『ハイネリア戦記』


 ベアトリチェ・ラウーレ
 オルトリアード軍に所属する、女将校。女性でありながら、軍学校での成績は五指の中に入り、武芸・軍学のいずれにも通じている。凛々しく整った“吊り”のある目鼻立ちが美しい女性。長身で、手足も長く、腰辺りまで伸びているこれまた長い黒髪は、普段は“馬尾結び(いわゆるポニーテール)”で纏められている。美人だが普段から男を寄せ付けず、厳しい性格を装っている。22歳。


 クリストフ・ルカーミュ
 オルトリアード軍に所属する、参謀士官。ベアトリチェとは同期になるが、成績が奮わなかったため軍学校での面識はなかった。伸ばすばかりにしている髪の色は、世にも珍しい銀色をしており、敵の裏をとことん突く彼の用兵と併せて“銀の狐”と称されている。それなりに整った顔立ちをしているが、兵学とチーズのこと以外は全くの無頓着で、ほつれた軍服と無精髭が目立つ。25歳。


ヨゼフ・オブライエフ
 オルトリアードの王都・ベーグレンを守る“親衛軍”に所属する将校。平民の出身で、軍学校を出ていないが、優れた武力と厚い義侠心を上層部に評価され、抜擢された。兵卒だった頃、その隊の下士官を務めていたクリストフと親交があった。“熊”と仲間内で呼ばれる大柄な体格と、剃りあがった頭が特徴的。強面だが、人情豊かな好漢である。28歳。


 エイミ・オブライエフ
 クリストフとヨゼフが昔所属していた後方部隊の駐屯地の近くに住んでいた少女。故あって、今はヨゼフの妻になった。猫を思わせる瞳が印象的。オルトリアードの女性にしては小柄で、夫と肩を並べると“夫婦”というよりは“親子”にしか見えない。芯が強く、夫に貞淑で、躾の行き届いた“良妻”である。17歳。



第5章 ベアトリチェ


「参謀殿!!」
 入り口の幕が荒々しく開け放たれ、そこから姿を現した若い将校は、余程に慌てていたものか入るなり足をもたつかせていた。兜を被っているので、よく見ないと分からないが、縁から垂れている長い髪を先で束ねた様子を見る限り、その将校は女性である。
「よう、ベアトリチェ殿。今、そちらに伝令を送ろうとしていたのですよ」
「何を悠長な!」
 明らかに怒りの表情を纏い、“ベアトリチェ”と呼ばれた女将校は、自分が“参謀殿”と呼んだ男に食いかかる。いかにも伸ばしっぱなしで整っていない髪と、顎に生える無精髭がだらしない印象を与えるが、彼の肩書きは“参謀”という、部隊のなかで軍略を預かる要職を戴いていた。
「カラタイ軍は既に13の陣を落とし、我が隊の目の前に迫っているのですよ!」
「そうですか」
「そ……な、なぜそんなに涼しい顔ができるのです!?」
「この戦は、もう勝っているからですよ」
「えっ」
「さて……」
 ふわ、とあくびで一息を入れてから、男は立ち上がる。その軌跡に光芒が走ったのは、彼の髪が銀色をしているからだ。
 “銀の狐”……そういう異名をとる彼の名は、クリストフ・ルカーミュという。“銀”は世にも珍しい彼の銀髪を指し、“狐”は彼の兵法における特徴を言い当てるものだ。
「フランツ。右陣に構えるマルツァケ将軍に、出陣の伝令を。そのまま北東方面に進撃するよう、伝えてくれ。こちらは既に、ベアトリチェ殿の部隊が合流しているので、援護を廻す必要はありません、ともな」
「了解です」
 脇に慇懃に控えていた副官の青年将校にそう言うと、傍らに立てかけてあった長剣を手にするクリストフ。瞬間、彼の目にこれまでになかった鋭気が宿ったのを、ベアトリチェは見逃さなかった。
「さあ、ベアトリチェ殿。撒き餌に釣られて猟場に出てきた獲物を、狩りに出ましょうか!」
「え、ええ……」
 そう言うや、文字通り“狐につままれたような”表情で後に続くベアトリチェを連れて、クリストフは揚々と幕舎を後にした。


(さすが、“狐”と呼ばれる男だわ……)
 馬上にあってベアトリチェは、粉々に砕けたカラタイ軍の陣を一望している。余程に慌てて逃走したものか、武具や食料などの物資が豊富に蓄えられていたテントはそのまま、焼かれることもなく残されていた。
 まるで敵に差し出すようにして奪われた13の陣を取り返すばかりか、運び込まれた物資さえも奪取したその鮮やかな計略は、“カラタイ方面軍”でも指折りの知略を持つと称されるクリストフの真骨頂であろう。
(緩兵の計……。確かに、勇猛だが驕慢なところのあるカラタイの将兵には覿面だったわね)
 偽りの敗走によって相手の油断を誘い、それを突く策略である。クリストフは、相手にとって奪いやすい地勢にいくつかの陣地を構えることで敵を誘い込み、負けを重ねることで油断をさせ、補給物資が運ばれた頃を見計らって一気に攻勢をかけたのだ。
 もちろん、思慮に富み慎重な将が相手にいる場合、これは全く効果をなさない。だが、クリストフは充分すぎるほどの密偵を放ち、陣中の様子をそれこそ兵の一挙一言に至るまで報告をさせ、状態を把握していた。
『於瑠国(カラタイ・ハン国におけるオルトリアード王国の当て字)なんざぁ、弱卒の集まりに過ぎねえ』
『今日なんかよぉ、戦いもしないで、逃げやがった』
『重い鎧を着けるまでもねえ。脱ごうぜ、脱ごう!』
『まずい飯も、もううんざりだ。酒を出せ、酒を!』
言語が全く違うので、その言葉は密偵から聞いた兵士の様子を元にクリストフが想像したものだが、とにかく陣を落とすたびにカラタイ軍の警護はおろそかになり、しまいには昼夜酒宴に明け暮れるほどであった。それほどに、緩みきっていたのである。
誰かひとりでも、そんな部隊の弛緩を諌める将がいれば話はまた違ったであろうが、その様子は微塵もなかった。その時点でクリストフは、この戦における勝利を確信していた。
オルトリアード王国は、尚武の国である。兵卒たちは皆、厳しい軍紀を遵守し、訓練に精を出し、“カラタイ方面軍”に限って言えばひとりひとりが精鋭であるといってもよい。
なにより、女性であるベアトリチェが将校を務めているのだ。武の才能がある者であれば、男女分け隔てなく登用するオルトリアードならではであり、逆にいえば、軍事に長けていなければこの国での栄達は望めない。
そんな軍団が、緩んだ部隊を挟み込むようにして一気に襲撃したのであるから、結果は目に見えていた。
(兵の動かし方が鈍いと思っていたけれど……とんだ考え違いだったようね。化かされたのは、カラタイの連中だけではなかったわ)
 “狐”と言われるクリストフの用兵の妙味を、はじめて彼の部隊と行動を共にすることで思い知ったベアトリチェ。蔑意さえ抱いていたこれまでの悪感情はすっかり融けて、それがそのまま友好的なものに変わっていた。
「ベアトリチェ殿、ここにいたか」
「参謀殿」
 大勝を演出したその“銀の狐”が、飄々とした様子で馬を寄せてきた。悪感情が融けた今は、“だらしない”と感じていた無精髭が生える彼の顔も、凛々しく見えるから不思議である。
「物資を全て、ランヴァチェリアの城砦に運び込みます。我らも、マルツァケ将軍と合流し作業にあたりましょう。雪も積もりが、少し早くなっている。急いだ方がいい」
「確かに、そうですね」
 ベアトリチェの顔色から、険しさが消えていた。
(おっと……)
その凛とした美しさが、ひらひらと降り舞う雪に映え、クリストフは目を細めた。
(鎧姿に綺麗だって言っても、口説き文句にはならないか)
 オルトリアードの女性は、概ね長身で手足も長い。ベアトリチェもそうであり、鎧兜を身に纏いながらもその重々しさは微塵もなく、むしろ元々の凛々しい美質が強調されているようで、あまり女性に関心を持たないクリストフも“悪くない”と思っている。端的に言えば“口説いてみたい”とさえ、彼女の美しさを見て思った。
 もっとも、戦場でベアトリチェを口説こうものなら、お堅い彼女のことだ。烈火の如く怒り狂い、嫌われるだろう。策略に長けたクリストフは、そんな愚は犯さない。
(女を口説くのは、戦に勝つより難しいもんだ)
 らしくもない己の考えに気づき、自嘲気味に頬を緩めるクリストフであった。
「………」
だが、そんなふうに黙考している彼の横顔を見るベアトリチェの表情に、敬愛の色が宿り始めているとは、クリストフも気づかない。なるほど彼のいうように、色事は戦よりも難しいようである。



 オルトリアード王国は、神聖ラーナ帝国が解体した今となっては、近隣諸国の中では最も大きな版図を持っている。しかし、そのほとんどは山岳地帯と痩せた土地であり、豊穣の恵みを生み出す肥沃な大地は、東辺の“サンレーブル地方”に限られ、そして、その広さは国土の四分の一に満たない。それさえも、冬の時期に入れば土は寒さで凍りつくのだから、オルトリアードの食料庫は常に枯渇の危機と戦ってきた。
 幸いに鉱山資源は豊かである。特に鉄が、よく採れる。それを交易によって兵糧に変え、食料庫を潤わせてきたというのが、この国の事情であった。
 凍りつくことのない肥沃な大地は、オルトリアード代々の王が常に欲してきたものである。フラネリア王国との長きにわたる敵対関係は、豊穣な土地に対する“憧れ”も因子のひとつになっているのだ。
 しかし、諸国情勢の変化は、外征を基本にしていたオルトリアードの外交戦略にも大きな変化を及ぼした。これまで険悪な関係であるばかりだったフラネリアとの和親は、その最たるものであろう。
 フラネリアの前君・ユーグ3世は、オルトリアードを牽制するためにかの国の属国であったハイネリア公国の独立を陰助して、また、自身も教皇に帰依することでノルティア連邦王国との関係を深め、その包囲網を築いていった。それでありながら、自らの王妃にはオルトリアード王家に連なりのある女性を選んだところに、この王の深謀が隠されている。状況の変化によっては、オルトリアードと手を組んでノルティア連邦王国や教皇と事を構えることも視野に入れていたのであろう。
教皇リオン1世は、自ら帰依してきたユーグ3世をかなり気に入っていたようだが、四王公家の主たち……その中でも、“智勇に優れた名公”と名高いリノール公ウィレムは特に、相当の警戒感を彼に抱いていた。
ハイネリア公国がオルトリアードの属国であった頃、鉱山資源と糧米の交易は専ら両国家間で行われていた。もちろん、その相場はオルトリアードに過分なほど有利になっており、ハイネリア公国は、貴重な鉄を得られる一方で農産資源を宗主国に“搾取”されていたのである。
 その状況を打破したのが、前ハイネリア公エンリッヒ2世であった。外交に特に英明なものを持っていた彼は、オルトリアードから得た鉄をフラネリアに転売し、搾取されることで貧しかった物資庫を豊かにした。
『鉄は食えぬ』
 これは、エンリッヒ2世が残した言葉であり、必要最低限の鉄資源を除いたそのほとんどを、フラネリア王国との交易に廻したのである。
 フラネリアは、鉄鉱脈のある山をあまり所有していない。故に、ハイネリアから交易を求められたとき、一も二もなくそれを受け入れていた。
 外交の妙味は、相手に有利を説くことにある。フラネリア王国は平野部が国土の大半を占めることから豊富な農産資源を持つが、山岳資源については乏しい。オルトリアードとは国交がないので、外国から鉄を得るルートがなかったのである。それが、ハイネリア公国を仲介することで鉄を得られるようになったわけであるから、ユーグ3世がこの国に大きな利用価値を見出したことは明白であった。
 フラネリア王国とハイネリア公国の交易は、はっきり言えば密貿易である。オルトリアードがその事実に気づいた頃、既にフラネリア王国は鉄資源を豊富に国庫に構え、ハイネリア公国もまた、相当の間は自活ができる国力を蓄えていた。
 当然、オルトリアードの王・ウィルトギア2世はハイネリア公国の両面外交について、厳しい詰問を書簡によって与えた。しかし、その返答はエンリッヒ2世の“独立表明”であり、“属国”と軽視してきたハイネリア公国に公然と背かれたわけである。
 ウィルトギア2世は怒髪天を突く勢いでハイネリア公国へ侵攻した。ところが、ハイネリアの兵車軍の前に平野部での戦いで大敗を喫し、敗走するという失態を犯した。ハイネリア公国は、オルトリアード王国に負けないほどの強さを持っていることを自らの敗北で世に知らしめてしまったのである。
それを示すように、フラネリア王国とハイネリア公国が正式に盟約を結んだ。ユーグ3世も、ハイネリア公国が充分に一国として成立していく力があると判断したのであろう。
 ウィルトギア2世の怒りは頂点に達した。そのあらぶる感情のままに、フラネリアとの大決戦を決意したほどである。
しかし、フラネリア王国との全面衝突は“時期尚早”と見たオルトリアードの宰相・ゲーベルは、ウィルトギア2世の憤懣を何とか宥め、これを認めさせた。激昂すると手がつけられなくなる王の説得は、彼が幼少の頃から傍に仕えているゲーベルだからこそ出来た芸当である。他のものであれば容赦なく処断されていたであろう。
『フラネリアとハイネリアが“切れる”まで待たねばなるまい』
宰相・ゲーベルは、すぐにフラネリア王国とハイネリア公国との関係は冷えるだろうと予測を立てていた。なぜなら、ユーグ3世がハイネリア公国に価値を見出していたのは“鉄資源”であったわけであり、それを産出していたのはオルトリアードなのである。
当然、ハイネリア公国とオルトリアード王国は国交が絶えた。それによって、ハイネリア公国は鉄資源を得られなくなった。結果、フラネリア王国との交易にも支障を来たすようになったのである。そして1年と経たずに、鉄と糧米の交易は終焉した。
もっとも、農産資源に関しては、搾取されなければハイネリア公国は十分すぎるほど自活が出来るので、ハイネリアにとっては大きな影響はなかった。ただ、“鉄の価値”を失ったことで、ユーグ3世が少なくともハイネリア公国に対する友好を薄れさせたのは事実である。
もちろん、エンリッヒ2世もそれは予測していた。だが彼は、新たな価値を自国に与えることでユーグ3世との友好関係を続けることに成功した。
 独立して以降のハイネリア公国の存在は、フラネリアとオルトリアードの“緩衝国”であるという認識が強まった。オルトリアードがフラネリアに侵攻しようとすれば、ハイネリア公国が“喉もとの剣”になる。その地理的情勢が、ハイネリア公国の有用性をユーグ3世に再認識させたのである。
『ハイネリアを独立させておいて、損はない』
 ユーグ3世とエンリッヒ2世の存命中は、フラネリアとハイネリアの蜜月が続いた。
 その関係に変化を与えたのは、エンリッヒ2世とユーグ3世の相次ぐ薨去と、フラネリア王国の東南方・ファルジア半島に出来た新興国家“ウェルゲイル王国”の誕生である。
ファルジア半島は古来より、いくつもの民族がそれぞれの国家を持つ分裂状態が続いていた。狭小な半島内だけで、彼らは戦国の歴史を刻んできたのである。それが、ある一人の英邁な王によって有史以来、初めての統一を果たされた。
 半島の分裂状態を助長していたのは、他ならぬフラネリアであった。沿岸の狩猟民族であったファルジア半島の民の気質は、内陸に比べても相当に猛々しいものがあり、物量で大きく他を引き離すフラネリアの軍事力でも、その駆逐は不可能である。それ故にフラネリアの代々の王は、この半島の統一を恐れ、間接的な介入によって分裂をあおってきたのである。
 だが、それほどまでに危機を感じていたファルジア半島の統一が成されてしまった。
当然、フラネリアはウェルゲイル王国の樹立を認めず、難癖をつけてこれに一戦を仕掛けたのだが、大敗北を喫してしまった。結果、半島に隣接している南部フラネリアの穀倉地帯を奪われるという不始末を犯してしまったのである。以来、フラネリア王国の最大懸案は、ウェルゲイル王国への対応ということになった。
 一方、オルトリアード王国にも別の難敵が現れた。東辺の穀倉地域“サンレーブル地方”に突如として侵略してきた異民族国家“カラタイ・ハン国”である。
騎兵を巧みに操るこの侵略軍に、サンレーブル地方の北部一帯を奪われたオルトリアードは、自国の精鋭を全て注ぎ込むことで何とか一部を奪い返した。しかし、以後もカラタイ・ハン国の侵入は止むことがなく、オルトリアードは新しく“カラタイ方面軍”を組織して、サンレーブル北部の都市・ランヴァチェリアに城砦を築いて軍隊を常駐させ、これに対応しなければならなくなった。
 フラネリア王国も、オルトリアード王国も、外敵を抱えたのである。両国間でいがみ合っていられる余裕はなくなった。
 その変化を見逃さなかったのは、オルトリアードの宰相・ゲーベルである。彼はすぐにオルトリアード王家につながりのある、前王の妃にして現王の母・イシュタリカに密書を送り、彼女の子である若き国王・シャルル2世がオルトリアードとの和親を考えるよう取り計らいを具申した。
 シャルル2世は、前王ユーグ3世が呆れたほど孝心に篤い人物である。すぐに母の頼みを受け入れて、重臣たちとの充分な協議もないままにオルトリアードに大使を派遣することを宣言した。その言を受け入れたように、オルトリアードからも親書を携えた大使が王都・ファリを訪れ、二国間の和親が速やかに図られたのである。
 和親条約を締結するにあたり、オルトリアードはひとつの密約をフラネリアと交わした。ハイネリア公国への進軍に対する“黙認”である。そして、シャルル2世はほとんど独断でこれを受け入れてしまった。
 さすがにこの一件は、重臣たちの強い反発を生んだ。ハイネリア公国は、オルトリアードに打ち込まれている“楔”のようなものであり、これが失われることは後々フラネリアにとっては大きな不利となる。利害が一致したからこそオルトリアードとの和親条約が成立したわけだが、それはいつまで続くかわからないのが現状だ。だからこそ、オルトリアードとの戦いを利する手札はひとつでも多く残しておく必要があった。それに、盟約関係にあるハイネリアを援けないというのは、道義にもとる。
 しかし愚かにも、シャルル2世は密約に応じてしまった。この時点で重臣たちは、英邁であったユーグ3世を継いだこの若い王の器量の乏しさに、幻滅を抱かざるを得なかった。
 密約を交わしたオルトリアードは、すぐにハイネリア公国への侵攻を開始した。しかし、精鋭たちはそのほとんどが“カラタイ方面軍”に集中しており、これを割く事に難色を示したウィルトギア2世は、今のハイネリアの国君が幼いということも思考に影響し、
『ハイネリアは“数”で屈服させればよい』
と、簡単に考えて、徴兵・募兵を通じて新たに編成した大軍で侵攻を開始した。
元帥には自分の従兄弟にあたる公族を据えた。しかし、これが失敗であった。
その公族は、尚武の君主・ウィルトギア2世の信があることでもわかるように、軍事に疎いというわけではなかった。しかし、貴族の特質ゆえか緒戦の大勝に驕ってしまい、以後の戦いでは敗北を繰り返して“撤退”の憂き目にあってしまった。
ハイネリアが起こした独立戦争のときに煮え湯を飲まされた経験を、ウィルトギア2世は活かすことが出来なかったのである。



「この度の召還は、それが理由でしたか」
「うむ」
 王都・ベーグレンの宮城の東壁部にある、軍事を預かる“都督府”の一室にクリストフはいた。無精ひげを綺麗に剃り、伸ばすばかりの銀髪をまがりなりにもうなじのところで結わえ、纏めているのは、彼が対峙している相手がその“都督府”を司っている長官だからである。
「13の陣を奪われた叱責を受けるものとばかり、思っていましたよ」
「報告を受けた時点で、ゲーベル宰相閣下はあれが“緩兵の計”であるとわかっておられていたし、私も、そうだろうと思っていた。それに、マルツァケ将軍からの新しい報告書は既に届いている。“この度の軍功はひとえに、クリストフ・ルカーミュの深謀にある”と、な」
「畏れ入ります」
 理解のある上官に囲まれていると、クリストフは思う。確かにカラタイ軍の油断を誘うためだったとはいえ、13の陣地を投げ出すように敵に奪取されたという“事実”は、その時点で更迭をされてもおかしくないことではあったのだ。
「融雪の時期を待ち、ハイネリアへの進軍を始めることになるが……君には参謀として従軍してもらうつもりでいる」
「元帥には、伯爵が?」
「正式に任命されたわけではないが、宰相閣下を通して陛下からの内示を受けている。私もそのつもりで、軍の編成を急いでいる所だ」
「兵の数は?」
「輜重の隊も含めて、二万強といったところかな」
「前線の部隊は、八千ほどになりますか」
「そうだな」
 総軍勢がそのまま、敵と当たるわけではない。攻める側であるオルトリアード軍は、補給線の確保に人員を割く必要があり、一般において実戦部隊のおよそ倍数がこれに従事する。
「先の戦より、三千ほど人員は減ったが……。今回は精鋭を揃えるつもりだ」
「さようですか」
「それだけ陛下も、ハイネリアへの見方を変えられたということだよ」
 さすがに二度も敗北をすれば、相手の力量を認めないわけには行かないだろう。もしもこれで、同じ事を国王が繰り返すというのであれば、尚武の国には相応しくない君主の汚名を着ることになってしまう。
「ウィッテル卿の敗北は、師団を分割し過ぎた挙句、もともとが細かった補給線をさらに疎かにしたことが原因だ。おそらくは頭の固い古参どもが、余計な入れ知恵をしたのだろう。卿は優れた方だが、人が良すぎるから、それを受け入れてしまったに違いない」
 ちなみに、敗戦の責を問われたウィッテル侯爵は、当然ウィルトギア2世の怒りをかい、兵権を取り上げられ、閑職に追いやられてしまった。それでも死罪に問われなかったところに、王の“寵”はそのウィッテルに残されていたといえるだろうが、卿の政治生命はこれで絶たれたことになる。
「やはり、ハイネリアは相当な難敵ということですか」
「そうだ。特に、マファナ公女のいるアネッサの城砦は堅牢だ。規律もよく守られ、士気も高いと聞く。この城砦をなんとかしない限りは、ロンディアは落とせそうもあるまい」
「カラタイよりも、骨が折れそうですなぁ」
「だから汝を呼んだのだよ、クリストフ。……今は休暇の最中だから、ゆっくりするといい。それが明けたら、君には休む暇もなく働いてもらうからそのつもりでいてくれ」
「御意に、従います。オルゲンスト伯爵閣下」
「うむ。期待しているよ」
 臣従の礼を執り、クリストフは部屋を辞した。任命を受けていないとはいえ、休暇が明ければ間違いなく自分は彼の佐将として従軍することになるだろう。
(将帥がオルゲンスト伯爵なら、今度の戦も窮屈な思いはしないで済みそうだ)
 13の陣地と莫大な物資を奪取した軍功を認められたのか、マルツァケ将軍から褒賞と長期の休暇を与えられ、王都に帰還したその直後に、都督府からの召還命令を受けたものだから、いささか不安な思いを抱いたクリストフではあったのだが、それが杞憂に終わったことを知り安堵した。同時に、次に従軍する部隊の将が、オルゲンスト伯爵であることがわかると、召還の不審が晴れた心にさらに陽が差すような心地よさを覚えた。
「クリストフ、機嫌が良いようね」
「ベアトリチェ殿?」
 マルツァケ将軍から休暇を与えられたのは、クリストフが所属していた部隊だ。当然、その中にいた女将校・ベアトリチェも、今は王都に帰還している。
「部隊を離れれば、私と貴方とは尉官が同等のはず。今は“ベアトリチェ”で構わないわよ、クリストフ」
 将校の正装をしているベアトリチェは、その凛々しい美しさに更に磨きがかかっている。その長く流れるような薄茶色の髪も、整ったその目鼻立ちも、無骨な兜に隠されていないので、彼女の魅力の全てが今は顕になっていた。
「ベアトリチェ……も、召還を受けたのか?」
「私は、陳情に来ていたの」
「ほう」
 軍功を重ねた将校は、ひとつの任務を終えた部隊が解散した後、次に参加する部隊の所属をこちらから陳情できる特権を与えられる。
「貴方の“副官”になるつもりでいるわ」
「な、なに!?」
「カラタイでの戦いは、実に見事だったから。だから、貴方の戦い方からいろいろと学びたいと思って」
「………」
「迷惑、だったかしら……」
「あ、いや。ベアトリチェのように優秀な将校が副官になってくれるというのは、果報な話だ。ただ、君ならもっと上級の部隊長にもなれるはずなのに、と思ってな」
ベーグレンの軍学校では、女とはいえベアトリチェの成績は五指に入るものだったことを彼は知っている。年齢では二歳ほど彼女を上回るクリストフだが、学資の確保に手間取り軍学校への入学は遅れてしまっていたので、結果として彼女とは同期だったのだ。しかも、クリストフの成績は下から数えた方が早いという惨憺たるものだったので、ベアトリチェが久しく彼の将才を知らずにいたのは無理がなかった。
 ちなみに、クリストフの成績が奮わなかったのは、彼の将器が愚鈍なものであったからではない。教官たちが、奇抜な作戦を立てて“盤上試験(床の上に大きな紙を広げ、それを戦場に見立てた学術試験)”に臨んだ彼の兵法を好まなかったのである。
 彼の兵の動かし方は、とにかく鈍い。紙の上で指揮をとる教官の部隊が、どんどんと迫ってきてもそれを相手にしようとせず、のらりくらりと戦いをかわし、気がつけばいつのまにか本陣から遠く離れさせて、その隙に足の早い別働隊でそれを奪い取ってしまうのである。
 簡単に言えば、“だまし討ち”である。彼が“狐”と呼ばれる所以は、ここにもあった。
『クリストフの用兵は、部隊を振り回し、士気を損ねるだけだ』
 これが、試験官を務めた教官たちのクリストフに対する評価であった。
 だが結果を言えば、クリストフが盤上で遂げた戦果は、他の誰よりも被害が少なく、得たものも大きかった。実際の話、首席に匹敵するほどの数値を彼は残していたのだ。それにも関わらず、彼は及第すれすれで将校の認定を受けるにとどまった。
 だが、変わり者の話は小さなものでも噂になりやすい。妙な用兵で教官を困らせたという将校の話に関心を持ったのが、先に出てきたオルゲンスト伯爵であった。
 オルゲンスト伯爵は国王・ウィルトギア2世の従弟にあたる人物で、公族でありながら軍学校に入学し、正規の兵学を修めた“武人”である。戦の得手不得手によって人物の好悪がはっきりしているウィルトギア2世の寵を受けていることでも分かるように、豊かな将才を持っている。
 そして彼は、オルトリアード古参の将軍たちのように、頭が固いばかりの人物ではなかった。なにしろ彼は若い頃に、“神聖ラーナ帝国の解体”という大きな歴史の転換点を経験している。それが、思考の振幅を広げる大きな契機になったのだ。
 話はそれるが、神聖ラーナ帝国がアンティリア王国の造反によって解体したとき、その大きな原動力となったベルフェリウスの率いる軍団が誰よりも強かったのは、その戦い方が異なっていたからである。
それまで“戦争”というものは形式を重んじ、ある日時に刻限を決めて、騎士と騎士が互いに槍を交えその勝敗を決するのが基本であった。もちろんそれは、一対一のときもあれば複数が戦い合うときもあった。部隊同士の戦いであっても、個別の乱戦がその基本になっていた。
 ベルフェリウスは、その常識を覆したのである。彼は自らが率いる部隊を密集させて敵軍にぶつけるという“個”を全く排除した軍の動かし方をした。
当然、守られるべき礼式を無視した彼は“野蛮なる者”の汚名を着ることになったが、実の話になれば、全軍が礫(つぶて)になって突進してくるのだから、“礼”ばかりが先にたち動きの敏捷さにかける“神聖軍”では太刀打ちが出来るはずもなく、帝国は神都“アル・ラーナ”の陥落と壊滅という憂き目にあうことになった。
 戦争を“個”から切り離した彼の考え方に、当時の各国の将軍たちは大きな反発を持った。しかし中には、その有為性を少なからず認める者もいた。
“常勝将軍”と呼ばれたベルフェリウスも、その晩年には思うほどの戦果を挙げられなくなっていたのだが、それはやはり、彼の軍事を研究し、取り込み、活かすことを考える将軍たちが諸国に増えてきたことの証であったのだろう。
そしてオルゲンスト伯爵も、そんな将軍のひとりである。
カラタイ・ハン国の軍の動かし方は、ベルフェリウスのそれに相似している。“個”を全く意識せずに、軍団の力で押し切るようにぶつかってくるのだから、戦争の性格が変化していくことについていけなかった古参の将軍たちの苦戦は、自明のことであった。
軍事を宰領する都督府の長官になるや、すぐにオルゲンスト伯爵は、カラタイ・ハン国の侵略を防ぐことさえ精一杯の将軍たちを更迭し、マルツァケを始めとする新進気鋭の将校たちに一軍を預けた。“部隊”を中心にした開明的な兵学を学んだ彼らはオルゲンスト伯爵の期待に応え、徐々にカラタイ・ハン国を追い返し、“十三陣の戦い”と後に呼ばれる戦闘での大勝利によって、ようやくサンレーブル地方の全支配圏を取り戻すに至ったのである。
 軍学校での評価の低さ故に、後方の輜重部隊で細々と士官を務めていたクリストフは、オルゲンストによってマルツァケ将軍の率いるカラタイ方面軍第二師団の参謀に抜擢され、まるで翼が生えたかのような軍功を重ねていった。故にベアトリチェもクリストフという存在を知り、さらに軍学校において同期生だったことにも気がついたのであった。
「おう! 誰かと思えば、クリストフか!!」
 何とはなしに並んで歩みを続けていた二人の背中に、威勢のいい声がかけられる。骨の芯まで響くような声量に思わずベアトリチェは身を竦ませたが、クリストフは飄然としたまま後ろを振り向いた。
 ちなみに、彼らが歩いている廊下には他にも将校たちがいる。それらの注意をひきつけるほどに磊落な声を張り上げた男は、長身のベアトリチェでも見上げなければならないほど巨躯の持ち主で、また、剃りあがった頭も実に特徴的な将校だった。
「ヨゼフか。相変わらず、声の加減を知らないヤツだ」
「ふん。これしきの気合で怯えるような弱卒に、軍事が務まるものか」
巨躯の男とクリストフが、当然のようなやり取りをする中で、ベアトリチェだけが呆然としたまま言葉を無くしている。男とクリストフとは互いに面識があるようだが、ベアトリチェには見覚えの無い顔だった。
「お前も、伯爵に呼ばれたのか?」
「おおよ。俺の腕っ節を、伯爵が必要とされたのだ。輜重の隊にいるとき以来になるな、貴様と同じ部隊になるのは」
「ああ、そうだな」
 どうやら、以前に所属していた部隊の“仲間”らしい。二人の間にある雰囲気には、同じ任務と時間を共有してきたという慣れた空気も存在していた。
「……ところで、貴様もようやく色事に目覚めたらしいな」
「?」
「脇に華を添えて歩く姿を、俺は初めて見たぞ」
「華……」
 言われた事に理解が及ばず、しばらく時を止めていたクリストフ。しかし、ベアトリチェを値踏みするようなヨゼフの視線に気がついて、彼は全てを悟った。
「ヨゼフ、お前の口から出るそんな言葉は、俺も初めて聞いたぞ」
「わはははは!」
 いかにも武骨で強面の男であるだけに、彼の周囲で艶のある話は一切耳にしなかったし、同じ部隊で仕事をしていたときも、専ら軍事に関わる話題ばかりだったので、いささか丸みを感じさせるヨゼフの雰囲気の変化に、クリストフは訝しむばかりだ。
「………」
 相変わらず、話の輪に加わる機会も見つけられずベアトリチェは成す術もなしに立ち尽くしている。それに気がついたクリストフは彼女を不憫に思い、輪の中に引き入れた。
「彼女はベアトリチェといって、軍学校時代の同期生だった」
「ほう」
「優秀な将校だよ。今度のハイネリア遠征でもおそらくは一緒になるだろう」
「そうか。俺は、ヨゼフ・オブライエフだ」
「あ、は、はい。ベアトリチェ・ラウーレです」
「よろしく、麗しき将校殿」
 差し出された大きな手のひらに、彼女の細く美しい指先はすっぽりと埋まってしまった。
(暖かい手……)
 あまり力をいれていないようで、ふんわりと包み込まれるような心地よさを掌に感じる。見た目の豪放さに隠された心根の優しさと細やかさを、ベアトリチェはヨゼフに見た。
「久しぶりに逢ったのだ、家に寄らないか? 賊を討伐した恩賞で、宰相閣下より頂戴した極上のワインと肉がある」
「ふむ……」
「チーズも届いているぞ」
「あっ、それはいいな」
 ヨゼフの母親の実家が、酪農を営んでいることは知っている。同じ部隊にいた頃、その美味なるチーズに触れた彼は、すっかり虜になっていた。彼にとって、与えられる軍給が占める割合の中で、チーズは軍書に次ぐ比率を持っている。自宅に、保存用の倉庫部屋を設えたぐらいだから、彼のチーズに対する惚れ込み具合は相当のものであろう。逆にいえば、彼の家は書物とチーズが財産の全てだ。
 当然、久しぶりにクリストフに逢ったとはいえ、ヨゼフはそれを覚えていた。
「やはり、チーズか」
「まあ、そう言うな」
「わはははは! そうだ。ベアトリチェ殿も、ぜひ寄ってくださらんか?」
 チーズに釣られた元同僚に豪快な苦笑を与えてから、ヨゼフはベアトリチェにも招きの声をかける。
「遠慮は、無用ですぞ!」
「は、はぁ……」
 どうにも断れる雰囲気ではなかったので、ベアトリチェは促されるままに頷いていた。もっとも、この和みを感じさせる雰囲気から離れ難いものを感じていた彼女だから、おそらくはその誘いを断りはしなかったであろう。
(こんなことは、初めてだわ…)
 女でありながら将校を務める自分への視線が、冷たいものかもしくは下卑たものであることは彼女も意識している。しかし、クリストフやヨゼフにはそんな冷ややかさや厭らしさは、微塵も感じられない。
(ふふ、悪くないわね)
 いろいろと言葉を交わしている二人を見るベアトリチェの顔つきには、常に貼り付けていた厳しさがすっかり融けていた。
 この後に味わうことになる、“苦渋”と“屈辱”を知る由もなく――。



 オルトリアードの撤退に伴う戦闘状態の停止は、ハイネリア正規軍に軍制の再編を考えさせる余裕を与えた。
そもそもマファナが率いる“正規軍”は、行政府からその認証を受けたと入っても、アレッサンドロを始めとする各武官の私兵が寄せ集まった軍隊であり、それぞれの担う役割も、小隊の区分けも、曖昧になっている。
 “戦場の女神”であるマファナを奉戴することで、正規軍の結束力は非常に高いものになっているが、現時点においてはその“興奮状態”が源といっても良い。そして、人の感情は環境に大きく左右されるものであり、戦闘が停止したことで沈静化した現状にあっては、それが弛緩してしまうだろうというのは、兵学に通じた者にとっては当然の予測であった。
 故に、ラヴェッタはハインと図った後、正規軍の明確な部隊分けを軍議の中で提言した。それを容れる形で、軍の再編が行われたのである。
 今、正規軍の中にあって私兵を持っている将軍クラスの武官は、アレッサンドロ、ハイン、アザル、オスカー、ロッシュの五人である。この五人を、正規軍の要職に就けることでそれぞれが担う部隊の役割を明確にし、軍隊の結束力を感覚的なものから、組織的なものに移行させることにした。
 軍の総司令官であり、全ての任命権をもつ“総帥”は、当然ながらマファナである。そして、“軍師”であるラヴェッタは“総帥”直属の士官となり、軍隊における総務相談役を担当する。
 早くからマファナが率いる軍の中核を担い、アネッサの奪還と以後の防衛線で活躍したアレッサンドロは、“軍監”に任命された。いわゆる“副総帥”のことであり、各職の任命権を持たないが、軍事における発言力は“総帥”に匹敵するほど大きく、軍の総覧を担う。マファナに次ぐ重鎮の扱いである。
 正規軍きっての智恵者であるハインは、“参謀長”に任命された。密偵の派遣と情報の集積、諸国情勢の把握など、諜報活動を預かる部隊の長官である。そして、外交を行っている行政府に人脈を持っている彼は、その調停役も正式に担うことになった。
 膂力に優れ、猛将として名を馳せるアザルは、“前衛部隊長”という肩書きを与えられた。交戦地域の哨戒が主な任務であり、有事の際には、真っ先に敵にあたることになる“前軍”の将となる。
 幕僚の中で最も年若いオスカーは、“親衛部隊長”に任命された。マファナの近辺を護衛する部隊を率いる長官であり、アネッサ城砦内の治安と屯田の監督も行うことになる。マファナに絶対の忠義を抱き、彼女のためならば艱難辛苦を厭わない彼には相応しい部署といえよう。
 ロンディアに常駐し、市の行政を担当しているロッシュには“軍政長”という肩書きがついた。兵站を預かり、補給路の確保と物資の運搬を預かる、地味ではあるが重要な役割を担っている。これはもう、行政に才覚を見せる彼以外の人材は考えられない。
 編成の体系化によって、マファナの率いる正規軍は軍隊としての体裁を完全に整えたことになった。そうすることでいよいよ、ハイネリアの守りは更に堅牢なものへと発展していったのである。


「馬の乗り方ですか?」
「はい」
 親衛軍の教練が目下の務めになっているオスカーのところへ、マファナがやってきたのは、陽が南中してからしばらくしてのことであった。この日は午前中に、兵車隊と騎兵隊の合同訓練を行い、午後からは、兵車隊はその訓練で使用した兵車の分解と整備、騎兵隊は個別の騎乗訓練を行うことになっていた。
 兵車隊の小隊長は、マファナの御者でもあるロムが務めている。彼の御者としての技術はアネッサの中でも並びない技量を誇り、年若い彼がその座に着くことに異論を唱えるものはいなかった。
 騎兵隊の小隊長は、オスカーの副官であったリーエルが拝命した。もともと兵学校でも騎兵技術を中心に訓練を積んでいたこともあり、その人事は妥当なものといえる。
 親衛軍は、マファナが率いることになる“中軍”の大部分を構成することになるので、オスカーは特に念入りにこれまで訓練を重ねてきている。もちろん自分も、騎馬技術の更なる向上はもとより、兵車を扱う御者としての鍛錬も始めていた。
 今日は、リーエルが指揮を執る騎兵隊の訓練を監督し、自らもそれに加わるつもりでいた。ところが、思いがけないマファナの頼みを彼は受けたのである。
「総帥は、馬に?」
「ええ。実は、自分ひとりでは、馬に乗ったことがないのです」
 意外なことであった。あれだけ兵車の上で姿勢を崩すこともなく、軍の指揮を執ってきた彼女が、単身で馬に乗ることができなかったとは…。
「今は貴方も、訓練の監督をしなければならないと思うので、それが終わってからでもかまわないわ」
「あ、いえ。せっかくですから」
 騎乗訓練は、馬に慣れているものと慣れていないものを、全く同じレベルに整える目的がある。それぞれの兵士ひとりひとりに課題を設け、それをひとつずつ消化させることで技術を身につけさせていこうというのだ。
 親衛軍の所属になって、初めて騎兵になるという新兵もいる。彼らに一通りの騎馬技術を教え込むことが、ここ数日の目的ということになるだろう。
「総帥閣下の教練は、将軍にお願いいたします。私には、畏れ多いですから……」
 親衛軍の長官となったオスカーを、リーエルは“将軍”という敬称で呼ぶようになった。いくら親密な関係にあるとはいえ、軍隊の中であっては君臣のけじめをつけようという、いかにも彼らしい実直さである。
「あの辺りを、使わせてもらうよ」
「承知いたしました。馬は、ロマリオ隊長に用意させましょう。彼なら、総帥閣下に合う馬を選ぶことが出来ます」
「そうだな」
 今までロムのことを“ロマリオ君”と呼びつけていたものに、“隊長”という称が入っているのも、リーエルの頑なな真面目さというべきものだろう。さすがにオスカーは、苦笑を禁じえなかった。

「まずは、馬に乗ることからですね」
 ロムが用意してきた馬は、どちらかというと小柄な体型をしていた。しかし、四肢の付け根にある筋肉は瑞々しい張りを持っており、その眼差しは非常に生命力に満ちた清廉なものを有している。
 オスカーが一目見ても、この馬は名馬であった。見た目の“小ささ”を補って余りあるほどの精気が、この馬から感じられる。
「馬に触ったことは、あるとお聞きしましたが?」
「ええ。ヴェルエット父様が飼っていた馬の世話をしていたから」
 恐れる様子もなく、馬の首を優しく撫でるマファナ。その行為を喜ぶように、馬の尻尾が心地よいリズムで揺れていた。
(早くも、この馬の心を掴んでしまわれたか)
 人と馬には、当然だが共通する言語はない。しかし、それだからこそお互いの感情が純粋に響きあうものだ。
 マファナは馬に対し、慈しみと信頼の心をはっきりと示している。それが分かるからこそ、この馬もマファナに心を許し、彼女の気持ちに応える仕草をしているのだ。
「鐙(あぶみ)に左足をかけて……鞍の峰を両手でしっかりと掴まえて……」
「こ、こうね……」
 言われるとおりに、マファナが騎乗の体勢を整える。今はまだ、補助が必要であるので、彼女の体を支えるために、オスカーはその細腰に両手を添えていた。
「一気に行きますよ、それっ!」
 そして、呼吸を合わせたようにマファナを一気に鞍の上へと押し上げる。その援けを受けながら、マファナは鮮やかに股を鞍の間に落ち着かせ、右足をすかさず鐙にかけた。
「お見事」
 補助があったとはいえ、鮮やかに騎乗したものである。
(恐がっていないからな)
最初はどうしても馬の動きを恐れ、腰がひけたまま鞍上に乗ろうとしてバランスを崩し、横転してしまうものなのだが、新兵たちが慣れるのに時間を費やした過程を、マファナはたったの一度で通過してしまった。
「この子が、じっとしていてくれたからですわ」
 そう言って、マファナはもう一度、首の辺りを優しく撫でている。褒められたことを馬は知っているようで、“ぶる”と鼻を鳴らしてその喜びを謳っていた。
「………」
 馬上にあって、無邪気な笑顔で馬に語りかけているマファナの姿を見ていると、オスカーは思わず頬が緩む。同時に、これまで自分の手の中にあったマファナの細く柔らかい腰の感触が、妙にはっきりとした存在感を纏って蘇り、彼は俄かに頬が茹ってしまった。
「とりあえず、その要領ですね。今度は、一人の力で騎乗してみてください」
 馬から降りる体勢をとったマファナに、手を差し伸べるオスカー。
「………!」
 不意に、かつて一度、全く同じような状況になった時の情景が、オスカーの脳裏に鮮やかに蘇ってきた。

『わ、わたし……なんということを……ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………』
『あ、あの……そんなに、見ないでください……』

 そう…。催した便意に抗うことが出来なかったのか、そのまま鞍の上でビチビチと、自分の鎧にまで跳ね飛んできたほど激しく糞を垂れ流したマファナの姿を…。
(ば、ばかなっ! なんと、不謹慎なことを!)
 胸の奥底に沈め、忘れ去ろうと必死に努めていた衝撃的な光景が、似たような状況の中で連想を生み、オスカーの心に映像となって形を持ったのだ。
「オスカー、どうしたのですか?」
「あ、い、いえ……」
 絡み合った指先もそのままに、動きを止めてしまったオスカーをいぶかしむマファナ。
(あっ……)
 しかし、彼女もまた俄かに生まれた既視感の中で、封じ込めていた恥辱の記憶を掘り起こしてしまった。

『だ、だめですっ! も、もう、だめぇぇぇぇぇ――……ッッッ!!』

「!?」
 戦場の中で腹の具合が悪くなり、揺れる兵車の上で惨めにも脱糞してしまったことを…。

『あ、だ、だめっ……オ、オスカー!! ……あ、ああぁあぁぁぁ!!!』

そして、迫ってきた敵兵から逃れるために、オスカーと馬上にあった時、再び襲い掛かってきた獰猛な便意に抗しきれずに屈服し、彼の目の前で爆音を轟かせ、尻から吹き上がるようにして糞を撒き散らしてしまったことを…。

 ヒヒヒーン!

「きゃっ……」
 不意に、マファナがバランスを崩した。これまで沈静を保っていた馬が、遠くで響いた同族たちの嘶きに応えるように、首を反らせて“声”を上げたのだ。
 動きからすれば、それは僅かなものだった。しかし、他の事に気を取られていたマファナは虚を突かれ、その体を宙に浮かせてしまった。
「!」
 下半身を晒し、尻を汚物にまみれさせていた屈辱的なマファナの姿を脳裏に浮かび上がらせてしまっていたオスカーだったが、瞬時にして我に帰ると、背中から地面に落ちようとしているマファナの体を、しっかりと両腕で受け止めた。
「っ」
 いくら彼女が小柄といっても、人の重さに慣性が加わったエネルギーは強いものがある。オスカーはマファナの体を受け止めたまま、やはりバランスを崩して、後ろ向きに倒れてしまった。

 ずしっ…

「ぐっ……」
 強い衝撃が胸と腹を圧迫し、息が詰まる。それでも、マファナの体を彼は離さなかった。むしろ、自分の体をクッションにするようにして、彼女の身体に接地の衝撃がかからないようにした。
「ふぅ……」
 思ったよりも、背中に走った痛みは少ない。どうやら、土の柔らかい所に都合よく落ちたようだ。
「大丈夫ですか? 総帥」
「は、はい……あ、貴方は?」
「僕なら、何ともありません」
 じわじわと滲むように微かな痛みが胸の辺りに残っているが、時を置けば消えそうな程度だ。刃で切りつけられたものに比べれば、遥かに軽傷である。
「………」
 それよりもオスカーは、目の前に広がる金色の園に魅せられていた。絹の如き艶と輝きを持つ、マファナの髪が今、本当に触れる距離で揺れているのだ。
「………」
 そして、マファナもまた、自分を受け止めてくれたオスカーの、丈夫な布地の上からでもわかるほどに逞しい胸板から刻まれているその鼓動に、意識を奪われていた。自分の粗相を二度も助けてくれた心優しい青年が持つ、“軍人”としての体の強さが、触れている場所からはっきりとわかるのだ。
 それだけに、羞恥が更に増した。この青年の目の前で、自分は激しい脱糞をし、また、この前の休暇の際には、気づかれなかったとはいえ同じ馬車の中にある状態で、下布の中に糞を洩らしてしまったのだ。
(それでも、この人は……)
 幻滅して当たり前の姿を晒したというのに、それをあげつらうこともせずに自分を“総帥”と仰ぎ続け、忠誠心と真情を失わないオスカー。彼は、戦場での度重なる脱糞に自我を崩され、絶望に沈み込んだ自分を、必死になって援けてくれた。
“戦場で部隊を置き去りにした”と、ハインから殴打を交えた厳しい叱責を受けても、“総帥が戦いの最中に二度も糞を洩らし、その粗相の後始末を手伝っていたからだ”という理由を、自分から口にしようともしなかった。
(オスカー……)
 彼の優しさと暖かさを、とても間近に感じていられる。
このまま、しばらく時が止まっていて欲しい…。瞬間、マファナは確かにそう思った。
「あっ、す、すみません!」
「えっ?」
「なんと畏れ多いことを……。さ、さあ、総帥」
「え、ええ……」
 しかし、オスカーが身を起こし、マファナの身体を支えるようにして立ち上がると、彼は自ら距離を置いた。
「失礼いたしました」
「何を言うのです。守ってくれて……ありがとう、オスカー」
 共に休暇の時間を過ごし、オスカーの家族も交えていろいろと語り、談笑したといっても、彼にとって自分は“総帥”であり“主君”であることに変わりがないからだろう。
「総帥?」
オスカーが自分のことを、“総帥”と呼び続けているその言葉の距離が、二人の間にある君臣の境域なのだと思うと、マファナは少し寂しさを感じてしまった。
(だめよ、マファナ。今は、自分のことは……)
 引きずられるようにして感傷を抱いてしまった心を払うため、マファナは自らに戒めを与える。総帥として、情意の偏重は最も忌避すべき事柄だ。そうしなければ、軍隊の中にほころびが生じ、アネッサは内側から滅びることになる。
「うふふ、油断大敵だったわ。この子は、わたしにそれを教えてくれたのですね」
 結果的には自分を振り下ろした馬に対し、やはり愛情を失わないマファナ。その首を更に優しく撫でる行為に、馬の機嫌は更に良くなっている。
「えいっ!」
気合を入れるためか、心の暗鬱を振り切るためか…。落馬をしてしまったことも意に介さないように、マファナは馬の鐙に足をかけると、オスカーの補助を得ることもなく一気に身を馬上に躍らせて、そのまま単独での騎乗を成功させていた。




 オルトリアードの王都・ベーグレンは、山岳地を背に負う麓に開かれた都市であるため、冬の訪れが早い。ただ、雪を降らせる雲と空気は、ベーグレンの裏側にあたる標高の高い山地でほとんどが消化されてしまう。したがって、王都に降る雪はさらりとした小麦粉のような粒子で、“積もる”といっても、足首までの積雪に留まっていた。
都督府を出たクリストフ、ベアトリチェ、ヨゼフの三人は、白い薄化粧で装った街を並び立って歩き、東の区画にあるヨゼフの邸宅に向かっている。終始、ヨゼフの機嫌が良かったのは、客人を家に招くからであろうか。
(これほどに、愛想の良いやつだったろうか?)
 逢うのが3年ぶりになるとはいえ、それ以上の年数を同じ部隊で過ごしてきたこともあるから、クリストフはヨゼフをよく知っているつもりだ。確かに彼は、心から仲間と認めた相手には篤い真情を寄せるところがあったが、それが非常に“偏り”を持っており、誰にでもそういう具合になるわけではなかった。
(ベアトリチェに、惚れたか?)
 クリストフにも思いがけないほどの愛想のよさが、初対面にも関わらず生まれた女将校への“懸想”だとすれば、理由としては最も考えられる。だが、どちらかというとヨゼフは、喧嘩をふっかけるなり、絡むなりするなど、相手とワンクッションを越えた後で仲が良くなるという性質を持っており、出逢ったばかりで会話も多く交わしていないベアトリチェに、そこまでの情意を抱くとはどうにも思えなかった。
(わからんな……)
 間のあった3年のうちに、彼の性格を変える大きな出来事があったのかもしれない。しかし、その“結論”に達する前に、クリストフは全ての“回答”にめぐり合った。
「いま、帰ったぞ」
「お帰りなさい、あなた」
 少しばかり広くなった玄関の中に入るなり交わされた会話である。ヨゼフが声をかけた先には、オルトリアードの女性の中では、やや小柄な感のある娘がいた。
「あら、雪が降っているのね」
「うむ」
「待ってて。すぐに、払ってあげる」
「すまんな」
 娘は掃除の手を止めてモーゼスに近寄ると、背中、肩、腰の辺りに残る粉雪を優しくはたいている。躾のよく行き届いた女性であることが、その素早い所作でクリストフにはよくわかった。
「お、おい……ヨゼフ。その娘は……」
「うむ。俺の、妻だ」

 ガンッ――

 と、金槌で後頭部を殴られた衝撃を、クリストフは本気で感じた。
「け、けこ、こけっ……」
「貴様は、鶏か?」
「ご、ごほん……お、おまえ、結婚したのか!?」
「そうなのだ。ふふふ、貴様のうろたえる姿が見たくて、ここまで黙っていたのだが……嵌ったな? クリストフ」
「あ、ああ……こいつはとんでもない不意打ちを受けたよ……」
 上機嫌の理由は、クリストフの泡を喰った姿を見られるだろうという少しばかり意地の悪い想像にあったようだ。納得しながらクリストフは、凄まじい衝撃を精神に食らった動揺を顕に、言葉もなく娘とヨゼフの間に視線を彷徨わせている。
「あら、お客様なのね」
 ヨゼフに集中していた娘が、その小ぶりで愛らしい顔をクリストフとベアトリチェに向けた。
「あっ、貴方……」
 顔が小ぶりであるだけに、その爛々と輝く瞳が可憐さを際立たせている。そして、猫を思わせるその愛くるしい瞳がクリストフの姿を捉えたとき、娘の表情がさらに輝きを増した。
「クリストフさん!」
「えっ?」
 明らかに、知己との再会を喜ぶ声を娘が挙げた。
「き、君は……俺を知っているのかい?」
「えぇっ、忘れてしまったの? わたし、エイミよ!」
「エ、エイミだとぉ!?」

 ドンガラガッシャン!!

「―――」
 ありとあらゆる鈍器が頭に叩きつけられた衝撃を精神に浴びて、クリストフは完全に沈黙してしまった。
「あっははははは! “狐”を“熊”が、見事に化かして見せましたぞ、ベアトリチェ殿! わははははは!!」
したり顔のヨゼフは、クリストフの後ろで何が起こったか判然としないまま身の置き場に困っているベアトリチェと目が合うと、その厳しい顔をぐにゃりと崩し、声高く笑声を挙げ始めていた。
 ちなみに“熊”とは、その体格から彼についた称である。……蛇足で、畏れ入る。


「ベアトリチェ殿もいることだから、改めて我が妻を紹介しよう」
 ヨゼフが、自分の肩まで頭がこないエイミを二人の前に立たせる。
「エイミ・オブライエフです。初めまして!」
 満面に笑顔を浮かべ、腰辺りの前で手を組んでから慇懃にお辞儀をするエイミ。やはり、相当の躾がされているようで、“良妻”であることを充分に感じさせた。
「ベアトリチェ・ラウーレです、よろしく」
 胸に手を当て、ベアトリチェがエイミに軽く会釈をする。それが、相手の夫人や女性の家族にする挨拶の礼式である。
「いい加減、正気になれよ、クリストフ」
「………」
 相変わらず呆然としているクリストフの姿に、今度は苦笑がモーゼスの強面に張り付く。この思いがけない事実の判明は、彼にとっていささか刺激が強すぎたらしい。
「なぁ、ヨゼフよ……」
「なんだ」
「エイミって、“あの”エイミなんだよな……」
「そうだ」
 腕を組み、胸をそらし、断言したモーゼス。まるで威嚇するようにクリストフを見下ろす彼の両頬が、微かに紅くなっているのは照れているからだろう。
(あの、泥棒猫が……なんとまあ“化けた”もんだ)
 自分でも気に入っている“狐”の通り名を、返上したい所だ。こうまでいいように撹乱されたのは、あたりまえだが戦場でも記憶にない。
「お二人とも、あがってくださいな。すぐに、温かいミルクをご用意しますわ。……あなた、上着を預かるわね」
「うむ、頼む」
エイミは夫のヨゼフから外套を受け取ると、それを大事に抱えて中に入っていった。その様子を見る限り、仲の良い夫婦である。ただ、それと聞かされるまでは、間違いなく親子に見えるであろう。
ヨゼフは元々、見た目で実年齢より歳が入っている風に見られる。かたやエイミは、小柄であるが故に下手をすると幼女に間違われる可能性さえある。二人を並べてみれば、お互いの差異は更に強調されるから、なおさらのことだ。
(あの時で十三と言っていたから……今は、十七、八というところか)
 思わずクリストフはため息をついた。ヨゼフとは、十二歳も離れた妻だということになる。あの強面にある“嗜好”を少し、思い知った気がした。
 客間に腰を落ち着け、丁度良い具合に温められたミルクを手にしたところでようやく騒々しさが落ち着いた。もっともそれは、クリストフがひとりで騒いでいたようなものであるのだが。
ちなみに、クリストフが撹乱されることになった直接の原因であるエイミは、食事の支度をするために今は厨房に入っていた。その様子は、気立てのいい妻女そのものである。
「しかし、なんだな……今だに、信じられんよ」
「まだ言うのか」
「いや、あの子の変わり様さ」
「ふふふ、俺もそう思うよ」
「クリストフ。貴方と、ヨゼフ殿の奥様とは面識があったということなの?」
「まあな。……彼女は、俺とヨゼフが同じ隊にいた頃、駐屯地の近くに住んでいた娘さ」
 その経緯には、少なくともエイミの過去が関わってくる。その辺りを慮り、詳しい説明をクリストフはあえて省いた。
「そう……」
 ベアトリチェは勘がいい。あまり、触れるべき過去でないことをクリストフの言葉ですぐに察すると、それ以上のことに触れはしなかった。興味がないといえば嘘になるが、詮索をする女は、あまり好まれるものではないし、クリストフにもそう思われたくない。
(そうか。あの子がな……)
 そんな気遣いをありがたく思いながら、クリストフは回想の中に、エイミの過去の姿を見ていた。
 エイミは確かに、クリストフとヨゼフが所属していた輜重隊の、駐屯地の付近に住んでいた。しかし、領民だったわけではない。
 彼女は、“盗賊団”の頭目だったのである。駐屯地の倉庫から食料を盗み出しては、領内で売り払う行為を何度も繰り返していたのだ。
 当時、その輜重部隊の総隊長を務めていた男は怠惰この上ない将校で、倉庫の中にある食料と書類上の数値が細かい部分で合わないことにも頓着をせず、“盗難もしくは横流しをされている可能性が高い”との報告を受けていながら、何も対応しようとしなかった。
 それに味をしめたものか、盗難の規模は日を追うごとに大きなものになり、ついには、一夜にして百人分の食料が奪われるという事態にまで至った。さすがにこれは、免責を逃れられない不始末である。
ところが驚くべきことに、不始末をその総隊長は、クリストフたち下士官の怠慢のせいにして、ありもしないことを書き連ねた報告書を都督府へ送ろうとしたのである。それは、書記官を務めていた男があまりのこと故に義憤を見せ、下士官の中で隊長格であったクリストフに密告したことで発覚した。
 クリストフはすぐに動いた。なんと、“クーデター”を起こしたのである。
証言と証人をそろえてから彼は、総隊長を部屋の一室に監禁し、物的な証拠となる盗賊団の捕獲に乗り出した。
表面上は、相変わらず軍紀の緩い状態を見せ続け、ひとつの倉庫に食料を満載にした状態でこの監視体制が緩いように思わせて、相手をおびき寄せた。
 もちろん、これには二重の罠がしかけてあった。お宝の山が満載になった倉庫が、全くの無防備だというのは明らかに相手に不審を抱かせるものだ。そんな怪しい場所に手をつけなくても、食料を盗みやすい倉庫はいくらでもある。そう相手が思うように、クリストフはわざと露骨に無防備な倉庫を用意しておいたのだ。
 敵は、あっさりと網にかかった。
ヨゼフの率いる一隊が、“二番目に盗みやすそうな”倉庫に侵入して食料を運び込もうとしている一団を取り囲み、これを一網打尽にしたのだ。もちろん頭目であるエイミも、その中にいた。
『なんだこれは……。子供ばかりじゃないか!』
 これは、ヨゼフが捕らえた一団を確認しにやってきたクリストフの一声である。
 “盗賊団”はエイミを含めた少年・少女が八人という思いがけない様相をしていた。そして、少女といってもそれは、エイミだけであり、さらに驚くべきことに、彼女が団のリーダーを務めていたというのだ。
 軍の食糧に手をつけたのだから、厳しい処断をしなければならない。しかし、繰り返すようだがその相手は“子供”だ。
『軍法に照らせば、縛り首だが……しかし……』
さすがに、クリストフもどうするべきか思い悩んだ。子供たちを刑場に送り込んだのでは、寝覚めがかなり悪くなる。
『いい方法がある』
そんな彼に援け舟を出したのが、ヨゼフだった。
『子供のイタズラをしつけるには、格別な方法がな』
 いうや彼は、腕を縛られながらそっぽを向いてへの字に口を結んでいるエイミの身体を持ち上げると、胴回りを抱えるようにしてその尻を正面に持っていき、いきなり彼女が穿いていたズボンごと下布を滑り下ろした。
『な、なにすんのよ!』
 つまり、その小ぶりな臀部を衆目に晒して見せたのである。
捕まってからもなお、気丈な様子を崩さなかったエイミだったが、尻を丸出しにされるという恥辱的な行為に対して、激しく抵抗した。しかし、当然、ヨゼフの力にかなうはずもない。
『恥をしれい! この、たわけものめが!!』
 暴れるエイミをものともせずに、その胴を抱えたままヨゼフは左手を高々と挙げ、思い切りエイミの臀部に向かって打ち下ろしたのである。

 ばちぃぃぃぃん!!

『ひぃぃぃぃ!!』
 つまり、力の限りその小さなお尻をたたいたのだ。物資庫の中に響いた、肌を打ち貫く音と、甲高いエイミの絶叫に、クリストフは耳が痛くなった。
『さあ、遠慮なくいくからな! 覚悟しろよ!!』
ヨゼフは、聞き分けのない子供をしつけるように、“盗賊団”の頭目とはいえ、女の子であるエイミに対して情け容赦のない“尻叩き”を続けた。

 ばちぃぃん! ばちぃぃぃん!! ばちぃぃぃぃん!!!

『痛い! 痛いよっ! やめてッ、痛いよぉ!』
 彼は輜重隊の中でも一番の怪力である。それが、力を振り絞ってエイミのつるりとしたお尻を叩いているわけだ。

 ばちぃぃん! ばちぃぃぃん!! ばちぃぃぃぃん!!!

『ひっ、い、痛いよっ! も、もうやめてっ! やめてってばぁ!!』
真っ白なその部分が見る見るうちに朱色をまとい、見ているほうが気の毒なほどに腫れあがった。
『ごめんなさい……ごめんなさい……もうしませんから……おしり、ぶたないで……』
 叩かれるたびに悲鳴をあげ、しまいには泣きじゃくって許しを請い始めたエイミ。その言葉を聞いた瞬間、ヨゼフは尻を叩く行為を止め、うって変わったように彼女を優しく介抱した。腫れあがったお尻を、水に浸した手拭いで一晩中冷やし続けたのである。
 その後、尻の腫れが癒えると同時に、すっかり改心し素直になったエイミから、盗みを繰り返していた理由をクリストフは問い質した。
そこで、恐るべき事態が明らかになったのである。
『総隊長こそが、“元凶”だったのか!』
 エイミは近くの小さな集落に住む少女だったのだが、その集落が何者かによって襲撃を受け、男は殺され、女は犯されてから殺され、根こそぎ焼き尽くされるという悲惨な状態になった。古井戸に身を隠していたエイミはどうにか難を逃れたのだが、結果として彼女は寄る辺なき孤児となってしまったのだ。
焼け残った小屋に住むようになった彼女のところに、似たような境遇の子供たちがいつしか集まり、飢えをしのぎ、金を稼ぐために“盗賊団”となって、近場であるこの駐屯地の物資庫を荒らすようになったという。だがまさか、自分の集落を襲った者が、この部隊の長官だったなどとは思いもしなかっただろう。
 彼女は、村を襲った集団を率いていた賊の顔をよく覚えていた。それが、この輜重隊の総隊長を務める男だったのである。なぜなら、彼にしかない特徴が、エイミの口からはっきりと出てきたからだ。
『おでこに、おっきな三つの黒子があった』
 おそらくは、集落にいた人々を全て殺戮し、目撃者を消したつもりでいたのだろう。だが、エイミという生き残りが存在してしまっていたことで事は露見した。
 証言も、証人も、そして、証拠も揃った。全てを克明に書き記した報告書を都督府に送ったクリストフへの返書にはこう記されていた。
『クリストフ・ルカーミュが、罪人を王都まで引き連れてくるように』
 そこにされていたサインは、都督府の長官であるオルゲンスト伯爵のもので、長官じきじきの命令書を確認したクリストフはすぐに監禁していた上官を縛り上げ、鉄の牢車に放り込み、共に王都へと帰還した。
 故があったとはいえ、上官への反逆行為は軍紀に抵触する。それも、相手を監禁したとなれば、それはかなりの重罪だ。正直な話、クリストフは罪人の護送に名を借りた“召還命令”を受けた時、軍人としての自分は終わったと思った。
ヨゼフが侠気を見せて、“都督府に乗り込んで、俺が弁護してやる!”と言ってくれたが、全ては都督府の長であるオルゲンスト伯爵の意向である。それにクリストフとしては、彼にはここに残ってもらい、子供たちのことを頼みたかった。
伯爵の書簡によれば、エイミたちについては“その扱いを委任する”と書かれていた。言外の意味を読み取れば、“不問で良い”ということである。だから、彼女たちの処遇はこちらで考える必要があった。
『あいつらは、しばらく母の実家で預かろうかと思う』
 そして、クリストフが期待した通り、ヨゼフが上手い具合に取り計らってくれていた。豪放に見えてその辺りの心遣いに、非常に細やかなものを持っていることは、エイミのお尻を真っ赤になるまで叩き、彼女を改心させた事から彼は強く感じ取っていた。
 エイミを含む八人の孤児たちは、ヨゼフの母方の実家が営んでいる酪農の仕事を手伝いながら農事を覚え、その働き振りを見て里親になることを申し出てきた農家にそれぞれが引き取られていった。クリストフがヨゼフに託した識見は、正しかったのである。
 ちなみに、クリストフがヨゼフからの書簡で子供たちのその後の様子を知ったとき、彼はオルゲンスト伯爵から、カラタイ方面軍の前線部隊であるマルツァケ将軍の率いる第二師団の参謀士官としての着任を拝命していた。
輜重隊の下士官だったことを思えば、想像を超える昇級である。処断されることを想像していたクリストフには、霹靂の人事であった。
『汝のような英才を、埋もれさせるわけにはゆくまい』
 その言葉をかけられたとき、クリストフはオルゲンスト伯爵への忠誠心を沸き立たせたものだ。
 昇級したのは、クリストフだけではなかった。ヨゼフもまた伯爵の目に適い、王都を守る“親衛軍”の小隊長に着任していた。彼は平民の出身で、かつ、軍学校も出ていない。それを思えば、これはもう相当に破格の出世である。
その人事に、クリストフの推薦があった事を後でヨゼフは知った。だから、カラタイ方面軍に参加すべくランバチェリアの城砦に赴いたクリストフとは入れ違いになったため直接語り合うことは出来なかったが、書簡を送りあって互いの健闘を誓った。
クリストフが激戦地にいるために、書簡のやり取りは最初の一通のみにとどまり、顔を逢わせる機会も以降は全くなかった。それでも、ヨゼフにとってもクリストフにとっても、互いが“無二の友”であることに変わりはない。
 二人の運命に転機を呼んだエイミが、ヨゼフの妻になっているということは、ひょっとしたらその時から既に決まっていたことなのかもしれないと、不意にクリストフは思う。
(あれだけ派手に尻を叩いたから、情が移ったのかも知れんな)
そして、知らないうちに頬が緩んでいた。


(うらやましい……)
 ワインを傾けあい、談笑を交わすクリストフとヨゼフの様子を、ベアトリチェは眺めている。そんな二人の間に入ることが慮られ、ひたすら聞き役に廻っているのだが、それでも彼女には充分に楽しい時間を過ごせていた。
(友人か……)
 自分の周囲を思ってみる。残念ながら、そう呼べそうな存在はいない。
 確かにオルトリアードは、女性でも軍への入隊を認めているが、多いというわけではない。また、そのほとんどが書記官か、後方の輜重部隊の雑務を担当しており、前線の士官として戦場に立つ女性の将校は、ベアトリチェひとりだといっても良かった。
 当然、彼女に向けられる眼差しは、心地が良いとは云えないものばかりだ。
『あの細腕で、敵が殺せるのかね?』
『おい、どうだ? 今夜、あの女に夜這いでもかけるか?』
 女である故に注がれる、蔑意と侮辱。もちろん、それを払拭するために彼女は果敢に敵兵と切り結び、幾人も自らの手で打ち倒してきた。士官となって間もない頃は露骨に夜這いをかけられたりすることもあったが、相手が例え上官であろうと、容赦なく急所を蹴り飛ばす荒業を見舞うなどしてこれを退けた。そうするうちに、“冷血で、冷徹で、怖い女”という評判が立つようになったのだが、これがいい抑止力となって、夜這い未遂の害は皆無になった。
 だが、戦陣の中にあって彼女は孤独であった。いつしかベアトリチェも、それが当然のように思い始めていた。
 それが、クリストフとの出逢いで変わった。
『ベアトリチェ殿、少しばかり確認しておきたいことがあるのだが』
彼の率いる小隊と行動を共にしている間、クリストフは自分を“同僚の士官”として、与えられた任務に関する色々な話し合いをもちかけてきた。布陣の確認であったり、斥候が手にしてきた情報の確認であったり、時には兵士間で起こった些細な喧嘩の裁定など…。
彼は、隊の動きを決定する権限のある“参謀”であるのだから、ベアトリチェとしてはその指示に従うだけでよいと考えており、細かなことまで確認をしてくることに対して、始めのうちは“煩わしい”とも思っていた。加えて、軍服のほつれや無精髭もそのままにしているその身のだらしなさにも辟易とし、蔑意さえ抱いた。
だが、そんな中でも、綿密なやり取りを重ね、自分の意見が部隊の動きに反映されることの“心地よさ”を彼女は感じていた。彼と行動を共にしていたのは、カラタイの一軍を二手に分けるための陽動作戦が行われた間だけだったのだが、その間は士官としてベアトリチェは充実した時を過ごせたように今は思う。
その後、先鋒の部隊を率いることになったクリストフが、あまりにも鈍い動きを繰り返し、見るからに不利な陣立てを行って、挙句の果てに“13もの陣地を奪われた”という信じられないような敗戦の報を受けた。このとき彼女はすぐに、指揮をしていた後軍部隊を彼の援護に向かわせ、合流するなりその幕営に怒鳴りこんだ。“緩兵の計”であることを知らなかったとはいえ、もう少し気骨のある将校だと思っていたベアトリチェにとっては、そのクリストフがカラタイ軍を相手になす術もなく敗戦を繰り返したというのは、自分の識見を裏切られたような気がして面白くなかったのだ。
 良きにせよ悪しきにせよ、ベアトリチェはクリストフを相当に意識してきたことになる。だから、13の陣地を奪い返し、敵の物資さえも奪取する鮮やかな用兵を直に目の当たりにしたときは、それまで抱いていた悪感情がそっくり裏返しになった。クリストフの下で、彼の副官として、様々な任務に携わりたいと思うようになったのもその時だ。
「ベアトリチェ、グラスが空いているぞ」
「あっ、ありがとう……」
 杯を重ねているためか、すっかり頬を朱に染めているクリストフからワインを注がれる。そのベアトリチェの双頬も、ほんのりと紅くなっていたのだが、それは酔いの為ではなかった。
(陳情どおりになってくれると、いいのだけど……)
 そうすれば自分はこの男の副官として、常時、同じ部隊で行動が出来る。彼の鮮やかな兵略に、自分の学識がどれぐらい必要とされるかわからない。ただ、僅かでも良いから、自分の存在が彼を援けるものになれればいいとベアトリチェは思うようになっていた。
「おっと、食い物がだいぶ減ってきたな……エイミ、頼めるか!」
「は〜い。ちょっと待っててくださいね〜」
 ヨゼフの声を受けてからしばらくして、エイミが様々なチーズを盛り合わせた皿を運んできた。それを見るなりクリストフは、まるで宝の山でも前にしたように身を乗り出して、瞳を爛々と輝かせている。
「こいつは、本当にチーズを前にすると子供のようになる」
「ふふふ、そうみたいですね」
 苦笑するヨゼフと視線が合い、ベアトリチェは吹きだした。
「ベアトリチェ殿も、遠慮をすることはない」
「特にこの“モッツァルト”はお奨めだぞ、ベアトリチェ。口にした瞬間に優しく広がってくる柔らかい食感……舌の上でとろける優雅な風味……それが、ワインと絶妙に絡み合ってだな……」
 チーズのようにとろけるクリストフの顔が全てを物語っていた。その表情に触れることができる今の自分を、ベアトリチェはとても幸福に思う。
 思いがけない至福の時……。

 グルルッ……

(ん……?)
 だがそれは、不意に下腹から湧き出してきたさざめきによって、脆くも崩された。

 グルルッ、グルッ、グルルル……

(えっ……な、なに……?)

 ゴロロロッ、ギュルッ、ギュルルルルル!!

「うっ――……!」
 まるで自分を圧殺でもしようかという“衝撃”が、ベアトリチェの下腹に襲い掛かってきたのだ。そしてそれは、明らかに内側から生じたものである。
「? どうした?」
 そのあまりにも激しい蠕動に声を出しかけて、それを飲み込んだベアトリチェ。その様子の変化を見逃さなかったクリストフが、声をかけてきた。
「い、いえ……なんでもないわ」
 ついベアトリチェは、そう応えてしまった。思えばこれが、大きな分岐点であった。
「?」
 怪訝な表情を見せたクリストフだったが、ベアトリチェの笑みを確認するとすぐにチーズに意識を移している。とりあえず、気付かれることはなかったが、それがベアトリチェにとって幸いだったかは、言い切れないところだ。

 グルルッ、グロロロロ……

(くっ……)
 ベアトリチェの中で渦巻く違和感は沈静の様子を見せない。それどころか、悪化の一途である。
(こんな、急に……)
 じわじわじわ、と脊髄を侵すようにして全身に広がってゆく悪寒が集まっていく先は、腰を下ろしている椅子で圧迫されているベアトリチェの窄まりであった。

 グゥッ、グゥゥゥゥゥ……

(!?)
 込み上げそうになるモノを、背筋を反らして堪えるベアトリチェ。
事ここに至れば、賢明なる諸君には彼女がどういう状態に陥ったか、おわかりになったであろう。
(あ、ああ……ま、まずい……)
 強烈な便意を催したのである。前触れもなしにやってきた、腹の中で駄々をこねる存在感が、ベアトリチェが初めて感じていた心の安寧を、何の呵責もなく浸蝕してきたのだ。

 グルルッ、グルルッ、ギュルロロォォォ……

(お、音が止まらない……聴かれてしまう……)

 グッ、グゥゥゥゥ……!!

(そ、それに、く、苦しい……!)
 乗倍的に積み重なっていく、絞られるような苦痛。

 グロロロロォ……グリュウゥ……グル、グル、グルグルグル……

そして、それが内側で挙げるうねりの音が、自分の意思も無視して、遠慮のない音を立てている。
「はははっ! なんだお前。てっきり、亭主関白かと思ったんだが、存外、尻に敷かれているみたいじゃないか!」
「そ、そんなことはない! 俺は毎朝、あいつの尻を叩いているのだぞ!」
「って、お前……それは、どうかと思うのだが」
「ぐむっ、し、しまった」
「はははは! まあ、いい! お互いに納得しているのなら結構、結構! 存分に、御妻女のお尻を叩いてくれたまえよ!」
「もう! さっきからお尻、お尻って……!!」
 クリストフとヨゼフのやり取りは、互いに酔いを交えたことで随分と大きな声量になっている。“尻叩き”を話題に出されたことで耳まで真っ赤にしたエイミが乱入してきたことで、4人だけの小さな宴は、それでもかなりの騒々しさを持つようになった。
もっとも、その騒々しさの質は、ひとりだけ異なるものだったが…。

 グルルルルルッ! ギュルルルルルッ!! ギュルルルルルルルルル!!!

(うはぁくっ!!)
 凄まじい轟音を立てるベアトリチェの腹具合など、宴の喧騒がなければすぐに皆に気付かれていただろう。
『なんだ、ベアトリチェ。そんなに、腹を鳴らして……。まさか、糞でもしたくなったのか? おいおい、今は食事の最中なんだぞ!』
 まさかそんな風に彼がいうはずもないが、ベアトリチェにはそんなクリストフの侮蔑を込めた声が聞こえてきそうだった。
(う、うぅ……そ、そういえば……わたしは……)
 差し出されるままに暖められたミルクを飲み干し、ワインと共にチーズを食していたわけだが、山羊の乳が自分の腹に合わないことを、具合が悪くなったことで思い出した。これは、迂闊というより他はない。

 ゴロロッ、ゴロロロロッ、ゴロロロロロロロ!!

(だ、だめっ……苦しくて……あ、ああっ……)
 辛抱たまらず、ベアトリチェは右手で腹を抑えた。そのはっきりとした動きにさえも、“お尻叩き”を話題にして盛り上がっている三人は気付かない。
そもそも、なぜに“お尻叩き”によって話の華が鮮やかに咲いたのか。その経緯に通じていないベアトリチェには理解ができるはずもなく、また、今の彼女の状態ではそれを解明しようとする余裕などは持ち得なかった。

 ギュルルルルルルルルルル!!!

「ひぃっ……」
 容赦なく襲いかかる、獰猛にして凶悪な便意。自分の身体に合わないものを摂取したからといって、これほどまでにひどい鈍痛が腹部を走り、窄まりの内側を強烈に刺激してくる経験は、ベアトリチェにもなかった。
(さ、最近、してなかったからなの……? そ、それが急に来たから……)
 普段のベアトリチェは、便通が良くない。かなり、悪いといっても良いだろう。軍中の食事は、どうしても水分が足りないものになるから、それを長い間摂取し続けてきたベアトリチェの体質が、相当の便秘症になってしまったのも無理のない話だ。
(いつから……いつから、出してないというのか……)
 頭の中で最後に排便した記憶を辿る。……思い出せないほど以前の話だということは、それで判明した。概算でも、ひと月以上は前のことになるだろう。
出るものが出なくても、空腹を感じるのは人の業であり、それを解消するために当然、食事は摂らなければならない。摂取したものが排泄されることもなく、腸内に丸ごと溜め込まれ続けているのだから、相当の負担が彼女の体にかかっているはずである。

 ギュルルルッ、ギュルルルッ、グッ、グウゥゥゥゥゥ!!!

「……! ……!!」
 必死に奥歯をかみ締めて、苦しみを堪えるベアトリチェ。小刻みに震え始めた太股は、弾けそうになる窄まりを必死になって抑えている証であった。
(あ、ああっ……も、もう……く、くぅぅっ!!)
 確かにベアトリチェは、便通が良くない。だが、だからといって窄まりの抵抗力が強いということには、ならないところもある。
 普段の話になるが、溜め込まれた便意が一気に訪れたとき、ベアトリチェは凄まじい量の糞を排泄する。それこそ、野太い峰を何条も築くようにして。およそ、麗人がするものとは思えないほど強烈なモノを、彼女はブリブリとひり出すのだ。
 そして、量と比例するように、その臭いも凄まじい。ありとあらゆる栄養素を抜き取られたものが、それでも後生大事に彼女の体内に保管され続けることで大腸内の細菌と結合し、さらなる腐食を進めるのだろう。故にこそ、ようやく体外へ押し出されたとき、信じられないほどの悪臭がその中に籠もっているのである。なにしろ、それを出した本人でさえ吐き気を覚える悪臭が漂うのだ。他人の嗅覚がそれを捕らえればどうなるか、想像するだに恐ろしい。
 だからこそベアトリチェは、なるべく人のいないところで“排泄”を行うようにしていた。陣中での排便も、事情が許す限りはあまり厠であるテントの中では行わず、遠く離れた茂みの中にその尻を沈ませて、壮絶に太く、猛烈に臭う糞を窄まりから吐き出していた。幸い、その回転が常人に比べて遅く廻るため、これまで特に不便を感じることはなかったが…。
 彼女にとっての排泄は“野糞”が基本であるといっていい。臭気がこもるテントや屋内で糞をしてしまうと、その空気の浄化には相当の時間を要することになる。
『う、うわっ、く、臭い! 臭くてたまらんぞ!!』
『だ、だめだ! 耐えられん、お、おえぇぇぇぇ!』
『な、なんだこの、大蛇みたいな糞は〜〜〜!!!』
止むに止まれず、厠であるテントを使い、中の木桶に向かって用を足したこともある。しかし、その結果はいずれも、兵士たちのその後の騒動を生み、士気に少なからず影響を与えてしまった。
 まさか、女性である自分がこれほどまでに凄まじい排泄物をひり出すとは兵士も士官も思わないらしく、厠に充満するこの世のものとは思えない悪臭を生み出しているのがベアトリチェだということに、気付いた者はひとりとしていない。
(で、でも……)
 もしもこの家で排泄をすれば、おそらくは全てが露見するであろう。オルトリアードの習俗にも、“個室で用を足す”というものはあるが、ベアトリチェが尻からひり出す大量の糞は、その臀部のように慎ましやかな排泄臭ではないのだ。

 ギュルルルルッ! ギュルルルルッ!! ギュロロロロロロロ!!!

「――…!!」
 それが、限界まで来ていながら“失礼します”と用足しにいけない彼女の理由であった。
(う、うぅ……お腹が痛い……痛いわ……)
排泄における彼女の身体がもってしまった特異性は、極度の便秘症が生み出した後天的なものであり、具体的な対処法はまだ何も見出していない。先にも触れたとおり、なるべく野外で排泄をするぐらいしか、これといった対処法がないのだ。
(どうしよう……どうしたら……あ、あ……)

 グゥッ、グウゥゥゥゥ……

(もう……もう……う、うぅっ……くぅぅっ……)
 いよいよ便意が臨界を迎えてきた。便秘症によって凝り固まったモノが、体に合わないものを摂取したことによって駆け下ってきたモノによって押し出されているのだ。言うなれば、今のベアトリチェは、“便秘症”と“下痢症”のいずれもの苦しみが、その腹の中で暴れまわっているのである。
「また……雪が降るのかも知れんな」
「そうか? なぜ、そう思うのだクリストフ?」
「聴こえないか? “空鳴り”が……」
 “お尻叩き”の話題によって生まれた騒々しさが落ち着きを見せた頃、不意にクリストフがつぶやいた。
「ふむ……どれ……」
その声に導かれるように、ヨゼフもエイミも耳を澄まして、彼がいう“空鳴り”を聴き取ろうとする。
(あ、ああ……そんなことは、やめて……お願いだから……やめてぇ……)
 その行為は、ベアトリチェにとっては拷問そのものであった。
何しろ、クリストフが耳聡く捉えた“雷鳴”は、ベーグレンを覆う冬の“空”が鳴っているものではなく、凶悪な便意を必死になって抑えているベアトリチェの“腹”が鳴っているものなのだから…。
(ふ、う……く、くぅ……)
 恐れていた沈黙が生まれてしまった。この状態で便意が原因で起こる腹鳴りが起これば、全てが明らかになってしまう。自分が激しい便意を催し、苦渋の中にあることに…。

 グッ……

(あっ……やっ、だ、だめっ……な、鳴らないでっ……お、お願いだから……!!)
 “予兆”が下腹に走ったとき、ベアトリチェは腹筋の力具合を微妙に変化させて、それを封じ込めようとした。
 ……それが、過ちであった。

 グルルルルルッッ! ギュルルルルルルル!! ギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルルルルル!!!

「ひっ、ひああぁぁっ!!」
 下腹で轟いた、凄まじい雷鳴…。ベアトリチェの腸内を雷の衝撃が貫き、膨大なエネルギーと化して一気に駆け下っていく。
 そして……。
「だ、だめっ、も、もうだめぇ!!」

 ブリブリブリィィィィィィ!!!

 圧縮されていた空気が、一気に弾けてしまった。膨大な圧力に抗うことが出来ずその窄まりが口を開き、中身がもれ出なかったのが不思議なほどに豪快な放屁をしてしまったのである。
「「「!!??」」」
 耳を済ましていた三人は、当然、その全てを聴き取った。
「あ、ああっ、ああぁぁあぁぁ……!!」

 ガタン!

「ベアトリチェ?」
 音を生み出したベアトリチェは、もう何も考えられないとばかりに椅子から腰をあげていた。そのあまりの勢いに、はじかれてしまった椅子が床に倒れてしまう。
「ご、ごめんなさい!! わ、私……!!」
「どうしたんだ、あっ!」
 そして彼女は、両手で顔を覆って部屋を飛び出してしまった。
「うっ……」
「な、なに? この臭い……」
「まさか……!?」
 ワインの香りも、チーズの風味も、跡形もなく吹き飛ばしてしまうほどの、凄まじい臭気を後に残して…。



(私……! 私は……っ!!)
 玄関を飛び出したベアトリチェは、はらはらと降り舞う雪の中を駆けている。雪が降ればベーグレンの街は、夕方を過ぎた頃になれば人の通りはほとんどなくなるのだが、それだけに、道を早足で歩くベアトリチェの姿は、誰にも見咎められることはなかった。
「う、うぅっ……」
 不意に、そんな彼女の足が止まった。鼻筋が通り、左右対称で整った眉目が苦しげによじれ、両手で腹部を押さえつけたかと思うと、尻を突き出すようにしてその腰が微かに沈んだ。
 彼女は、軍の将校が身につける正装のままであるが、上着が紺色であるのに対し、ズボンは白が基本になっている。そして、ズボンの上から鋼鉄の具足がつけられるように、肌との密着度が高くなっているので、その臀部のラインがはっきりとわかった。
「う、ううぅぅっ、い、いやぁぁぁ!!」

 ムリュムリュムリュッッ! モコモコモコッ!!

 まるで内側から盛り上がってくるように、その尻の中心部がこんもりと山を作る。
「は、はぁく……う、ううっ……」

 モコモコモコッ! ブッ、ブブブブッ、ブブブゥゥッッ!!

「あ、ああ……」
 そしてじわじわと染み出すように、山の頂点が薄茶色を帯びた。
(なんと、いうこと……)
 その中で充満しているのは、彼女が辛抱たまらずに洩らしてしまった糞である。さすがにひと月以上も体内で堆積していただけあって、凄まじいほどの量……常人の倍ほどの量を、最初の脱糞だけで彼女はブリブリとひり出していた。
「くっ………う、ううっ……」
 尻を圧迫する不快な存在感を避けるためか、ひどい内股でベアトリチェは歩みを再開する。
「こ、ここなら……」
しばらく歩いた所で、裏路地に入ると思われる隙間を見つけた彼女は、ためらうこともなくその中へと身を入れていた。
 雪の白さが灯りとなって、狭い裏路地はそれでもある程度の明るさを持っている。誰にも踏みしめられていない雪の園に新しい足跡をつけながら、ベアトリチェは奥の方まで進んだ。
「う、うくぅっ!!」

 グリュゥゥ……

「だ、だめっ、ま、また……!!」
 慌てたように衣服に手をかけたベアトリチェだったが、駆け下ってきた便意は躊躇などしてくれなかった。

 ブニュルッ、ブニュブブッ! ブボッ、ブブッ、ブブブブッッ!!

「ああぁぁぁ……」
 さらに膨れ上がるベアトリチェの尻の部分。布地が破れてしまうのではないかと思うほどに、洩らした糞の膨張を受けて伸びきっている。

 プシュッ、プシュッ、ショアアアアァァァァ……

 輪をかけるように、股間の部分も放射状に金色に染まった。脱糞したことにより失われた括約筋の自制が、失禁という事態さえも誘引してしまったのである。
「………」
金色の筋を作るようにして太股の内側を伝い、雪の上に地図を広げてゆく。その生暖かい感覚は、雪が生み出す空気の冷たさに触れるとすぐに、それ以上の寒さをベアトリチェの身に与えた。

 ぶるるっ……

 生理現象のためか、寒さのためか…。ベアトリチェの体が激しく震え始めた。
「う、ううっ、ううぅぅ……」
 その震えが次第に大きくなり、ベアトリチェは我慢が出来ないように両手で顔を多い嗚咽を溢す。その姿に、凛々しく戦場を駆ける女将校の面影は微塵も感じられない。
「う、ぐっ、ふぐっ、うぐっ……」
 次第に激しさを増し始めた雪が、彼女の流す涙で濡れた頬にも張りついてくる。その黒髪の上にも、震えている肩にも、少しずつ積もっていく…。
 まるで、汚物に満ちた彼女を世界から消し去ろうとするように、雪足はさらに強くなっていった。
「ううっ、ぐすっ、う、ううぅぅ……」
それでも、盛り上がった尻と、濡れた股間をどうにかしようともせずに、ベアトリチェは蹲ったまま、嗚咽の中に沈み続けるのであった。



「くそっ、あいつは何処に行ったんだ!」
 ヨゼフの邸宅を飛び出したベアトリチェを追いかけて、クリストフは街の中を走る。
(………)
 彼の耳には、彼女が残した異音がはっきりと残っていた。
(どうして、言わなかったんだ……)
 糞がしたいならしたいで、そう言ってくれれば良かったのだ。人間であるのだから生理現象を催すのは当然のことであり、それを気にするつもりなど毛頭ない。
「いや、俺が……気づいてやれれば……」
 自分たちの話題で盛り上がり、結果として彼女を蔑ろにしてしまった己をクリストフは恥じた。男としては、最低な行為を彼女にしてしまった気さえする。
「ベアトリチェ……」
 呟きが、白い吐息と共に零れた。その言葉には、彼の変化を遂げた心情も込められている。
「そんなに遠くは行かないはずだ! 何処だ、何処なんだ、ベアトリチェ!!」
 必死になって彼女を探そうとしている自分の様子を疑うこともないまま、クリストフは雪に足跡を残し続けた。
「むっ?」
 不意に、その足がとまった。
「何か、聴こえる……?」
 雪が降ると、その透き通った空気が音の伝達力を高める。それに、クリストフは元々、かなり耳が良い。
「………」

 ブリッ、ブリブリッ、ブバッ……

う、ううっ……

ビチビチビチッ、ビチッ、ブリブバッ……

た、たすけて……

ブリブリブリブリッ……

あ、ああっ、う、うくぅぅっ…………

 ビチビチビチビチッ、ビチャビチャビチャアァァァァァ……

 はぁ……はぁ……た、たすけ……て……

「こっちか!」
 聴こえてくる音に、確かにベアトリチェの声を聞いた。そして、響いてくる汚らしい破裂音は、間違いなく体調を崩した彼女の様子を伝えるものだ。
「ベアトリチェ!」
 クリストフは音が聴こえてきた裏路地に身を入れる。
「うっ!?」
 そこで彼が見たものは、どんな戦場でも体験したことのない凄惨な光景であった。



「うっ、くっ、あ、ああぁ!」

 ブリィィッ! ビチビチビチッ!! ビチャビチャビチャビチャァァァ!!

「はぁ、はぁ……あ、くっ……んっ!」

 ビチャビチャビチャ、ビチャアアァァァァァァ!!!

「く、う……た、助けて……」
 全身に雪が積もる中、剥き身になっている肌色の臀部から、その間が盛り上がるようにして豪快に窄まりが口を広げ、粘膜を裏返すような勢いで中から汚泥を噴出させている。

 びちゃびちゃびちゃっ……

 と、尻の下の雪に覆い被さるようにして茶色の飛沫が湯気を立ち上らせながら、湿原にも似た、足場の悪そうな大地を次々と作り上げていた。
(お腹が……苦しくて……と、とまらない……あんなに、したのに……)
 雪の上にぶち撒けられている泥濘を良く見れば、太い棒状のモノが四本ほどその中に転がっているのがわかる。そして、それもやはり、今は泥水を吐き出している窄まりから生まれ出たモノなのである。
 寒さに悴む手で、糞で満ち溢れ、小水で濡れてしまったズボンと下布を引き下ろし、べっとりと汚れが付着した尻を晒してから、改めて排泄行為に及んだ。下布の内側にこんもりと張り付いた塊が、“ボトッ”と雪の上で山を作った直後、脱糞したことで少しの間は治まっていた激しい腸鳴りがまたしても起こり、その刺激に導かれるまま窄まりが全開になった。

 ミチッ、ミチミチミチミチ……ブニュルッ、ブリブリブリブリッ……

 こげ茶色の胴体をした“蛇”が、湯気を立てながら雪の上でとぐろを巻いた。信じられないほど固く太い糞を、その後も彼女は三本も排泄した。
『う、ううぅぅっ!』
 最後の塊が、その窄まりから“ぬるり”と垂れ落ちると、今度はそれまでの硬便が嘘のような水溶便を、ベアトリチェは尻の下に撒き散らした。
おそらく、ひと月分も溜め込んだものが“栓”の役割をしていたのだろう。彼女が、ヨゼフの邸宅で催した“便意”は、どちらかといえば腹を下したときのものだったから、今まで致した便隗の量からは信じられないことだが、いよいよ排泄の本番を迎えたのである。
「あっ……」

 グリュリュリュ……ギュルゥッ!

「くっ……ま、またっ……ん、んんっっ」

 ビチビチビチビチビチビチッ!! ブリッ、ブリブリッ!! ビチャビチャビチャビチビチャビチャァァァァァ!!!!

「はぁ……はぁ……」
 下腹にうめきが起こると、順じたように括約筋が絞られる。ベアトリチェの意思を離れた本能たちは、それぞれの職務を愚直なまでに忠実にこなしていた。
 白い世界に出来上がった、おぞましい泥濘の泉。それは、凄まじい臭気を立ち上る湯気によって強調し、醜悪この上ない様を見せつけている。
「あ、ああっ……うううぅぅぅっっ!!」

 ブリブリブリブリッ! ブジュルルルッ、ブジュブバッ!! ブバッ、ブバッ、ブババババババ!!!

「も……助け……て……」
 寒さで奥歯がかみ合わず、がちがちと震えながらベアトリチェは排泄を繰り返す。始めに垂れ落とした糞の塊は見るからに凍りつき、その上に塗すようにして下痢便が降りかけられる。その上をまた雪が覆うが、三度弾けた泥水のような糞がそれを融かして、白の中に溶け合わない色彩を残し続けた。
(………)
 あまりに惨めな今の自分に、涙さえ出ない。
(もう、クリストフには顔を見せられない……)
 我慢しきれずに、談笑している中で放屁を爆裂させてしまった。これまでの倣いに従えば、おそらくは相当な臭気を残したであろう。宴の席を台無しにする、とんでもない粗相を自分はしてしまったのだ。
(陳情を、取り下げないと……)
 そんな醜態を晒した自分を、おそらくクリストフは蔑むはずだ。
『人の家で糞を洩らすようなシモの緩い女の献策など、必要ない!』
と、面と向かって言われ辱められている自分を想像することで、彼女は逆説的に自分を慰めた。
(わたしは……もう……)
微かに抱いた淡い気持ちは既に吹き飛び、将校としての自尊も粉々に砕かれたベアトリチェ。
(何処かで……誰もいないところで……ひとりで生きよう……ひとりで……)
雪に埋もれながら排泄を繰り返す中で、これからの自分の身の振り方を、負の方向にめぐらせていた。
「うっ、うっ……ぐすっ……」
 枯れていた筈の涙がまたしても溢れ、抱える両膝の間に顔を突っ伏す。
「ここに、いたか」
「えっ」
 そんな、奈落の底へ落ちてゆくばかりであった彼女の思考を、優しい声が引上げてくれた。
「雪が積もっているじゃないか。これでは、風邪をひいてしまうぞ」
 そして、頭、背中、肩と優しくはためく手のひらの感触。
「………」
 ベアトリチェは突っ伏した顔を起こして、振り向いた。
「クリストフ……!」
 絶望の中でも、羞恥は残されていたのだろう。いや、誰かに話し掛けられるという行為によって、麻痺していた彼女の感情が再び働き出したのか…。
「あ、あ……」
剥き出しになっている臀部を両手で隠して、血の色を失い蒼白になっていた彼女の双頬に緋色が走った。
「み、見ないでッ……こ、こんな……だめぇっ!」
 見開かれた瞳が見る見るうちに、涙で歪んでいく。
「私は……私は……い、いやあぁぁぁぁぁ!!」
 がくがく、と体を震わせたかと思うと、ベアトリチェは糞の放出が止まらないうちに腰をあげ、糞便を撒き散らしながらクリストフから逃げようとした。
「ま、まてッ、ベアトリチェ……」
「いやああぁぁぁぁっ! 見ないで、見ないでっ!! 来ないでぇぇッッ!!」
 汚物が弾ける尻を晒し、下ろしたズボンが膝のところで止まっている状態で、クリストフから離れようとするベアトリチェ。当然だが上手く歩けるはずもなく、横転を繰り返して全身を雪にまみれさせている。
「いやぁ……いやぁ………」
その狂気じみた行動に、彼女が正常な思考を失っていることはよくわかった。
「ベアトリチェ――……!」
「あっ……ん、むっ……?」
 それを沈静化させる手段として、果たして正しいものなのか…。
「ん、んんッ、んッ………」
 クリストフは彼女の肩を掴んで自分のほうを向かせると、そのまま唇を重ね合わせて言葉を奪い取った。
「………」
 もがき逃れようとするベアトリチェを抱え込む。そして、弾ける糞便の音も、立ち込める臭気も気にせずに、クリストフは彼女の唇を吸い続けた。
「…………」
「んっ……ん……ん……」
 唇から流れてくる温もりが、胸に染み渡る。いつしか彼女は抵抗をやめ、自分の全てを預けるようにクリストフにもたれかかった。
「ふぅ……」
 頃合を見て、クリストフが唇を離す。暴れる彼女を逃すまいと、深く咥えるように重なっていた互いの唇は、それを惜しむような銀糸を間に架けていた。
「落ち着いたか?」
「………」
 ベアトリチェの顔は、何が起こったか把握しきれていない内面の混乱を、はっきりと映している。ただ、唇の上で俄かに生まれた感触を反芻するかのように、右手の指を、その場所に添えていた。
「もしかして、初めてだったか?」
「…そうよ」
 双頬が一気に紅く染まる。その恥じらいが示すのは、惨めにも洩らし尽くした現状を見られていることか、人生でも初めてとなる異性との接吻を思い返しているのか…。
 ただ言える事は、彼が与えてくれた温もりによって、ベアトリチェは平静を取り戻したということである。更にいうなら、唇を彼に吸われてからは、洩らしてしまった姿を晒していることの羞恥はそれほど感じなくなっていた。
「ごめんなさい…わたし…」
「謝るのは俺のほうだ。きみが苦しんでいるのに、気付いてやれなくて…」
「あっ…」
 そのまま、腕の中に抱き締められた。
「寒かっただろう。髪が、凍りついて…」
「クリストフ…」
「エイミに、着替えと湯を用意させてあるから。……戻ろう、な?」
「う、うん……あ、で、でも……」
 洩らした糞と小水で汚れた将校服をどうすべきか。直接、汚物が充満した下布は自分のものだから別に捨てても構わないが、将校服は王から下賜されたものといってよいので、路傍に捨て置くことなどできそうもない。
「それを穿きなおすのは、やめておけよ」
 特に小水で濡れてしまったことが、この場合は大きく影響している。寒気に触れることで冷えきっているそれを身につけるとしたら、生じる不快は相当のものになるはずだ。
「とりあえず、脱いでしまえ。代わりに今はこれを着ればいい」
 言うなりクリストフは、足元まで丈のある愛用の外套を脱ぐと、ベアトリチェの肩にかけた。かなり厚手のそれは丈の長さゆえに、全身を包むようにして彼女を寒気と環視から守るであろう。
「人の通りはなかったが、万が一もある。誰か入ってこないか、見ているよ。始末が終わったら、来てくれ」
「ありがとう……」
 背を向けたクリストフが、路地の端まで至った所で足を止めるのを確認してから、ベアトリチェは色々なことの後始末を始めた。
 クリストフの言うように、糞と小水で汚れきった下の将校服を完全に脱ぎ取る。そして、洩らした糞の大半を地に落としたといっても、大量の名残がこびりついている下布をズボンから剥がし、残っている綺麗な部分で尻の汚れを拭いた後、雪の中に埋めた。
(ドロドロになってしまった……)
 将校ズボンを両手で捧げ持ち、正面から見るように目の前に広げてみる。股間に広がる黄色い染みは、内股を伝うように足元まで帯状の汚れを残し、尻の部分は、洩らした糞で限界を超えて盛り上がった下布から染み出たものらしく、薄い茶色の粉飾が残っていた。
(………)
 やってしまった現実に、ベアトリチェは血の気が引きそうになる。この服を再生させることは、容易ではないだろう。
 嘆息を零してから、ベアトリチェはそれを、汚れを包み込むように畳んだ。
「終わったわ…」
「そうか」
 かけられた外套でしっかりと身を包んだベアトリチェ。剥き出しになっている下半身に頼りなさを感じるものの、それを覆ってくれる丈の長さが暖かく頼もしい。
「クリストフ…」
「な、なんだ」
「あんなことをして……私に、幻滅したでしょう? ヨゼフ殿も、エイミさんも、きっと呆れているはずだわ……」
「そんなに、心配するなよ。俺だって、初陣の時は緊張で小便を洩らしたし……ヨゼフがちらっと言ってたんだが、エイミはよく“寝小便”をしてしまうんだとさ。だからあいつらも、きっと、こういうことには慣れているはずだ」
「えっ……?」
「誰にも言ってないから、秘密だぞ。エイミの“おねしょ”をばらしたことも、内緒にしてくれよ」
ちなみにクリストフが、エイミに“夜尿癖”があるらしいことを知ったのは、ベアトリチェが腹鳴りと放屁の音を響かせて邸宅を飛び出したとき、ヨゼフの口から“つぶやき”のように出てきたもので、煩雑な状況の中でも、耳のいいクリストフはそれをしっかりと聴きつけていたのだ。
 羞恥の過去を、他人のものも含めてさらりと言ってのけたクリストフ。“銀の狐”と呼ばれ、智恵者として戦場を飄々と駆け回る彼にも、シモにまつわる“恥”があったことは、ベアトリチェの恥辱をわずかに晴らしてくれた。
「クリストフ……ありがとう……」
「ああ……」
 肩を並べるように傍に寄り添ってきたベアトリチェの縋るような視線が心を打つ。やむをえず“接吻”という、刺激的な行為によってあらぶる彼女の心を落ち着かせたわけだが、そのときの感触が鮮やかにクリストフの唇に蘇り、彼は動悸が激しくなった。
 互いに交錯する視線。戦場で軍事行動を共にしているときの厳しさが信じられないほど、クリストフを見つめるベアトリチェの眼差しには、艶がある。
 潤む瞳に、紅く染まる頬。“凛々しい美しさ”ばかりが目立った彼女の顔に、“愛らしさ”を感じたのは初めてだった。
「ベアトリチェ…」
 引き寄せられるようにその肩を抱き、もう一度、唇を寄せる。
「………」
それを拒む様子も見せず、ベアトリチェは瞳を閉じて唇を捧げてきた。
「んっ…」
触れた唇は、とても熱い。一度目のそれは、その熱も、心の安らぎも、余裕のなさゆえに感じることはできなかったが、互いの心を通じ合った今は、唇を通して流れ込んでくる暖かい気持ちがはっきりとわかり、この上もない心地よさを生み出してくれた。
(私……)
 自分が女であることを、強く意識したのは初めてかもしれない。戦場で自分に注がれる野卑な視線を遮るため、厳しくあろうとしていたときは、“自分が女である”という事実を無理やりにでも封じ込めてきた彼女だ。
(貴方の傍に、いてもいいのね……)
 接吻は彼が“女としての自分”を求めてきた証だ。そしてそれを受け止めたとき、新鮮な喜びが胸の底から湧き出してきたのを、ベアトリチェは自覚していた。
(私は……貴方を……)
 このとき、完全にベアトリチェは、クリストフに全てを委ねていた。




 ばちぃっ! ばちぃぃっ!! ばちぃぃぃっ!!!

「………」
「………」
 遠く聴こえる、何かを打つ音で目覚めた二人。同じ臥所に身を入れて、互いに体を寄せ合って眠っていた昨夜の記憶が、まどろみの中ではっきりとした輪郭を持って現れる。

 ばちぃぃん! ばちぃぃぃん!! ばちぃぃぃぃん!!!

「何の、音……?」
「ヨゼフが、エイミの尻でも叩いているんだろう」
「そ、そんな事をしているの? 何故?」
「多分、またエイミが“寝小便”をしたんじゃないかな……」
 取りあえず結論を先に言うと……事実である。その粗相に対して受ける夫からの愛情溢れる折檻が、“お尻叩き”なのだ。
もっともそれが“クセ”になって、エイミの夜尿癖の解消に支障をきたしているというのは、隠されている真実である。“おねしょをすれば、またお尻を叩いてもらえる……”という深層心理がエイミの中にあることは、本人さえもわかっていない。
 それはともかく…。
結局、クリストフとベアトリチェは、ヨゼフの邸宅に泊まった。二人が寄り添うようにして戻ってきたことに、その間にある空気の変化をヨゼフは読み取ったらしく、思わせぶりな表情を浮かべてから“今夜は泊まっていけ”と、二人に同じ部屋を与えたのだ。
 これまでのベアトリチェだったら、おそらくは烈火の如く怒り、さっさと軍舎に帰ってしまっていたであろう。しかし、全てをクリストフに預けた今は、その申し出が“ありがたい”とさえ思うのだから、げに人の心というものは、わずか一日の中でも劇的な変化を生むものである。
 クリストフとしては、“そのつもり”はなかった。しかし、同じ部屋でベアトリチェと過ごしているうちに、雄の衝動が抑えられなくなってしまった。
 もともと、ベッドがひとつしかないというのが決定的である。その時点で既に、この部屋を勧めたヨゼフは確信犯であったに違いない。
『なぁ……』
『えぇ……』
 更なる男女の交わりを求められたことを、やんわり肩を抱かれることで察したベアトリチェだが、それを拒もうとは考えなかった。それは当然、彼女にとっては初めての行為であり、やり方も何も知らないことではあったのだが、不思議と素直に受け止めることができた。おそらくは、これ以上ないほど、クリストフに惹かれてしまったからだろう。
「………」
 味わったことのない、熱い愛撫。体中を走る、堪えられない様々な刺激。色々な所をクリストフに愛撫をされ、ベアトリチェの意識は途中から完全に霞んでいた。
(世の中には、こんなに素敵なことがあったのね……)
 クリストフを迎え入れたとき、戦場で切り傷をつけられた時とは想像もつかないほどの痛みと衝撃がベアトリチェを貫いた。しかしそれも気がつけば、表しようのない浮遊感を伴う極上の心地よさに変じていき、終わりの方ではすっかり虜になって、普段の自分が嘘のようなあさましい声をあげて、彼の体にしがみついてしまった。
 そのときのことを思うと、頬が熱くなる。しかし、“女でよかった”と初めて思うほど、クリストフが施してくれた行為はベアトリチェを心身ともに満足させた。
 しばらく、軽い睦みあいで時間を過ごしてから、二人は寝床を払った。着替えを済ませて部屋を出て居間の方へ行くと、暖炉に薪をくべ、火を起こそうとしているヨゼフの後ろ姿が見えた。
「おお、起きたか」
「妙な音が聴こえてね。おかげで目が覚めたよ」
「そ、そ、そうか……」
 “エイミの尻を叩く音で起きた”ということを、クリストフが言外に含ませていることを察したヨゼフは、ばつの悪そうな顔をしながら火に集中するそぶりを見せる。その火が安定した所で彼はその場から離れ、椅子に腰を落ち着けた。
「俺は今日も都督府に用事がある。もうしばらくしたら出るが、二人はゆっくりしていくといい。エイミに、朝食も用意させているところだ」
「なにからなにまで、世話になりっぱなしだな」
「これしきのこと……貴様からの“借り”を思えば、まだまだ安いものだ」
 輜重隊にいた頃はその荒々しさばかりが目立っていたヨゼフだが、親衛軍の将校になってからは随分と落ち着きが出てきたようにクリストフは思う。妻を迎えたということも、大きな影響を与えているのは間違いないだろう。
「ヨゼフ、休暇はいつからだ?」
「明後日からだな。伯爵閣下のお話では、ハイネリア遠征軍の召集はひと月後ということだから、それまで時間をいただけることになった」
「ひと月か……」
「その間は、エイミを連れてボルノーで過ごすつもりだ」
 “ボルノー”とは、彼の母の実家がある、高台地に開かれた街である。牧畜と酪農が盛んなことで名が高い。チーズの名産地としても、諸国には知られている。
「次に逢うのは、幕僚会議の席ということになるな」
「そうだな」
 先に控えている戦いの話に触れた二人に、少しだけ張り詰めたものが生まれていた。その様子を、ベアトリチェは何も言わず見つめている。
「なあ、ヨゼフ」
「うん? なんだ?」
「今度の戦は、多分、厳しいものになるだろう。……絶対に、死ぬなよ」
「エイミに子を産ませないまま、逝く気はない。なんだ、貴様の口からそんな言葉が出るとは意外だな」
「どうかしていると、自分でも思うよ。ただ、カラタイの連中とやる戦とは比べ物にならないくらい、俺はハイネリアとの戦いに臆病になっている」
「………」
「我が国は、二度もハイネリアに敗れた。いくらこちらに油断があったとはいえ、彼我戦力に相当の差を持ちながら敗れた。その意味は、大きい」
「クリストフ…」
 “十三陣の戦い”で、“智将”として更にその名を高めた男の言葉だ。ベアトリチェも、ヨゼフも、神妙な顔つきで話を聞き続けている。
「俺は、お前も、ベアトリチェも喪いたくない……こういうのは、初めてだな」
「ふふふ、それならば我らが死なぬように、貴様には智謀を奮ってもらわなければならんな、“参謀長”殿」
 思いがけないクリストフの“弱さ”に触れたヨゼフは、それだけ自分に向けられた真情が純粋なものとなっていることを自覚した。それはまた、ベアトリチェも同様である。
「みなさぁん、朝食の用意ができましたよぉ!」
 少しだけ暗さの伴う席になってしまっていたが、それは、大皿を抱えたエイミの明るい笑貌によって和んだものに代わった。
「おっ、こ、これは……」
 皿の上に乗っているのは、ハムとチーズの盛り合わせである。主食となるパンは、既に籠の中に入って、目の前に山となっている。
「しおらしいと思っていたら、途端にこれか……まったく、貴様というやつは」
 チーズを前にするなり、暗鬱が漂ったクリストフの顔色に生気が満ちたので、ヨゼフは苦笑を禁じえなかった。それもまた、ベアトリチェも同様であった。
「ミルクも温まっていますからね」
 起き抜けに尻を叩かれていたとは思えないほど、エイミは闊達としたものだ。思わず、スカートの中に隠されている彼女のお尻を注視していたベアトリチェだったが、思うところがあってエイミのところに身を寄せると、耳打ちをした。
(あ、あの……実は、わたし……)
 山羊の乳が体に合わず、腹具合を悪くしてしまうことを告げたのだ。昨夜の痴態をもう繰り返すわけにはいかない。
(そうだったんですか……ごめんなさい。代わりに、“白湯”をご用意しますね)
(すみません……あ、それと……)
(お召し物は洗ってから、昨夜ずっと暖炉の火に当てておいたの。もう乾いて、畳んであるわ)
(お、お世話をかけました)
 女性として、彼女には“かなわない”気がする。こういう細やかな心配りを、果たして自分はクリストフにもできるようになるのだろうか。
(いいえ、今は……)
 自分が彼の副官となって、次の戦に臨むことになるのは間違いない。だとすれば、今の自分に必要になってくるのは、戦場の中でクリストフの用兵をサポートできる軍事の能力だ。そして彼は、ハイネリアとの戦いにかなり“怯え”を抱いている。その心を支えることも、これからは自分の役割として重要になるだろう。
(私の全てを賭けて……貴方を守るわ、クリストフ……)
 初めて抱いた強い想いの中で、ベアトリチェは決意を新たにしていた。



 ―続―










解説 其の五

 みなさま、こんばんは。まきわりでございます。『ハイネリア戦記』の第5章でございました。お読みいただき、ありがとうございます。
 今回は、敵国であるオルトリアード側の視点での物語になりました。主役であるはずのマファナがすっかり、影が薄まるばかりか出番さえも失われつつありますが、そのあたりはもう開き直って書き進めてしまいました。
 “集団排泄”となった前回とは違い、OMOシーンはわずかにひとりで、それも1回のみという、ややボリュームに欠けるものになったという自覚はありますが、そのぶん“濃い”ものを目指しました。ただ、“ろりすか”が主要であるこの場所において、今回の“主役”となったベアトリチェは、その範疇をかなり超えてしまっているので、皆様の反応が怖いところです。エイミの“スパンキング”と“おねしょ”を、もう少し具体的に描写できればよかったかなとは思います。これは、次回への反省にしましょう。
それはともかく、『ハイネリア戦記』の中では、初めて濡れ場を見せてくれた彼女とクリストフとの“大人の関係”を、これからも描いていけたらいいなとは思います。

 それでは、第6章でお逢いいたしましょう。
 まきわり、でございました。


メルティより

 今回は敵国側ということですが、これまたしっかりとした設定が用意されていますね。いずれ戦場で相見える時に、その内面を知っているかどうかでは思い入れも違ってくるでしょうから、いいタイミングでの描写だったと思います。
 ベアトリチェに関しては……体型などの描写は気にならなかったので、やはり性格面でしょうね。今回はきつめの部分があまり描写されてなかったので、どちらかといえば淡白なキャラクターというイメージになっている気はしますが、変わった後を重点的に描写するのであればこれでいいのかもしれません。
 あとはエイミちゃんの大きい方の排泄を期待する、ということで。

 遅くなりましたがどうもありがとうございました。


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