだ。チームのみんな、マネージャーの美典や澄沢、白宮さんも客席に来てくれてたし……それから、香月の声もな」
「……」
みんなに感謝を述べる悪気のかけらもない言葉。だが、その中の一つの固有名詞が、叶絵の心をチクリと痛ませる。だがそれに隆は気づかないし、叶絵自身もその痛みを意識しないようにしているのだ。
「……次の試合も、放送やってくれるのか?」
「希望がなければ演劇部の中で適当に選ぶことになるけど……まあ、やってもいいよ。特等席で見られるしね」
「そっか……じゃ、ぜひ明後日も頼む」
「しょうがないなぁ……そのかわり、負けたら承知しないからね」
「ああ、絶対勝つさ!」
そう断言して、隆は意気揚々と野球部のミーティングに戻っていった。
「……らしくないなぁ、あたし」
もう一人ウグイス嬢を務めた北中の女子がすでに帰っているのをいいことに、叶絵は独り言を口に出した。
鞄の口を閉めようとしたとき、さっき突っ込んだ物体が目に入る。落ち着いた色遣いのハンカチで包んであるそれは、握りこぶしほどの球形をしていた。
「……はぁ……」
ため息。憂鬱さと安堵の気持ちが半々に混ざったような、そんな息づかいだった。このような姿も彼女らしくないと言えるが、もしこのハンカチの中身を見られていたら、さらに叶絵は平常心を失っていただろう。
(あの時、あたし、あんなこと言ってたのか……)
あの時とは、隆が最終打席に立った時のアナウンス。隆をいつもの習慣どおり名前で呼んでしまったことは、彼女自身覚えていなかった。試合の最大の山場だから落ち着きをなくした、というわけでもない。
試合の内容とは全く関係ない、もっと切迫した問題に彼女は直面していたのである。
ギュル……キュルルルルルッ!!
「あっ……!?」
(い、いけない……聞こえちゃった!?)
放送室の中、叶絵は自分の身体から発せられた音に、その神経を奪われていた。
「……どうしたの?」
「あ……な、なんでもない……」
ほっ、とため息をつく。
隣にいた北中の女子生徒に聞こえていないくらいなのだ。まさかマイクがこの音を拾ったということはないだろう。
「あの……悪いんだけどさ、次の打順が終わったら、アナウンス代わってくれない?」
「え……でも、桜ヶ丘の攻撃だけど、いいの?」
「うん……お願い……あっ!」
叶絵が話している間に、試合の状況は動いていた。先頭打者がヒットで出塁、次の打者は……
「……」
一瞬の間をおいて、「一番仲のいい男子」の名前を呼ぼうとする。
……その瞬間、彼女を強烈な腹痛が襲った。
ギュルゴロギュルギュルギュルッ!!
「くぅぅっ……だめっ…………」
頭の中が真っ白になりながらもアナウンスの仕事を終え、叶絵は一目散に球場の外に駆け出した。
(なんで……よりによってこんな時にっ……)
おなかの急降下である。
トイレのドアを閉められないというハンディキャップのため、彼女は我慢を強いられる機会が多い。ゆえにどうしても快便とはいかず、便秘に近い状態になってしまうことが多い。
しかし、いつ便意がやってくるか知れず、便意に襲われたら安全に排泄する手段がないとあって、神経をすり減らす生活を余儀なくされる。そしてクラスの友達らが抱いているイメージとは違って、彼女の神経は決して図太いわけではなく、女の子としての繊細さを十二分に持ち合わせているのであった。
その心理的影響がもろに現れるのが消化器である。調子を崩した胃腸は、その中身を一斉に体外に押し流そうとする。たとえ数日排泄がない状態であったとしてもおかまいなしに、その溜まった分全てを吐き出そうとするのだ。
数日排泄がなかった上での下痢による急激な便意。叶絵にとって、珍しいとはいえない排泄の形である。
(……間に合った……!!)
それでも、彼女がおもらしという破滅に至らず毎日を送ることができるのは、自分の体質を熟知して、きちんと対策を立てているからに他ならない。
トイレが使えない以上、彼女に許される手段は野外排泄しかない。朝球場に来たとき、誰にも見つからず排泄ができそうな場所の見当をつけておいたのである。
その場所に叶絵は滑り込んだ。ランニングコースの裏の生垣の向こうに。
ギュルルルルルルッ!!
今までで一番の腹痛が彼女を襲う。同時に、おしりを内側からこじ開けようとするすさまじい便意。
「くっ…………」
だが、叶絵はその二重攻撃に負けなかった。普段からの危機管理以上に彼女をおもらしから遠ざけているのは、最終防衛線ともいえるおしりの締め付け……すなわち、我慢強さである。
(この程度なら……)
下痢による激しい便意、それも数日分のものが一気に押し寄せているそれは並大抵の圧力ではないはずだが、便意をもよおしてから約10分。彼女の意識としては「この程度」だった。無論、おしりの穴を押さえつけて我慢するほどでもない。歩みを止めておしりの穴を締め付けるだけで、叶絵はおなかの中の圧力を完全に押さえ込むことに成功していた。
ギュルゴロゴロゴロッ!!
「んっ……」
そして、彼女が足を止める。便意が限界に達したのではなく、排泄を行う場所にたどり着いたからである。周囲をうかがいながら腰を下ろし、スカートの中に手を入れてショーツを下ろす。
「くぅっ……」
……。
肛門の締め付けを解き放った一瞬の後……叶絵の排便が始まった。
……チ……ミチッ……ニュル……
排泄がなかった数日の間に蓄えられていた便塊がまず吐き出される。その直径はおよそ3センチ、ガチガチに圧縮されるほどではないがかなりの硬さを持った濃褐色の便が、肛門を一杯に押し広げて飛び出してくる。
ブニュ……ニュル……ブリュッ……
その長さが伸びるにつれて硬さは少しずつ失われていくが、まだ形状を失うほど柔らかくはない。直径を少しずつ細めながら、それでも途切れぬまま伸びていく長さが、3センチ、5センチ、10センチ……ついにその先端が地面に達した。しかしおしりの穴からはつながったままの便が飛び出してくる。地面に当たって一曲がり、二曲がりしたあとも、おしりからの連続排泄は途切れなかった……が、固形の便はその全長を20センチほどに伸ばしたところで、べちゃりと地面に倒れた。
……徐々に細くなり水気を増していく便が、ついにその剛性を失い、軟便と化したのである。
「んっ……!!」
ブリュリュリュッ!! ブッ!! ブチュブチュブチュッ!!
ブリブビビビッ!! ブジュブジュッ!! ビッ、ブリブリブリッ!!
排泄の当初よりは窄まったおしりの穴から、しかしその数倍の大きさの音を立て、比べ物にならないほど肛門を汚し、量的にもすさまじい勢いで、ゆるい便が噴出していく。
色こそ同じこげ茶色で変わらないが、その質感の変化はすさまじい。地面に横たわった固形便はどっしりとした重量感を備え、折れ曲がりつつも輪郭がはっきりしているが、今排泄されている軟便は肛門から飛び出すときにも形を変え、地面に落ちてからも溶けるように広がっていく。さらに水分が多いために、日陰にありながら光沢がはっきり確認できる。もっとも、その光沢が強調する印象は宝石の華美さではなく汚物の汚らしさなのであるが……。
グルルルルルルルッ……
(だめ……まだおなか痛いっ……)
「……つっ!!」
ブリビチャァァァァッ!! ブボボボボッ!!
ブビブビブビブブブッ!! ビチャブリブリリリブリッ!!
ビュチュブリュリュリュリュリュッ!! ビビビビビーーーッ!!
とどまることなく軟便が降り注ぐ。
叶絵のおしりの穴は、一度開いてからというもの、一秒と閉じていることがなかった。固形便に始まり軟便へと変わる、ノン・ストップでの大便排泄。ここが野外であることを全く感じさせないほどの、すさまじい勢いでの排便だった。
しかも、便質がゆるくなるにつれてその勢いが増していく。飛沫を散らすほどに水っぽくなっている便が後から後から降り注ぎ、最初に出た、決して少なくない量の固形便を覆い尽くしてしまう。……その様は、固形便でなくゆるゆるの軟便こそがこの排泄劇の主役であると自己主張をしているようであった。
キュル……
「ふっ……うぅん…………」
ブチュッ!! ……ブリュ、ビチュビチュビチュッ!!
ブブブッ……ビチャッ!! ブ…………ブリリリリリブブッ!!
ビィィ……ブビビッ……ビブチュルッ、ビチ、ブピ…………ビビビビビビビッ!!
叶絵がおなかをさすりながら、少しずつ力を入れ始める。
自然にあふれ出す激しい排泄が収まりつつあるのだった。肛門が閉じている時間も少しずつ長くなっている。
しかし、排泄の主役たる軟便の勢いは、今なおその激しさを保っていた。軟便からさらに水分の多い下痢便へと装いを変えつつ、叶絵のおしりの穴と地面を汚しながら、すさまじい音を響かせる。
残便感などという生易しいものではない、いまだ明確な便意に、叶絵は苦しめられていた。
「はぁ……っ……!!」
ブピ……ビチュッ……ブピ…………
ブピュッ…………ビチャッ……………………ブ……
その便意から彼女が解放される頃には、すでに固形便は軟便の下敷きになって全く見えなくなっていた。小山、と表現するのでは物足りないほど立派な汚物の山が、彼女の足元に作り上げられていた。
「ふぅ……」
常備しているティッシュを一袋使い切って、軟便にまみれたおしりを拭く。その残骸を、白い面を表に軟便の小山、もとい巨峰にかぶせるが、とてもその全てを覆い切れはしない。
「あ……」
叶絵の視界の隅に、地面に打ち捨てられている新聞紙が目に入った。あれなら、この山を覆い隠しておつりがくる……。そう思った彼女は、下着を上げてその新聞紙を取りに、数歩の歩みを進めた。
「え……な、なにこれっ!?」
その新聞紙を剥ぎ取った下から現れたものを見て、叶絵は驚愕の声を上げた。
無理もない。たった今彼女が出したものをさらに上回る量、臭気、水分を含んだ、黄土色の液状便の海を目の当たりにしたのだから。
(うそ……こんな水みたいに……しかも、こんなにたくさん……)
液状便である。当然、新聞紙に吸収され、地面にも吸収され、その量を減らしているはずである。それでもなお、叶絵の出したものを確実に上回る量の液状便が、新聞紙の下に残されていたのだった。
(……こんなんじゃ、隠したくなって当然よね……)
この汚物の海を作り上げたのが誰かはわからないが、もし女の子だったらこれを見られて平常心でいられるわけがない。新聞紙をかぶせてもなお安心しきれず、振り返りながらこの場を立ち去ったはずだ。
(……でも……あたしも……)
野糞の跡をそのままにして立ち去ることは、とてもできそうにない。この新聞紙を奪い取り、自分の出した汚物の上にかぶせる……ひどいことかもしれないが、それで誰とも知れない相手に直接の迷惑がかかることはない。叶絵は新聞紙の端をつまんで立ち上がった。
その瞬間である。
ドスベチャッ!!
「え……?」
叶絵の背後で轟音が響いた。
重く硬いものが落下したような音と、柔らかく湿ったものが押しつぶされるような音である。
(……な、なに……?)
恐る恐る叶絵が振り返った先には、信じられない光景が展開されていた。
「うそ……」
汚物の山が崩壊していたのである。周りに飛沫を撒き散らして軟便が飛び散り、かなりの硬さを備えていたはずの固形便も砕け散り、その破片がさらに押しつぶされていた。
(な、何が起こったの……!?)
その原因は程なく見つかった。
球体。
汚物の色にまみれてはいるが、ところどころに元の色……白色がのぞいている。
転がっている方向と逆……すなわち、飛んできた元の方向は、球場のグラウンド内。
すなわち、この物体は……。
(野球のボール……!?)
少しずつ回転を取り戻している叶絵の思考回路は、徐々に今起こったことの全貌を浮かび上がらせていった。
球場から飛んできたボール……角度からして場外ホームランのボールが、
叶絵が排泄した汚物の山を直撃して崩壊させ、
その数メートル先にまで転がっている……?
「え、えぇーーっ!?」
その結論に、再び彼女の頭は混乱をきたした。
(なんでよりによってこんなとこに落ちるわけっ!?)
(そもそも、中学の大会で場外ホームランなんて出るの!?)
(もしかして、もうちょっと時間かかってたらあたしに直撃してた……!?)
(ううん、たぶん足元に落ちるだけだけどでもそしたら飛び散って大変なことに……よかった……)
(って、ほっとしてる場合じゃなくて……これどうしよう……)
まとまらない思考に溺れる叶絵。
そこへ……その思考をさらにかき乱す、決定的な情報がその耳に飛び込んできた。
『5番、ファースト、木下君……』
次打者のコールである。
ということは、これを打ったのは桜ヶ丘中学校の4番打者。
4番ピッチャー、早坂隆……。
「え、えぇぇぇぇぇっ!?」
再び声を上げる叶絵。
隆の活躍を喜ぶ気持ちも確かにあった。
だがそれ以上に今は、彼女は焦りと後悔に襲われていた。
(どうしよう、あたし……隆君のホームランボールを……こんな……汚しちゃった……!!)
「……」
球場の放送室の中。
叶絵はハンカチの包みを、恐る恐る開く。
その中から現れるのは、遠めに見てもわかる野球の球。白い布地と赤い縫い目から構成される球体である。だが近くから見れば、その縫い目の部分にごくわずか、黒や茶色が混ざっているのが見える。
紛れもない、彼女の排泄物の汚れが残っているのである。
パニック状態から回復した叶絵は、予定通り新聞紙で自分の排泄物を隠し、ティッシュをもう一袋使って汚れた白球の表面を拭き、さらに水道で丁寧に洗った。
自分の排泄物が付着したものを、他の人に発見されるわけにはいかなかった。表面上の汚れをふき取ったからといって、このボールが叶絵の出した汚物を直撃した事実は消えるものではない。万が一、隆が表面だけの白球を見て、記念にとっておきたいなどと言い出したら……。
(ごめんね、隆君……)
叶絵はこの白球を、自分の排泄の苦い思い出とともに、絶対に人には見せないことを決意した。
だから、隆が放送室に現れ、ハンカチに包んだ白球をしまうところを見られそうになったときに、慌てながら複雑な表情をしたのである。
「う……あ…………」
胸に秘める決意をしたがゆえの苦しみではあるが――。
叶絵は早くもその翌日、演劇部の練習のため登校した昇降口で、再び複雑な表情を浮かべることになった。
『生徒会だより号外』
7月18日、栃木県中学校野球大会のけやき野地区大会1回戦が市営野球場で行われました。桜ヶ丘中はその開幕戦で北中との対決です。
主将、早坂君のもと優勝を目指す桜ヶ丘野球部は、1、2番に成瀬君、朝比奈君の俊足1年生コンビを据え、主軸を木下君、早坂君、芝田君の3年生で固めた布陣で臨みます。守りの要となるキャッチャーには生徒会会計でもある2年生の藤倉君が入り、頭脳的なリードでエースの早坂君を引っ張ります。
序盤は先攻の北中ペースで進みました。2回表、エラーで出したランナーを返され、ノーヒットで1点を失ってしまいます。しかし、この後からエースの早坂君が本領を発揮します。三振の山を築いて走者をほとんど出さず、逆転へのリズムを作っていきました。
試合が動いたのは7回裏、3番木下君を塁に置いて、打順は4番の早坂君。初球の豪快な空振り、3球目のレフトへの大ファールで、北中の投手を震え上がらせます。その後はフルカウントから、カーブを振り抜いた打球は外野をはるかに越え、ライトへの場外ホームラン! 2-1と、見事試合をひっくり返しました。
その後も早坂君のピッチングは冴え渡り、疲れを見せずに9回を投げきりました。最後は渾身のストレートで北中の4番を三振に斬って取り、ゲームセット。
投打に大活躍の早坂君は、7回の打席について「場外はさすがに偶然だけど、ホームランは打てるような気がしてた。マネージャーやスタンドのみんなが応援してくれたので、それが力になったと思います」と、嬉しそうに語りました。ただ、場外ホームランのボールは部員やマネージャーのみんなで探したそうですが、見つからずじまい。「持って帰った人がいたらぜひ教えてください」とのことです。
7回までリードを許す苦しい展開でしたが、緊迫したゲームの中で守備の連携もレベルアップし、2回戦以降につながる試合となりました。明日の2回戦でも活躍を期待しています!
平成12年7月19日 文責:書記長 白宮純子
あとがき
長くてごめんなさい。まずはそこからです。
今回のポイントは百合が下痢に苦しみながらも必死にがんばる姿を描くことで、そのためにはある程度の排泄回数が必要になりました。さらに美典と同時にもよおすのも描き、最後の叶絵の話で最初の野外排泄からの伏線を完結させる、ということで、予想以上に長くなってしまいました。まあ、百合は作者お気に入りのキャラですので、許してください(笑)
今回のテーマは「outfield」でまとめました。野球に関してはグラウンド内での描写を最小限にとどめ、観客席から高峰中のライバルたちの目を通して描いています。排泄面でも百合の野外排泄から便器外誤爆、と場外を意識した内容にしています。最後は場外ホームランで決着をつけ、しかも綺麗には終わらずオチをつけるというところで、長さに見合うだけの内容になったと思っています。
本来は百合、美典、叶絵、純子の4人が隆君への思いをめぐって火花を散らす、という要素も入れるつもりだったのですが、とても長さ的に入れられなかったのと、今それをやると負い目のある百合が圧倒的不利になってしまうので、野球大会中は仲良く応援してもらうことにしました。女の戦いが本格化するのは2学期に入ってからになりそうです。
今回難しかったのは野球描写と排泄描写のバランスです。どちらかに偏ってもいけませんし、均等に混ぜるつもりでも、お互いの流れを阻害してしまうことがありますので。双方のシチュエーションの長所を伸ばせるような配分を、今後数話で気をつけないといけませんね。
さてさて次回は。
時を同じくして二つの戦いが行われていた。
市営野球場、太陽の下では、早坂隆率いる桜ヶ丘中野球部が、陽光台中との2回戦に。
私立体育館、照明の下では、白宮純子率いる桜ヶ丘中女子バレー部が、第二中との試合に臨んでいた。
危なげなく試合を運ぶ隆。優位に試合を進める中、藤倉学の表情は浮かばなかった。併殺でチャンスをつぶし、1回戦から数えてもノーヒット。見逃し三振に倒れた学に、隆は自らの戦う姿で喝を入れる。
一方のバレー部、総力戦となった二中との戦いは、2セットを奪われての第4セット。負傷者を出して控えを使い果たした桜ヶ丘、その中心である純子の動きが急に鈍る。その原因は、ひかりが一番よく知っていることだった。
代われるのは自分しかいない、でも代わったら足手まといになる……迷うひかりに、決意の一歩を踏み出させたのは、純子と交わした約束だった。
この日……初めて純白同盟が発動する。
つぼみたちの輝き Story.19「ひとつだけ、伝えたいこと」。
時に背中で、時に言葉で。二人が伝えたかったことは、同じ――。