ろりすかZERO vol.5

「トラ・トラ・トラ」

*言うまでもありませんが、この物語はフィクションです。
実在の選手・学校名などとは関係ありません。


甲崎虎美(こうさき とらみ)
 1985年11月2日生・17歳  兵庫県立西宮高校3年生
体型 身長:157cm 体重:49kg 3サイズ:84-51-85

 生まれながらの阪神ファンである熱血少女。
 重そうにすら見える、赤みがかったふさふさのポニーテールが印象的。
 ボケ&ネタ担当。しゃべり出すと止まらない。叫び出すともっと止まらない。

沢口早希子(さわぐち さきこ)
 1985年12月22日生・17歳  兵庫県立西宮高校3年生
体型 身長:155cm 体重:51kg 3サイズ:85-53-85

 虎美の中学校からの親友。野球の知識はあるものの、甲子園は初体験。
 紺色に近いセミロングの髪。服の露出は少なめ。
 性格はやや冷めており、もちろんツッコミ担当。



「来たで…………甲子園やーーーっ!!」

 苔生した球場の壁を真っ正面に見据えながら、その少女は声の限り叫んだ。

「とらちゃん……そんな叫ばんでもええやん……」
「アホ! これが叫ばずにおられるか! マジック1やで1! うちらは、運命の瞬間に立ち合うんや!」
「また……教科書載る事件みたいな言い方して……」
「載る! 絶対載る! 2003年阪神優勝、ついでに優勝セールで景気V字回復ってとこまで、これからの高校生が暗記するようになるに決まっとる!」
「そら景気の方は載るかも知れへんけど……阪神はなぁ……」
「あーもう! アンタみたいなわからずやには口で言ってもあかん! こっち来たり!」
「ちょっと……とらちゃん、痛い、痛いわ!」
「さあ……世紀の瞬間はもうすぐやー!!」



『冷夏の後に厳しい残暑。異常気象とも言える今年の夏も、ようやく終わりを告げようというところ。しかしこの場所、この時間だけは、今年一番の熱気が渦巻いています。2003年9月23日、阪神対巨人27回戦。ここ甲子園球場には、浜風の涼しさをかき消すかのように、5万3千人の熱きタイガースファンが、その瞬間を見届けるために集いました』

『本日の放送、実況はサンテレビの高田浩輔、解説はもはや説明不要、18年前の胴上げナインの4番、掛布雅之さんでお送りいたします。……いやー掛布さん、この甲子園決戦、予想されてましたか?』

『いやいやいや。まさかここまでもつれるとはねぇ。てっきり先週の神宮かナゴヤで決まる思ってたんですけどね』

『そうですねぇ……まずは、ここまでの阪神の戦いの軌跡を振り返りましょう。優勝までのマジックナンバーは1。対象チームは今日の相手、宿敵・読売巨人であります。この一戦に勝利すれば、本拠地甲子園で、念願の胴上げが行われることになるのです』

『春先から独走態勢を続けた阪神、7月に点灯したマジックを順調に減らしましたが、負傷者続出の死のロードで4勝11敗の大ブレーキ。その後こそ1勝1敗ペースをキープしましたが、マジック対象チーム、広島、巨人の必死の抵抗もあって、一ケタ台で足踏み。先週の9連戦も1勝8敗と大きく負け越し……18年前の胴上げの地神宮、星野監督第二の故郷、ナゴヤ、そして本拠地甲子園での胴上げもなりませんでした』

『マジック2として臨んだ甲子園での対広島3連戦最終日。中継ぎの総力を投入した激戦の末、7対6で勝利を収めましたが、巨人も延長11回の死闘にペタジーニの3ランで決着。マジック1で東京ドームの直接対決に乗り込むことになりました』

『東京ドーム3連戦の先発は伊良部、下柳、ムーア。対する巨人は林、上原、久保。しかしこの3連戦はなんとも意外な結末。阪神の3連敗に終わりました。初戦の伊良部は川中、鈴木の両俊足にいいように走られ、3回0/3、5失点で自滅。下柳は7回3失点と粘りましたが、打線が上原の前に散発4安打と沈黙。今期2度目の完封負けを喫しました。3戦目のムーアは自らの満塁走者一掃タイムリーで久保をKOしましたが、終盤の代打攻勢の前に逆転負け。まさかの3連敗を喫しました』

『いやー、さすがにこの3連戦は想像できませんでしたね』
『どうでしょう掛布さん。この勢いでいくと、ちょっとだけ怖くありませんか?』
『いーや。阪神の優勝は絶対動きません。巨人が残り6試合全勝、阪神が8試合全敗して初めて同率ですよ。このチームがあと8戦して一度も勝てないなんてそんな、考えられません』
『そうですね。もはや優勝は確定的なところまで来ています。ただ……できるならこの甲子園で。しかも宿敵巨人2連戦のどちらかで決めたい。監督はそう思ってらっしゃるでしょうね』
『……今日ですね。今日決めないとあかん、と思ってますね、きっと。』
『今日ですか?』
『今シーズン、どれだけロードで負けても甲子園で勝ってきたからこそ、今の阪神があるんです。決めるならこの試合ですわ』
『とすると、なんとしても今日……』
『ええ。選手もコーチも監督も、この一戦に全てを賭けてます』
『なるほど……さあ、まもなくプレイボールです。阪神Vロードの最終章、いよいよ開幕です!!』


 同じ頃……一塁側アルプススタンドでは。
「な、なぁとらちゃん……これから何始まるん?」
 スタメン発表が終わった後、観客たちがざわざわと立ち上がり始めていた。
 肩よりちょっと長い髪を揺らしながら、早希子は辺りをキョロキョロと見回していた。
「おう。これからスタメンの選手みんなの応援歌歌うんや」
 そう言いながら立ち上がる虎美。赤み混じりの髪をポニーテールにまとめ、守備練習中の選手に熱い視線を送っている。太めの眉が、その眼光の鋭さを強調している。
 服装は完璧な「応援ルック」。内に着込んだタテジマのレプリカユニホームに、吼える虎がデザインされた黄色のはっぴ。頭に締めたハチマキには、燦然と輝く『猛虎』の二文字。ジーンズを股下で破ったベリーショートのズボンが、スポーティな女の子らしさを表現している。
「応援歌て……あたし、六甲おろししか聞いたことないんやけど……」
 半ば無理矢理連れて来られた早希子には当然のことだった。
「あかんわ…………まあ、今回は初めてやから大目に見たる。うちがお手本見せたるから、日本シリーズまでに勉強しとき」
「う、うん……」
「お、始まる始まる!」

  ドン、ドン! ドンドンドン!!
 リズムを取る太鼓の音。それに続いて、怒号のような声が球場全体にこだまする。
「燃〜える闘魂〜〜こ〜のひと振〜り〜に〜〜!……」
「うわ……」
 今まで聞いたことのない大音響に、早希子は思わず耳に手を当てた。
「う〜なれ〜今岡〜……ま〜ことの救世主〜!! ……ほら、かっ飛ばせコールくらい一緒にしぃや!」
「え……」
「かっとばせー、いっまおかっ!!」
「かっとばせ……いまおか……」
「……ほらほら、終わりちゃうで。あと8人、しっかり声出し」
「…………」
「フィールド駆け抜け〜る〜〜セ界一のスプリンター 期待と夢乗せ〜て〜〜走れ赤〜い彗星〜!」

 ………。
「さあて、お次は六甲おろしや。もち、予習はばっちりやろな?」
「うん……1番はちゃんと覚えてきたけど……」
「2番は?」
「えっと…………あー、ごめん……」
「試合中勝ってる時は『熱血既に敵を衝く〜』の2番まで、勝ちゲームのあとは『勝利に燃ゆる栄冠は〜』の3番まできっちり歌う、これ基本や。歌わんかったらモグリやからな?」
「あたし別に……」
 阪神ファンちゃう……そう言いかけて言葉を飲み込んだ。何しろ周りには5万人以上のトラ狂がいるのだから。
「わかればおっけーや。さ、始まるで〜」

『国歌斉唱!!』
「は……!?」
 応援団の仕切り係から声がかかる。予想外の言葉に、早希子は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「これを国歌と言わずして何が国歌や。どこぞの漫画家さんも言うてるやろ、阪神共和国国歌、六甲おろし斉唱や!!」
「は〜……」
 あきれるのを通り越して感嘆のため息をもらす早希子。
 その彼女をよそに、『国歌』の前奏が始まった。

「……フレ〜、フレ、フレ、フレ〜〜!!」
 ワァァァァァァァ……!!
 歌が終わると同時に、ものすごい歓声とメガホンの音。

「はぁ……えらい盛り上がりやなぁ……」
「このくらいついていかなあかんで。試合中はもっとエネルギッシュやからな」
「……なんや、そっちのお嬢ちゃんは初めてさんかいな」
 ……突然、横に座っていた中年の女性が声をかけてきた。
「そやけど……おばちゃん、うちらに何の用や?」
「いやいや……ずいぶん威勢のええ応援しよるな思て。ジブン、だいぶ昔から来てるんちゃう?」
「もちろん。雨の日も風の日も、最下位決定した次の日も、通いつづけて18年やからな」
「へぇ……でも、ジブンの年で18年言うたら、ほとんど生まれた時から違うん?」
「そや。よう訊いてくれました。姓は甲崎、名は虎美。甲崎の甲は甲子園の甲。虎美の虎はタイガースの虎」
「……当たり前やん。他にどんな虎があるねん」
「フーテンのと一緒にされたら大迷惑やろ……って、んなことどうでもええ。生年月日は1985年の11月2日。阪神が初の日本一になったその日に生まれたんや、うち」
「へぇ、そらめでたい日やな」
「それから、まだおむつもとれんうちから、おとんおかんに抱えられて甲子園通いや。生まれて初めてしゃべった言葉も『甲子園』やったらしいからな」
「……あたし、初めて聞いたわ」
「どうせアンタに言うても『ふーん』で終わりやろ?」
「ま、そやろけど……」
「したら、生まれた時からのファンなんやね。うちもちっちゃいころはそうでもなかったんやけど、ダンナがえらいファンでな。いつの間にかうちまでこんな感じや」
 そう言って、タテジマのはっぴをひらひらさせる。
「あれ……でも旦那はんは?」
「ああ、ビール買いに行っとるよ」
 その言葉が聞こえるかどうかというところで、席の向こうから恰幅のいい親父が歩いてきた。
「おう。待たしたな」
「なああんた、この子、18年前の日本一の日に生まれたんやて」
「ほう……そらえらい日やな。ちゅうことは、我らが阪神の勝利の女神様やな」
「いやー、去年までは来るたび負けまくっとったけどね。でも今年は来た日みんな大勝利や」
「わははは。今の阪神は、甲子園では無敵やからな。きっと今日この場で胴上げや」
「そやね。負けるとこなんて想像できへんわ」
「……………」
 ……すっかり打ち解けて隣の夫婦と話し込んでいる虎美を見ながら、早希子は薄笑いを浮かべてため息をついていた。「仕方あらへんなぁ……」という言葉の代わりである。

「どや? 前祝いに一杯行っとこか?」
 そう言って、親父さんがビールの缶をしゃかっと小さく振る。
「え? いいんですか?」
「ちょ、とらちゃん、さすがに酒はあかんちゃう?」
「気にしたらあかんて。ほれ、コップ」
「じゃ、いただきますわー」
「おう。それじゃ、我らがタイガースに、乾杯!」
「かんぱーいっ!!」


『1回の表、ジャイアンツの攻撃は、一番ショート、二岡……』

「お、始まる始まる」
「とらちゃん強いなぁ……ひと缶空けてもうたやん」
「いや、ええ飲みっぷりやったで」
「おおきに。さ、気分も乗ったところで応援開始やー!」

『さて、タイガース優勝へのマウンド、上るのは目下最多勝のエース井川。16勝で足踏みしていますが、2位上原との差は残り2登板を残して2。ほぼ、最多勝は確定的でしょう』
『今日勝ちがつけば、単独最多勝確定じゃないですかね』
『そうでしょう。さあ、優勝とともに自らのタイトルを確定させるか井川。18時ちょうど、今プレーボールです!!』

「たのむで、井川ー!!」
「三振取ったりー!!」

 さっそくボルテージを上げ始める虎美。

 カンッ……
『ショートゴロ、一塁転送……アウト!』
 コツッ……
『2番川相、ボテボテのピッチャーゴロに倒れました!!』
 パキッ……
『高橋の当たりはフラフラっと上がったセンターフライ。赤星取ってスリーアウト! 井川、初回を三者凡退に抑えました!!』

「まずまずやね」
「そうなん? 完璧ちゃうん? 三振はなかったけど……」
「井川の調子は、ランナー出した時どうかで決まるねん。ランナー出て三振取れるならその日は安心や」
「そっか……」


『1回の裏、タイガースの攻撃は、一番セカンド、今岡……』

「さ、バッティング・マーチや。気合入れて行くで!!」
「うん……」

『さて掛布さん。まずは阪神の攻撃、投手木佐貫をどう攻略するかですね』
『やはり現在セ・リーグ奪三振王だけあって、ここぞの場面で三振、という武器がありますから、いかに今季のタイガースといえど連打はそうそう出ないでしょうね』
『となると投手戦……あるいは一発での決着というのも?』
『ええ、十分に考えられますね』
『なるほど。では注目しましょう。木佐貫、第1球を投げ……』

 キィィィン!!
「よっしゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」
「えっ……!?」

 足を踏み出してガッツポーズを取る虎美。
 思わず身を乗り出す早希子。
 二人の目の前で、白球が空高く舞い上がり……レフトスタンドに吸い込まれた。

『行ったーーーー!! 今岡の初球打ち、先頭打者ホームラン!! 今季8本目の先頭打者ホームランです』
『……いやー、完璧ですね。低め、難しいコースですよ。真っ芯でジャストミート。きっとヤマ張ってましたね』
『さあタイガース、優勝へ向けて初回、見事なホームランで1点先取です。このまま押し切れるかタイガース!!』

「はぁ……今の球が入るんか……」
 感嘆のため息をもらしている。
「そや。今岡は一番長打力のある首位打者やで」
「しかも先頭で一発やった試合は今まで全勝や。こら期待できるで」
「よーし、このまま一気に二桁得点や。頼むで赤星!!」
「そっか……今年の阪神って、勢いだけやなかったんか……」



『1回の裏、阪神は今岡のホームランで1点の後、赤星内野安打、金本センター前ヒットで無死1,3塁としましたが、檜山が木佐貫のフォークの前に三振、片岡はセカンドゴロダブルプレーで結局追加点はなし。1対0のまま2回に移ります』
『やはり、ここまで来て大量点されるわけにはね。がっぷり四つの試合ですよ』

「惜しいなぁ……あと一本やったのに……」
 メガホンで前の椅子を叩いて悔しがる虎美。その横で、早希子は所在なげに辺りを見回していた。
「ねぇとらちゃん……あの、あたしトイレ行ってくる……」
「ああ、ええよ。場所わかる?」
「うん。入ってきた入口のとこやし……」
「したら早よ済ませてな。三者凡退なら3分で終わってまうで」
「うん。じゃ」
 そう言って、早希子は駆け足で階段を上っていった。

 女子トイレ。
 みな阪神の攻撃が終わった後に……という考えは同じなのか、個室は満杯。その前に、ちらほらと人が並んでいた。
(結構女の人いるんやね……)
 野球なんてオヤジの見るスポーツ、と思っていた早希子には意外な光景だった。かなりの率で、20台の若い女性の姿、そしてちらほらとだが、自分と同じくらいの年代の女の子の姿も見かける。
(とらちゃんだけ変なんかと思ってたけど……)
 そんなことを考えながらトイレの前に並ぶ。
 壁は一面コンクリートで、個室の仕切りも塗装がはげかけた木製。作りは決して新しくない。さらにトイレの入口に扉がなく、見る気なら通路からも個室の前まで見えてしまう。
(……まー、年季の入ったとこやし、仕方ないか)
 そんな中、ある個室の前に貼ってあった張り紙が目に止まった。
『個室内外を汚さないように。みんなのトイレです。綺麗にお使いください。』
 特に違和感を感じたのは、個室の外という部分である。
(外なんて汚すわけあらへんやん……そら、おもらしでもしたら別やけど……)

 ガチャ。
 そう考え事をしている間に、目の前の個室が開いた。
 中に入って、扉を締める。
 染み付いた匂いがちょっときつい、和式の便器だ。

「っ……」
 ゆったりしたジーンズをそっと下ろすと、中から真っ白な肌が現れる。
 膝の上まで下ろして、早希子は便器にまたがった。

  プッシャァァァァァァァァァァァ……
  ピチャピチャピチャピチャッ!!
 激しい勢いで、尿道口から黄色い液体が飛び出して行く。
 その勢いゆえに、弧というよりは直線に近い形を描いて、金隠しの下のくぼみに落ち込むその縁の部分をすごい音を立てて打ち付けた。

(やっぱり、お酒飲むとおしっこ近くなるって本当なんや……)
 コップに半分ほどだが、摂取したアルコールはその効き目をはっきりと現していた。正月に少し飲んだことはあるが、そのときは口をつけるくらいで両親が止めていたので、酔いを感じるほどではなかった。

  プシュゥゥゥゥゥゥゥゥ……
  シィィィィィィィィィッ……
 なかなか、勢いがおさまらない。そういえば、最後にトイレに行ったのは家を出る前だったから、3時間以上も行ってなかったことになる。溜まっていて当然だった。
(また行きたくなると困るし……できるだけ出しとこ)
  ピッ……ピュピュッ……
 自然に出る勢いをなくし始めた水流を、膀胱に力を入れることで強制的に押し出す。それでも出なくなって初めて、早希子は拭くための紙を手に取った。

「……おまたせ」
「遅い! もう2回裏の攻撃、終わってもうたわ!!」
「ごめん。ちょっと混んでて、並んでたから……」
「……まあ、言うた通り三者凡退やったから、見逃してもそんな悔しくあらへんけど……これが、アリアスの場外弾!とかやったら悔やみきれんやろ?」
「うん……しばらく平気やと思う。とらちゃんは?」
「へ?」
「その……トイレ。結構飲んでたやろ?」
「別に……ん、大丈夫。みんな汗で出てまうねん、きっと」
「そやったらいいけど」
「さ、んなこと言うとらんでしっかり応援や。井川はこれまでランナー出してへんからな。ピンチを乗り切るのが魅力やけど、パーフェクトゲームなら文句ないし」
「そんな無茶な……」


『三振ー!! 奪三振王の木佐貫から三振で井川、3回をパーフェクト!!』

「あら……」
「ホンマやね……」

『いや、投手としての奪三振と打者としての三振数は関係ないですって』
『……そうでしたね。……おや、木佐貫の「被三振率」は7割以上なんですね。これはピッチャーにしても高い数字です』
『それはいけませんな。ローテーションピッチャーは打撃もある程度できんと。ムーアあたりを見習ってもらわないと』
『ですね。さあ、7回の裏阪神の攻撃です。そろそろ追加点がほしいところ、打順は9番井川から上位に回ります!!』



「あちゃー……」
『三塁ランナー井川、本塁タッチアウト!! 井川のフェンス直撃二塁打、今岡がセカンドへの進塁打で一死三塁、赤星センターへの犠牲フライはレイサムが怒涛の前進、そしてバックホーム! 井川よく回り込みましたが、村田のブロックに追加点を阻まれました!! 3回裏終了、1対0のままです!』
「惜しいな……あと少しやったのに……」
 がっくり肩を落とす虎美に続いて、早希子も悔しげな声を漏らした。
「……まあ、ストライク返球やったからな。しゃーないわ。またスタンドにでも投げといてくれたらよかったのに」
「そんなことあったん? 1アウトで?」
「らしいで。あんま詳しく知らんけど」
「ふーん……なぁ、ピッチャーの井川さん、大丈夫なん? まだ、息荒いように見えるけど」
「まぁ、大丈夫やろ。このくらいはピッチャーの宿命や」


  ブンッ!!
『三振! 高橋三振でツーアウト!! 二岡フォアボール、川相の完璧な送りバントで一死二塁、初めてのピンチを迎えて今日最速の148キロが膝元へズバリ!!空振り三振に斬って取りました!!』
「……な、大丈夫やろ」
「そやね……心配して損したわ。これなら1点リードで十分ちゃうん……」

  パキーン!!
「えっ!?」
「うそっ!?」
『ライトに上がったーーーーっ!! 檜山完全に見上げた、動けません!』

「ぁ…………」
「っ…………」

『……5万3千人、甲子園が静まり返りました!! ペタジーニの特大2ランは、ライトスタンド最上段! 巨人逆転、2対1です!!』
『真ん中でしたね……外の球がシュート回転して吸い込まれてパカーンですわ。手元狂いましたね、完璧に』

「……まあ、しゃーない。これで目ぇ覚めるなら、安いもんや」
「大丈夫なん?」
「ここで崩れるようやったらエースちゃうわ。やってくれる。信じて応援する、それだけや」
「うん……わかった」
「井川ーっ!! まだ序盤や序盤!! 取られたら打線が倍打ってくれるで、気い入れやー!!」
「井川ぁーっ!!」
 虎美と早希子がそろって声を上げる。ここだけではない。球場はどこかしこからも、そろって井川コールが巻き起こっていた。
「井川! 井川! 井川っ!」

『打ち取ったーーっ! ピッチャーフライ! 井川、清原のバットをへし折りました!! 4回表、巨人はペタジーニの一発で2対1、しかし井川、追加点は阻みました!!』

「よっしゃ!!」
「やったな、とらちゃん!!」
 手を取り合って喜ぶ二人。
「おう、そっちの嬢ちゃんもサマになって来たやん」
「そ、そうですか?」
「おう。こんだけ声出せれば、立派な阪神ファンやで」
「そや。……なんや、うちが心配する必要あらへんかったな」
「そうなんかな……まだ、自信ないけど……」
「ま、それは追い追いや。さ、4回裏の攻撃は3、4、5番や。手加減は要らん、この回で逆転や!!」
「うん!!」



『あーっと三振! 金本倒れました! これで4回、5回とノーアウトのランナー返せず! タイガース、あと一本が出ません!!』

「んー……ランナーは出るんやけどなぁ……」
「やっぱみんな、優勝目の前で緊張してるんやろか……」
「それもあるやろけど……もうちょい頑張ってくれんと……打てん球やない思うけどな……まあいい、とりあえず歌おか!」
「えと……六甲おろし?」
「そや。わかって来たなぁ。……悔しいけど今日はまだ一番だけや。その分熱唱で行くで!」
「うん……!」
 ガバッと立ち上がる虎美。早希子もそれに続く。
「……あたっ!!」
「……? どしたん、とらちゃん?」
「いや……腹のこの辺りがずきゅーんって……」
 左下腹を押さえてさする。
「大丈夫なん?」
「ん……ま、大丈夫やろ。もう全然痛うないし。さー、行こか!」

『六甲おろーしにー、さーっそーおーとー……』
『蒼ー天ーかーけるー、にーちーりーんーーのー……』
『せーいしゅんの覇気ー、うーつーくーしーく……』
『かーがやく我が名ぞ、阪神〜タイガース……』
『オーウ、オーウ、オウオウ〜、はーんしーんタイガース……』
『フレー、フレ、フレ、フレ〜〜!!』
 手をつないで歌う二人。
 早希子も、歌詞に詰まることは一度もなかった。

 甲子園がふたたび、一つになる。


『さあ、グラウンド整備も終わり、1点を追うタイガース、6回表の守備に入ります。反撃に転じるためにもここは井川、なんとしても0点に押さえたいところ!』
「頼むで井川……エースの意地、見せたれや!」
「三者三振でお願いな!」

 キィィィィン!!
「!!」
「え……」

『……入ったーーー……弾丸ライナー!! 井川の初球、高橋由伸がセンターフェンス際ギリギリに叩き込みました、これで3対1!!』
「くあ……やられた……」
『早く守備を終わらせて反撃に移りたい、その一心でしょうね。しかし早打ちが得意な高橋に初球をストライク、安易に入りすぎましたね』


『さあ気を取り直して4番ペタジーニに対します。カウントは1-1から3球目……』

 パキッ……
「よっしゃ、凡フライや!!」
『高めボール球を打ち上げた!! バットの上っ面でしょう。高々と上がったボールは……センター赤星前に出て……いや、下がります。赤星バック、全力疾走!』
「え……まさか……」
『フェンス手前、足が止まる……あっ、見送った? 見送りました!!』
「う……うそやろ……」
『入りました……ペタジーニ、今日2本目……フラフラっと上がった打球はなんと、広い甲子園のバックスクリーンまで……いや、しかしこの当たりで入るとは信じられません!』
『完全に当たりそこないですよ。しかしそれを入れてしまうのがペタジーニのパワーなんですね……ホント怖いですわ、このバッターは』
『さあ、これで4対1。木佐貫が粘りの投球を続けているだけに、タイガースはかなり苦しくなってきました。井川、この流れを食い止めることができるか!!』

「とらちゃん……まずいんちゃう?」
「信じるっきゃない……心配するヒマあったら声出し。それ、頑張れ頑張れ、いーがー……んぐっ!?」
 再び、虎美が目を閉じておなかを押さえる。
「ちょ、とらちゃん……ほんま大丈夫?」
「だ、大丈夫……またちょいビクって来ただけや……別に……」

 パキーン!!
『あぁぁぁぁぁぁぁーっ!!』
「えっ……」
「そんな……」
『打った瞬間、内外野一歩も動けません!! ボールはバックスクリーンを直撃! 甲子園のスタンド全員が呆然。清原、圧巻のホームランです! 井川、痛恨の3連発を食らいました……しかもバックスクリーン、あの伝説の3連発と同じバックスクリーンに叩き込まれました……いかがですか、この影響は?』
『いや…………大きいと思いますよ。点差以上に、精神的ショックが消えないと思いますね』
『あーっと星野監督出ました! ピッチャー交代! 先発の井川、結局5回0/3でマウンドを降ります! いやー、優勝決定のマウンド、おそらく完投も考えていたはずです。井川、悔しげな表情でベンチに下がりました』
『悔しいでしょう。チームの勝ちだけでなく、最多勝も防御率もわからなくなりましたからね。球威もコントロールも落ちてはいないですけど……ここは頭冷やさないといけませんね』
『さあ、2番手は今季フル回転の安藤です! 普段は7、8回からクローザーへのつなぎですが掛布さん、ここで投入してきましたね』
『いや、監督は思ってますよ。4点差は逆転できる。ワンチャンス5点のチームを今年は作り上げてきたんです』
『まだ、負けゲームではない、と?』
『そういうことです。首位独走でみんなすっかり忘れてますが、今こそ初心に帰るときです。Never, Never, Never Surrenderですよ』
『そうでした。その言葉から始まった星野阪神、2003年のシーズンでした。その言葉を思い出し、逆転することができるか。まずはこの回、安藤のピッチングにかかっています!』

「とらちゃん……」
「うちらがあきらめたらあかん。ファンがあきらめたらチームは勝てん。最後まできっちり応援する、それが本物のファンやで」
「……うん……」
「今年の阪神はこのままでは終わらん。だから……くっ……信じるんや」
 ……言葉の途中で顔をしかめる虎美。
 音こそ外に漏れていないものの、彼女の身体は、はっきりとおなかの中でうごめく不気味な感覚を感じていた。
(どうしてこんな大事な時に……)
 徐々に増してくる鈍い痛みをこらえながら、虎美はグラウンドに視線を向けつづけた。


『6回裏、タイガース無得点!! 木佐貫の前に今日9個目の三振を喫しました!』
『安藤が3人で切って、反撃ムードは高まっているんですがね……球威で押し切られましたね』

「やっぱ……今日はあかんかなぁ……」
 早希子がうつむきながらため息をつく。
「……さき……悔しいか?」
「え……そらもちろん……勝てへんかったら嫌やん……」
「打てへんかったら、何やってんねんて怒鳴りとうなるやろ?」
「そやね……けど、一生懸命やってるんやし……」
 早希子がフォローする。そうしたくなるくらいには、彼女の心に阪神ファンの意識が芽生え始めていた。
 だが……虎美は黙って首を振った。

「怒鳴ってええねん。うちら18年間、ずっとそれの繰りっ返しや。三振したら情けな言うて、エラーしたらアホ言うて、ボコボコ打たれたら引っ込め言うて。でも、次の日んなったらまた、絶対勝つーって応援するんや。いつかやってくれるて信じてな」
「とらちゃん……」
「ま、正直18年は長すぎやけどな。でもその分……勝った時は最高やで。今日勝ったら、さきにもきっとその嬉しさがわかる」
 そうやって、早希子の顔をきっと見据えた。
「とらちゃん…………わかったわ。うちも最後まで応援する。それよりとらちゃん……」
「なんや?」
「顔真っ青やけど、大丈夫?」
 見つめた顔に冷や汗が浮かんでいたのを、早希子は見逃していなかった。
「アホ……盛り上がってる時に野暮なこと言うな」
「そやかて……」
「……ホンマは、さっきからずっとギュルギュル言うてるんやけどな……」
「おなか痛いん?」
「まあ……ちょいな…………あ、やばっ……」
 身体をくねらせる虎美。
「……とらちゃん、もしかしてトイレ行きたいんちゃう?」
「ん……ま、まあな……」
「早う行ってきた方がええんやない?」
「ダメや……ジェット風船に間に合わんかったらいややもん」
「ジェット風船て……7回裏にぱーっとやるあれか?」
「そや。もうツーアウトやからな。打ち取ったらすぐやで。そろそろ膨らませとかな。ほれ、これさきの分や」
「うん」
 風船の口を加えて、ぷうと空気を入れる早希子。虎美もそれに続こうとする。

  ギュルルルルルッ……
「ひっ!?」
 急激に高まった腹痛に、思わず口が離れる。プシューと言う音を残して、風船がしぼんでいった。
「とらちゃん……だいじょぶか? うち、代わりに膨らましとこか?」
「だ、だいじょぶだいじょぶ。ちょっと驚いただけや」
 そう言って、虎美は再び風船に口をつけた。


『フォアボール!! 1番からの打順、危なげなくツーアウトを取った安藤ですが、高橋に内野安打を許した後ペタジーニにフォアボール! ツーアウト1、2塁、バッターは先ほど特大ホームランの清原! どうでしょう、ここはやはり敬遠ですか?』
『うーん、1、2塁ですからね……私なら思い切って勝負ですが……』
『あっ、矢野は立ちません。勝負です。清原勝負!』
『監督もわかってますね。ここが勝負のヤマですよ』
『7回表始まってすでに15分、スタンドのファンは360度全員が、手に持ったジェット風船を飛ばすその時を、今か今かと待ち構えています!!』

「だいじょぶ、とらちゃん……? もう……早よ終わらしてくれな……」
「う、うちなら大丈夫やから……」
 そう言う虎美は、風船を片手で持ち、もう一方の手でおなかをさすっている。
  ギュルゴロロロロロロロッ……
 おなかからは不気味な音が鳴り響いていた。
「めっちゃやばそうに見えるんやけど……おなかこわしてるんちゃう?」
「う、うん……なんか下痢してもうたみたいやな……この回終わったら便所直行やわ……」
「大丈夫かい嬢ちゃん?」
 隣の夫婦からも心配げな声がかかる。
「あ。大丈夫ですー。まだまだ平気ですから……」
 笑顔で答える虎美。
 その額から、汗がひとすじ流れ落ちた。


『ライン際ファースト……ゴロ! 片岡、ピッチャーを制してベースを踏む! 清原を打ち取りました!! 二者残塁、安藤なんとかピンチをしのぎました!!』
「よっしゃ! さあ、飛ばすでー!!」
「とらちゃん……おなか痛いんやったらそんな無理せんと……」
「何言うてん。応援の一番の山やろここが。さぁ、ぱーっと空高くすっとばすで! ホームラン祈願や!」
「しゃあないなぁ……ほな、いこか」

 威勢のいいラッパの音が鳴る。それに合わせて上下する、色とりどりのジェット風船。
 ラッパが途切れたその瞬間……夢を乗せた無数の風船が、空高く舞い上がった。

『逆転勝利、そして今日この日の胴上げを祈るファンの思いが、甲子園の空に打ち上げられました! さあ、7回裏、阪神の攻撃は7番藤本からです!!』

「よーし、行ったれ藤本…………ふぐっ!!」
「ほら……とらちゃん無理せんと座っとき……」
「そやかて……ラッキーセブンやで。この回に逆転せな……」
「応援ならあたしが代わりにやるから、な?」
「さき……」
「それ、かっとばせー、ふじもとっ!!」
「……っ……」
 おなかを押さえて座り込んだ虎美。
 ただ……その表情には、確かな笑みが浮かんでいた。


 早希子の応援が通じたのか。
 7回裏、試合は再び動いた。

 パキーン!
「あっ!!」
『どうだ? 入るか? 飛距離は十分、打球はレフトポール際、切れるか、切れるか、入れ……行ったーっ! ポールに当たりました、ホームランです!!』
「とらちゃん!! やった!!」
「よっしゃ!! さすが広沢や!!」
『代打広沢、フルカウントから振り抜いた打球はレフトポールを直撃するツーランホームラン! 阪神、2点差まで追い上げました!!』
「よっしゃ、こうしてられんわ。うちも気合入れな」
「とらちゃん……」
「さー今岡、もう一発やー!!」

『三振! 一番二番を連続三振です!! 木佐貫、我慢の投球で後続を断ちました! 新人王候補のルーキーが、優勝前最後の壁として立ちはだかります!!』
「くっ……」
「しゃーないな……あ、とらちゃん、今のうちにトイレ行っとかんと」
「いや、大丈夫や。今の盛り上がりで、腹痛いのなんてどっか飛んで……」
  グギュルルゴロロロロロロ!!
「うぐ……」
「ほら……とらちゃん、はよ行ってき」
「ごめん……うー、情けなー……」
 すごすごと、虎美はトイレへと歩いていった。


「げ! なんやこれ!!」
 虎身の目の前の光景……それは、通路にまであふれ出すトイレ待ちの行列だった。
 待つ人の数は20、30……いや、数えたくもない。
(こんなん待ってたら試合終わってまうやん……)
 絶望的な思い。
 ただ、おなかの具合の方も同じくらい絶望的だ。
 激しい腹痛と水っぽい便意。
 試合が終わるまで我慢できる保証はどこにもなかった。
(しゃーないな……なんとか入れてもらわな……)

「ちょ、ごめんなさい……先入れてくれへん?」
 気弱そうな30歳くらいの女性に声をかける。
「何言うてん。ちゃんと順番どおり並び」
 ……イメージと違って、強気な言葉が返ってきた。
「あのな……うち、おなかこわしてて……結構やばいねん。並んでたらもれてまいそうなんや……ほら、そこにも外を汚すなて書いてあるやろ。な、人助け思て……頼むわ」
「あかん。うちもさっきから10分ちょい待ってるんや」
「そこをなんとか……」
「ダメ言うたらダメや。早よ向こう回り」
「あぐっ……」
 ぐっと、列を押し出されてしまった。
「ケチなやっちゃなー……」
 見えなくなった相手に恨み言を言う。

  キィン!!
  ワァァァァァァァァッ!!
「な、なんや!?」
『金本出ました、センター前! さあ8回、阪神の反撃はこの回も続きます!!』

「ちょい待ち……こら並んでる場合違うな……」
 少し目を閉じて考える。
 おなかの具合……さっきより厳しくはなってるけど……。
「えぇい、この程度でへばっとれんわ!!」
 いざとなったら試合が終わるまでくらい我慢してみせる……。
 その決意を秘めて、虎美はスタンドの階段を駆け下りた。

「あ、とらちゃん……どしたん? 早すぎへん?」
「あぁ……ようさん並んでたんでパスやパス。試合のほうが大事やもん」
「そんな……もうかなりやばかったんちゃうん?」
「こんくらい根性や根性! 阪神の優勝が決まるって時やで! ゲリピー程度で見逃したらバチ当たるわ!!」
「行ってきた方がええ思うけどな……」

『檜山打ったー!! 選手会長の一打はライト前!! ノーアウト1、2塁です!!』
「よっしゃ!!」
「同点のランナーやね!」
「もう大丈夫や。ハライタなんて吹っ飛んだわ」
「もう……調子ええんやから……」
『片岡も打ったーっ、大きい!!』
「おぉ!!」
「やった!! 入れっ!!」
『フェンス直撃!!』
「あーっ……ま、まあええ、同点や!!」
「突っ込め、檜山ーっ!!」
『ボールは帰って来ない! 同点! 片岡の同点タイムリーツーベース!!』
「よっしゃぁ!!」
「このまま一気に行ってまえー!!」
『あー、ピッチャー代わります! 木佐貫、8回ワンアウトも取れずに降板です!!』
「よっしゃ、蛍の光や!」
「……なんやそれ?」
「そか、知らへんかったか。相手のピッチャーKOしたら、蛍の光歌ってさよ〜なら〜、や」
「はは、おもろ……あ、始まった始まった。ほたーるのーひーかーありー……」

『代わったベイリー、アリアスにストレートのフォアボール!! ストライクが入りません!! 1塁が埋まって藤本!!』
『藤本の当たりは三遊間ど真ん中!! 二岡飛びつくが……あーっと止めた、止めました! しかしどこにも投げられません、内野安打!! 満塁です、ノーアウト満塁!!』
『いや、まさに打ち出したら止まりませんね。まさに、ノンストップ打線ですな』
『さあ、迎えるバッターは今シーズンMVP候補の矢野です。勝ち越しの一打を放つか矢野、バッターボックスへ!!』

「やーの、やーの、やーの、やーの!!」

 パキィン!!
「!!」
『打ったーっ、右中間真っ二つ!』
「逆転やっ!!」
「勝ち越しやっ!!」
『片岡ホームイン、二塁ランナーアリアスもゆうゆうホームイン! さらに一塁ランナー藤本も……回した回した! 三塁を蹴って……あーっ、ライト高橋から矢のような返球!! クロスプレーだっ!!』
「判定はっ!?」
「セーフやセーフ!!」

『……アウト!!』
『アウト、判定はアウトです!! 星野監督、猛抗議に出ますが……受け入れられません。田淵コーチ、選手もなだめに入りました。ここは監督、引き下がります』
『いや、胴上げの時に監督が退場してたら格好つきませんからな』
『それは確かに。いや、しかしその胴上げの瞬間を、勝利をぐっと引き寄せる2点タイムリーでした!! 阪神ついに逆転!! 巨人は継投失敗、魔の8回再びとなりました!! ピッチャーはまた交代です!!』

「よっしゃ、これで逆転や……あたたっ!?」
「とらちゃん!?」
「うあ……気ぃ抜けたらまた急に腹が……やばっ……」
  ギュルゴロロロロログルルルルルルッ!!
「とらちゃん、しっかり!!」
「だ、大丈夫や大丈夫。もう、ここまで来たら試合終了まで我慢したる」
  ゴロロロロロッ……
「行くで、六甲おろしやっ!」
「とらちゃん……わかった、あたしもつきあうで!!」

「あちゃっ!?」
『審判の右手上がりました、ダブルプレー!!』
「しもた……もうちょいやったのに……」
『今岡ヒット、赤星フォアボールで一死満塁のチャンス、金本の当たりは火の出るような当たりでしたが、不運にも代わったばかりのセカンド仁志の真っ正面! 飛び出していた赤星帰れず、ファースト清原に送られてダブルプレー! 阪神の8回の攻撃は結局打者9人で4点! 2点リードで最終回の守備に臨みます!!』

「よーし……くっ……ここを抑え切れば優勝や……っっ!!」
「とらちゃん……」
「言うな……言うたら余計我慢できななるやろ……」
「うん……」
「さあ……あと……あと3人や……」
(……お願い……早く……早く終わらせたって……)
 早希子の祈りにも似た願いを乗せて……。
 阪神と虎美の……最後の戦いが始まろうとしていた。

『さあマウンドは守護神ウィリアムス! リードは2点! 見事ウイニングボールを監督に手渡すことができるか、9回表、9番代打後藤からの打順に挑みます!!』

「頼む……勝ってくれっ……」
  グギュルルルルルルルッ……
  ゴログルルルギュルッ……
 虎美の身体は、もはや限界の様相を呈していた。
 流れ落ちる汗。
 青ざめた顔色。
 震える脚。
 時おりビクっと身体全体を震わせ、両手でおしりを押さえて硬直する。
 今にも噴き出しそうな便意を、身体の限界を越えたところで必死にこらえているのだ。

『後藤打った!! センター前!!』
「うわ……」
「うっ…………だ、ダブルプレーなら1球でツーアウトや!!」
『二岡初球打ち!! 一、二塁間抜けた!! 代走鈴木は三塁へ、悠々セーフ!! 同点のランナーが出ました!!』
「いやっ……」
「んな……あ、や、やばっ……」
  ゴロロロロログルッ……


『フォアボール!! ストライクが入りません!! これでノーアウト満塁!!』
「本気でピンチやん……あっ、とらちゃん……まだ大丈夫?」
「うん……うぅぅぅっ……」
  ギュルキュゥゥゥゥッ……
「……はぁぁっ……」
 おしりを押さえていた手をやっと離す。
 便意の大波が去った証だ。

『あー、佐藤ピッチングコーチ、また出ます! ピッチャー交代!』
「えぇっ……!?」
 早希子が絶望的な声を上げる。
 ピッチャー交代、それに伴う投球練習で試合は3分以上ストップする。
 それは言うまでもなく、虎美が我慢する時間が同じだけ長くなることを意味するのだ。
「勝つ……ためや……当然やろ……」
「そやかて……だいたい、抑えのウィリアムスよりええピッチャーなんておるんかい……」
「おる……一人だけ……」

『阪神タイガース、選手の交代をお知らせします……』
『ピッチャー、ウィリアムスに代わりまして……伊良部!』
「えぇぇぇっ!?」
 ザワザワザワザワ……。
『甲子園にどよめきが走りました! ピッチャーは伊良部です!! あのヤンキースで抑えをしていたとはいえ、今季は先発で13勝、その伊良部を抑えに持ってきました!!』
『なるほど……バクチに出ましたな』
『どうなんでしょう? 抑えの実績はともかく、ここ数試合ピリッとした投球ができていませんよね。先週の初戦でもいいようにやられています。その伊良部をこの大事な場面で投入というのは?』
『いや……今まで崩れたのはランナーに走られまくったからです。満塁ということは、裏を返せばランナーは打たなきゃ動けないわけですから。バッターとサシの勝負ですよ』
『なるほど……さあ、星野監督の賭け、吉と出るか凶と出るか! 無死満塁から先ほど3連発の高橋、ペタジーニ、清原! まさに背水の戦いに挑みます!!』


「頼むで……伊良部……」

『初球カーブ、高橋空振り!! まずワンストライク!!』
「よし!!」
『2球目は外角低め、ハーフスイングは……回っています!! ツーナッシング!!』
「いける!!」
『3球目は高めボール球!! 高橋思わず手が出ました、三振!!』
「よっしゃ!!」
「…………っ……」
  ギュルゴロロロロロロロロッ!!
「とらちゃん………!?」
「……ごめん……もう……もう立ってられへん……」
「……い、いいよ、座ってて……あたしがとらちゃんの分まで応援する!!」
「さき……ごめん、頼む……」
  ギュルグルルルルルゴロロロロロロッ!!
  ゴロゴロゴロゴロギュルルルルルッ!!
「うぅっ……」
 両手を後ろからおしりの下に回し、我慢体勢を整えて、椅子に座り込む。
 ……もはや精神力だけが、虎美を支えていた。

『ペタジーニ打った!! ピッチャー返し!!』
「うわっ!!」
  パシッ!!
「……え?」
『捕った!! 捕りました!! 満塁のランナー慌てて戻る!!』
「ダブルプレーや!!」
『一塁送球、判定は……』
「アウトや!!」
『セーフ!! 判定はセーフ!! ツーアウト満塁で試合続行です!!』
「くっ……」
「……さき……どないなったん……?」
「え……?」
 うめきに近い声に隣に目を向けると……下を向いて目をぎゅっと閉じ、必死に便意をこらえている虎美の姿があった。
「とらちゃん!?」
「大丈夫や……まだもらしてへん……それより……それより今のペタ公、どうなったんや……?」
「うん……ピッチャーライナー。ダブルプレーは取れんかった」
「そっか……したらあと一人やな……」
 虎美が震えながら顔を上げ、目をそっと開く。
「とらちゃん!! 無理したらあかん!!」
「いいんや……優勝の瞬間は意地でも見る……さあ、行くで、あと一人!」
「う、うん……あと一人っ!!」

『さあ、ツーアウト満塁、一打逆転。迎えるバッターは清原! 世紀を越えチームを越え、伝説の勝負が再びよみがえります! 球場を揺るがす「あと一人」コールの中、抑えて優勝を決めるか伊良部、打って意地を見せるか清原! 第1球投げた、速球だ!!』

 ブオンッ!!
「ひっ……」
『空振りっ!! 風を切る音がここまで聞こえてきました、フルスイング! しかし、まずはワンストライクを取りました伊良部!!』
「よし……それでええ……」
  ギュルゴログルルルルルルルッ!!
 虎美のおなかからものすごい音が鳴る。
 しかし、観衆のあと一人コールにかき消されるまでもなく、虎美にはその音は聞こえていなかった。
 もう、おなかを針で貫かれるような激痛も、肛門が灼けるような便意も、彼女の頭の中からは追い出されていた。

 キィィィィィン!!
『打ったーっ、大きい!!』
「あぁぁぁーっ!!」
「切れろっ!! 切れるんやっ!!」
『ボールはスタンドへ……ファール! ファールです! 思い切り引っぱった打球はレフトポールの横数十センチ! 伊良部、浜風に救われました!! これでツーナッシングです!!』
「よっしゃ!!」
「あと……くっ……」
 身体が熱い。それだけしかなくなっていた感覚が、さらに倍増する。
 喉から声が出ない。
 口だけが、周りの観客と同じ言葉を形作る。
「あと1球っ!!!」
 そして早希子が、虎美の分まで全力で声を出す。

 カコッ!!

「あ……っ……」
 ………………。
 虎美の目の前で、白球が舞い上がった。
 その軌道は……真上への直線。
 甲子園の時間が止まった、その時。
 ……虎美の戦いもまた、終わりを告げていた。


『打ち取ったーっ! キャッチャーフライ!!』
「やったーっ!!」
「優勝やーっ!!」
「胴上げやーっ!!」
『落下点ホームベース上で待ち構える矢野、そのミットの中にボールが……ボールが収まりました!! 阪神優勝ーーーっ!!』

 ウオオオオオオオオオオッ!!
 ワァァァァァァァァァァァァッ!!

「とらちゃん、やった、優勝や!!」
「………………」
「……とら……ちゃん?」
「………………うん、優勝やな……」
「あぁっ…………」
 早希子の表情が青ざめていく。
 座り込んだ虎美、手で押さえ込んだジーンズのおしり……
 そこにはっきりと、茶色の染みが浮かんでいた……。

「…………とらちゃん……よう頑張ったよ……ほら、トイレ行こ? あたしもついてったるから……」
「……一人で平気や……それより、胴上げ始まったら教えてな……もし帰れんかったら実況してや」
「う……うん……」
「ほな……またな……」
 ぐっと目元の涙をぬぐって……虎美はスタンドの階段を駆け上がった。


「っ……あっ……」
  ブビチュルルルルッ!!
  ブリリリリリブジュブビッ!!

 ……トイレの個室前に辿り着いた、そこまでが限界だった。
 おしりのすぐ下からむき出しの両のふとももに、茶色の筋が流れ始める。

「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
  ビチビチビチブブブブブッ!!
  ブボブボボボボボブボッ!!
 壮絶な排泄音が響くたび、ジーンズの厚い生地がボコボコと波打ち、脚との隙間から水風船を割ったような飛沫が飛び散る。

「ちょっと……大丈夫っ?」
「うわ、大変やこのコ!!」
 トイレに並んでいた女性たちも、ただならぬ彼女の様子を見て順番を譲る。
 注目を集めながらも、虎美は程なく空いた個室に飛び込んだ。

  ……バタン。
 和式便器をまたいで立ったとき、彼女の両足には、靴下まで達する茶色の水流が伝っていた。
「ぐぅっ……まだ出るっ……」
 ぐちゃぐちゃになった肛門の内側にさらに熱い感触を覚え、虎美は反射的にジーンズを下ろしながらしゃがみこんだ。

「……ふぅぅぅっ!!!」
  ビチビチビチビチブリュッ!!!
  ジュブババババババブビビビビビッ!! ブボッ!!
 べちゃべちゃと嫌な音と感触を残して便器の中に落ちたおもらしの痕跡の上に、肛門から噴射される軟便混じりの下痢便が叩きつけられる。

「……うっ!! くふぅぅぅぅっ!!」
  ブビジュルルルルルルルルルルルッ!!
  ビチビチブブブブブブブリュッ!!
 もはや息むという状態ではない。
 全開にした肛門から、ゆるゆるの便が出て行くのを甘受するだけだ。

「……だめや……止まらへん……」
  ビチブリリリブジュブリュビビビィッ!!
  ブリュルルルルルルルルルッ!!
  ブリリリリリブジュブリィッ!!
  ビチビチビチビチブジュブビュルルッ!!
  ビチチチチチブリリリリリブリュブリュブリュッ!!

 液状便の水鉄砲。
 軟便の機関銃。
 そんな形容がぴったりな勢いで、虎美は止まることなく排泄を続けていった……。


 数分後……。
 虎美は、まだ個室の中にいた。
 手には携帯電話を持ち、呼び出し音に応えて通話ボタンを押したところだ。
「……あ、とらちゃん……胴上げ、始まったで」
「……そ、そっか……みんな、なんて言うてる?」
「うん……バンザイ、バンザイって……あ! 今上がった!!」
「したらうちらもやるか……バンザイ……バンザ……っ!!」
  ビチビチビチビチビチッ!!
  ブリブリブリュビシャァァァァーーーーッ!!
「……!?」

 電話の向こうから聞こえた形容しがたい音。
 いまだ止まらない、虎美が汚物を排泄する音に違いない。

 早希子は目を伏せて、電話を通して虎美に声をかける。
 
「……家帰ったら、お祝いのやり直ししよな……」
「うん……」
「それから……」

「また一緒に来ような、とらちゃん……」



 ……その約束は、約1ヵ月後の日本シリーズで叶うことになる。
 ただ……虎美がしてしまった粗相を戒める張り紙が1枚増えていて、早希子とともに赤面することになったこともまた事実であった。

 そしてその張り紙の注意もまた用をなさなかったのであるが……それはまた別の話である。


あとがき

 えっと……最初に謝っておきます。
 こんな内容の文章を書いておいて何ですが、筆者は巨人ファンです(笑)

 しかし、せっかく関西に住んでますしね。今季の強さは圧倒的でしたし、打線の鮮やかな集中打は特に見事でした。18年ぶりの偉業に敬意を表し、このような文章を書こうと思い立ったわけです。ファンの皆様には心よりお祝い申し上げます。

 ちなみに小説自体を書き始めたのはマジック5の頃で、この調子だと神宮かナゴヤで決まってしまうけど、2003年の甲子園じゃないと意味ないからな〜と思って、パラレルプロ野球でいいやと、巨人相手に甲子園での直接対決ということにしてしまいました。まさか甲子園に帰ってから決まるなんて思いませんでした。そういう意味で、完全にフィクションになってますがお許しください。

 さて、初の試み、全編セリフ関西弁です。IMEの変換効率悪すぎでした。
 筆者は関東出身で、京都暮らしは4年になるのですが、さすがにネイティブの関西弁はしゃべれません。ですので言葉としておかしいとこがあるかもしれません。そんな部分があったらぜひ報告してください。てか、誰か本気で添削してください。

 今回はつぼみシリーズでの野球描写の練習も兼ねているのですが、意図して選手のプレーの内容を地の文で描いてません。実際応援しながら見てると、プレーの内容を事細かに見てる余裕はなくて、「やった!」か「あ〜あ」の感情が全てな気がするので。ちなみに実況が入るのは野球マンガのお約束ということで。
 今回は観客が主役ということでこのような形にしましたが、つぼみの方は選手の隆君が主役ということで、勝負の駆け引きなどにもこだわった描写をしようと思います。
 え、野球はいいから排泄を見せろ……?。
 ……返す言葉もございません。また長いし。お祭りだと思ってお許しください。

 女の子に関しては、いつもの内気ロリを脱しようという実験です。体型も割と普通ですし、性格も元気系にしてみました。排泄に関する羞恥を多少薄めにして「ゲリ」とか言わせてみましたが……どうでしょうか。
 ……まあ今回は自分のプライマリではない阪神ということで、このようなキャラ設定というのもありますけどね。来年以降、巨人が優勝した際には自分好みのろりっ娘小学生を投入させていただきますね(笑)


 しかし後半は掛布さんの解説とか、隣のおっちゃんおばちゃんが全然出せませんでした。まあ字数の都合もありますけど、量的配分も考えないといけませんね。

 今後の展開ですが、阪神が日本一になって、かつ脇役の早希子ちゃんがよっぽど好評でしたら続編があるかもしれません。まあ前者はともかく、後者はあまり期待できないですけど……そんな調子でお待ちください。


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