つぼみたちの輝き Story.14
「扉越しのめぐりあい」
「ん……っ……!!」
ブチュブチュブチュッ!!
ブピ……ビチベチャブリュビィッ!!!
早坂ひかりは、自宅のトイレで一段高くなった和式便器にまたがっていた。
制服のスカートをめくり上げてあらわになった真っ白なおしりの中心から、濁りきった汚物がほとばしる。
透明だった便器の中の水は、容赦なく降り注ぐ液状の排泄物によって、あっという間に激臭を放つドブ池と化していった。
「くぅ………んっ………」
排泄を始めてしばらくたっても、差し込むような腹痛は治まらない。
息をかみ殺しながらその痛みに耐え……おなかをかばいながらおしりの穴を開き、腸内に充填された液状便を流し出す。
ブピュルッ!!
ビュルッ!! ブビビッ!!
ビチ……ビチチチチチッ!! ブチャッ!!
「うん……っ……」
自らが生み出した悪臭に包まれるトイレでの、苦痛に満ちた排泄……。
普通の女の子なら年に何回も経験することはないその光景が、彼女にとっては日常だった。
今日も、おなかのゆるさこそ容易な状態ではないが、朝起きてすぐトイレに駆け込む、それすらかなわず部屋にあるおまるの厄介になる――というほどの急烈なものではなかった。着替えを済まして朝食をとり、それによって腸が動き出した結果としての便意であった。もちろんその便意は生ぬるいものではなく、キリキリとした腹痛を伴ったものではあったが……。
「ふ……っ……」
プジュ……ッ……。
排泄の勢いがなくなり泡をなしていた茶色の水が弾け、おなかの中に残っていたわずかな空気が湿った音を立てて排出される。
それを最後に、おしりからの排泄は収まりを見せた。
収まった……とはいっても、おなかの痛みやおしりの穴の圧迫感が消えたわけではない。排泄を済ませたすっきり感はほとんどなく、渋るおなかの不安な感覚だけが残る……一度きりの排泄で事が終わらないのが、下痢の本当の苦しみと言えるだろう。
……とはいえ、それを嘆いても始まらない。完全に治るまでなどと考えていたら、学校に通うこともできなくなってしまう。できるだけ普通の生活を送り、便意をもよおしたら何とか我慢してトイレまで耐える……。
普通の便意ならいざ知らず、立ち上がることもままならぬ腹痛に襲われながら、駆け下るような下痢をもらさずに我慢するという苦しみは文字通り筆舌に尽くしがたいが……ひかりの小さな身体は、その苦しみに何とか耐え抜いていた。不本意ではあるが、度重なる我慢を強いられることによって、おしりの穴を締め付ける力が普通の女の子よりは強くなっているのである。……もっとも、それでも耐え切れずもらしてしまうことが少なくないあたり、彼女のおなかの弱さも表現しきれないほどなのだが……。
「…………」
ジャァァァァァァァ……。
両足の間で渦巻いていた悪臭の源、そして同じ色に汚染されたトイレットペーパーが、清浄な水流によって押し流されていく。
中腰になり、可愛らしい真っ白な下着を膝元から上げる。女性としての発達を見せていない股間をすっかり覆ったコットン生地。その生地が、排泄後間もないおしりの穴と擦れあい、ひりひりとした痛みを思い出させる。
ぱさっ……
小柄な彼女には少し長いスカートが、膝元までを覆い隠す。
本来ならこのトイレと言う場所に立っているのすら似合わない可憐な姿。ついさっきまでこの少女が汚物の海の源となっていたとは、この外見からは想像がつかないだろう。もっとも視覚ではなく嗅覚をはたらかせれば、いまだ滞留する強烈な下痢便臭が動かぬ証拠となるのだが……。
ガチャ。
キィ……パタン。
「あっ……」
トイレのドアを開けて外に出たひかりの目に飛び込んできたもの。
ダイニングに置きっぱなしだったはずの女子用学生鞄が、玄関脇に立てかけてある。……その先には、靴を履いて待っている兄、隆の姿があった。
「もう、大丈夫そうか?」
「あ…………うん……たぶん、大丈夫……」
「そっか。あ、鞄持ってきといたけど……他に忘れもんないか?」
「ううん……鞄だけだから……」
それだけ返事をすると、ひかりは少し顔を赤らめてうつむく。
「あの……先に行っててくれてもよかったのに……」
「いや、朝練がない時くらいは一緒に行こうと思ってさ」
「え……あ…………」
「それに、早く行ったってどうせ勉強なんかしないしな」
相好を崩す隆。ひかりも苦笑しながら顔を上げる。
「……もう、試験のときくらいちゃんと勉強しないと……お兄ちゃん、今年は高校受験なんだから……」
「まあ、そんなことは夏の大会が終わってから考えるさ」
腕を腰に当てて、開き直った態度の隆。
「……うん…………そうだね」
これでは、ひかりも返す言葉がない。隆の野球バカぶりは、一番身近にいるひかりが誰よりもよく知っている。
ガチャ。
家の鍵を閉めるのは、いつも通りひかりの仕事。
両親がいない寂しさを感じるほどの余裕は、毎日の生活の中にはない。特に、期末試験最終日である今日などにおいては……。
通学路の途中。遅れないように足を速めるひかりだったが、歩幅の差は補いようがない。当然隆がゆっくりと歩くことになり、余裕がある注意力を会話に注ぐことになる。
「調子はどうだ?」
「え……? きょ、今日は別に普通で……」
「あ、そうじゃなくて試験の方さ」
「あ……ご、ごめんなさい……」
うつむいて少し考え込むひかり。
そうすると小さな歩幅のうえにさらに歩みが遅くなるので、隆もそれに合わせることになった。
「……今回は順調……かな……ちゃんと時間内に終わってるし……」
「すごいな……」
「ふ、普通に勉強してれば大丈夫だよ……それに、今回はその……途中でおトイレに行かなくてよかったから……」
「あ……そっか」
隆も思い出す。
ちょうど中間試験の時、ひかりのおなかの調子は最悪で、試験時間中も腹痛に苦しみつづけ、何度となくトイレに駆け込むことになった。見かねた先生に保健室で試験を受ける許可をもらったものの、結局トイレの世話になりっぱなしで、問題を解く時間もろくに確保できなかった。2日目にはやや回復したものの、腹痛と便意に苦しみながらの試験という苦境に変わりはなく、点数も平均程度に終わってしまったのである。
逆を言えば、それでも平均程度の点数だったのだから、体調が比較的良好である今回はかなりの点数が期待できるのである。
「……無理はするなよ」
少しだけ真剣な口調で諭す隆。いつ激しい下痢が始まるかわからないだけに、試験中にもよおして今までの点数を無駄にしないようにと無理をしてしまうのが心配だった。
「うん……」
ひかりはかすかに上を見上げて、小さな声で返事をした。
「んく……」
ブピピピピピーーーッ!!
ブッ!! ブププププッ!! ブピブピピピッ!!!
プシュブシューーー……ブジュルビチャッ!!
弓塚潤奈は、自宅の洋式トイレに、おなかを押さえて前かがみになりながら腰掛けていた。
鈍い腹痛を感じながら目を覚まし、度重なる下痢の苦しみで血色の悪くなった顔を洗い、寝ている間に液状便がもれていないかと怯えながら着替えを済ませ、母がおなかの調子を気遣って作ってくれた白粥をなんとか食べきった……その瞬間、こみ上げるような便意に襲われトイレに直行したのである。
最初にまとまった量の便……量が一定量というだけで、形状としてはまとまりとは対極にある液状便なのだが……その液状便を排泄すると、後は時折ガスが弾けるだけの空の便意に苦しむことになった。
「うぅ……んっ……」
ブブチュッ!!
ブピ…………ブピピピピッ!!
ジュルブビビビッ! ブリビチッ!!
ブビッ……ビチベチャブリッ!!
水気を含んだ放屁、弾けるような脱糞、そして……苦痛に満ちた沈黙。
その三拍子が永遠のごとく繰り返される個室内。
キュルル……
「ひっ……」
蠕動音もそこそこに、何度でも襲い掛かってくるおなかの激痛。
そのたびに潤奈は目を閉じ、顔をゆがめ、おなかを抱え、上体を倒して耐えた。
その腹痛の波が引くと、今度は便意が襲ってくる。
もちろん便器の上であるから、おしりの穴は痛いほどに全開になっているのだが、渋る彼女のおなかの内容物は簡単には排出されてくれない。
出すためには、痛むおなかにさらに圧力をかけなければならないのだ。
(こ、これ以上時間かかってたら遅刻してしまうかも……)
すでにトイレに入ってから10分以上が経過している。普段の潤奈なら、学校に行くのに十分な余裕を持って起床しており、この程度の時間のロスは問題にならないのだが、体調を崩しきっている今の彼女は、睡眠のリズムさえも襲い来る便意の前にボロボロになっていたのである。
(やるしか……早く出し切るしかない……)
「んっ……」
そっと力を入れ始める。その力をだんだんと強く……。
グギュルッ!!
「……ぐうっ!!」
うめき声。それも悲鳴を押し殺した声である。
痛むおなかに、無理やりに力を入れた結果は……火を見るより明らかだった。
意識が一瞬真っ白になるほどの激痛。
(まだ……今出さなきゃっ……)
その激痛に耐え、潤奈はさらに力をこめていきむ。
便器の中に渦巻いている下痢便を見なければ、どれだけひどい便秘に苦しんでいるのかと思うほどの気張り方であった。
(は、早く出て……っ!!)
ブッビッブビッ! ピィーーーーーッ!!
「あ……」
脱力感。
これだけ身体に負荷をかけた結果が、わずかな液便を飛び散らせただけのおなら……。
「………」
もはや言葉も出なかった。
悲痛な表情を浮かべて、わずかに腰を浮かす。そのわずかな動きがおなかに伝わり、再び痛みを助長していた。
「んっ……」
カサ……ズズッ……
肛門の周りを覆い尽くした下痢便の残りかすを、真っ白なペーパーで拭き取る。紙が乾いた音を立てたのは一瞬だけで、すぐに液体成分が染み込んだ湿った感触がおしりを包むようになる。ただ拭くだけではなく、汚れを広げないように、細心の注意を払わねばならなかった。
「はぁ……」
まだ鈍痛の続くおなかをさすりながら、潤奈はトイレのドアを開ける。
いかに気丈な彼女と言っても、精神力まで搾り取るような下痢が何日も続いていては、気持ちが沈むのもやむをえない。
(だめよ潤奈……今日が最後の山なんだから、これを乗り切らないと……)
目を閉じたまま潤奈は考える。
昨日までの試験……下痢に悩まされながらではあったが、かろうじて乗り切ってきた。もちろん試験中にもよおしたこともあったが、繰り返す腹痛と便意に思考を中断させられながらも、何とか解答用紙を埋め尽くすことができた。とはいえ1日目の英語と2日目の家庭科(期末試験は実技科目も試験が行われる)の時間には、問題は解き終わったものの最後まで我慢することができず、答案を押し付けるように提出してトイレに駆け込み、便器の中を汚い色で埋め尽くしてしまったのである。
そして、今日は残り2科目。1時間目は保健体育、2時間目が美術、最後の3時間目が数学。最初の実技教科2つは、今までの経験から言えば小手調べのようなもので、問題の質量ともに大したことはない。
……つまり、文字通り最後の山なのは数学である。問題の量も多く、中間試験のときのような超難問が出される可能性も高い。試験時間をギリギリまで使ううちに便意をもよおしたら、計算力はその影響をもろに受けて著しく低下し、惨憺たる結果になる可能性もある。
(そう、数学だけは念入りに確認をしておかないと……)
そう思ってかばんを取りに戻ろうとした矢先。
「だいぶ長かったなぁ……大丈夫か?」
「――っ!?」
顔を上げた潤奈は、目の前にある人影に驚愕した。
声にならない悲鳴。
血色の悪かった顔が、一瞬にして朱に染まる。
「な……なんでこんなところで突っ立ってるのっ!!」
二人称はいらない。
トイレの前に、潤奈の言葉よろしくぼーっと突っ立っていたのは、他でもない彼女の兄、弓塚江介であった。
「いや、荷物持ってきてやったんだけどさ……あんまり長いから、大丈夫なのかって心配に……案の定すごい音だったし……」
「………っ!!」
びくっという音が聞こえるほどに大きく肩をすくめる潤奈。
一瞬おびえた顔、そして……。
「わ……私が入ってるときは近づかないでって、あれほど言ってるのに……それに、お……音まで…………兄さんのバカあっ!!」
片手で顔を覆ったまま利き腕をぶんぶんと振り回す。江介はそれを器用によけながら途切れ途切れの言葉で言い訳を始めるしかなかった。
「わ、わわ、おい、おれはただ単に心配でだな……」
「心配ならそっとしといてっ!! ……ああっ、もうこんな時間っ!?」
「……って、まだ余裕はあるだろうが」
「いつも遅刻寸前の兄さんと一緒にしないでっ! それに、今日は試験の直前準備もしないといけないんだから……」
直前準備。
社会や理科なら暗記項目の復習。
国語や英語は漢字や単語の再チェック。
今日の数学の場合は、今まで間違えた問題の再確認である。
「はいはい……ほれ、忘れ物なかったらさっさと行こうぜ」
そういって、江介は鞄を潤奈に投げる。
「い、言われなくてもわかってるわよっ!!」
投げつけられた鞄を器用に受け取る。優等生の性か、制服に学生鞄のいでたちとなると、それだけで気分が引き締まってくる潤奈であった。
(そうよ、今日は何としても頑張らなきゃ……昨日まで何のためにやってきたかわからないじゃない……)
標的は数学だけに絞ってもいい。
この教科さえ完璧にすれば、少なくとも中間試験のときに感じた言い知れない不安を払拭できる。
唯一自分を上回る可能性を持ったあの少女に、確実に勝利するために。
(私は……もっと完璧にならなければ……)
潤奈は今までもこうして自分を追い詰めることで、それまで以上の実力を発揮してきた。試験の点数が99点なら「99点しか取れなかった」、水泳の競技会で1位でも「自己新記録でなければ何位でも同じ」と、常にプレッシャーをかけることで高みを目指すエネルギーに変えてきた。それが、学年一位、文武両道の完璧な委員長という今の地位を作り出してきた。だから、ライバルと呼べる相手が現れた今回も、その相手を意識しつづけることで自分に負荷をかけ、競争の力に変える。それを無意識のうちに行っているのである。
「私は……」
頭の中の考えが小さく口をつくのも、その無意識の現れ。
「……勝たなくちゃいけな――」
ゴロッ……。
「……っ!?」
無意識に支配された哲学の世界から、明晰な感覚に支配された現実の世界へ。
潤奈を引き戻したのは、身体の内側から湧き上がった痛みと苦しみの感覚……。
ギギュルグルルルルルーッ!!
「ひ……っ!?」
ついさっき排泄を済ませたとは思えない、急激な便意の高まりだった。
下痢の再発……いや、数日間続いているものであるから、活性化といったほうが正しいかもしれない。
ゴロッ……キュルキュルキュルッ!!
(も……もういやっ……)
踵を返し、今出てきたばかりのトイレへUターンしようとする。
「おい、どうした潤奈?」
「あ……」
足が止まる。
さっきあの強烈な下痢の音と放屁音を聞かれたばかりの兄の前で再びトイレに駆け込むと言うのは、たとえ肉親でも恥ずかしさが先に立つ。
「に、兄さんは先に行っててっ!!」
「な、何だよ急に……」
キュルルルルルッ!!
「い……いいから早くっ!!」
叫ぶような声。おなかに下手な力がかけられないため、悲鳴のような裏返った声になってしまっている。
グルゴロロロロロッ!!
「うぁ……あっ……」
「……ったく、わからん奴だなー」
そう言い残しながらも、江介は玄関の扉を開ける。
「………っ!!」
その姿が扉の向こうに消えるより早く、潤奈は今出てきたばかりのトイレ……先ほどの下痢便の汚臭がいまだはっきりと残るその空間に舞い戻っていた。
バタン!
ギュルギュルギュルルルルッ!!
(も、もれちゃうっ……!!)
飛び込んだ勢いのままに扉を閉じたが、ぶり返した便意はあっという間に最高潮に達し、まだ熱く充血したままの潤奈のおしりの穴を間断なく圧迫していた。鍵を閉める余裕すらなく、彼女はさっき身に付けたばかりの下着をずり下ろし、おなかを押さえながら便器の上に座り込んだ。
(あ……でる……)
「……っ!!」
ブビビビビビビビーーーッ!!
汚らしい濁った破裂音が、彼女のいる狭い空間の中に轟いた。
先ほどの残便感との戦いのように、必死になっておなかに力を入れたわけではない。排泄体勢が整い、おしりの締め付けを緩めたその瞬間、直腸まで下りてきていた液状便が大量の空気と一緒に便器内に吹き付けられたのである。
ブピュルッ!!
ビィッ!! ブチュッ!! ブブブッ!!
(は、早くしなきゃ……本当に遅刻しちゃうっ……)
断続的に繰り返される液状便の排泄。
これではトイレから出る前の状況に逆戻りである。潤奈の腹具合は回復を見せるどころか、渋り腹の格好をより強くしていた。
「んう……うぅぅぅっ……!!」
ブリュビチッ!!
ブピィーーーー……プスッ!!
ブリ……ブジュジュジュジュジュビッ!!
その後も潤奈の便意は収まらず……結局途中で見切りをつけ、痛むおなかをかばいながら学校へと走る羽目になったのである。
キーンコーン……。
2時間目終了のチャイムが鳴る。
その時間がいつもとずれているのは、今日が期末試験最終日だから。
普段の5分休みではなく、毎時間ごとに15分の休み時間が与えられ、先生は問題の用意に、生徒は最後の復習に当てることができるのである。
もっとも、この期末試験期間中、用意された15分休みを一番ありがたく思っていたのは、この二人の女子生徒だろう。
早坂ひかりと弓塚潤奈。
下痢によって何度となく引き起こされる急迫した便意のために、普段では考えられない回数の学校での大便排泄を余儀なくされた二人である。
ひかりは比較的体調が良かったとはいえ、試験の途中でおなかが下り始めることが毎日1回以上はあった。そのたびに試験終了まで必死に我慢し、校舎の東端にある1年生用の女子トイレに駆け込むのである。
普段は5分休みとあってゆっくり用を足すこともできないのであるが、この期間中は便意が完全に引くまで便器にしゃがみ、下着に跡が残らないようにゆっくりと後始末をすることができたのである。
一方潤奈の方はと言うと、こちらはひかりほど学校での排便に慣れていないためか、同級生が集まる本校舎のトイレでの排便を避けようとしていた。結果として昼休み以外は人が滅多に来ない旧校舎のトイレを多用することになるが、そのためにはこの普段より長い休み時間がありがたかった。
もっとも、試験中にもよおして限界を迎え、トイレに立った時などはそのような余裕もなく、最寄りの本校舎トイレに一直線に駆け込むことになってしまっていたのだが……。
さて、試験は次の数学で最後。15分の休み時間も今回が最後ではあったが……二人は意外にも落ち着いた時間を過ごしていた。
(よかった……おなか痛くならなくて……)
ひかりは美術の試験の出来を考えながら、異常を起こさなかった自分の体調に安堵していた。
学校に着いてすぐ念のためとトイレに行っておいたが、わずかに色づいたおしっこがちょろちょろと流れるのみだったのである。その後もずっとおなかの具合を気にしていたが、幸いにも無気味な音とともに便意を催す下痢の兆候は現れなかった。
(数学が終わるまで……もってくれるといいな……)
とはいえ、ひかりは自分の体調の良さがそう長く続くものではないことを熟知している。ましてや、次の便意が起こるまでの時間が長いほど、腸内に蓄積された汚物は大量になっているのだから、いざもよおしたときの危機はより大きなものとなる。
ひかりは、試験中に便意に苦しまずに済むようにという、普通の女の子なら当たり前のことを切実に願いながら、次の試験の開始を待った。
(今日は……今日は大丈夫……)
潤奈もまた、保健体育と美術の試験を、異常をきたすことなく乗り切っていた。
朝あれほどひどかった腹痛は、学校へ向かっている間に収まりを見せ、遅刻寸前だったために1時間目の前にトイレに行けなかったという不安も杞憂に終わった。
(そうよ……今までがおかしかっただけ……)
たまたま調子が悪かっただけで、本来ならこうして何の不安もなく試験に臨むことができる。暗雲立ち込めていた潤奈の心は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。
(この数学……これが無事に終わればっ……)
小学生のころ、そして先月の中間試験までは何事もなく試験を受けることができた、その当たり前のことを取り戻せる……。潤奈はそんな期待を抱えて、休み時間を過ごしていた。
「では、始め」
配られた紙が一斉にめくられ、期末試験最終科目の時間が始まる。
数学50分間。
ある者には長く、ある者には短い50分間が幕を開ける……。
(……この辺は楽勝ね)
1年1組の教室。
潤奈は回答に悩む様子すら見せず、黙々と鉛筆を滑らせていた。
大問1は中間試験範囲の復習を兼ねた計算問題。
正負の数の加減乗除、未知数を使った文字式の計算。
潤奈にとってこの程度は、ただの流れ作業に過ぎなかった。
(……うん、大丈夫)
2つ隣の1年3組。
ひかりはすでに大問1を解き終え、次の問題に移っていた。
わずか1ヶ月間の授業範囲という狭い試験範囲。そのメインがこの方程式だった。
(x=8……次がx=2……これはx…じゃなくてy=5で……)
未知数を含む等式からその未知数の値を導き出す。
中学1年の範囲では未知数は一つであり、定数項の移項と係数の除算によって単なる計算問題として解が導かれるのではあるが、まだ使い慣れていない概念とあって多少の時間はかかる。とはいえ、ひかりの解答速度はクラス内の誰よりも早かった。
(x=8を代入して左辺が15……OKね。次は……)
一方、潤奈も方程式の解答に移っていた。こちらは解答の進度こそひかりに及ばないが、見直しも含めて着実に一問一問正解の確証を得てから新たな問題に移っていく。
(これで……次へっ……)
一足先に計算問題を解き終えたひかり。
ここまでで解答用紙の半分が埋まっている。
次は大問3以降の文章題。今までを計算の肩慣らしとすれば、ここからが数学の本番と言っていい。
(xで置いて方程式を立てれば……)
いざその本番に取り掛かろうとした、その瞬間だった。
ゴロ……。
「ぁ……」
誰にも聞こえない小さな音。
誰にも聞こえない小さな声。
だが、その主であるひかりは、はっきりとその意味を感じ取っていた。
(また、おなかが…………下っちゃうっ……)
ギュルッ、ゴロロッ……。
まだ教室中に響き渡るほどの音は生み出されていない。
だが、彼女の小さなおなかは、その中に蓄えられた限りの内容物を排出しようと、すでに動き始めているのだ。
悪いものを食べたわけでもない、おなかを冷やしたわけでもない。ひかりは何もしていないのに、突如その身体は、正常な消化吸収機能を放棄し、耐えがたい腹痛と抑えがたい便意を引き起こし始める。もう日常となっていることとはいえ、それはあまりにも厳しい現実だった。
(じ、時間は……?)
解答用紙の半分はすでに埋まっている。ある程度の時間はすでに経過しているはずだ。
問題だけを目にしてきたため、時間を気にしていなかったひかりは、ここで初めて時計を見た。
11時15分。
……試験開始から15分しか経過していなかった。
それはもちろん解答時間が十分に残されているということではあるのだが、同時にそれは残り35分もの長い時間を、便意と戦いながら過ごさねばならないということでもある。
(35分……)
ひかりは、解答用紙を押さえていた左手をそっと、制服の上からおなかにあてがう。
こうなった以上、彼女がすべきことはおなかの具合との相談である。
我慢に慣れているひかりではあるが、30分を越えて我慢を続けられた試しは数えるほどしかない。それも数日調子が良かった後などで、ある程度形を保った便が栓の役割を果たしていた時の話である。
そして今日は、朝食後にどろどろの下痢便をたっぷりと排泄した後なのである。腸内にある便の量はいくぶん少ないかもしれないが、その形状が朝と同じくらいの液体状であることは想像に難くない。そのような流動性の高いものを、いったいどれくらい押さえつけることができるのか……。
先生に便意を訴えてトイレに行く……。それはあまりに恥ずかしい行為であるが、おもらしという最悪の結末を避けるには、そうするしかないのかもしれない。しかし、簡単には出し切れない下痢ということは、トイレでどれくらいの時間を費やしてしまうかわからない……。そうなったら試験の結果はどうなるか……。
ギュルルルルルッ!!
「ぅっ……」
おなかが一瞬だけ、強い悲鳴をあげる。同時に襲ってくる激痛と、急激な便意の高まり。
腹具合を慎重に相談したはずなのに、帰って来た返事はあまりにも過激なものであった。
(ど、どうしよう……っ……)
おなかの調子は急激に悪化している。
とても試験が終わるまでもちそうにない。
……途中でトイレに立つしかない……。
……でも……。
1ヶ月前の記憶がよみがえる。おなかの調子が最悪なまま迎えた中間試験。1時間中に何度もトイレに立つ、先生に許可をもらうその度ごとに顔が真っ赤になるような恥ずかしさを味わった。教室を出て行く間、トイレから戻ってくる時……クラスメートの視線にさらされ、その恥ずかしさはさらに増幅される。もちろん試験の問題など考える余裕はなく、ただ顔を下に向け、腹痛に耐えながら椅子に座っているだけだった。
(もう少し……もう少しだけ、我慢しよう……)
まだ、全神経を集中しないともれてしまうというほどの便意ではない。いずれは我慢できなくなるにしても、問題を解き終える見通しが立ってからトイレに行くようにしたい。
『……無理はするなよ』
朝、聞いたばかりの兄の言葉が反響する。
(あっ……)
キュルキュル……。
それに呼応するように、おなかが少し大きな音を立てた。
可愛らしい音ではあるが、静寂に包まれた教室では、耳を澄ませれば聞こえてしまう音であった。
それは同時に、便意がさらなる高まりを見せる前触れである。
兄の言葉に従うなら、今すぐにでもトイレに駆け込んでおくべきであった。
(でも……)
今日の朝見た、かすかに心配そうな顔。ただ、それ以上に思い出されるのは、ほとんど完璧に出来た昨日の試験の結果を話した時の、心から嬉しそうな顔。
(ここで、もうちょっとだけがんばれば……)
ひかりには、成績に関するこだわりはほとんどない。特に、誰かに勝とうと思っているわけでもなかった。
ただ……いい成績を取れば、先生に誉めてもらえる。兄に喜んでもらえる。そして、今は亡き母にも……。
(がんばれば……お兄ちゃんとお母さんに……)
それだけが、ひかりが試験に一生懸命になる理由だった。
(もう少しだけ……我慢しなきゃっ……)
……結論が出た。
腹痛も便意も、まだ苦しいほどではない。
目の前の問題は簡単な文章題。
ひかりはおなかを押さえていた手を離し、再び解答用紙に向かい合った。
(これで最後っ……!)
あれほど悩まされていた腹痛から解放されたまま、潤奈は問題を順調に解き進めていた。
残されたのは最後の大問一つ。
(……えっ?)
問題に目を通した潤奈は愕然とする。
試験範囲である方程式の分野から外れてはいない。
だが、教わった内容の範囲からは明らかに外れた出題であった。
3元連立一次方程式。
中学校2年の数学で習う内容である。
(未知数が3つ……どう解けばいいの、こんな問題……?)
今まで覚えた解法の数々を思い出す。
しかし、当然ながら当てはまるものはない。
悩むこと1分、2分……時だけが過ぎていく。
そんな沈黙の時間に変化が起こる。
残念ながら、素晴らしいひらめきが起こって問題が解決したわけではない。
いや、残念どころか最悪の変化であった。
……なりを潜めていた下痢の、再発である。
キュルグルルルゴロロロロロッ!!
「……っ!?」
ものすごい圧力でおなかが締め付けられる。
同時に身体の内側から、おしりの穴を押し開こうと熱い圧力が生み出される。
(ど、どうしてこんな急にっ!!)
悲鳴をあげたい気持ちをぐっと押さえ、潤奈はその痛みと圧力に耐えた。
彼女が一瞬にして冷静さを失うほどの、急激な便意だった。
ひどい下痢を繰り返していたこの数日間においても、これほどの突然の便意は覚えがない。
グルルルルルルルッ!!
「ぁぁ……」
唸りを上げるおなかに、潤奈は情けないかすれた声をあげることしかできない。うめきながらおなかを押さえたいところだが、試験中の教室の中ではそんなことができようはずもない。
便意に耐えるのに楽な姿勢をとることもできず、潤奈はひたすら苦痛を押さえつけることしかできない。
(じ、時間は……!?)
昨日一昨日と試験中に何度もトイレに駆け込んでしまった潤奈にとって、同じ失態をまた繰り返すことは許されなかった。なんとしても試験終了まで耐え、誰にも悟られずに排便しなければ……。彼女の「完璧」にかけるプライドが、わずかながら我慢を続ける身体に力を貸してくれる。
(え…………あと……20分…………)
だが、現実はそんなかすかな希望を打ち砕く残酷な事実を突きつける。
今でさえ気を抜けば漏れてしまうほど強烈な、さらに加速度をつけて高まっている便意を、それだけの時間我慢しきれるだろうか……答えは訊くまでもなく、否である。
ギュルルルルルゴロロロロロロロッ!!
(そ、そんな……音がっ!!)
身体の外にまではっきりと聞こえてしまう、おなかの中身がうごめく音。クラスメートに聞こえたら、彼女がまた便意をもよおしていることがわかってしまう。
だが、そんなことを気にしている余裕はない。それに伴って腹痛と便意も次の段階へと激しさを増しているのだ。
(だ、だめ……出ないでっ!!)
おしりの穴に押し寄せてくる。もう慣れてしまった感覚でわかる、熱い液状物の圧力。
きゅっとおしりの穴を締める。……足りない。ぎゅっと……もっと強く締め付ける。
出そうとする動物としての本能。出すまいとする人間としての理性。
脳の二つの働きのせめぎあい。
その代理戦争が、わずか12歳の少女の肛門を舞台にして繰り広げられていた。
「っ……!!」
ぶるぶると震える身体。
(だめ……おもらしなんてっ!!)
必死の思い。
それが通じたのか、限界まで張り詰めていたおしりの穴にかかる圧力が、ふっと……まさに波が引くように薄らいでいった。
「ぁ……」
その快とも不快ともとれない感覚に、潤奈はわずかに口を開けてしまっていた。
(や……やったわ……)
便意の波に耐え切った潤奈。理性が本能を押さえつけた瞬間である。
だが……あまりにも分の悪い戦いだった。
何度理性が勝利しようとも、わずかな間を置いただけで便意は再びぶり返し、さらに強い力となって彼女を襲うのである。
それに比べて、理性が陥落した場合……。たった一度の敗北で、彼女の社会的信用は地に落ちるのである。
ギュルルルルル……
「!!」
そして……情け容赦なく、便意は再びその牙を剥く。
(ど、どうしてっ……!?)
これほど急激な便意は今まで経験したことがなかったのに……。
だが、事実彼女はそれだけの危機的状況に追い込まれていた。
もはや、試験問題を考える余裕はなくなっていた。
(うぅっ……あと……あと少し……)
あと少し我慢すればトイレに行ける。
あと少しで全ての問題が解き終わる。
……その両方だった。
残り15分。その脅威を露にした便意と戦いながらも、ひかりはなんとか問題を解きつづけていた。
頭の中で式を整え、計算をし、答えを確認する。
その作業を、おしりの穴に神経の99%を集中しながら行わねばならない。
それでも……ひかりは耐えつづけた。
残すは、最後の一問のみ。
(え……こんなの、見たことない……)
解答の見通しを立てようとしたところで面食らう。
未知数3つをどうやって決定すればいいのか。
試しに試行錯誤でいくつかの数値を代入してみる。
……解けない。
グギュルッ!! ゴロッ!!
「…………っ!!」
もう、おなかの音はかすかなもの程度ではなくなっていた。
下痢便を送り出す腸の鳴動。
(ひかりちゃん……)
その音は当然、すぐ前の席に座る美奈穂にも聞こえていた。
(がまんしないでおトイレ行ったほうがいいよっ……)
つらそうな音と息遣いを耳にし、目の前の試験問題よりもひかりの体調の方が気になってしまう。もっとも、美奈穂はその外見と性格に反して頭がよく回る方なので、すでに問題の大半は解き終わっていたのだが。
ギュルッ!! ゴロロロロッ!! グギュルルルルルルルッ!!
(だ、だめ……もう……)
程なく襲ってくるであろう次の便意。それを耐え切れるかどうか。
グギュル………グルルルルッ!!
(き、来た……っ!!)
渦を巻く強烈な圧力が、ひかりの小さなおしりの穴、その一点に押し寄せる。
グッ……!!
括約筋の収縮。
もはや無意識にも行えるその行為に、残された意思の力で手助けをする。
だが……。
グルゴロゴロゴロゴロゴロッ!! グギュルルルッ!!
(……と……止まらないっ!!)
何度も逆流させてはぶり返し、押さえ込んではよみがえってを繰り返してきた便意。
それは押し戻すたびに勢いを増し、もはや括約筋の力だけでは我慢しきれないところまで膨れ上がっていた。
どれだけおしりを締め付けようとも、完全に下痢便の噴出を押さえつけることはできず、わずかにその勢いを弱めるだけしかできそうにない。今ももう、おしりの穴がわずかに開きかけて……。
「だめっ……」
聞き取れないような小さな声。
苦しげにわずかに開かれたひかりの目には、確かな意思の光があった。
(いや……教室でおもらしなんて、そんなの絶対に……!!)
小学生のころは、授業中に我慢できずおもらしをすることも何度となくあった。その度にクラスのみんなにも、学年が違う兄にも迷惑をかけて……。隆が中学校に上がったあとも、おなかをこわしておもらししたひかりを心配し、迎えに来てくれたこともあった。
中学生になってまで、そんな迷惑をかけるわけにはいかない……。
細い腕、小さな右手を、さっと机の上から下ろす。
肉付きの良くないおしりの下に、その右手を差し込み……。
一瞬。
一瞬の間に、おしりの右側を浮かせ、右手をその奥に滑り込ませ、その指先でおしりの穴をとらえる。
上向きに力を込め、同時に浮かせていた上半身を重力の支配に任せる。
グッ!!
「…………っ!!」
無音の静けさとは正反対の、とてつもない衝撃。
内圧によって開きそうになっていたおしりの穴が、それを上回る外圧によって押さえつけられる。
その二重の圧力にさらされた肛門は、熱さ、痛さ、痒さ……あらゆる不快感をひかりの感覚神経に送り込んでくる。
ギュルゴロゴロゴロゴロゴロッ!!
(だめっ……出ちゃだめっ……!!)
ひかりは……必死に耐えた。
ぞくぞくと沸きあがるすさまじい不快感に。
肛門を開かせようとするとてつもない圧力に。
(お願い、出ないでっ……!!)
かすかに残された視界が真っ白になり……。
そして……。
(…………だ、大丈夫っ……)
おしりの穴の直前まで押し寄せていた圧迫感が、すぅっと霧が晴れるように消えていく。
小さな身体をがくがくと震わせながらも、ひかりの必死の我慢はついに、荒れ狂う奔流を体内に押しとどめた。
グキュゥゥゥゥゥゥ………。
「ぁ……」
一瞬遅れてやってくる、液状の内容物が腸内を逆流する気持ち悪い感覚。
強烈な痛み苦しみこそないものの、ついさっきまで激しい刺激にさらされていた部分をくすぐられる感覚は、何度経験しても慣れることができない。
その不思議な感覚の中で目を開けたひかり。
ぼやけた視界に、かろうじて書き並べた、いつもの可愛らしい字から少しゆがんだ形になってしまった数式が映る。
ぼやけた視界。
あまりの苦痛に、知らず知らずのうちに涙がにじんでいた。
並べた上下の数式が、ぼやけて重なって見える。
3つあった数式が……2つに見えた。
(……式が二つになれば…………?)
一次方程式の解き方の基本は、両辺に同じ値を加減乗除すること。
なら、1つ目の式から、2つ目の式を引く……これらはすべて等式だから、同じ定数を加えるのと同じこと……。
(と、解けるかも……?)
にじんだ涙が薄れて、はっきり開かれた瞳の奥に、希望の色が見えた。
おしりを押さえていた右手を離し、机の上に転がった鉛筆を拾い上げる。
あとは便意が再発するまでに、この問題を解き終えれば……。
ギュルッ。
「っ……!!」
ひかりの希望をあざ笑うかのように、そのおなかが再び異様な音を立てる。
腸の奥に戻っていった下痢便が、勢いを倍増させて襲い掛かる、その前兆の音。
ギュルゴログルルルルルッ!!
(だ、だめ……我慢できないっ……)
高まり始めた波。その頂点に達する前から、すでに強大な圧力がひかりの肛門を襲い始める。
(は、早くおトイレに行かなきゃ……)
顔を上げる。
試験監督は女子体育担当の木崎先生。厳しい先生ではあるが女性であるから、トイレに行く許可をもらう恥ずかしさはいくぶん薄らいでくれる。
(もう一度、回ってきてくれたら……)
木崎先生は時折机の間を歩いて不正がないかチェックしている。自分の近くを通りかかった時に呼び止めて許可をもらうことができれば……。
そう思ってわずかな間を置いた、その一瞬。
その耳に、沈黙を破る音が飛び込んできた。
ガラッ。
廊下側に座っていたひかりの目の前のドアがスライドする。
「何か質問のあるやつはいるか?」
数学担当であり、1-3の担任である朝倉先生である。
教室内を見回す。試験問題に誤植や不備がないかを確認するために、試験問題の作成者が各教室を回って質問を受け付けるのだ。
……手を上げる生徒はとりあえず、いない。
(ど、どうしよう……早く行かないと、でも……)
困ったのはひかりである。
手を上げれば朝倉先生がすぐそばに来てくれるだろうが、まさか質問をせずにトイレに行きたいと訴えるわけにはいかない。木崎先生が回ってきてくれなければ、仕方なく手を上げて許可をもらおうとしていたが、それもできなくなってしまった。
「質問は本当にないか?」
実のところ、最後の問題については授業範囲から明らかに逸脱している。そのことで当然質問が出てくるものと、朝倉は予想していた。ただ……一般の生徒たちはすでに解くことを放棄していたし、唯一その期待をかけてもよかった早坂ひかりは、トイレに行くことで頭が一杯でそれどころではない。もっとも便意さえなければ、今ごろはその問題の解答を書き終えているはずなのだが……。
(朝倉先生が出て行ってから、木崎先生に言うしか……)
さらなる我慢の決意を固めたひかり。
だが……。
ギュルゴログルルルルルルルッ!!
「ひっ……!!」
猛烈な腹痛に、思わず声が漏れる。
両手でおなかを抱え込み、机に突っ伏すようにして痛みに耐える。
「……どうしたの、早坂さん?」
木崎先生から声がかかる。
教室中に聞こえてしまった音。
うずくまるような姿勢。
冷や汗をかいた苦しげな表情。
……体調の異常を見て取るのは簡単なことだった。
「あ……」
(ど、どうしよう……)
木崎先生に声をかけてもらったのは望ましいことではある。でも、教壇から声をかけてもらっているにすぎない。すぐ側では朝倉先生も心配そうに見守っている。
この状態からトイレに行くには、教室中に聞こえる声を出さなければいけない。
ひかりのか弱い心には、とてつもなく過大な試練だった。
グルルルルルッ……。
だが、幸か不幸か……差し迫った便意が、その背中を強く強く押す。
ここでトイレに行かなければ、次はもう我慢できず、教室中におもらしの失態をさらすことになる……。
背に腹は変えられない。
言うは一時の恥、言わぬは一生の恥……。
「あの……」
汗びっしょりの青ざめた顔が、羞恥心から真っ赤に染まる。
精一杯の勇気を振り絞って、ひかりがわずかに腰を浮かせ、小さく口を開く。
教室中の注目が……試験中ではあるから、はっきり視線は向けないにしても、少なくとも全員の意識が、ひかりの言葉に集中している。
折れそうになる決意。
でも……もう引き返せない。
ひかりはもう一度、震える唇をそっと開いた。
「………………お……おトイレに、行かせてくださいっ……」
空気が変わった。
試験中でなければざわめきが起こっているであろう雰囲気。
だが、最初に口を開いたのはやはり、先生だった。
「……いいわ……一人で大丈夫?」
「は、はい……」
許可を得た。
立ち上がり、席から横に出る。
歩くのも苦しいひかりではあったが、これ以上心配をかけるわけにはいかない。
おなかに負担をかけないように静かに、ひかりは教室の出口へ歩き出した。
「早坂……大丈夫かホントに?」
ドアの横に立ったままの朝倉先生が心配そうな声をかける。
「はい……」
とても大丈夫そうには見えない顔、消え入りそうな声……それでも、ひかりの声には、トイレまで我慢するんだという強い意志が含まれている。
朝倉、木崎の両先生、そして美奈穂をはじめとするクラスメートはみな、その姿を黙って見送るしかなかった……。
ひかりがおなかを押さえながら教室を後にしたころ。
潤奈もまた、限界を迎えていた。
(もう……もうだめ……)
ギュルゴログルルルルルギュルギュルギュルッ!!
潤奈のおなかは途切れることなく不協和音をかき鳴らしていた。
問題用紙には彼女自身の意識にもない数字の羅列が記されている。問題を考える余裕があったわけではない。指先が勝手に動いて黒鉛の跡をつけたに過ぎなかった。
額に浮かんだ冷や汗。
真夏の教室に一人、身体を震わせながら耐えている少女の姿。
それほどの限界を迎えているにもかかわらず、おなかを押さえたりおしりに手を当てたりせず、シャープペンを握り締めて解答用紙を凝視している。それは便意を他人に気取られないようにする見せかけであるとともに、自分自身が便意を意識しないための逃避行動でもあった。
だが、調子を崩しきっているおなかが生み出す強烈な便意は、彼女を決して逃がしてはくれない。
ギュルゴロッ!!
「ひっ……!!」
ビクンッ!!
一瞬おなかに走ったざわめき、それが次の瞬間には猛烈な圧力となって肛門を襲う。
反射的に締めた括約筋の収縮が身体全体に伝わり、その全身を跳ね上がらせた。
……当然、椅子がガタゴトと音を立てる。
さっきからゴロゴロという妙な音を耳にしていた教室中の注意が、その音の発生源に注目する。
(わ……私……なんてことを……)
その注目を一身に集めた潤奈。
後悔するのも無理はない。
今まで必死に気づかれないように耐えてきた努力が、わずか一瞬で崩れ去ってしまったのだ。
だが……悲劇はそれだけでは終わらない。
心の一瞬の隙を突くかのように、さらなる苦難が潤奈に降りかかる。
ギュルゴログルルルギュルッッ!!
「うぅっ!!」
強烈な便意を押さえきったその瞬間に襲ってきた、腸をねじ切られるような猛烈な腹痛。
背すじを伸ばしきった格好から一転、顔を机に打ち付けるかのような前傾姿勢でおなかを抱え込み、その痛みを必死に和らげようとする。
(もう……もうだめっ……)
彼女の我慢も限界だった。
だが、それ以上に、これ以上便意を隠し通すことが不可能だった。
このままではいずれその事実に気づかれ、先生か誰かから気遣う声をかけられるだろう。
そうしたら、弱々しい声で便意を訴え、クラス中から心配されながらよろよろとトイレに向かうことになる。
今まで築き上げてきた「完璧な模範生」のイメージは、一瞬で崩れ去ることだろう……。
(それだけは……せめてそれだけは……)
同情だけはされたくなかった。
崩れ落ちそうなプライドを保つ唯一の手段。
潤奈が、99%まで便意との戦いに支配された思考の中で導き出した答え――。
「っ!!」
目を閉じ、下を向いたまま。
潤奈はやおら立ち上がった。
跳ね除けられた椅子が、ついさっきの振動よりはるかに大きな音を立てる。
……口を、開く。
「先生っ……お手洗いに行ってきますっ!! 答案はもう回収してください!」
宣言した。
クラス中が、その語気に圧倒されていた。
本来なら口にするのも恥ずかしい内容である。それをあえて大声で宣言することで、凄みを見せつけて余計な心配を生まないようにする。
いわばそれは敗者の美学。
便意を我慢しきれずトイレに立つことを余儀なくされた潤奈が、精一杯自らの名を汚さぬようにした行為。
戦に敗れた武士が、逃げ出して落ち武者狩りで首を取られるより、自ら腹を切り華々しい最期を遂げる……その心境に似ていた。
……案の定、その迫力に押された試験監督の先生は、黙って首を縦に振るだけだった。
「くっ……」
何事もなかったかのように足を踏み出す。
一歩ごとに腹痛と便意が限界を超えた高まりを見せるが、歯を食いしばって耐えた。
居並ぶ生徒たちは何も言えない、何もできない。
ただただその迫力に圧倒されていた。
(委員長……やっぱり、おなかこわしてたんだ……)
……一人だけ、その迫力の裏に隠された苦しみを感じ取った少女を除いて。
教室から出る。
ピシャリとドアを閉めた瞬間。
ギュルゴログルルルルルルルギュルッ!!
「あぁ……っ!!」
絞り出すような腹痛と便意の同時攻撃が潤奈を襲う。
(だめ……ここで……ここで出すわけにはっ……)
せっかく首の皮一枚で保ったプライド。
ここで便意に屈してしまえば、「おもらし」の汚名が永遠に残ることになる。
それだけは絶対に嫌だという彼女の意地が、痺れかけた括約筋に今一度力を与えた。
「……………ふぬ……っ!!」
…………。
ゴボ…………キュゥゥゥゥゥゥゥ……ッ……。
肛門でせき止められた便が逆流する。
腸内を撫でしごかれるちくちくした刺激。
排泄という当たり前の行為を阻止された彼女の身体は、あらんかぎりの不快感を神経に送った。
……だが、激痛と高圧に耐え抜いた潤奈は、その程度の不快感では動じなかった。
(急がないと……)
便意の波が収まっている今のうちに、トイレに駆け込まなければいけない。
廊下の奥。
長い距離ではあるが、潤奈は眼鏡のレンズ越しにその目的地をはっきりと捉えていた。
……今まさにその場所に駆け込もうとしている、小柄な少女の姿とともに。
「はぁ…………はぁっ…………」
ギュルッ!! ゴロロロッ!! グキュルッ!!
ひかりは限界に達した便意を抑えながら、女子トイレに駆け込んでいた。
目の前にはがら空きの個室が7つ。
選ぶ余裕などない。ひかりは目の前の個室に飛び込む……。
ギュルゴロゴロゴロゴロゴローーッ!!
「あぁぁぁぁっ……」
個室に一歩足を踏み入れた瞬間、最大級の便意がひかりを襲った。
(だめっ……もう少しなのにっ……)
あと少しだけ……。悲痛な願いを込めて、ひかりは両手でおしりの穴を押さえつけた。
ゴロゴロゴロゴロッ!!
右足。
ギュルルルルルッ!!
左足を前へ。
グルルルルルゴロッ!!
もう一歩。右足が便器の右ふちにかかる。
グギュルルルルーーッ!!
そして左足が。
内股になっておしりを押さえたまま、ひかりの両足が便器をまたいだ。
(出る……っ……)
限界を感じた。
1秒。
押さえていた両手を離したおしりの穴から、液状の汚物が噴射されるまでにかかった時間。
手を離すと同時にスカートを跳ね上げ、両手で真っ白なショーツをずり下ろし、ひざを曲げて便器にしゃがみこむまでにかかった時間。
それが、ちょうど1秒だった。
ビチビチビチビチビチビチビチビチビチィィィーーーーーーッ!!!
「…………っ!!」
声にならない悲鳴。
おしりの穴を駆け抜ける焼けるような感覚に、ひかりの頭の中は真っ白になった。
目を閉じ、触覚と痛覚を麻痺させているひかりが唯一感じていたもの。
個室内、トイレ内……果ては廊下にも響き渡っているであろう壮絶な排泄音だった。
赤く充血したおしりの穴が、わずかなふくらみとともに全開になる。
その穴の奥から、消防車の放水のような勢いで下痢便の水流が便器の中に打ちつけられていく。
ビチビチャビチャビチャビチャッ!!
ブビブビビビビビビビチィィィィィッ!!
「くぅ……っ……!!」
限界を感じてから排泄が始まるまでに1秒。
さらに1秒の後には、便器の中には汚物色の海が出来上がっていた。
その海の上から注がれる下痢便、水便、未消化便。
排泄の勢いはわずかたりとも衰えない。
茶色の海の水面を覆う波紋。
その波紋によって押し流される未消化物。
落着の勢いで跳ね上げられる液状便のしずく。
下痢便の海に落ちては新たな波紋となり、便器の壁に飛んではその表面を滴り落ちる流れとなり、上履きまで飛び上がってはその表面張力で茶色の小球となった。
「うぅ……んうぅぅぅっ…………」
(いたい……おなかが……おしりが…………苦しい…………)
我慢からの解放……その快感は一瞬。
残ったのは消え去らない腹痛と、充血し腫れ上がった肛門を容赦なく滑り落ちていく下痢便の熱い奔流。
ブジュブブブブブピーーーーーッ!!
ブリリリビュルルルルルルッ!!
ブビブビビチビチビチビチビチィィィッ!!
ビシャビシャビシャビチャァァァァッ!!
間断なく噴き出していく液状便が空気を切る音は小さく、その液体と未消化物が便器……に溜まった大便の海に打ちつけられる衝突音が、トイレの中全体にこだましていた。
ブジュプピピピピッ!!
ブビブジュッ……!!
「はぁ……っ……」
わずかなガスの破裂音とともに、おしりの穴からの放水が途切れる。
もともとおなかに力は入れていなかった。
おしりの穴の締め付けを、能動的に解いてさえいない。勝手に開いてしまった肛門から、これだけの量……便器の底を一面茶色に染め、一番奥の水溜りさえも底が見えないほどに汚し、さらには便器の壁、外にまで飛び散り、はっきりとその痕跡を残すほどの便が、一気に吐き出されたのだ。
ひかりの小柄な……いや、病的な細身と言っていい身体から……しかも朝、家のトイレで同様に下痢便を出しまくったばかりのその身体から、これだけの量の汚物が排泄された。それだけでも驚くべきことだが……。
彼女はまだ、排泄が終わっていないことを理解していた。
(まだ……まだ出るっ……)
麻痺しかけたおしりの穴の奥で、形にならない圧力がまだ残っている。
下腹にも鈍い痛み。
そう長くないインターバルの後には、再度強烈な便意をもよおし、足下の茶色の湖の水位をさらに上昇させるような排泄が始まってしまうはずだ。
……グギュルルルルルルルッ!!
「ひぁ……っ!?」
腸内で渦巻いた液状物の流れが、収縮蠕動の音とともに強烈な痛みを生み出す。
排泄の第一波が収まってから25秒。
……短すぎるインターバルだった。
(だめ……止まらないっ…………でちゃうっ……)
大腸内の残存便が一気に直腸に達し、肛門に圧力をかける。
もう、押さえる力は残っていなかった。
理性の制御によらない排泄の始まり。
下着を脱いで便器にまたがっていることだけが、唯一の救いだった。
「んっ……!!」
ブビチャァァァァーーーーーーッ!!
ビチビチビチビチビチビィィィィィィィィーーーーッ!!
かわいらしいおしりから発せられたあまりにも凶暴な音が、再びトイレ全体に響き渡った。
潤奈がトイレに飛び込んできたのと、ひかりの第二波の排泄音が響くのとは、ほとんど同時だった。
ビチビチビチビチビチビィィィィィィィィーーーーッ!!
(す……すごい音……それに……)
一刻の余裕もなかった潤奈もまた、一番手近な個室に駆け込もうとしていたが、その閉じられたドアの向こうからは、その内情をありありと想像させる炸裂音と、強烈な刺激臭が放たれていた。
学校のトイレで大便を、それもこれほどの悪臭を放つだけの量を、これほど醜い音を立てて排泄している。だが、潤奈はその中にいる少女を嘲笑うことも、責めることもできない。扉の向こうに想像できるその姿はまさに、数十秒後の自分の姿なのだから。
(早坂さん……やっぱり……)
トイレに駆け込む後ろ姿。潤奈はそれしか見ていない。
だが、確信していた。
まだ言葉すら交わしていない相手だが、それでもこの1ヶ月、絶えず気にかけてきた存在。遠目に見た小柄な姿だけで、はっきりとこの中にいる少女が誰なのかわかってしまっていた。
(やっぱり……あの時も……)
1ヶ月前の中間試験。ただ一人数学の超難問を解いた彼女が、平均以下の成績に落ち込んでいた理由。潤奈が身をもって体験した、試験時期の下痢による心身両面の苦しみ。そして今、目の前の扉越しに起こっている壮絶な排泄劇。
すべてが一本の糸でつながった。
(早坂さんは、おなかの調子が悪いまま試験を受けて……それで……)
腹痛に精神力を削られ、トイレに駆け込んでは時間を浪費し……結果として実力に遠く及ばぬ結果に終わった。潤奈の疑念は、ここに至ってついに確信に変わった。
……だが、他人のことを考えていられたのはそこまでだった。
ギュルゴロゴロゴロゴロゴロッ!!
「ひぐ……うぁっ!!」
腸内の流動物が一斉に肛門へと押し寄せ、ものすごい腹鳴りと腹痛が巻き起こった。
(だめ……ここまで来て……おもらしなんてっ……!!)
便意と腹痛に必死に耐える。
利き腕の右手で肛門を押さえて噴出を押しとどめ、逆の左手でおなかを押さえて激痛を和らげる。
グルルルルルルルギュルギュルギュルッ!!
ゴロゴロロロロロロギュルグギュルルルルルルルーーッ!!
(絶対……もらすもんですかっ……!!)
両手に一層の力が込められる。
前後を押さえたまま、潤奈は歩を進めた。
屁っぴり腰。
などという甘い表現ではない。
最敬礼よりも深い前傾姿勢になって、後ろに突き出されたおしり。わずかでも締め付けが緩めば、あるいは押さえている手を離せば、瞬く間に液状便がとめどなく噴射され、スカートの中のショーツが真っ茶色に染め上げられる、そんなぎりぎりの姿勢だった。
(もう……もう二度とおもらしなんて……)
いかに個室の扉が開いていたとはいえ、その状態で便器にまたがるまで耐え切った潤奈の精神力はすさまじかった。
体育祭の時に経験した下痢。何度となくトイレに駆け込み、そして極めつけはブルマの中へのおもらし……。その記憶は潤奈の排泄欲を加速させたが、同時にあの悲劇を何としても回避しようと、限界を越えて便意を我慢する力をも与えてくれた。
「くぅっ……」
便器の上で中腰になった潤奈。
おしりの穴を押さえる手は離せない。これを離すことはすなわち排泄の開始、つまりはショーツの中へのおもらしを意味するのである。
ショーツを汚さずにおしりの穴を便器に向けるには……。潤奈の決断はすばやかった。
スカートごとショーツを引き下ろしたのである。
同時に中腰から重心を下に下ろし始める。完全に腰をおろしてしまうと、スカートがふとももとふくらはぎに挟まれ下ろせなくなってしまうから、わずかに浮かせたまま。
そして、押さえる右手の震える指先の部分だけが抵抗を示すようになった時……。スカートを下ろす方向に力を加えたまま、右手をそっと離した。
ブビビビビビブジュッ!!
「っ!?」
排泄音が響いた。
声が出なかった。
痛みでも安堵でもない、驚きのために。
(うそ…………そんな……!?)
自問……いや、本当は確信だった。
疑問符は厳しい現実に対する心の自己防衛作用だろう。
もっとも、この驚きはショーツを汚してしまったことによるものではない。潤奈のまぶたは痛みに耐えるために固く閉じられており、たとえショーツが汚れていたとしてもその様子を見て取ることは不可能だった。
潤奈の驚きは、手のひらの触覚によってもたらされたのだ。
(手に……かかってる……!?)
この疑問符も現実を認めたくない必死の抵抗である。
潤奈の左手の手のひらには、体温とほぼ同じ熱を持ち、わずかな粘性を備えた液体が付着していた。
その液体が何であるかは考えるまでもない。
……彼女のおしりの穴から排泄された、液状化した大便である。
スカートを安全に引き下げるためには、腰周りの左右に均等に力をかけることが必要である。でないと腰の一方が引っかかってしまう。自然、左手で引き下げる力を加える作用点は、もともと背骨に接していた中央部になり、その力の方向からして、左手は身体の中心線に沿って運動することになる。
その軌道は当然ながら、肛門の真下を通っていた。
押さえを失えば液状便の噴出は時間の問題。ならば、それより早く左手がその射線を通過できるかどうかが、衣服の汚れを防げるかの境界線となる。
もはや1秒単位ではない。0コンマ何秒の世界での戦いだった。
そして潤奈の左手は、その戦いに0.1秒の差で敗北した。
押さえを失って水鉄砲のように発射された液状便は、自由落下とは比べ物にならない勢いでその左手を襲った。
直撃。
手首に近い手のひらが、温水の感覚に覆われた。
その感覚から導かれる結論は、一つしかなかった。
(私……こんな……こんな汚い大便を……自分の手にっ……!!)
最後の最後で味わった敗北感。
その性格と同様に衛生感覚についても潔癖なところがある潤奈にとって、自らの排泄物を手にかけてしまうなど、考えるだにおぞましい行為だった。
そして今、その感覚は想像だけではなく、実際に左手から伝わってきているのである。
ただ、0.1秒の敗北は、0.2秒の敗北でなかっただけ幸運だったと言える。
あと0.1秒遅れていたら、液状便は手のひら中央を直撃し、その跳ね返りが指先につかんだスカートにまで及んでいただろう。さらに0.1秒の遅れがあれば、ショーツに向けての掃射が直撃し、ずり下げる運動に沿ってくっきりと茶色の弾痕を残していたはずである。
(ふ、拭けば……拭けば何とか……)
慌てて手を離さなかったのは、パニックになりかけた潤奈の思考回路がなしとげた奇跡的な成功だった。
汚れた手を拭くための紙があることを確認し、スカートを下げる役目を右手に引き継ぐ。
その瞬間、手のひらから手首にかけてべっとりと塗りたくられた茶色が目に飛び込んできた。
「いや……どうして……なんでこんなっ……!!」
言葉が口を突いていた。
涙が出そうだった。
でも、全ては自分の責任に帰すること。
誰も責めることはできない。
「うぅ……っ!?」
ペーパーを取ろうと手を伸ばした瞬間。
ブリブチュルビチブリブビビビブリュブボッ!!!
ピブリュビチブバブボボボボボブリブリビチィッ!!
ブビブリュビチチチチチブリビジュルブピピピピピピピーーーッ!!
破裂音……いや爆発音と言おうか。
肛門を飛び出して炸裂するガスの轟音とともに、飛沫と化した液状便が便器一面に降り注ぐ。
その量、その音、そのにおい。
いずれも手を汚した最初の排泄の比ではなかった。
ただの先触れとは違う、汚物の「本隊」が肛門に押し寄せてきたのである。
(だ、だめ……は、早坂さんに聞こえちゃう……!!)
扉とわずかな空間を隔てた反対側の個室では、早坂ひかりが排泄を続けている。
同じことをしているとはいえ、その排泄行為を知られるのは潤奈の羞恥心が、プライドが許さなかった。
おしりの穴を締め、腹圧を弱め、少しでも排泄の勢いを緩和しようとする。
だがそれは、すでに始まってしまった本格的な排泄に対し、あまりに弱々しい抵抗だった。
ブリュブビッ……ブビビビビビビビビッ!!
ビチビチブボッ!! ブリュビチチチチチブリブビィッ!!
ブリュブバババブリリリリリリィーーーーブビブビブビブビブビッ!!
「あ……あぁっ……」
潤奈の抵抗をあざ笑うかのように、今まで以上の大音響を発して液状便が噴出する。
出口が狭ければ狭いほど、そこを通過する流動体は大きな圧力を受けて勢いを増すのである。腸内に圧縮ガスを大量に抱えた潤奈にとって、この抵抗は全くの逆効果だった。
(だ、だめ……止まらない……っ……)
ブビチビチビチビチビィィィッ!!
ブリュブバババババブビピュルビチッ!!
ピブブブブブブピリュッ!! ブジュビィィィィッ!!
ブバリュルルルルビチビチビチブリッ!! ブビビビビビビビビッ!!
もう潤奈にはどうしようもなかった。
汚れた左手をぬぐう余裕すらない、駆け下るような便意の放出。
本能の命ずるまま肛門を開き、度重なる刺激に腫れあがったその器官を、腸内の液状物の蹂躙に任せる。
扉の向こうと同じように、理性の介入する余地のない排泄が始まっていたのだった。
さて……ひかりと潤奈。二人とも第一波の排泄を終え、勢い、量ともに本格化した第二波の排泄と格闘している。
向かい合わせの個室に飛び込んだ二人は、奥向きの便器にまたがり、扉越しに背中を向けてしゃがんでいることになる。それはすなわち、排泄物を生み出しつづける肛門を相手の側に向けているということ。
その排泄物だが、「ひどい下痢」という点は共通でも、ひかりのものと潤奈のものではその質感が大きく異なっていた。
ひかりの股下にたっぷりと蓄えられているのは、粘性のない茶色い水の中に黒ずんだ半固形の未消化物が浮かんでいる下痢便、区別を明確に言えば未消化便である。消化不良、すなわち胃での消化も小腸での吸収も不十分なだけあって、胃酸による酸性度をかなり残しており、立ち上るにおいにもその刺激臭が強く含まれている。
もちろん、酸性が強いということは、本来酸の侵食を受けるべきではない腸管、直腸、そして肛門に対して、強烈な刺激をもたらすことになる。ひかりの下痢便排泄は、過度の収縮・蠕動を繰り返す腹痛と、酸性の便が駆け下ることによる刺激痛の両方との戦いなのである。
さらに悪いことには、腸内に便が留まる時間が極度に短いため、発酵によるガス……おならの素が発生しにくい。もちろん女の子としては、排泄時に大音響を立てる恥ずかしさから幾分解放されるというメリットもあるが、酸性の液体便がほとんど気泡を含まず水道管の中のように流れていくために、その壁面が間断なくその刺激にさらされることになるのだ。
そんな激痛の中では、とてもではないがおなかに力を入れることなどできない。
限界まで我慢した後でも、一気呵成な排泄……というわけには行かず、自然に流れ出るに任せたまま、勢いが弱くなったらおなかをかばいながらわずかに力を込め、腸内に残った便を痛みに耐えながら吐き出すという、苦痛と忍耐の繰り返し。それをひかりは、毎日のように繰り返しているのである。
「ん……くぅ……っぁ!!」
今はまだ限界まで蓄えられた便が、自然に流れ出している状態である。
外側から荒縄で締め付けられるような、そして内側からは火であぶられるような腹痛の二重苦に耐えながら、ひかりは半固形物の混ざった茶色の液体をとめどなく垂れ流している。
ビシャァァァァァァーーーーービチビチビチッ!!
ビチャビチャッ! ベチャビシャァァッ!!
ブピビュルルルルルビチュルブピブジュルーーーーッ!!
バシャバシャビチャトポポポポポポッ!! ビチュッ!!
ブリュプシュブジュルブピブリリリリリリリィィィィィィッ!!
ビチャビチャビチャビチャビチャァァァァッ!! ドボボボボッ!!
気体を多く含まない分、肛門を飛び出す音はその勢いに比して明らかに小さい。ただ、その時にもたらす激痛は普通の排便、普通の液状便の比ではなかった。とはいえ、一度始まってしまった排泄は、下痢便が潤滑液となった肛門の力ではどうにも止めることはできないのである。
ひかりは、苦痛にまみれた排泄を続けていた。
一方の潤奈。
こちらは、消化器官に器質的な異常があるわけではない。神経過敏による腸の異常活動。それによって正常な状態にまで水分を吸収される前に直腸に到達してしまった液状便の排泄、それが下痢という現象であった。
だから、消化不良による下痢と違って、未消化物が便の中に混ざることはなく、その状態は極めて均質である。
均質に液状、あえて言うならゲル状であった。変形の余地を残しながらも、それを妨げる粘性が、液状便と言うには少し強い。色は不透明な茶色、いかにも大便という色合いである。においも発酵臭であり、固形便のそれに近い。しかも空気に接する面が多いから、においの拡散も一瞬だった。
最初の噴出が収まったあとすぐに拭き取った液状便も、ひかりのそれのように粘性がなければ一瞬で流れ落ちてしまうものが、ある程度の厚さを保った膜のようになってそのまま残ってしまっていたのだ。その様はまるでチョコレートクリームを塗りたくったようであった。
ただ、それだけなら下痢といわず軟便、「おなかがゆるい」程度で済むものを、もう一つの要素が壮絶な下痢排泄へと変化させている。ストレスによって胃腸に余計な刺激がかかることによって、蠕動が加速する以外にガスが発生しやすくなるのである。そのガスによって縮んだ腸管が押し戻され、そのせめぎ合いにより猛烈な腹痛が生まれる。
便意とともに発生するだけにおなら単体として悩まされることはないが、排便と同時にガスが弾けることによって、それに押された便は通常の軟便以上の勢いで発射され、時には便自体が弾けて便器全体、あるいはその外まで降り注ぐという、液状下痢をも越える惨事を招くことになる。また、当然のように弾ける音は排泄音の音量を倍増させ、潤奈が下痢をして汚らしい排泄をしていることを個室の外にまで伝えてしまうのである。
ゆえに、下痢をしている時の潤奈は常に、排泄の勢いに気を遣わねばならない。腹痛から逃れたいといって全力で腹圧をかけようものなら、大量の便とガスが肛門で弾け、大音響とともに便器の外にまで液状便の飛沫を撒き散らしてしまうことになる。事実、潤奈には何度かそうして床を汚してしまった経験があった。
家のトイレなら洋式であるからしっかり腰掛ければ汚す心配はなく、また多少の音が漏れてしまっても、相手が肉親なら恥ずかしさは多少緩和されるものである。しかしここは和式の学校のトイレ。しかも、扉2枚隔てた反対側の個室には、潤奈が一番弱みを見せたくない相手がいるのだ。
「う、くぅ……ふ、んっ…………っ!!」
ブピビチブチブリュルルルルビチィッ!!
ブリブリブリビチビチビチビチャァァァァッ!!
ブジュルビチブリリリリリビチブバババババッ!!
ブリブビブリュビチブボブバブジュブパブリリリリリリリッ!!
遠慮のかけらも感じられない排泄音。弾けた茶色のかけらが、便器のふちにパタパタと降り注いでいる。
だが、これでも潤奈は勢いを押さえているのである。おしりの穴が全開にならぬよう、おなかに必要以上の力がかからぬよう、一刻も早く出し切ってしまいたい汚物を、少しずつ少しずつ慎重に排泄しているのだった。
それでもこの音、このにおい。
潤奈は、恥辱にまみれた排泄を続けていた。
二人の排泄音がトイレの中に響き渡る。
片方が途切れてはもう片方で新たな排泄が始まり、やがてそれが両側からのステレオとなる。
二人の汚物のにおいがトイレ全体を満たす。
刺激臭と特有の発酵臭が混じりあった、悪臭という以外の形容が思いつかないにおい。
二人の足下の便器は、底が見えないほど完全に茶色で埋め尽くされていた。
便器のふち、タイルの上……所々に飛び散った下痢便のしずくが、その排泄のすさまじさを物語っている。
……もとい、現在進行形で物語っていた。
「はぁっ……っ!!」
ブシュルルルルルルーーーーッ!!
ビチャビチャビチャブビュルビチャビィィィィッ!!
熱い感覚とともに流れ落ちる下痢便が、汚物の海の水かさをさらに押し上げる。
すでに金隠しの下の一段低い場所までもが、おしりの真下と同じ液面となっていた。
それだけ大量の排泄物を流し込んでなお、ひかりのおしりからは新たな茶色の水流が流れ出る。
「くぅっ……んぁっ!!」
ブビブビブビブビブビィィィィィーーーッ!!
ビジュブビュルビチャジュブビュブビビビビビッ!!
流れ落ちるゲル状便。さらにその周りに、弾けた同じ色のかけらが降り注ぐ。
潤奈のおしりの真下には、なだらかな汚物の丘陵が形成されていた。そこに降りかかった茶色の水滴は、一瞬角を立てる様子を見せ、わずかな時間を置いてゆっくりとその山肌と一体化していった。
いつ果てるともない排泄。
両者とも当初の爆発的な勢いはなくなっていたが、かといって排泄が途切れる様子はない。
ひかりの方は、一度に流れ落ちる水流が細くなっている。
潤奈はまとまった量ではあるが、その噴出が断続的になっていた。
だが、ここからが本当の苦しみとの戦いである。
「うぅっ……」
ブビュルブリュブビッ!!
ギュルゴロロロロロ……
ビチチビチビチビチッ!!
排泄を続けながらも、なおおなかの震えが止まらないひかり。
まだまだ十分な量の……今このまま排泄を切り上げたとしたら、試験が終わる前に再び便意が限界に達し、ショーツの中をぐちゃぐちゃにしてしまうだけの量のものが、おなかの中に残ったままである。
かといって、内側から湧き上がってくる刺激痛のために、おなかはもちろん体中に力が全く入らない。便器の前方にある補助棒に向かって伸ばした右手で身体を支え、残った左手で痛むおなかに触れている。もう優しげにさすることですら痛みを生み出してしまうほど、ひかりのおなかの調子は悪化していた。
ひかりにできることは、ただ息をひそめて便意が去るのを待つことだけだった。
「はぁ……はぁ……」
噴出が収まり、腹痛が一段落すると、やっと目を開けて息をつくことができる。
「ふぅん………っ!!」
ブビビビビビッ!!
自分の排泄が一瞬収まると、今度は向かいの個室の音が聞こえてくる。
空気を切り裂く排泄音と、悩ましげな息遣い。
扉の向こう側でも、誰かが同じ苦しみにあえいでいる。
(もしかしたら……)
この向こうにいる人物に、ひかりはかすかな心当たりがあった。もちろんそれは確証と言えるものではなかったが、自分の体験と照らし合わせれば、かなり高い確率となる心当たりである。
ひかりの教室での席は窓際である。当然、席に座っていれば廊下を通行する人影は余すところなく目に入ってくる。もっとも、この試験中に廊下を通行する生徒は本来いないはずなのだが……1日目の国語、2日目の理科の時間、試験時間の終盤に、この廊下を小走りに駆けていく女子の姿があった。
その方向は1組側から5組側へ。行き先を確実に知ることはできなかったが、2度目に見かけたときにはその表情が苦痛にゆがんでいるのが見えた。と、すれば想像できる行き先は保健室か、もしくは……いつもの自分と同じように、おなかを下してトイレに駆け込んだのか、そのいずれかだろうと考えられた。
3組のひかりが見かけたのだから、その女子は1組か2組……などという下らない推理をするまでもなく、その女子の名前はわかっていた。おそらく1年生の誰が見てもわかったことだろう。
(弓塚さん…………)
中間試験での学年1位。おそらく桜ヶ丘中で最も有名な1年生。度の強い眼鏡、やや跳ねた短髪などの身体的特徴を並べるまでもなく、毅然とした雰囲気だけでその人とわかる。ひかりも当然、その名前を記憶にとどめていた。
(大丈夫、かな……)
いま向こうの個室にいるのがその人であるという確証もない上に、そもそも面識すらない遠い存在ではあるが、すぐ近くで苦しみを味わっている同級生に対しての心配が先に立った。自分が良く知っている下痢の苦しみだけに、そのつらさは痛いほどわかるのである。
ギュルッ!! ゴロロロロロッ!!
「あ……うぅっ……」
ビチビチビチビチビチッ!!
腹痛、便意、排泄。
再び襲ってきた苦しみに、蹂躙され尽くしたおしりの穴は全く抵抗できなかった。
向かいの個室のことを心配する優しさも同時に打ち砕かれ、ただただ自分の便意を吐き出すことだけに集中するしかなくなっていた。
……その心配が向けられていた先では。
「ふぅ…………うぅぅぅぅっ!!」
ブビビビビビビビッ!!
ブリュビチチチブバブリュッ!!
ひかりの脳裏に浮かんでいたその女子が、便意と羞恥心と焦燥感の間で苦しんでいた。
まず便意。
(だめ、まだおなかが……苦しいっ…………)
ギュルゴロギュルルルルッ!!
調子を崩したままのおなかは、必要以上の勢いでその内容物を送り出そうとしていた。
ブリブリブリビチッ!! ブビュルルッ!!
次に羞恥心。
(いや……またこんな音がっ……)
ブビビビビビブッブリュルッ!!
わずかにおなかに力を入れただけで、すさまじい音を立てて飛び出していく気体と液体の混合物。その放つ臭気も限界を知らないかのように濃くなっていく。
そして焦燥感。
(早く……早くしないとっ……)
教室に時計が備えられているため、桜ヶ丘中の生徒は腕時計を持ち歩いていない。ゆえにトイレの中で過ごした時間が、潤奈にはわからない。実際はそこまで長い時間ではなかったが、潤奈の頭の中はもはや戻って問題を解くどころではなく、試験時間が終わるまでにトイレから出られるかという不安で一杯になっていた。
ビチビチビチビチビチッ!!
「あ……うぅっ……」
隣の個室から聞こえる音。
便器の中に水分が打ちつけられる音、そして苦しげな息の詰まり方。
潤奈には、その個室の主が誰かわかっていた。だから余計に、自分の排泄を気取られることを恐れていた。しかし……もしトイレにこもったままチャイムが鳴ってしまったら、試験から解放された生徒達が大挙して個室の前に並ぶことになる。その前このにおいと音をさらすのは、想像するのも嫌な恥ずかしさだった。
(し、仕方ないわ…………)
おなかの痛みはだいぶ引いている。もう少しだけ力を入れても、さほどの苦痛にはならないだろう。あとは排泄の勢いだけだが……。
(だ、だって……もし他に人が来たらもっと恥ずかしいし……)
(それに、早坂さんだってあんな音を立ててるんだから…………お、お互い様よ……)
膨れ上がる羞恥心を何度もなだめる。
言い訳。
完璧を旨とする潤奈が、最も嫌いな行為だったが……自分の心を守るためには仕方がなかった。
「………………っ!!」
決断。
と同時に、グッとおなかに力を込めた。
ブビビビビビビビビィィィーーーーッ!!
ブジュブリブビビビビビブリュビチッ!!
ジュルブビチブリビチャブリリリリリリリッ!!
(くっ……)
おしりを駆け抜ける液状便。
無理に力を込めたおなかも、すぐに押し返すような痛みを生み出してくる。
(負ける……もんかっ……)
幸い、放出の勢いは衰えない。
このまま力を入れれば、出し切れる……そう確信した。
時間と羞恥心との葛藤ではなく、苦痛との戦いということに頭を切り替えた時点で、潤奈は勝利への一歩を踏み出していた。
「ん……んんっ!!」
ブリビチビチビチビチブビビビビッ!!
ブリュビチブチャブリリリリリリリリッ!!
ブピィィィィブリブリブリビチブブブブブッ!!
ブリブビビビビビブチャブチャビチィィィィィーーーッ!!
とどまることなく液状便が噴出した。
着弾の衝撃ですでに築かれていた肛門の真下の茶色い山を崩し、その上にまた新たな山を築くほどの、とても残便とは言えない勢いと量の排泄だった。
ブビ……ッ……
「んっ……」
最後にわずかな量の液便をガスとともに飛び散らせ、潤奈の排泄が終わった。
おなかの中の不安な感覚が、とりあえず消えてなくなっている。
それと入れ替わるように潤奈の五感に飛び込んできたのが、個室の中の惨状。
足元に目を向ければ便器の中に下痢便の海とゲル状の山、便器の外には茶色の水玉模様。
息を止めても鼻の奥まで侵入してくる激臭の粒子。
ひりひりした痛みすら発している、ただれた肛門のかゆみ。
(私……こんなことをしていたの……)
自分の排泄の痕跡を前に……もとい下に、潤奈は今一度情けなさから来る絶望感に襲われた。
同じ頃、ひかりの排泄も終焉を迎えようとしていた。
「うぅぅぅぅっ…………」
透明感のある可愛らしい声が、苦しみにややこもった息遣いになる。
こちらも排泄を急いで、痛むおなかに力を込めていたのだ。ただ、潤奈よりは落ち着いている。試験時間が残っていることを考え、早く戻ればさっき思いついた解答を完成させることができるかもしれないと。
ブリュブリュブジューーーーーーーッブビッ!!
ブチュルルルルルルルピブッ!!
便の排出速度こそ遅くなったが、おなかの痛みが消えるわけではない。それでもひかりは、痛みに顔を赤くしながらも力を込めつづけた。
(おねがい、早く……早く終わってっ……)
ブリュビチビチビチビィーーーーーーッ!!
ブジュブボビチブピィィィィッ!! ブリュブピュルルルッ!!
ビチィィィィブリブリブリブリブリッ!! ブリュブブッ!!
ブジュルブリビチチチチチブビィッ!!
ブリブピピピブリリリリリビチビチビチビチビチィィィーーーーッ!!
ひかりの願いは叶えられたのか、そうでなかったのか。
ともかくそれから1分ほどの時間の後、ひかりのおしりからも噴出が途切れていた。
さて、ほぼ同時に排泄を終えた二人。おなかに力を入れるのを加減せずに済んだ分、潤奈のほうがやや早く大便を出し切っている。
ただ、これからの後始末となると、潤奈のほうが一回り大変である。二人とも便器の内壁に飛び散らせてしまった分は仕方ないにしても、便器の外を汚してしまった分は拭き取らなければいけない。その汚れの量は、明らかに潤奈のほうが多かった。
「んっ!! ……う、ふぅっ…………」
息遣いこそなまめかしいが、妖艶と言うにはあまりに幼すぎる声が、ひかりの口から漏れる。
快感ではない。排泄物に汚れたおしりの穴を拭く、その刺激によって上がった苦しみの声である。
酸性の成分を含む下痢便が大量に通過し、その残滓さえ残るおしりの穴。そこはもはや、触れるだけでかゆみを通り越した痛みを発するようになっていた。とはいえ、これを拭かずに下着を上げることはできない。ひかりは撫でるようにさするように、ゆっくりとおしりの穴に紙を押し当てていった。
ひかりの小さな手が握り締めたトイレットペーパー。
一枚目はすぐに、持つ部分がないほどの茶色に変わる。
二枚目でもまだ吸収すべき水分を大量に残していた。
三枚目でなんとか、その上からおしりの穴を押さえても染み出してこないくらいに液状便の汚れが落ちる。
拭いた後の紙が真っ白になるまでには、その倍以上の量の紙を使わねばならなかった。
……もっとも、拭いた後の汚れに関係なく、下痢便の海に落とされた使用後の紙は、等しくその海と同じ色に染まってしまったのだが……。
潤奈は早々におしりを綺麗にし終わっていた。
その前方の部分を汚さないよう、おしりの側へと紙を動かし、たっぷりとこびりついたゲル状の汚物に驚きながらも、なんとか彼女のおしりは清潔……いや、汚れてはいない状態を取り戻していた。
次の作業は便器の汚れ取り。飛び散らせてしまった汚物を拭く作業は、自分の排泄のすさまじさを再確認することになり、何度も感じた恥ずかしさをまた燃え上がらせる。
しかもその作業は、右手だけで行っている。自分のものとはいえ、汚さの極地である下痢便を付着させてしまい、紙で拭き取ったとはいえその滓やにおいが残っているであろう手で後始末をすることは彼女の衛生概念が許さなかった。
結局、左手をあそばせながらの作業は、慎重におしりを拭きつづけたひかりの後始末と同じ程度の時間を要してしまったのである。
ひかりは立ち上がり、膝元までおろしたショーツを、身長の低さゆえに長く見えるスカートの中に上げていく。彼女の幼い秘部が、今なお腫れが引かないおしりの穴が、その小さな布切れで覆い隠される。
潤奈も中腰になると同時に、剥き出しになっていたおしりを、下ろしていたスカートで覆う。一刻を争う状況で下ろしたスカートとショーツが汚れていなかったのは、不幸中の幸いといえよう。
両者、便器をまたいだ足元には、なみなみとたたえられた大量の下痢便。その上に投げ捨てられた紙は、いずれも同じ色の一部と化してしまっている。
便の質感、固形物の混ざり具合、放つ臭気の質こそ違え、とても中学生の女の子の身体の中にあったとは思えないすさまじい汚物である。
しかも二人ともただの中学生ではない。一人は小学生とも見紛う、というより制服を着ていなければ確実に小学生と思われるであろう小柄な細身の少女、もう一人は日常生活すら一般の生徒には想像しにくい、隙のない完璧な委員長なのである。
その、汚さとは無縁の二人が苦しみに顔をゆがめ、排泄したもの……それがこの便器の中の物体だった。
見るだけで情けなさがこみ上げてくる。
二人に共通の感覚が、ほぼ同時に水洗のレバーを下げさせた。
ジャァァァァァァァァァァァァァッ!!
ジャァァァーーーーーーーゴボゴボゴボゴボッ!!
「…………」
「…………」
普段なら流すと同時に個室から出ようと一歩踏み出したのかもしれない。
だが、反対側の個室からも同じ音が聞こえたことが、二人を同じように躊躇させた。
(ど、どうしよう……弓塚さん……じゃないかもしれないけど、出てくまで待ってた方がいいのかな……)
(早坂さん……もし顔を合わせてしまったら……きっと情けない女だって思われるっ……)
……しかし、いつまでも躊躇を続けられるほど、二人には時間がなかった。
ガチャ。
ガチャッ。
二つの扉が、同時に開く。
「あ……」
身長が自分より頭一つ高い女子生徒の姿。自分と同じ短髪だが、いくつかの尖った房に分かれたその髪型からは、ハリネズミのような近づきにくさを感じさせる。血色は個室の中での消耗のためか失われていても、眼鏡のレンズ越しに、驚きの中にも鋭さを保った目つきが、彼女を捕らえていた。
向かいの個室にいたのは、予想していた通りの相手だった。
「っ…………」
見るからに小柄な、同級生とも思いがたい小さな身体。夏服とあってむきだしの腕も脚も、自分と比べるまでもなく細い。苦しみに浮かべた汗がまだその顔から消えないものの、上目遣いの視線には怯えや逃げの気持ちよりも、自分への心配の色が浮かんでいた。
向かいの個室にいたのは、予想していた通りの相手だった。
(弓塚さん……)
(早坂さん……)
二人の間の時が、止まった。
試験時間中で、秒針の一目盛がそのまま点数を左右する緊迫した時間。
トイレの中で、お互いの排泄物のにおいが個室の外までも満たしている空間。
一刻も早くこの場を離れて当然だったにもかかわらず、二人は動けなかった。
「…………」
「…………」
言いたいことがたくさんあったのは、潤奈の方だった。
試験のこと、体調のこと……。
でも、言葉が出てこない。
「…………あの……」
先に口を開いたのは、普段内気で声も小さいひかりの方だった。
「…………その…………大丈夫、ですか……?」
おなかの調子が、とは言わない。
排泄を恥ずかしがるのは、思春期の女の子なら当然のこと。そのことで気遣いを受けるのすら恥ずかしいと思って不思議ではない。
でも、ひかりは……自分の普段の苦しみを知っているからこそ、どうしても同じ苦しみを味わった潤奈に、いたわりの言葉をかけたかったのだ。
(この子……自分だって、相当ひどかったはずなのに……)
左手で軽くおなかを抱え込むようにしている。今もまだ、調子は戻りきっていないのだろう。それでも、自分のことはかまわずに他人の心配を……。
見た目のままの弱々しいだけの存在ではないんだと、潤奈は実感した。感心、尊敬、恐れ……いずれであったかはわからないが、目の前の小さな少女が一回り大きく見えたことは確かだった。
「……ええ、もう大丈夫……あなたは?」
実は潤奈もまだおなかの具合が不安ではあったが、せっかく気遣ってもらって、そのうえ無駄な心配をかけるわけにはいかない。もしくは相手が一回り大きく見えたことで、これ以上自分の弱みを見せたくないという思いがあったのかもしれない。
「あ……だいじょうぶ、です…………慣れて、ますから……」
慣れている。
ひかりは事実を言っただけだった。この程度の下痢は日常茶飯事……。
だが、その一言は潤奈にとって、しばらく記憶から消えない一言となった。
(こんなのに、慣れているって……!?)
誰が聞いても驚愕するだろう。潤奈がその立場だったらとても、耐えられそうにない。
(さすがに誇張だと思うけど……やっぱり、おなかが弱いのは間違いないみたい……)
実際は誇張でもなんでもなく、ひかりはこんな下痢を毎日のように繰り返しているのだが、さすがにそれは潤奈の想像に余るものだった。それでも、その言葉が完全な偽りでないことは、語調から容易に見て取ることができた。
(だとしたら、やっぱりあの時も……)
中間試験の時の出来のばらつきも、この体調的な問題によるものだったのか、と……。すでに確信に近づいていた潤奈の推理が、はっきりと裏付けられていた。
「…………」
「…………」
再び沈黙。
ひかりは、何か変なことを言ってしまったのではないかと不安になっていた。
潤奈は、少し驚いていただけ。そしてすぐ平静を取り戻す。聞きたかったのはこの前の試験の時のことだったが、今の一言でその理由は大体想像できた。
今、二人がすべきこと、それは……
「……教室に、戻りましょう」
「……はいっ」
潤奈の一言。委員長の威厳による命令というものではなく、促すような語調に、ひかりは不安げだった顔を崩して答えた。体調さえ万全だったら笑顔を浮かべていたかもしれない。
手を洗う。潤奈は特に、激しく汚してしまった左の手のひらを念入りに洗っていた。ひかりも、小さな手に石鹸をつけて洗う。
「私……先に、戻るわね」
「あ……はい」
トイレを出たところで、一歩先を歩いていた潤奈が振り返って声をかける。
当然の措置と言えた。
試験中にトイレに駆け込んだのみならず、そこから二人並んで帰ってきたとしたら、相談して不正行為をはたらいたとの疑いがかかる。もちろんそんな不正をしようという思いは二人の頭に微塵もなかったが、だからこそその予防措置は必要だった。
「じゃあ……」
その返事を聞かぬうち、潤奈は駆け出した。
排泄する音を聞かれた恥ずかしさもあったが、それ以上に、完璧であろうとしていた自分が、見るからに小柄で弱々しいひかりに気遣われたことを恥じていたのかもしれない。
「…………」
それを見送るひかりも、声はかけられなかった。
やはり相手が学年1位の委員長ということでの遠慮もあるし、下痢排泄という恥ずかしい行為を扉越しにとはいえさらしてしまったという思いもある。
ただ、そんな複雑な距離感はあったが、雲の上の存在に対する恐れや、競争相手に対する憎しみといった負の感情は、二人の間にはこの時点ですでになくなっていた。
言葉を交わしたのはわずかな時間だったが、同じ場所で同じ時に、同じ苦しみと戦い、同じ恥ずかしさを共有したことが、ある種の絆、連帯感のようなものを生み出したのかもしれない。
この後、二人はそれぞれ教室に戻り、答案にはもう触れないといっていた潤奈も先生の勧めにより問題に再挑戦し、残されたわずかな時間で完答に至っていた。苦し紛れに書いていた数字の羅列を見て、解を推測してのひらめきだった。ひかりもトイレに駆け込む寸前に思いついた解法を用いて同じく完答。こちらは見直しの時間を残すほどの順調さである。
この日は結局、それ以上二人が顔を合わすことはなかった。
体調に不安を抱えたままの二人はそれぞれ家に直帰しており、通学路も反対方向であるため出会うことはなかった。
だが、数日の後に思いがけない形で、しかしこの日のことが原因で二人は再会することになる。
早坂ひかりと弓塚潤奈。
二人の初めての出会いが、試験時間中のトイレで果たされたことは、当然ながら両者とも決して語ることはなかった。
だが、その後二人が歩んだ道を思うと、その出会いがこの時この場所で果たされたことは、むしと必然としか言いようがない。
排泄を終えて扉を開けて顔を見たこと、それ以上に、向かい合わせの個室で過ごした自分との戦いの時間。
その時から、二人の意識はすでに出会っていたと言える。
早坂ひかりと弓塚潤奈。
二人の運命は、この扉越しのめぐりあいを軸に、大きく動き始めるのであった――。
あとがき
新展開……と言うには排泄シーンばかりですが。とにかくひかりと潤奈の出会いはこうして行われました。試験、生徒会活動などでこれから二人がどうなっていくのか、期待して待っていただければと思います。
今回は排泄描写に科学的な色彩を多く含めています。自分は理系大卒の意地をもって、「下痢を科学する」ことで自分だけの描写を磨いていきたいと思います。今回だとひかりの便が酸性で云々というあたりですね。
ただ、もちろん文章としての美しさも失わないように気をつけていきたいと思いますので、気になる点がありましたらご意見くださいませ。
次回予告、本編第2話も人間関係の構築に追われることになりそうです。6話以来ご無沙汰だった幸華と美奈穂の再登場となります。
期末試験が終わった。
初めての休日。体調の戻ったひかりは、もう親友とも言える幸華、美奈穂とともに商店街に出掛ける。
小学校時代は自分の体調の悪さ、そしてそこから来る遠慮のために、親しい友達もいなかったひかり。彼女にとってそれはほとんど初めての「お出かけ」だった。
服やで洋服を見て、本屋で雑誌を眺めて、喫茶店で甘いものを食べて……そんな年頃の女の子なら当たり前の楽しみ。それをひかりは初めて味わっていた。
もちろん、休日を過ごしていたのは彼女達だけではない。
夏本番を前に、それぞれの思いを確認する一日が始まろうとしていた……。
つぼみたちの輝き Story.15「天使の休息」。
悩み多き少女の、心からの笑顔……それはあまりにも綺麗だった。